第179話 片田舎のおっさん、夜会に臨む
「……っと、こんなもんかな」
「よくお似合いですよ、ベリル様」
「ははは、ありがとう」
時は過ぎ去り、フルームヴェルク領に入りウォーレンの別館で過ごすようになってから三日後。
場所は三日間過ごした別館ではなく、初日にウォーレンと顔を合わせた本館。そこで今は本番の夜会を前に、事前の最終確認を行っているところである。
流石にお貴族様が主催の夜会となれば、普段通りのラフな格好でと言うわけにはいかない。とは言っても、俺はフォーマルな場に耐え得る服なんて一つしか持っていない。
つまりは、スフェンドヤードバニア使節団の警護に就いた時に買った黒のジャケット一式だ。
まさかこいつに再び袖を通すことになるとは思いもよらなかった。捨てるなんて勿体ないことはしないけれども、てっきり家の棚で永い眠りにつくものだと思っていただけに、少々意外である。
そして、もし仮に今後こういう場への出席が増えるのであれば、持っている服が一着だけというのは流石に拙い。普段着と練習着だけ用意しておけば事足りた過去が懐かしく感じるよ。
今回の催しが無事に終わってバルトレーンに戻ったら、そういう服のバリエーションも増やした方がいいのかもしれないな。
俺個人のセンスは当てに出来ないから誰かに同伴をお願いすることになりそうだけど、さてどうしたものか。順当に考えればアリューシアが一番手に上がりそうなものだが、彼女は俺にあのプールポワンを勧めてきた前科があるからちょっと怖い。ここは一つ同性の友としてヘンブリッツ君もありな気がしてきた。
「シュステもよく似合っていると思うよ」
「まあ……っ、ありがとうございます」
身だしなみを整えるのは勿論、俺だけではない。今回の夜会に出席する全員がそうだ。当然俺のエスコート人をする予定であるシュステも、普段はなかなか着ないであろう豪華絢爛なドレスに身を包んでいる。
丁寧に織り込まれた、青を基調としたドレス。光を反射してキラキラと輝いている辺り、宝石が散りばめられているのか、それとも布に魔法でも掛かっているのか。詳細は分からないものの、俺なんかではきっと背伸びしても手が届かない金額の服だろうことは想像に難くない。
万が一どこかに引っ掛けでもしたらとんでもない金額が請求されそうだ。
「俺たちはもう少し後からだっけ」
「そうなります。ベリル様たちは主賓ですので」
どうも俺にはピンとこないんだが、こういう晩餐会とかあるいは舞踏会とか、貴族が主催する催しでは登場する順番もある程度大事らしい。普通は位の低い人から集まって、爵位なり地位なりが高い人ほど皆が集まった後に派手に登場するそうだ。
耳目を集めるためだったり、権威や地位を強調するためだったりと、まあ色々と理由はあるらしい。
その点で言えば俺なんて爵位も何もないただの一市民なんだけど、そこはレベリオ騎士団の特別指南役という役職と、今回の主賓であるという状況から登場は後の方なんだそうだ。
逆に俺なんかがそんな主役扱いで登場して他の貴族たちの顰蹙を買わないのだろうか。そんな心配ばっかりしてしまう。
「どうかご安心を。私がしっかりエスコートさせて頂きますので」
「はは、ありがとう」
何となく落ち着かなくてソワソワしていたら、シュステから気遣いを貰ってしまった。年下の女性に気遣われるという恥ずかしい場面ではあるものの、今回のような状況では俺なんて生まれたての小鹿と変わらないからな。
初対面の時から変わらない、愛嬌のある笑顔。今日はきっとこの笑顔に沢山助けられるのだろうと思うと頭が上がらない。
シュステとはこの三日間、色々と話をさせてもらった。互いに今までどう過ごしてきたかとか、周囲の人間関係とか、まあ本当に色々だ。
俺は単純計算でシュステの倍以上生きているわけだけど、当然のことながら語られる内容は俺より彼女の方が何倍も長く、そして濃いものだった。そんな交流のおかげもあって、今ではこうやって平常心で話すことも出来るようになった。
剣の道を歩み、多くの弟子たちを教えてきた道が薄っぺらいものだったとは言わないし言えない。それは今まで教えてきた弟子たちの人生をも裏切る行為になる。
しかしそれでも、やってきたこと経験してきたことの幅で言えば、俺よりも彼女の方が遥かに豊富であることもまた事実であった。バルトレーンに来てから様々な人や事件と関わってきたが、それらは全てここ最近のことだしね。俺の人生の縮図で言えば一瞬にも近い出来事だ。
「ふぅー……」
「おかしな方です。剣を振るっていれば、こんな催しよりもよっぽど緊張することはありましたでしょうに」
「いやあ、まったく別物だよそれとこれは」
「ふふ、そうでしょうか」
確かに剣を握る人生の中で、覚悟が必要になった場面は思い返せばいくつもある。あるが、それは決して今感じているような緊張とイコールではないのだ。正しくそれはそれ、これはこれである。
「シュステ様、先生。お待たせしました」
そんなことを考えていると、俺とシュステが待機している部屋に入ってくる人影がもう一人。
俺と同じく今夜の主賓であるアリューシアだ。今回の夜会は俺とアリューシア、そして俺のエスコート役としてシュステの三人が最後に登場する流れらしい。
流れらしい、のだが。
「……綺麗だね。凄く似合っているよ」
「ありがとうございます」
普段とは違う姿で現れたアリューシアに、不覚にも俺は数瞬、視線と意識を奪われてしまっていた。
騎士の正装と言えば、あの銀色に輝く鎧である。ではあるが、今回は特に国事でもないために、騎士としての正装というよりは場に合わせた装いが求められる。
煌びやかで艶のある銀髪はいつもと違い、大きくまとめてサイドに。そこから彼女の象徴とも言える三つ編みが、これも普段より何割増しかで細かく編まれていた。
これだけでも大分印象が違うものだが、やはり一番の違いは服装。シュステの青を基調としたドレスとは対照的に、深紅に染め上げられたロングドレス。深い赤の海原が、引き締まったプロポーションを一層際立たせている。更に片側に深く切り込んだスリットが、彼女の女性的魅力を存分に引き出していた。
ヤバい。何と言うか、非の打ち所のない美人である。
いや勿論アリューシアが美人であることくらい百も承知なのだが、彼女を教え子の一人としてではなく、一人の成熟した女性として見てしまったのは今この時が初めてかもしれない。それくらいには衝撃的な姿だった。
「ようベリル、久しぶりだな」
「……ジスガルトも元気そうで何よりだよ」
そして、視線を奪われたのが数瞬で済んだのは、彼女が一人で現れたわけではなかったから。
ジスガルト・フルームヴェルク。ウォーレンとシュステの父であり、俺と同門の男。
年をとっても変わらない、艶のある金髪。白髪の割合は増えたが、まだまだ元気そうで何よりである。
「なんだお前、だっせえ白髪しやがって」
「うるさいな、俺はまだ前髪の一部だけだよ。お前こそ年々白髪が増えてるんじゃないか?」
「黙れバカ野郎」
数十年前と変わらない、くだらないやり取り。
フルームヴェルク領の前領主という文句なしの上位者だが、こいつには本当に敬う気持ちが出てこないから不思議だ。師匠と弟子という間柄ではなく、ともに剣を学んだ仲というのはやはりそれなり以上に特別らしかった。
「しかし、ジスガルトがここに居るってことは……」
「ああ、騎士団長殿のエスコート役は俺が務めよう。お一人様じゃあ格好も付かんだろうからな。ウォーレンの野郎は主催だし」
「なるほどね」
確かに俺にシュステが付く一方、アリューシアに相手が居ないのはやや不自然だ。
その点で言えばジスガルトは正に適役と言えた。格が落ちることもないし、今回の主催はあくまで現領主であるウォーレンなので、ジスガルトはその縛りの内にない。シュステが俺のパートナー役になれたのも同じ道理だろう。
ただやはり、俺と違ってジスガルトには品格と気品があるように思える。同じ時期に同じ剣を学んだ者同士ではあるものの、この違いは果たして血筋か教育か。
「ジスガルトはともかくとして、こんな綺麗どころ二人と一緒に登場なんて、俺の方が浮いちゃうかもね……」
「そんなことはありません。先生もよく似合っておいでです」
「あ、ありがとう……」
「馬子にも衣裳って言葉があるだろ」
「うるさいよ」
苦し紛れに感想を呟いてみるものの、当の本人であるアリューシアからさくっと返されてしまった。あとジスガルトはちょっと黙ってろこのバカ野郎。
アリューシアとシュステという一級の美人に囲まれて貴族様の前に顔を出すなんて、マジで緊張してきたぞ。絶対に変な目で見られるし、その視線に長時間晒されて耐えられる自信がちょっとない。
「ジスガルト様、シュステ様、アリューシア様、ベリル様。お時間となりますので、よろしくお願いいたします」
「分かった。よし、行くとするか」
そんな気持ちを落ち着ける暇もなく、どうやら俺たちが場に出る時間が迫ってきた様子。用件を伝えに来た使用人にジスガルトが応え、俺たちはパーティの会場となる大部屋へと移動することになった。
「き、緊張するねえ……」
「ふふ、最低限の礼節さえ守って頂ければ大丈夫です。煩わしい者は私が全てお相手致しますので」
「ははは、頼もしいね……」
俺の零した愚痴に近い言葉に、シュステが頼もしい言葉を返してくれる。
その最低限の礼節でさえ俺はちょっと怪しいところがあるんだけど、この三日間、シュステに色々と教わったので多分大丈夫だと信じたい。それに、煩わしい者たちを全て相手取ってやるという彼女の決意に満ちた言葉は、言った通り非常に頼りになる。
大の大人がそれでいいのかという疑問は湧いて出てくるものの、これまで生きてきたステージが俺と彼女とではまるで違う。申し訳ないけれど、存分に頼らせてもらおう。
「シュステ様。もし手に負えないと判断しましたら私も呼んでください。場合によっては、辺境伯家ではない者の方が御しやすいこともありますので」
「ええ、ありがとうございます。もしそうなったらお願いしますね」
「面倒だったら俺を呼んでもいいぞ。蹴散らしてやる」
「もう、お父様」
アリューシアの申し出に、シュステが応える。そりゃ彼女たち二人の力にジスガルトまでが合わされば、この場では最強だろう。しかしそれではあまりにも、そう、あまりにも情けない。恰好が付かなさすぎる。
なんとか俺とシュステの力だけでこの夜会を乗り切りたいところだな。頑張りどころだ。
「こちらです」
使用人に案内された先には重厚な扉。
耳をすませば、扉の向こうから薄らと談笑の声も聞こえてくる。恐らくこの扉の先で、お貴族様がお待ちになっているのだろう。
うおおヤバい。さっきまでも緊張していたけど、今はもっと緊張してきた。大丈夫かな。
「ベリル様。大丈夫ですよ」
「先生。何も心配は要りません」
そんな俺の心情を汲み取ったか、シュステとアリューシアからそれぞれ激励のお言葉。自身の小心っぷりがほとほと嫌になるが、ここはもう二人の言葉を信じてどんと構えるしかない。何もお貴族様たちと斬り結ぼうってわけじゃないんだ、命まで取られることはないんだからしっかりしろ、俺。
「ジスガルト・フルームヴェルク様、シュステ・フルームヴェルク様、アリューシア・シトラス様、ベリル・ガーデナント様、御入場!」
眼前の扉が開き、お付きの人が大声で俺たちの登場を知らせる。
開かれた先、豪華絢爛な衣装と装飾に囲まれた人々の視線が、一斉にこちらへと刺さった。