第177話 片田舎のおっさん、別館へ行く
「ようこそおいでくださいました。そしてお初にお目にかかります。私はフルームヴェルク辺境伯家長女、シュステ・フルームヴェルクと申します。短い期間では御座いますが、精いっぱいのおもてなしをさせて頂く所存です。何卒よろしくお願い申し上げます」
ウォーレンとの邂逅とちょっとした打ち合わせを終えた俺たちは、そのまま彼の部下の案内のもと、辺境伯の持つ別館へと歩を進めた。
別館はそこまで距離が離れているわけではなく、まあちょっとした運動だと言える範囲の道のりだろう。とは言っても、俺たちは馬車で移動してきたわけだけど。
そしてウォーレンの手配が既に終わっていたのか、サハトたち辺境伯家の私兵に案内された先では、使用人やら侍女やらがずらりと勢揃いしてこちらに頭を下げていた。
これはまた形式的な挨拶が必要だな、と考えていたところ、その列の中央に居た女性が丁寧な所作とともに自己紹介を繰り出したのが今この時というわけである。
「こちらこそ、丁寧なお出迎え感謝致します。レベリオ騎士団団長、アリューシア・シトラスと申します。こちらは騎士のヴェスパーとフラーウです」
「アリューシア様、ヴェスパー様、フラーウ様。よろしくお願いいたします」
シュステの言葉にいち早く反応したのはやはりアリューシア。彼女も返しの挨拶を交わすとともに、ヴェスパーとフラーウの紹介も兼ねる。
こちら側は勿論そうなんだけど、シュステも俺が見る限りでは緊張とか不安とか、そういった感情は見えない。多分こういう場に慣れているのだろうことはすぐに想像出来た。その点でもやはり、彼女を夜会のパートナー役にするというのは悪くない案のように思う。
「……そしてこちらが騎士団付きの特別指南役であります、ベリル・ガーデナント氏です」
「ご紹介に与りましたベリル・ガーデナントです。よろしくお願いします」
騎士二人と違い、俺を紹介する時に変な間があったけど、多分これさっきのウォーレンとの話が響いてる気がするな。
まあ今はそれを聞く場面でもないし気にする場面でもない。アリューシアの紹介に合わせて、こちらも挨拶となる言葉を告げる。
「ベリル様。こうしてお会い出来る日を今か今かと楽しみにお待ちしておりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、はい、こちらこそ……?」
既に日も落ちてしばらくと言った頃合いだが、流石に辺境伯の抱える別館となると明かりも豊富で、夜の帳が落ちている中でも皆の顔は良く見えた。そして俺の自己紹介を終えた途端、シュステの表情が一層明るくなった様もはっきりと見えたわけだ。
……なんだか初対面のはずなのに随分と好感度が高い気がする。これどうせジスガルトやウォーレンがあることないことぶっこんだせいだろ。嫌われるよりはマシだけどさあ。
彼女はウォーレンのような煌びやかな金髪ではなく、もっと暗い、茶に近い色合いの髪を持っていた。
父であるジスガルトは綺麗な金色だったから、恐らく母方の影響が強く出たのだろう。見目は二十代前後かなと言った感じで、身長で言うとアリューシアより低い。
栗色のぱちっとした瞳、柔らかな目元も合わさって、可愛らしいなというのが彼女に抱いた第一印象だ。雰囲気だけで述べれば、ロゼが若い頃はきっとこういう感じだったんだろうなという印象を持つ。
「皆様、長旅でお疲れになったでしょうから、まずはお食事にしませんか?」
「そうですね。では、お言葉に甘えまして」
そして挨拶もそこそこに、シュステから晩御飯のお誘いである。
こちらとしてもフルームヴェルク領に入ってから何も口にしていないから、このタイミングでの食事はありがたい。そこはアリューシアたちも同じだったようで、俺たちは素直にその提案を受けることにする。
「貴方たち、準備を。私は館の中をご案内致します。サハト、道中ご苦労でした」
「はっ」
シュステの号令を受けて、ずらりと並んでいた使用人たちがきびきびと動き出す。ついでにこのタイミングでサハトたち私兵軍も下がるようだ。
俺はお偉いさんの下で勤めている使用人と言えばハルウィさんくらいしか知らないが、熟練を感じさせるハルウィさんと比較しても遜色はないように思えた。やはりお貴族様の館で働くような人がのんびりぐうたらしていては示しがつかないということか。
シュステを先頭に、別館の中を歩く。中は外観通り、石造の立派な館であった。
お貴族様となれば一般市民以上に防犯意識は高いだろうし、戦時には指揮所になったりもするらしい。相応以上の頑丈さを持ち合わせているのは貴族の屋敷だけに留まらず、王宮や騎士団庁舎なども同じだ。
そういうものが必要のない世の中になってほしいものだが、世界はそうそう個人の理想通りには動いてくれないからな。今が戦乱の世だとまでは言わないけれど、このガレア大陸には大小様々な国が立っている以上、どこかで煙は燻っている。
せめてそういうものは俺の目の届かない場所で燻っていて欲しい、というのは過ぎた我が儘だろうか。
片田舎で剣を振っている時は別にそれでもよかったが、この役職を頂いたからにはそうも言っていられない気がする。嫌だぞ外交の場面に呼び出されるとか。絶対にあり得ないと言い切れない現状が怖い。
「こちらが食堂となります」
「おぉ……」
館の入口からほど近く。案内された先は天井こそ低いが、広々とした部屋に長机と椅子が供えられた空間だった。
流石に王宮に招かれた晩餐会と比較するには相手が悪いが、十分に立派な拵えだと思う。宿や酒場でちまちまやっていた頃とは比ぶべくもない。こういう場所で飯を食うことにも慣れて行かなきゃいけないのかなあと、ほんの僅かばかりの感情も同時に湧いてきていた。
「料理はすぐ運ばせますので、皆様ご着席ください」
シュステがそう言いながら、中央の席へと向かっていく。
うーん、ご着席くださいと言われてもどうするべきか。普通に考えればゲストである主賓が、この場の主人であるシュステの近くに座ろうというもの。俺たちゲスト側で一番位が高いのはアリューシアで確定として、その次はもしかして俺になるのか。ここら辺、マジで分からない。
「さあさあベリル様、どうぞこちらに」
「あ、はい」
アリューシアは当然のようにシュステの席から一番近いところに行くし、ヴェスパーとフラーウは動かないしでどうしようかと悩んでいた矢先、ホストであるシュステから声がかかる。
勧められた先はシュステのすぐ近く、アリューシアの反対側の椅子であった。やっぱり俺もアリューシアと同列の扱いなのか。
「ふふ、こうしてベリル様とお話出来る機会を待ち望んでおりました。兄や父からはその武勇をよく聞かされたものです」
「あ、ありがとうございます……?」
各々が席について料理を待つ間にも、シュステの柔らかな口はずっと動いている。
やっぱり俺に対する好感度が無駄に高い気がするんですけど。あと武勇ってなんだよ。お前ら俺がビデン村に引き篭ってたことしか知らないだろ。くそ、どうするんだこれ。
第三者的評価で言えば、俺は確かに騎士団の特別指南役という重職に就いているのかもしれない。しかしその外見も中身も正体はただのおじさんである。地位も美も持ち合わせている初対面の年下の女性に対して、どう振舞っていいかさっぱり分からん。
「いやしかし、こんな年老いた男が相手ではその、シュステさんもやりづらいでしょう」
「まあ、そんなことはありませんよ。それにどうぞ、私のことはただのシュステとお呼びください」
「あ、いや、それはその……恐れ多いと言いますか……」
「良いのです。兄や父を呼ぶように私も呼んで頂ければ」
シュステは明らかにグイグイ来ている。ちょっと怖い。その瞳のうちに何を考えているかまでは流石に分からないが、打算的な部分もあったりするんだろうか。
どう考えても俺は貴族から見て優良物件ではない気がするけれど、お偉いさん方の考えることはよく分からんね。
「……」
そしてそんな様子を見て、アリューシアが非常に強い圧を視線と表情で放っていた。
君はついさっきサハトについて「視線に感情を乗せるべきではない」みたいなことを言ったばっかりじゃないか。自分で言ったことを速攻で反故にするんじゃありません。
更にヴェスパーとフラーウは相変わらず沈黙の構えである。この二人本当にフルームヴェルク領に入ってから碌に喋ってない気がするんだが、なんだかこっちはこっちで気の毒に思えてきた。
「失礼します。料理をお持ち致しました」
絶妙に居心地の悪い椅子に座っていると、どうやら料理が到着した様子。まあ精神的にやや辛いとはいえ、胃に何も入れてなければどうしても腹は減るからな。がっつかないように気を付けて食べなければ。
数人の使用人らしき人たちが、俺たちの前に料理を置いていく。
肉料理に野菜にスープ、しかも酒も出てくるようだ。いやあ、ちゃんとした肉を食えるのはありがたいな。なんだかんだでフルームヴェルク領も生産や物流がしっかりしているということだ。それは素直に喜ばしい。
「それでは、騎士団の皆様方の無事の到着と、今ここに紡がれた私たちの出会いに感謝と祝福を。乾杯」
全員に料理が行き渡ったところで、代表してシュステが乾杯の音頭を取る。
流石にこういう場で元気よくエールを流し込む、とはいかないようで、出されたのは深い赤みを持ったワインであった。
別にワインも嫌いじゃないし実家に居る時はよく飲んでたけど、どちらが好きかと言われればやっぱりエールではある。まあそんなことをここで言うわけにもいかないので、ありがたくワインを頂戴しよう。
「お、美味しいですね」
「ふふ、お口に合ったようで何よりです」
一口ワインを口に含むと、先ずは芳醇な香りと微かな甘みが、そして一拍遅れて独特の渋みが口内を支配する。
うーん、美味い。ビデン村で飲んでいた安ワインとは比べ物にならない出来だ。
王宮で出されたワインもきっと上質なものだったのだろうが、あの時は緊張で味なんてほとんど分からんかったからな。今思えば少し勿体なかったとも思うけれど、こうして味を楽しめているということは、俺も少しは慣れてきたということだろうか。
「アリューシア様も、お口には合いましたか?」
「ええ。美味しく頂いております」
軽く話題を振られたアリューシアはそつなく対応をこなし、そして優雅にナイフとフォークを扱っていた。
この辺りのマナーというか教養は流石だと思う。俺も不格好ではないくらいの扱いは出来るものの、ロイヤルマナーについては本当に未熟と言っていい。どうにか皆に恥をかかせないようにと内心結構必死である。
「お食事の後は、各施設とお部屋をご案内いたしますね」
「助かります、よろしくお願いします」
「ベリル様。私へはどうか普段通りに接してくださいませ」
「あー……はい、努力はしま……するよ」
「ええ、はい。それで結構でございます」
なんだか彼女の愛嬌のある笑顔で押し切られた気がしないでもない。
いやまあ言われてみれば、俺は彼女の兄である現当主のウォーレンのことも呼び捨てだし、彼に至っては敬語で話す方がむず痒いくらいだ。理屈としてはその妹なわけだから、気軽に話しても本人が気にしていないならいいのかもしれない。無論、外の目がない時に限りはするが。
しかしそれはあくまで、俺がジスガルトやウォーレンの正体を知らなかったからという前提がある。
最初から辺境伯の長女だという認識を持ったまま気楽に語らい合えるほど、残念ながら俺の肝は据わっちゃいないのだ。努力はしてみるけどさ。
本音を言えばベリル様という呼び方も止めてほしいところだが、それを言うと向こうも敬語は辞めてくれという交換条件になる可能性が高い。そうなったら俺も避けようがないので、今のところは現状維持に努めるかなあ、という感じである。
「皆様にはそれぞれ個室をご用意しております。その上でご提案なのですが――」
「……? なんでしょうか」
シュステが優雅な手つきでもって、ワインで口を湿らせながら言葉を続ける。
個室を準備頂けるのはありがたい。今までの往路で泊まったところも全て個別に部屋が割り振られていたが、なかなか気心も知れない相手と同室というのは気が休まりにくいからな。俺も実家暮らしが長かったから、家族とミュイ以外と一緒に寝るとなるとやっぱり少し緊張する。
しかし、ご提案とはなんだろうか。別に個別に部屋があるならそれでいいじゃんとも思う。わざわざそこにもう手間暇を加える必要はないはずだが。
「ベリル様とは、三日後の夜会で共に動く仲。それまでに互いの交流を深め、より充実して臨むためにも同じ部屋で過ごしたいと考えているのですが」
「はい?」
「は?」
花が咲くような笑顔でとんでもない発言をするシュステ。お前たち兄妹はそんなところまで似なくてもよろしい。
そしてやっぱり出てきた、俺の困惑とアリューシアの圧。
今日何回目だよこの構図。でも今回ばかりは俺もアリューシアと同感であった。