第183話 片田舎のおっさん、稽古をつける
「ベリル殿、指示された五周を終了しました」
「うん、お疲れ様」
俺とアリューシアが身体を伸ばして運動に備えていたところで、既定の周回を終えたヴェスパーと私兵軍たちが戻ってきた。
ヴェスパーの息は多少上がってはいるものの、まだまだバテると言うにはほど遠い。しっかりと体力を残した上で走り切ったのは流石の一言である。
「ふう……っ!」
一方、果敢にも最後までヴェスパーに食らいついたサハトはなかなかに体力を消耗している様子だった。
季節が秋口に差し掛かっているとは言え、日中に動けばまだまだ暑さを感じる時期。そんな中で慣れない速度で走り続けたのだから、疲労感は結構なものになっているだろう。
それでも弱音は吐かない辺り、立派なものだと思う。ウォーレンが叩き上げと評した彼の根性は賞賛されて然るべきものだ。
「フラーウ、貴女に抜かれた者は?」
「十八名です、団長」
少し離れた場所では、アリューシアとフラーウが今回の訓練結果を共有していた。つまり、最後尾を走っていたフラーウに抜かれてしまった者が六十人中、十八人居たということになる。
予想より粘られたなあ、というのが率直な感想であった。中には五周を走り切って既に息も絶え絶え、といった様子の者も居るが、それでも最後までヴェスパーとフラーウのペースに飲み込まれなかった根性は凄いな。ウォーレンやサハトがしっかりと鍛え上げている証左と言えよう。
「じゃあ、身体も温まったところで打ち合いと行こうか。……少し休憩するかい?」
「いえ……ッ大丈夫です……!」
皆少なくない疲労を抱えているものの、サハトは休憩は要らないと言い切った。やっぱりいい根性をしている。
私兵軍の何人かは座り込んでいる者も居るけれど、何も打ち合いは全員でいっぺんにやるものでもないからね。順番を待っている間に休んでもらうとしよう。
「よし、打ち合いは俺たち四人で横に並ぼうか。それで列を作って順番にやっていく。皆には好きなところから並んでもらおうかな」
「承知致しました」
多少なり戦いの心得を持っている大人に対して、しかも職業軍人に対して一から素振りなんてことはやらない。それは流石に誰も望んじゃいないだろうし。
なので、俺たち教導役が横一列に並び、各々のペースで打ち合いを消化していく方法を取る。一口に騎士団と言っても、その騎士たちが扱う剣技は個人個人の差が結構あるから、それらの違いもしっかり学んでもらいたいところだ。
「シュステ様は危険が及ばないよう、少しだけ離れていてください」
「はい、分かりました」
そして万が一が起きてシュステに傷を付けようものなら洒落にならんので、彼女にはしっかりと下がって頂く。
サハトたちの目がある以上、俺も二人きりの時のように振舞うわけにはいかんから、ちゃんと丁寧に接しないとな。この辺りの瞬時の気持ちの入れ替えは、未だにちょっと慣れないが。
ていうか今更だけど、訓練のメニューが完全に俺主導になっちゃってるけどいいのかな。まあいいんだろうな。アリューシアは何も言ってこないし。
あまりに拙いことをやらせているなら何かしらの突っ込みが入るはずだから、何か言われるまでは俺なりにやらせてもらうとしよう。そも教えることに対しては真面目にやっているつもりだからね。
「とりあえずざっくり、皆が全員と打ち終わるくらいを終了の目処にしようか。その後は残った時間と体力次第で行こう」
相手が六十人居るから、単純計算でこっちは一対一を六十回繰り返すことになる。実際に相手をする数は結構ばらつくだろうけど、何にせよ結構しんどい。ただまあ、別に一回で何分間も打ち合うわけじゃないから、多分なんとかなるだろう。
「ただし、一回の立ち合いは十合までにしようか。長引かせ過ぎてもあまり意味がないからね」
「はっ」
後はまあ、一応ではあるが打ち合いの際の回数制限も設けておこう。
俺とアリューシアは恐らく問題ない。しかしヴェスパーとフラーウに関しては言い方は失礼だけど、実力で評価すると少し劣る。私兵軍に正面から打ち負けることは流石にないにしても、彼ら二人も先ほど走ったばかり。いたずらに体力を消耗させられれば不覚も取りかねん。
「よし、皆並ぼうか」
私兵軍から借り受けた木剣を構えて横に並ぶ。
こういう時、一番手の譲り合いとかが起きそうなものだけれど、それが起きずに皆が我先にと並ぶのは良い傾向だと思う。こんな時に譲り合っていては武に身を置いているとは言えないからな。
そしてこちらも予想通りだが、最初に並ぶ列の人数に少なくない差がある。ぶっちぎりで一番人気なのはやっぱりアリューシアだ。そこに半数近くが並んでおり、後は俺とヴェスパー、フラーウで分け合う形となった。ネームバリューを考えると当然とも言えるけどね。
「では始めようか。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
打ち稽古の開始を告げる言葉に、私兵軍の皆様が良い声で返事を返してくれた。うんうん、良い気合の乗り方だな。素晴らしい。
「ベリル殿。一手お願いします」
「分かった。どこからでも来るといい」
各々が打ち合いを演じ始める中で、俺の一番手はサハト。彼はてっきりアリューシアの方に並ぶと思っていたので少し意外である。
まあ恐らく、特別指南役とかいう肩書を持ったおっさんがどんなもんか、この目と手で確かめてやろうとかそういう感じなのだろう。無論負ける気はこれっぽっちもないが、実際に兵士長であるサハトの腕前がどの程度なのかは興味をそそられるところである。
「行きます!」
互いに構えを取った直後、サハトが吶喊してきた。
うん、踏み込みは悪くない。なかなかの鋭さを持っている。速度もまずまず。この初動を見ただけでも、私兵軍兵士長という肩書がお飾りではないことがよく分かる。
ただしそれらすべての要素において、ヘンブリッツ君の方が遥かに速い。
「ほい」
「つ……おっ!?」
勢いよく振り下ろされた木剣を横から絡めとる。
自分の道場の技という点を抜きにしても、この木葉崩しは非常に有用なテクニックだ。あのヘンブリッツ君ですら初見では対処出来なかったのだから、サハトが重心を崩して前につんのめってしまうのは、もはや自明の理と言っても過言ではないだろう。
「一本」
重心を持って行かれたサハトの後ろ首に、木剣を差し込んで一本。これが真剣勝負なら間違いなく、首と胴が離れ離れになっている状態である。
「くっ……!」
「おっと、次が控えているからね。やるなら並び直してほしいかな」
彼の顔は分かりやすく驚愕と後悔に濡れており、今すぐにでも再び襲い掛かってきそうな状況だ。
普通の一対一の鍛錬ならどんと来いなんだが、今は彼の後ろにも俺に一手お願いしたいと考える私兵軍の皆様が少なくない数並んでいる。彼ばかりを贔屓するわけにもいかない。
「……分かりました。次こそは」
「うん、その意気は大切にね」
次こそやってやる、という気概は戦う者にとっては大切だ。必須と言ってもいい。無論本当の戦闘においては、一度負けてしまうと次がないことの方が多いんだけど、訓練だからこそ本気でやらないと実戦では絶対に動けない。その点で言えば、彼もまた立派な剣士であった。
「よし、次」
「はい! よろしくお願いします!」
サハトのすぐ後ろに並んでいた青年が、元気よく挨拶を飛ばす。サハトよりも少しだけ年下かなという感じ。全体的な年齢層は騎士団と同じくらいに見えるかな。
こういう集団においては、若いを通り過ぎて幼い者だけでは統率が取れないし、逆に年季の入ったベテランだけで固まっていてもよろしくない。そういう意味でも、この私兵軍という組織は上手く作られていると思う。やはりトップに立つ人間が剣を修めているというのは大事なのかもしれないね。
「行きます!」
「よしこい」
そんなことに思いを過らせていると、次なる相手がこれまた勢いよく突っ込んでくる。
もう一回木葉崩しで迎撃してもいいんだけど、あまりそればかりやるのも芸がないと言うか、何と言うか。技術には多少の自信があれど、小手先だけの指南役と思われるのもちょっと心外だ。
こんなことを考えてしまうこと自体が、俺の意識が変化したことになるのかな。今まではそんな外面とか別にどうでもよかったし。レベリオ騎士団の特別指南役という肩書に、やっと俺の意識が追いついてきた感覚が少しある。
その過程には、俺が少しばかり自信をつけた背景もあるのだろう。俺が最強だなんて言葉は口が裂けても吐けないけれど、そう簡単には負けられない。大したことがないという見られ方をされるのも、何となく嫌だ。
「はあっ!」
相対する私兵軍の彼が繰り出してきたのは、突き。
先程のサハトとの打ち合いを見て、振りでは分が悪いと感じたのだろう。確かに袈裟斬りや横薙ぎと違い、突きは捌くのが少し難しい。単純に剣筋が見えづらいからである。
ただしそれはあくまで、アリューシアやスレナクラスのスピードが乗って初めて難しいと感じるものだ。少なくとも、俺にとっては。
「ふっ!」
「うお……っ!?」
突き出された剣先に対して半身をずらして躱し、半歩退いた姿勢のまま返しの剣を振り下ろす。
蛇打ち。サーベルボアを仕留める時にも使った、攻防一体の技である。引きの力をそのまま攻撃に転進出来るので、木葉崩しと並んで俺のスタイルと相性が良い技の一つ。
ピッタリと相手の肩口寸前で寸止めされた木剣と呼応するかのように、突きを繰り出した彼の動きもぴたりと止まった。
「ま、参りました……」
「ありがとう。突きの速度は悪くないよ。ただし、常に次を考えて剣を振ることだね」
「は、はい!」
最後にお相手の方と一礼をして、打ち合いを終わる。
一撃で絶対に相手を仕留めるという強い殺意を持って挑むのは大切だが、とは言え絶対に相手を仕留められる保証などない。むしろ自分が一撃で仕留められる可能性すら十分に孕んでいるのが戦いというものだ。その辺り、気の持ちようと現実との擦り合わせは結構意識しないと難しい。そういうところも学んでもらえると嬉しい限りだね。
「よし、次」
「はっ!」
続いての相手と相対しながら、ふと考える。
サハトと先程の彼があの腕前だったから、恐らく他の者もそこから大きくは変わらないはず。となると、全員を一撃で仕留めるのは多分出来なくはないのだが、教える側としてそればかりやってしまうのもどうなのかな、と。
騎士団での鍛錬なら容赦なくそれでいいんだけどね。今回の相手は今後も俺が面倒を見れるものではなく、むしろ一期一会に近いからそこら辺も勘案した方がいいのだろうか。
うーん。こういう時は他の誰かを参考にするに限る。ということで、構えながらちらりと横目でアリューシアの訓練風景を覗き見してみた。
「ありがとうございました。次」
「行きます! はっ……あ……?」
「次」
全部瞬殺してた。いいんだそれで。