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第188話 片田舎のおっさん、穿つ

 いったい、いつからこんな感覚に陥るようになってしまったのだろうか。

 幼少期は剣を振ることがただただ楽しかった。少年期ではおやじ殿という剣士に強い憧れを持ち、がむしゃらに剣を振っていた。青年期には自身の伸びしろを信じ、只管に剣を振っていた。

 常に楽しかったかと問われれば否かもしれない。それでも剣を振っていると少しずつ成長は感じられたし、また剣を人に教えるというのも難しくも楽しく、貴重で新鮮な経験であった。

 それらの経験が積み重なって今の俺が在る。それは間違いなく事実だ。


 しかして、今の俺がこうなってしまったのは何処が出発点だったのか。いつから模擬戦や稽古だけでなく、薄皮一枚を隔てた命のやり取りに高揚するようになってしまったのか。

 思い返せば色々と切っ掛けはあったのかもしれない。けれど決定的だったのは、やはりおやじ殿との一戦だったのだろうと思う。ある種呪縛とも言えるおやじ殿の幻影から解放された今、強敵との立ち合いにどうしても気が昂ってしまう。果たしてこれが良い変化なのかどうか、この一面に限っては判断が付きかねる状態だった。


「……ふぅーーーーっ」


 大きく。大きく息を吐く。

 俺は今から、常人では間違いなく不可避の破壊を受ける。眼前に構える緑髪の男の実力は、数合だが打ち合ってよく分かった。クルニ並みの怪力が、スレナ並みの瞬発力で襲ってくる。要するにそれ程の高みに居る手合いということ。


「……」


 男は構えたまま動かない。機を見計らっている。

 周囲ではアリューシアやヴェスパーたち、守備隊や貴族の私兵が、この男の率いる集団と戦っているにもかかわらず、不思議とその喧騒は耳に入ってこなかった。いや、正確に言えば入ってきてはいるのだろう。脳がそれらの情報を切り捨てているだけだ。


 どれだけ実力が拮抗していても、どれだけ打ち合いが長引いても。決定的な勝敗が定まるのはいつだって一瞬の出来事。そして俺たち剣士は、死に物狂いでその一瞬を手繰り寄せようとする。それは俺も、相対する緑髪の男も変わらない。


「――ッ!」


 互いの呼吸が完全に重なった瞬間。男は凄まじい勢いで地面を蹴り、限界まで張り詰めた力を爆発させた。

 そこに気合いはない。声を発することで逆に攻撃の起こりを察知される恐れがある。気合いで相手をビビらせてどうこうなどという領域は、二人の間ではとっくに過ぎ去っていた。


 相手の動きは見える。見えている。見えているが、速い。そして重い。

 男は超人的な脚力で一気に間合いを詰め、同時に右肩に背負った大剣をぐるんと回し、斜め下からかち上げるように振るっていた。上から下に下ろす方が当然重力の加護を得られるにもかかわらず。

 下から掬い上げるような斬撃は、あまり見かけることがない。単純に合理的ではないからだ。しかしその分、思考も遅れるし対処も遅れる。なるほど、この男の暴力的なまでの肉体の力があってこそ初めて成立する技。ある意味で非常に合理的ですらある。


 相手の攻撃は躱せる。躱せるが、得物のリーチはあちらの方がかなり長い。そして単純な力勝負では明らかに分が悪い。この踏み込みを躱しても、間髪入れずに二撃目が飛び込んでくるに違いない。

 つまり俺はこの破滅の一撃を躱しつつ、同時に相手に有効打を与え、かつそのまま優勢を取り続ける必要がある。


 ……無理な話だ。相手が素人ならまだしも、ここまで練達した剣士相手に僅か一手で決定的な傾きを得ようとしている。この思考はもはや傲慢とさえ言っていい。


 だが、出来る。今の俺なら出来る。

 傲慢と切り捨てられても已む無しの選択肢を、今の俺には切り捨てられない。現実的かつ希望的な道筋として、勝利への片道切符が確かに握られている感覚があった。


「――しぃえあァッ!!」

「……ッ!?」


 発破とともに精いっぱいの力で踏み込む。相手の圧に押されて下がっているのでは駄目だ。それではいつまで経っても優勢を取れない。

 下から迫り来る斬撃というのはつまり、上に行けば行くほど隙間が出来るということである。屈みながら大剣とは反対の斜め方向に切り込み、半身をずらして確実に避け、そのまま右腕を滑らせる。振り被っている猶予はない。最短距離で剣を届かせねば。

 あのロングコートがどれだけの防御力を持っているかは定かではないが、この剣に渾身の技術と力を乗せられれば、よもや弾かれることはあるまい。


 振り上げられた相手の右腕が邪魔で、胸部や頭部を正確に狙うのは無理だ。同様に喉も難しい。右腕をそのまま穿っても、こいつなら必ず左腕一本で戦闘を継続する。

 当てやすく外しにくく、確実に相手の戦闘能力を下げられる部位。

 つまりは――下腹部!


「ぐ……っ!?」


 刹那の攻防。幾重にも張り巡らされた思考が齎した一瞬の狭間。

 間近に迫った大剣が俺の前髪のいくつかを吹き飛ばし、頬に死神の息吹を感じるのと同時。

 下から抉り取るように突き出された赫々の剣が、男の右下腹部を確かに貫いていた。


「ふぅ……ッ!」


 攻撃成功の余韻に浸る間もなく、突き刺さった剣を振り抜いて腹を掻っ捌くついでに一歩、二歩と飛び退く。

 手応えは確かにあった。間違いなく有効打だ。しかし、致命傷にまで至ったかは微妙。相手の腹を穿ったことは事実なれど、衝突の瞬間僅かに身体を捻られたか、想定よりはやや浅い。

 そしてあの着込んでいるロングコート、想像していたよりも遥かに堅い。無論、剣が通らないということはなかったものの、かなり邪魔をされた感触が手に残っている。下手な鎧などよりよっぽど上等な防具だ。


「んの……、野郎っ!」

「っと!」


 右脇腹からは少なくない出血も認められるが、緑髪の男は膝を突くようなことはなかった。それどころか更に踏み込み、大剣を派手にぶん回している。

 ……が、明らかに動きが悪い。先程までのスピードに比べれば、躱すのは十二分に容易い。それでも一般的な兵士ならその力で圧倒出来るのだろう。だが手負いの戦士からわざわざ一撃を貰ってやれるほど、俺は優しくはないつもりだ。


「参った、と言ってくれると俺も助かるんだけど……」

「ハッ! そりゃ言えねえな……!」


 降伏を促してみるも、予想していた通り簡単には乗ってくれそうにない。

 多分、とどめを刺すことはほぼ確実に出来る。心臓を一突きするか首を刎ねるかすればそれで終いだ。

 しかしながら、こいつは恐らくこの襲撃を計画した首級である。出来ることなら捕らえて情報を吐かせたい。俺は拷問や尋問の技術を持っているわけではないが、その辺りはアリューシアや、何なら連れ帰ってルーシーにお願いしてもいいだろう。


 腹を貫いたダメージは確かにあるものの、戦闘不能まではまだ少し距離がある、そんな塩梅。

 であれば、次は足を斬りつけて機動力を奪う。その後に腕を斬りつけて攻撃力を奪う。逃げられなくした後に、落ち着いて捕まえればいい。


「……っつお!?」


 緑髪の男を捕らえる算段を付けて踏み込もうとした矢先。

 先ほどよりは随分と薄くなった霧の向こうから、突如として大型の火球が投げ込まれた。完全に外への意識を切り捨てていたところに飛び込んできたせいで、回避行動が遅れてしまう。


「ぅ熱っちぃ!?」


 急所への直撃は何とか避けたものの、思いっきり腕に火球がぶち当たってしまった。滅茶苦茶熱い。これ絶対火傷したやつだ。いや周りをよく見てなかった俺が悪いんだけどさあ!


「団長! 時間切れだよ、もうすぐ霧が晴れる! ……ッ団長!?」

「プリム! てめえ前に出てくるんじゃねえって……!」


 霧の奥から駆け足で現れたのは、桃色髪の女性。自身の身長ほどはある丈の長い杖を抱えているあたり、恐らく魔術師。そして先程の火球をぶん投げてきたのも、状況的に見て間違いなくこの子だ。

 緑髪の男やアリューシアと戦っているクリウと同じく、黒のロングコートを羽織っている。やはり何かしらの意思統率が成された集団であることは間違いない。

 しかも、霧が出てきた時点で予想していたとは言え、魔術師すらも抱えている精兵集団。本当になんでこんな組織に目を付けられたんだ。


「と、とにかく退いて治療しなきゃ……!」

「まだ動ける! おいクリウ! 無事か!?」


 二人のやり取りを聞いてはっとなる。そう言えばアリューシアも絶賛戦闘中だったはず。彼女が負ける姿は想像出来ないが、とは言えあの青髪の男もかなりの手練れ。俺も戦闘中は相手に集中していたため、今彼女がどうなっているのかは分からないままだった。


「そうだ、アリューシア……!」

「こちらは問題ありません!」


 慌てて周囲を見渡せば、そう遠くないところで彼女は既に戦闘を終了していた。

 問題ありませんという言葉通り、アリューシアが立っていて、青髪の男が寝そべっている。その状況だけを見ても、彼女の圧勝であることは疑いようもなかった。


「クリウ……!」

「悪いね。レベリオ騎士団長は強いんだ」


 緑髪の男が驚愕を言葉にするも、俺からすればこの結果は意外でもなんでもない。

 アリューシアの初撃を防いだ以上、あの男も相当に強いことは間違いないだろう。しかしながら、彼女の実力は相当に強いの更に上を行く。単身で本気のアリューシアを足止めするだけでも難しい上に、勝ち切るとなるとそれはもはや至難の業である。


「ちっ……!」


 状況の不利を悟った緑髪の男が毒づく。

 相手の最大戦力に自陣の最大戦力をぶつけるのは基本中の基本。ほぼ間違いなく、団長と呼ばれた緑髪の男と、クリウと呼ばれた青髪の男がこの集団のツートップ。魔術師である桃色髪の女性も恐らく幹部級。魔術師の実力は未知数ながら、おおよその大勢は決したと見ていい。


「……プリム、撤退だ。頼む」

「うん!」

「逃がさないよ!」


 緑髪の男が撤退の二文字を声に出した瞬間、剣を構えて踏み込む。

 この状況から撤退を告げるということは、何かしらの方法があるのだろう。多分魔術師が何かやるはずだ。しかし、それをみすみす逃がすほど俺もお人好しじゃあない。

 この距離なら俺の踏み込みでも二歩で届く。緑髪の男へも未だ警戒は解けないが、それよりも今相手取るべきは桃色髪の魔術師。こいつの動きを封じる!


「はあっ!」

「うおおおおあわわわっ!?」


 しかし。踏み込んだ俺の切っ先が相手に届く前に、桃色髪の女性が魔術を発動させた。

 突如として吹き荒れる暴風。漂っていた霧を刹那で吹き飛ばし、立っているのも難しいほどの烈風が全身を叩く。その威力たるや、間近で受けた俺の身体が風圧で吹っ飛んでいくほどであった。見事にすっ転んでしまい、その拍子に物凄く情けない声が出てしまった。恥ずかしい。


「お前ら! 撤退だ!!」

「……ッ! 待ちなさい!」

「待てと言われて待つ馬鹿がいるかよ! おいクリウ、起きろ!」


 アリューシアが逃げる相手を捕えようとするが、風が強すぎてまともに動けない様子であった。俺も転んだまま、立ち上がるのすら一苦労するほどの風である。一方で相手は風の中心地があの女性だからか、動きが制限されているようには見えない。くそ、本当に便利だな魔法ってやつは。

 幸いなのは、この風の魔法に殺傷能力がないことか。確かに強烈だが、別に身体が切り裂かれるわけでもない。だから俺も派手に転がっている程度で済んでいるわけだ。


「……敵ながら鮮やかな逃げ足ですね……」

「っとっと……、逃がしちゃったか」


 風が収まって……というか、風の中心地があの桃色髪の女性だったから、彼女が離れていくと風も弱まっていく。ようやく立ち上がって周りを見渡してみると、周囲を覆っていた霧は綺麗さっぱり晴れていて、黒コートの連中もこれまた綺麗さっぱり逃げ出していた。

 アリューシアに転がされていたクリウという男の姿も見当たらない。彼女の言う通り、見事な退却である。

 極めて高い戦闘能力、撤退を含めた状況判断の速さ。個人の力としては十分にあり得るが、組織全体でこれをやってのけるのは凄まじい。平均点の高さでいえば、レベリオ騎士団にも引けを取らないんじゃないだろうか。


「……結構やられてるね」


 そして黒コートの連中が去った後に残ったのは、そこかしこで横たわっている守備隊や貴族の私兵たち。

 全滅とまでは言わないが、やはり一人ひとりの戦闘力で言うと、あの黒コートの集団が一枚も二枚も上回っていた。正直に言って、同数のレベリオの騎士でも居ない限りは厳しい戦闘だったように思う。


「団長……! ご無事でしたか……」

「フラーウ。……ヴェスパーはどうしました」


 その守備隊の援護に回していたヴェスパーとフラーウ。フラーウはどうやら肩をやられたようで、鎧の肩当がベコベコに凹んでいる。出血はなさそうなものの、ほぼ間違いなく骨はやられているような、そんな様相であった。

 しかし、相方のヴェスパーの姿がどこにも見当たらない。

 まさか。とてつもなく嫌な予感が全身を襲う。


「……重傷です。応急処置は行いましたが、持つかどうかは……」

「……分かりました。ひとまず我々も負傷者の対応に回ります。先生もお願いします」

「ああ、勿論そのつもりだ。手伝えることがあったら何でも言ってくれ」


 長閑な帰り道だったはずの現場は今や凄惨な状況と成り果て、早くも死臭が漂い始めている。

 それがどうかヴェスパーとゼドのものではないことを祈りながら。俺たちは何の価値もない勝利に酔うこともなく、粛々と負傷者の応急処置にあたることとなった。

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アリューシアが敵の足の腱を切ってないのが意味不明
勝ってるのに全員逃してる描写が意味不明。 女の方も相手幹部だとわかっててトドメ刺してないにしろ、拘束なり足の骨折るなりしてないのがおかしいし、主人公はいつでも殺せる状態に持っていったとかかれているのに…
やっぱり戦闘描写は素晴らしい
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