第189話 片田舎のおっさん、決意を秘める
カッコ、カッコ。蹄の音が規則的に聞こえる中、馬車の内部はずっと居心地のよくない沈黙に支配されていた。
馬車の中に座るのは三人。俺とアリューシアとフラーウ。ヴェスパーは別の馬車で寝かされている。
野営道具だったり緊急時の食糧や物資が詰められてはいたが、今回の襲撃でそのほとんどを使い切った。それもあって、空いた馬車に負傷者を詰め込むことが出来たのは不幸中の幸いと呼ぶべきかどうか、判断に悩む。
結局、こちらが被った損害は凄惨なものだった。
死者六名、重軽傷者二十二名。相手方は死者二名、重軽傷者は不明。恐らく向こうも相応の負傷者は出していると思うのだが、捕虜として生きた相手を捕えることは終ぞ出来なかった。一人ひとりの練度が相当に高く仕上がっている証拠だ。二名討ち取れた事実を上出来だと思うことは、俺には出来ない。
こちら側の重軽傷者には、ゼドとヴェスパーも含まれる。
ゼドはまだマシである。片腕は完全に壊れてしまっていたが、命に係わる怪我ではなかった。完治には長い時間がかかるだろうし、王国守備隊の職務に復帰出来るかどうかも分からない。けれど、命の燈火がしっかり繋がっていることは、はっきり幸運だったと言っていいだろう。
他方、ヴェスパーは正直かなり厳しい。俺も傷口を見たが、バッサリと肩口近くから斬り捨てられていた。
馬車に積んであったポーションを山ほど使って一命は取り留めているものの、先の見通しは暗い。この遠征に魔術師が帯同していないのもあって、専門的な治療をすぐに受けさせられないことが事態をより深刻にしていた。
今回の件ははっきり言って異例中の異例。こんな事態を事前に察知しろという方が無理がある。
無論アリューシアや俺を含め、ベストとは言わずとも結果として賊を撃退出来たのだから、大局的に見れば悪くない動きだったのだろう。しかしやはりあの時にこうしていればとか、もっと上手く出来たのではという類の後悔は尽きない。
俺があの緑髪の男を鎧袖一触で屠り去っていれば、こんなことにはならなかった。相手の力量も相当なものだったし、それが現実的に難しいことだって分かっている。アリューシアでさえ、あのクリウという男を戦闘不能までもっていくのに少なくない時間をかけた。
だがそれでもやはり。自分の力があと一歩足りなかったのではないか。そういう悔恨の念は、いつまでも付きまとう。
それと同時に気付くのだ。世界には俺の知らない組織が山ほどあって、俺の知らない強者が山ほど潜んでいるであろうこと。そしてその事実に俺は落胆も絶望もせず、密やかに燃え上がっていることに。
「……ヴェスパー、助かるといいね」
「はい。早馬を出して次の街に魔術師と医者を待機させていますので、そこまで持てば……」
ふとした呟きを、アリューシアが拾う。
今は死者と、負傷者の中でも歩けない者を馬車に押し込み、その他の動ける者たちで隊列を組み直して帰還ルートを辿っている最中だ。負傷者の応急処置と今後の計画を練り直している間、アリューシアは馬車馬を二頭ほど使って次に立ち寄る予定の街に早馬を出した。
状況の報告と、言った通り魔術師と医者の手配のためである。到着次第速やかに専門的な治療を受けられるよう、今はあちらでも準備が進められていることだろう。そこまで彼らの容態が持てば一安心といったところだが、果たしてどうなるか。
「……申し訳ありません」
「フラーウが謝ることじゃない。皆それぞれがその時に出来ることをやったし、よく戦った。それだけだよ」
「……はい」
現場の状況が一段落ついて護衛団が動き出してからというものの、フラーウは何かにつけて謝罪の言葉を発し続けていた。それが俺たちに対するものなのか、ヴェスパーに対するものなのかは分からないけれど。
俺だって、ヴェスパーが死んでしまったら悲しい。だが悲しいかな、人の命は世界的に見ても、個人的に見ても不平等だ。名も知らぬ賊が一人死ぬより、見知った人間が一人死ぬ方が悲しいに決まっている。全員の命すべてに等しい重みがあるとは思っていない。
しかし剣の道に進むと決めた以上、それらは全て乗り越えなければならない命題だ。無論、悲しむなという話じゃなくてね。一時の間喪に服すことは気持ちのけじめを付けるためにも必要だし、それが亡くなった人への弔意にもなると俺は信じている。
そしてその上で。多少時間がかかったとしても、生き残った側はそこから前に一歩、踏み出さねばならない。特に俺たち剣士は、一瞬の狭間で命のやり取りを平気で行う連中だ。気持ちが後ろに向いたままその一瞬を掴み取ることは、残念ながら出来ない。
フラーウが今後もレベリオの騎士を務められるのかどうか。彼女は今、その瀬戸際に位置している。
勿論のこと、仮に彼女が騎士の職を辞したとしても誰もそれを責められやしない。そんなやつがもし居たとしたら、俺がしこたま殴り倒してやる。
一方で、こればかりは周りの他人が何を言おうと難しいこともまた確か。彼女自身が自分の気持ちと信念に折り合いを付けて、正面から向かい合うべき問題だ。
アリューシアもそのことが分かっているから、安易に励ましたり慰めたりはしていない。レベリオの騎士は確かに優秀で皆強いが、誰も死なない保証なんてどこにもないからな。
「……相手の情報が少しでも手に入るといいんだけど」
「遺体を回収出来たのは不幸中の幸いですね。装備を調べれば、遠からず割れると思います」
「そう願いたいところだね」
話題は自然と黒コートの連中の方向へと向く。
守備隊の誰かが討ち取った賊の二名は、こちらでその死体を回収している。やはりこの二名も俺たちが相対した連中と同じで、黒のロングコートを身にまとっていた。
間違いなく統率された一組織の人間なので、詳しく調べればどこの誰かは分かるだろう。ただ俺はともかくとして、アリューシアもその装備を見てパッと思い浮かばないということは、国外の組織である可能性が高い。
スフェンドヤードバニア教会騎士団は絶対に違うし、アリューシア曰くサリューア・ザルク帝国の軍でもないらしい。となるとそれ以外の国がルーツの組織か、あるいは傭兵団のような非公式の集団。とはいえ流石にそこまで可能性を広げると、どこの国のどちら様なのかはサッパリ分からないのが現状だ。
多分ルーシー辺りに聞けば分かるかもしれないが、その彼女は今この場に居ないからな。まずはバルトレーンに装備を持ち帰って、話はそれからになる。
「……しかし、大丈夫でしょうか……」
「ん、どうかした?」
「もし……奴らが再び報復に来たらと思うと……」
「それはないと思うよ。少なくともしばらくの間はね」
フラーウが不安そうに言葉を零すが、俺はその可能性は低いと見ている。
「先生の仰る通りです。向こうの主力にも痛手を負わせていますから。貴方はまず心を落ち着けて、傷の治療に専念なさい」
「……はっ」
俺の言葉を引き継いだアリューシアが、フラーウに自分のことだけを考えておけと言い含める。彼女も普通に喋っているが、肩をやられている重傷だからな。しばらくは剣を握れない生活が続くだろう。
そして俺とアリューシアの見解が一致しているように、あの黒コートの集団は間違いなくしばらくは出てこない。理由は単純で、緑髪の男と青髪の男に結構な手傷を負わせたからだ。
正直に言って、あの二人の実力は突出していた。仮にあれが組織の平均値であった場合、護衛団は一瞬で全滅までもっていかれたはずだ。ブラックランクの冒険者数十人に囲まれる状況だと言えば伝わりやすいだろうか。
逆説的にそれは流石にあり得ないので、あの二人が黒コート集団のツートップ。その二人はすぐに動けないほどの重傷を負っている。
唯一の懸念は最後に姿を現した魔術師だが、団長と呼ばれた緑髪の男を第一に心配していたように、すぐに単身報復に向かってくる性格には思えなかった。仮に来たとしても、優秀な前衛二人を欠いた状態では魔術師の真価は発揮し切れない。
だからあの連中は少なくとも、首級二人の傷が癒えるまでは動かない。そして二人とも、仮に回復魔法を使える魔術師が居たとしても、一日二日で動けるような怪我ではない。
アリューシアなんて最初から生け捕るために、胴体と頭部以外をメチャクチャに切り刻んだらしいからな。場合によっては緑髪の男より復帰は遅くなるだろう。
これが逆にただの野盗や山賊の類だったら、報復に再び突っかかってくる可能性は残る。
しかし黒コートの連中は良くも悪くも、極めて高い練度と意識で統率された組織だ。こちらも大きな損害を被ったのは違いないが、それは相手も同じ。勝ち目の薄い再戦にすぐさま臨んでくるような考えなしではないはず。
まあこれも、あくまで推測に過ぎないけどね。もしかしたら近いうちに再び矛を交えることもあるかもしれない。
けれど、現実的な見方をすることと不安を煽ることは違う。実際相手の首級に重傷を負わせたのは事実だから、仮にやってきたとしても俺とアリューシアで何とかなるだろう。あまり護衛対象が最前線で戦うのもよくないが、今回に限って言えば事情が異なるからな。
「……アリューシア、大丈夫かい?」
「……ええ。大丈夫です、と言いたいところですが……流石に少々気が滅入りますね」
彼女は気丈に振舞っているが、その表情にはやや翳りが見える。
これからの彼女はさらに大変だ。今回の顛末の報告もそうだし、死者や遺族に対する弔慰、敵性集団の調査、今後の計画の見直し等々、ただでさえ忙しい身に更にタスクが上乗せされる。公務の遂行中はどれだけ厳しい状況でも一切弱音を吐かなかったアリューシアも、流石に今回は堪えた様子であった。
「大丈夫だよ、この状況で気が滅入らないやつはもう人間じゃない。君は優秀だけど、言い方を変えればたった一人の人間だ。……あまり、思いつめないようにね」
「……はい。ありがとうございます」
俺では彼女の負担を肩代わり出来ない。役職という面でもそうだし、能力の面でもそうだ。俺にはただ剣を振るうことしか出来ん。
けれど。その剣を振るうことにかけては、これ以上彼女たちの負担になるわけにはいけない。たとえどんな連中が押し寄せてこようとも、この腕一本でそれらをすべて跳ね除けていかねばならない。今回の件で、その気持ちは一層膨れ上がった。
自信がついた、というのも多少はあるだろう。しかしそれだけではないような気がする。
義務感、と呼ぶのも少し違う。俺は別に誰かに何かを強要されて剣を振るうわけじゃない。
使命感、と呼ぶにはやや大仰である。俺は剣を振る上で何か大義を掲げているわけでもない。
強いて言うなら、意地だろうか。俺個人が抱えるちっぽけな、けれど決して譲れない何か。矜持と言い換えてもいいかもしれない。
「アリューシア」
「はい」
俺が歩む剣の道。その過程で育まれた、おっさんの意地。
無論、個人の感情のみですべてが上手くまとまるなんて微塵も思っちゃいない。そんなものが通用しない世界がごまんとあることくらい、嫌というほど分かっている。
「俺は剣を振ることしか出来ない男だ。……だけど、剣なら振れる。もし必要になったら、遠慮なく頼ってくれ。剣で解決出来ることなら、俺が全部解決する。必ず」
「――はい。先生のお言葉、しかと胸に刻みました」
けれど、それが通用する世界ならば。
俺は誰にも負けてやれない。少なくとも、身体が満足に動くうちは。
まだ見ぬ強者と相まみえ、それら全てに打ち勝ち、乗り越える。その悦びは胸の奥深く、深層に沈み込ませて。
――俺は随分と我が儘になったな、と。
自身の決意を伝えながらも、明らかに以前と変わった心模様に、心の中で静かに苦笑いを一つ浮かべた。




