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第178話 片田舎のおっさん、別館で過ごす

「くぁ……」


 フルームヴェルク領に来てから色々と激動ではあったが、何とか一日を終えた翌日。窓辺から差し込む柔らかな陽射しとともに俺の意識が覚醒する。

 俺たち個人個人に与えられた個室は十分過ぎる広さで、逆に落ち着かないくらいだった。多分この部屋一つで今住んでいるバルトレーンの家に匹敵しそうなくらい。ただただ広いだけの空間は却って落ち着くには不向きである、というのが分かったのは一応収穫、になるんだろうか。


 別に今の家に不満はないし、ルーシーにも感謝している。多分ミュイと二人で暮らす限りで言えば、積極的に引っ越しをすることはまずないだろう。その理由がない。

 あるとすれば、俺が所帯を持って家が手狭になるか、ビデン村に帰る時に引き払うか。後者はまだあり得そうだが、前者の可能性はかなり低そうである。


「……いやしかし、一人で眠れてよかった……」


 自分の所帯について考えが及んだところで、昨日のやり取りを思い出す。

 結局あの提案はあくまで提案、というか半分冗談みたいなノリで言ったものらしく。俺の困惑とアリューシアの早口反論を受けて、シュステはあっさりと案を捨てた。

 結果として平和な夜を過ごすことが出来たのでよかったんだけども、どうにも彼女の対応と言うか、言動に少しばかりの違和感を覚えてしまう。


 別に俺たちを騙そうだとかそういう気配は感じない。もしも悪意が混じっていたらアリューシアはもっと敏感に反応していただろうし、そもそもウォーレンの妹がそんなことを企てるとも考えにくい。

 遊んでいる、からかっている……というのも少し違う気がする。仮定の話だが、もしあそこで俺が頷いていれば、シュステは俺の部屋に引っ付いてきたと思うのだ。なので、まるっきり冗談のつもりで口に出したとも思えなかった。


「うーん……」


 何らかの思惑は働いていると思うのだが、それが何かはサッパリ分からない。果たして俺に向けられたものなのかすら疑問に感じる。

 こういうのって大体は悩んでも無駄なんだけど、一度気になると考えちゃうんだよな。まさかシュステ本人に直接聞くわけにもいかないし。何か企んでますか? なんて、間違っても辺境伯家の長女に面と向かって訊ねる内容じゃない。


「ベリル様。起きていらっしゃいますか?」

「おわっ……と。は……うん、起きてるよ」


 まるで俺の考えを見透かしたかのようなタイミングで、扉にノックの音が走る。その後扉越しに聞こえてきたのはシュステの声。

 この訪問が朝で助かった。夜更けに来ていたら対応に困るところだった。


「お邪魔してもよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「では、失礼します」


 そう言って現れたのは、昨日と変わらないシュステの姿。ただ、流石に服装は昨日会った時よりもいくらか大人しい。具体的に言えば派手さがなく、手触りの良さそうな、しかし落ち着いた色合いの服装であった。


「ベリル様、おはようございます」

「……おはよう、シュステ」


 色々とバタバタしていた昨夜と違い、今日は一晩を部屋で過ごした後。場所も俺に割り当てられた個室で、シュステにお供が付いているわけでもない。正真正銘の二人きりだ。

 状況だけ見れば、朝っぱらから異性の部屋を訪ねる女性ということで落ち着いてはいられないが、昨日と違って幾分か精神的に落ち着いた今なら、何だかいつも通り対応出来るような気がしてきた。というか、実際した。


「……ふふっ。ありがとうございます」


 もしあの言葉も冗談の延長で、この対応によって機嫌を損ねてしまったらどうしよう、みたいなのは一瞬考えたけど、多分そういうのじゃないんだろうな。なのでいつもミュイにやっているように声を返せば、返ってきたのは柔らかい笑みであった。

 どうやらこの対応で間違ってはいないらしい。となると、外の目がない時は普段通りに接する方がいいのかな。場面場面による対応の切り替えって俺あんまり得意じゃないんだけど。


「如何ですか、一晩過ごされてみて」

「流石に良いところだね。特に不満もなく満足に過ごせたよ」


 彼女からの質問に恙なく返す。そもそもここは辺境伯家が持つ館である。それに満足しないとか、どれだけ傲慢なんだと思うね。


 シュステが俺を見る視線は、最初から変わらない。柔らかくてにこやかで、敵意の類はまったくないと言っていいだろう。それにしてはこちらを困らせるような提案が多いのがちょっと気になるけれど、かと言ってそれを真っ直ぐ突っ込むのは憚られる。

 彼女は彼女で、俺という人間の評価をどう下すか迷っているのかもしれない。別に直接的な害はないし、シュステが満足するまで付き合ってあげてもいいかもしれないな。多分この遠征が終わってからも会うことはほとんどなさそうだし。


「ところでその、ベリル様っていうのは……」

「あら。ベリル様は客人なのですから当然のことです」

「そ、そう……」


 俺の方が敬語を止めたのだから、シュステにも仰々しい呼び方を改めて貰おうと思ったものの、その提案は一瞬で出鼻を挫かれて終わってしまった。なんだか不公平な気がしなくもない。じゃあ俺が丁寧な対応をするのは貴方が辺境伯家の人なんだから当然です、とかも言えそうだもん。


「そう言えば、どうして朝からここに?」


 でもまあ、それを俺が伝えたとしてもなんだかいい感じに言いくるめられそうな気はしている。腹芸と言うか論戦と言うか、そういうものに俺はてんで不向きだからな。

 なので、もっと単純な疑問。どうして朝っぱらからシュステが俺の部屋を訪ねたのかを聞いてみることにした。


「はい。朝食をご一緒しませんかとお誘いに。少しでも親睦を深めておきたいと思いまして」

「分かり……分かった。えーっと……わざわざお誘い頂いて――」

「ベリル様。敬語は禁止にしましょう」

「……じゃあシュステの敬語は?」

「私はベリル様をご招待する側ですから」

「えぇ……?」


 とりあえず朝食を一緒にとるのはいいとして、流れで敬語まで禁止されてしまった。こちらの反論も虚しく圧殺される始末である。

 年齢で言えば俺の方が遥かに年上だけど、やはり貴族の血筋だからか、そういう教育を受けたからか。腹芸なども含めて、こういう言葉のやり取りで勝てる気が一切しない。


 シュステはこちらに害意がないからまだ笑える内容で収まっているけれど、これが夜会に参加してくるような海千山千の貴族相手だと絶対にヤバい。何も分からんうちに変な言質とか取られそうである。

 その点で言えばやはり、シュステが俺のパートナーとして帯同してくれるのはありがたいことなのだろう。そして夜会本番を迎える上で、少しでも互いの理解を深めておくことも勿論大事だ。


「では早速移動しましょう。今日は天気もいいですから、中庭で頂こうかと」

「おお、それはいいね」


 てっきり食堂に行くか、この部屋に料理が運ばれてくるのかと思っていたら外で食べるらしい。中庭なら防犯的な意味でも問題ないだろうし、彼女が言う通り今日は天気もいい。

 初秋に差し掛かったことで朝晩はそこまで暑くないから、快適に過ごせそうだ。


「貴方、今日の朝食は中庭に」

「はい、畏まりました」


 最低限の身だしなみだけ整えて部屋を出る。中庭への道すがら、シュステは部屋の外で待機していた侍女に命令を出していた。

 当然だが、シュステは俺やアリューシアに対しては丁寧なものの、使用人や侍女に対しては上位者として振舞っている。

 こうしないと下手すると使用人に舐められたり、そういう噂が立ったりして立場が危うくなることもあるんだとか。やはり一般市民と貴族では、過ごす世界やそこでの常識が全然違うんだなと改めて感じ入る。


「こちらです」

「へえ。昨日は夜でよく見えなかったけど、やっぱり綺麗だね」


 案内された先は、よく剪定された庭木が慎ましやかにその存在を主張する自然の場であった。寂しいと思わせない程度には様々な花が植えられており、一方で鬱陶しくは感じない、いい塩梅だと思う。この辺りってやはり専属の庭師とかそういう人がお世話をしていたりするんだろうか。


「私も時々ですが手入れをするんですよ」

「えっ、シュステが?」

「はい。意外でしたか?」

「……まあ、少しね」


 辺境伯家の長女が庭いじり、というのはちょっと想像しづらい内容だ。別にふんぞり返るのが仕事だとまでは言わないけれど、意外であることには変わりない。こっちで言えばアリューシアが修練場の掃除をしているようなものである。


「御前失礼致します」

「あ、どうも」


 爽やかな庭木を見渡せる場所にテーブル席があり、そこに腰を落ち着けて間もなく。給仕と思われる方が目の前に朝食のメニューを配膳してくれた。

 こういう時はついついお礼の言葉が口をついて出てしまう。一般常識で言えば多分これが正しい姿だと思うのだが、貴族社会では果たしてどうか。その辺りも聞いておきたいところだな。

 出されたメニューはバゲットにベーコン、チーズにミルク。やはりこの周辺一帯は畜産が盛んなようで、それらしい料理がテーブルの上に並んだ。


「いただきます」

「はい、どうぞ」


 バゲットの上にベーコンを乗せてがぶり。うむ、パンもぱさぱさしておらずベーコンもしっかりとした噛み応えと旨味がある。分かっちゃいたけど普通に美味いな。

 宿や家での食事と違い、こうやって解放感溢れる静かな場所で食事をするのもなかなかオツなものだ。以前キネラさんの案内で入った店もテラス席だったが、あそこは町の喧騒がそこそこ耳に入っていたからね。


 俺がバゲットに手を付けたのを見届けてから、シュステも食事をとり始めた。

 ナイフとフォークを華麗に操り、少しずつ口に運ぶ様はやはり絵になる。今更ながら、そんな上位の人物と朝食を共にするという事実は、少しばかり現実味が薄い。


「ベリル様は、ずっと剣とともに生きてきたと兄や父から伺いました」

「ん? まあ……そうだね。今も昔も、がむしゃらに剣を振るうことくらいしか出来なかったから」


 幾らか食べ進めて、互いのお腹が落ち着きを見せ始めた頃。シュステが一つの話題を切り出した。

 ジスガルトやウォーレンからどのように聞かされているのかは知らないが、その情報は間違ってはいない。剣を振るい、剣を教える以外のことはほとんどしてこなかった人生だった。

 別に後悔はしていないけどね。今になって思うことと言えば、あの時はもうちょっとこうやれば上手くできたんじゃないかとか、そういう類のものだ。その人生に彩りが欲しくなかったかと問われれば、それはそれでまた否定し辛い人生であったことも事実だが。


「私は、兄が少し羨ましかったです」

「……羨ましい?」


 彼女が落とした呟き。相変わらず愛嬌のある笑顔ではあったが、その言葉が放たれた瞬間は僅かばかりの苦笑が隠れているようにも思えた。


「私はフルームヴェルク家の長女です。そうあれかしと育てられたことに不満はありませんし、父や兄も尊敬出来る人物だと思っています。大切にしてくれているのも分かっています」


 シュステは手に持った食器を置き、やや目を伏せて語り始めた。とは言ってもその口ぶりに悲壮感はなく、語っている内容に恐らく嘘はない。


「ですが、そこに我が儘を言う余地がもしあるのなら……。父や兄のように、この限られた世界の外側を見てみたかった。そう思うのもまた、事実です」

「……そっか」


 きっと彼女は言葉通り、大切に育てられたのだろう。蝶よ花よと愛でられて。

 ウォーレンの言を信じれば、彼女の上は兄ばかりで初めての娘さんだ。俺もミュイの面倒を見るようになって分かったが、愛娘となれば溺愛してもおかしくはない。

 他方、フルームヴェルク領からバルトレーン、あるいはビデン村までは距離がある。可愛い我が子を旅させるには些か過酷な道のりだ。特に末っ子の娘となれば尚のこと。


「それは、ウォーレンやジスガルトには伝えたかい?」

「……いえ、それは……」


 俺の返しに、シュステは僅かばかりの戸惑いを見せた。


 もし仮に。仮にミュイが世界中を旅してみたいと言い出しても、俺は恐らく最終的には止めない。

 そりゃ勿論めちゃくちゃに心配するし、本当に大丈夫なのかと何度も確認を取る。話し合いだって互いが納得するまでこんこんと続けるだろう。

 けれども最後には、彼女の意思を尊重する選択を取ると思う。そしてそれは、ジスガルトやウォーレンであっても恐らくは同じはず。


 無論、俺のような小市民と辺境伯家とでは、生まれながらに持つしがらみの数も強度も違う。だが、可愛い我が娘から齎された意思を無下にする親や兄弟が居るとはちょっと思えないし、思いたくない。

 それを実現させるための道筋を全力で探すはずなのだ。出来るかどうかという現実的な問題は一先ず置いておくとしてね。


「シュステ。君は多分、今までそういう我が儘を言ってこなかったんだね。だから、二人がどういう反応を返すのかが分からない」

「……はい、きっとそうなのだと思います」


 彼女は自分が大切に思われていることを分かっているからこそ、自分の気持ちを切り出せない。切り出してしまうと、今まで大切にされてきたことが覆る可能性があるから。

 でも俺は、辺境伯家としてのジスガルトやウォーレンではなく、一人の人間としての彼らを知っている。そんな俺の知見から述べれば、仮にシュステが可愛い我が儘を発揮したとて、手のひら返しが起きるとはとても思えなかった。


「きっと大丈夫。勿論、それが実現するかはまた別の問題だと思うけど……。ジスガルトもウォーレンも、そんなことでシュステを嫌ったりしないさ。むしろ喜ぶかもしれないよ」

「喜ぶ、ですか?」

「やっとシュステが自分の気持ちを伝えてくれた、って」


 駄々をこねるのと我が儘を言うのとでは、厳密に言えばちょっと違う。

 話を聞く限りでは、シュステは別に駄々をこねたいわけじゃない。今よりももう少しだけ、自分の感情に対して正直に向き合いたいだけなのだ。


「でも、いきなり旅をしてみたい、ってのはちょっと問題が大きすぎるから……試しに、別館の中庭の手入れをもっと自由にしてみたい、とかかな?」

「っ」


 だが当然のことながら、辺境伯家の長女がいきなり外の世界を巡りたいと言っても多分、実現は出来ない。初手でそれをぶちかまされてはウォーレンも困るだけだろう。

 だから、もう少し難易度の低い我が儘から発揮していけばいいと思う。


「……なぜ」

「うん? 自然が好きなんだろう? それくらいは見れば分かるさ」


 どうやら俺の提案に少々びっくりしたみたいで、初対面の時から崩れなかった笑顔にやや綻びが出ていた。付き合いは短くとも、彼女が花や自然が好きなことはすぐに分かる。この中庭に案内された時の笑顔を見れば一目瞭然だ。


「……ふふっ。そうですね。父や兄を長く見てきたベリル様が言うのです、きっと間違いありません」

「そこまで信用を置かれちゃうとちょっと困るなあ」


 単純な時間換算なら、彼らを見てきた時間が長いのは妹であるシュステのはずなのだが、まあ言いたいことはそういうこっちゃないんだろう。たまたま俺は、シュステの知らない彼らの一面を知っていた。ただそれだけだ。


「決めました。もっと正直に家族と話をしてみます。もし何か言われたら、それはベリル様の入れ知恵であると伝えますね」

「ははは、それはめちゃくちゃに怒られそうだ」


 先ほどよりも一層爽やかな笑顔で、シュステが新たな決意を胸に言の葉を落としていた。

 このこと自体はささやかな決意だろう。どんな家庭でもごくありふれた、よくある話だ。だが、そんなありふれた話が上手く進まない人間関係だって当然ある。俺なんかの言葉が、少しでもその後押しになっていれば幸いだ。


「それでは、今度はベリル様のことをもっと教えてください」

「勿論。それなりに長く生きている割に、語れることは多くないけどね」


 シュステと過ごす朝のひと時。

 最初は緊張もしたけれど、こういう語らいも時には悪くないと思えるくらいには、ささやかで、慎ましく。そして、充実した時間だった。

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もうシュステと結婚でいいのでは?
[一言] シュステも、おっさんがまだ意識のはっきりしていない(寝ぼけている)状態でサッと朝食に誘って、おっさんもアリューシアや騎士も一緒にかなぁと思っていたらまさかの2人だけの朝食会という感じかな。 …
[気になる点] もしかしておっさんが気づいた時には既に後戻りできないし逃げることもできない状態になってるんじゃないのか、これは。
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