第176話 片田舎のおっさん、提案を受け入れる
「妹さんが居たんだね」
「はい、お恥ずかしながら婚期を逃した不出来の妹ではありますが」
「いやいや……」
ウォーレンの続く言葉に、思わず否定の相槌を入れてしまう。
妹が居たことは知らなかったけど、彼自身自分のことを四人兄弟の三番目と言っていたし、ジスガルトの末っ子がそのシュステという娘さんなのだろう。
でも、ウォーレンは確かアリューシアと同い年くらいだったから、その妹となると二十代に入ったかどうか、どれだけ高く見積もっても二十代前半くらいの年齢のはずである。
それで婚期を逃しているなどと評されては、当人としてはたまらないんじゃないだろうか。それとも貴族の世界ではそれが当たり前なのかな。なんとも世知辛い。その基準で言えば、俺なんて婚期を逃すどころか干乾びてミイラになっているかもしれない。
「ウォーレン」
「アリューシア、何か問題でもあるかい?」
「……」
そして俺の困惑と同時に、非常に圧のある反応を示したのはアリューシアであった。
いや、まあ、うん。彼女が俺に対して、そういう感情を持っていることくらいは承知しているんだ。と言うか、如何に俺が朴念仁だったとしても流石に分かる。道場時代、「大きくなったら先生と結婚します」なんて言葉まで口にした彼女の気持ちは、多分今でもそこまで変わっちゃいないんだろう。
ただ、彼女の想いに応えるかどうかはまた別として。おやじ殿からせっつかれているという前提はあるにしろ、俺もいわゆる伴侶探しというものを、少し頑張ってみようかなとも思うのだ。
この夏に帰省した時にお袋とも話をしたけれど、俺は仮に剣士としておやじ殿を超えていたとしても、やはり一人の男としてはどう逆立ちしても勝てていない現状がある。
別に実の父親に絶対勝たなくてはならない、なんて言うつもりもないが、それでもやはり長年目標としてきた男に対し、剣技だけでなく人間としてしっかり立派になったぞ、というのを見せておきたい気持ちも湧いてきた。これは多分、ずっと実家で引き篭っていては、生涯にわたり持てなかった感情だろうと思う。
それにやっぱり、一度離れてみて、そしてまた近付いて改めて抱いたのは、おやじ殿とお袋の関係はなんかいいな、という羨望の気持ちであった。
生涯を共にすると決めた伴侶と紡ぎ合う平和な未来。そういうものに今まではほとんど興味がなかったんだけど、それを探すのもまた一興かなと思い始めたのだ。
まあそれでも、俺が実際に行動に起こすのは少なくとも、ミュイが独り立ちした後だろうなとは同時に思っているけどね。いきなり新しい義理の母親が出来ましたなんて、今のミュイに言っても混乱するだけだろう。それに、そんなにすぐ諸々の条件に合致した素敵なお嫁さんが現れるとも思っていない。
いやそもそも、そういう条件がなかったにせよ俺と一緒になってくれる異性が居るのかという、根本的な疑問は未だ払拭されないままだが。
その上で大変に申し訳ないことではあるのだが、今のところ元弟子に手を出すつもりはないのである。
これは別に彼女たちに魅力がないとか好みではないとかそういう話では断じてなく、あくまで俺の拘りというか、意地というか、そんな感じのやつだ。
これも一つの凝り固まった考え方かもしれない。けれども、何と言うかそれは違うんじゃないかという気持ちが常にあるのである。俺がもう少し下世話な人間だったなら、アリューシアの好意に全力で甘えていたかもしれないけどね。
もしかすると彼女から見れば、俺はそれらのアプローチをいつまでものらりくらりと躱し続けている、いけ好かないおじさんに映るかもしれない。
けれど、そういう態度を取っていくうちに俺への気持ちが収まればいいなとも考えている。これを面と向かって言うべきか、彼女の心に任せるべきかは判断の悩みどころだが。
「――しかしそれでは先生にあらぬ誤解が」
「先生からすれば、どこの誰とも分からない貴族の女性から、いきなり言質を取られる方がまずいだろう? 言ったじゃないか、虫除けだって。誤解されるならまだ身内が相手の方がいいでしょ」
「ぬ……ぬ……っ」
そんな思考に沈んでいる間、俺のパートナーをどうするか問題について彼ら二人の間で激論が交わされていた。そして聞く限りアリューシアが劣勢である。彼女がここまで言い含められるシーンというのもなかなか珍しい。
そしてこんな一面もなんだか懐かしい気がしてくるよ。本来俺が持つべき主導権の握り合いを何故か他人がやってるやつ。確かにお貴族様の集まる夜会に一人で放り込まれる方がきついっちゃきついので、ウォーレンの気遣いはありがたくはあるんだけどさ。
「あー、いいかな?」
このままだと議論が終わりそうにない、と言うか、アリューシアが何としても終わらせない気がするので俺の方から口を開く。
俺の一声で、二人の口論がぴたりと止んだ。こういうところは弟子たちも皆聞き分けがよくて助かっている。アリューシアはたまに止めても喋り続けることがあるけれど。
「俺はウォーレンの案が良いと思う。その子以上に適任が居るとも思えないし、バルトレーンから誰かを呼ぶにしても間に合わない。それに、一人はもっと危ないだろうから」
「せ、先生……!?」
俺なりの考えを述べると、レベリオ騎士団長があまり外ではしちゃいけないような口調と表情で驚いていた。一応ここにはヴェスパーとフラーウも居るんだけど、この二人は今完全に空気と同化してるからなあ。ある意味で凄まじいスキルである。
まあでも実際、アリューシアが常に俺の傍に控えるというのは土台不可能な話だ。ウォーレンの言葉にもあったように、彼女は騎士団長としてやらなければならないことが多すぎる。
一方で、こういう上流社会での交流経験のない俺が一人ぽつねんと過ごすのも大変によくない。
俺の存在が一部で有名であるという言葉の真偽は別として、辺境伯の主催する夜会に主賓として招かれるくらいだから、ここは一つ顔を繋いでおこうと考えること自体は自然な流れだ。
友好関係を広めること自体は俺も賛成だが、問題はそれ以上に突っ込んでくる人間が居た場合である。しかも相手が貴族や商会主などの大物だと一層厄介。そして貴族のパーティには、そういう大物しか基本的にはやってこない。
ここもウォーレンの言う通り、俺の壁となってくれる人が居た方が非常にありがたい。その上で彼の身内で地位もある、独身の異性が付くというのはいい風除けになるとは思う。当の本人がその役目をありがたがるかは別として。
「だけど、それもウォーレンの妹さんが了承すればの話だね。その子が難色を示すのなら無理強いは出来ないし、もしそうなら俺は一人で頑張るよ」
なので、その点はしっかりと事前に申し伝えておく。隣で常に嫌々な感じで居られるのも困るしな。そうなるくらいなら俺は一人でなんとか頑張って全力でお茶を濁しに行く。
「そこは心配ありません。シュステには今回の遠征が決まった時点でその可能性について伝えていますし、本人の了承も得ています」
「そ、そうか……」
しかし、そんな俺の反応は彼にとっては予想の範疇であったようで、既に非常に早い根回しが行われた後であった。
となると、ウォーレンの中では今回の話が出た時点で俺が来ることを予見していたことになるし、また俺がパートナーを連れていないことも予見していたということになる。剣の腕では彼に負ける気はしないけれども、世渡りというか処世術というか、そういうところでは完敗だな。まるで勝てる気がしない。
「……じゃあ、問題はないように思える、かな。シュステさんには負担をかけるかもしれないけど」
「はい。ではそういう形で進めておきます」
「……! ……ッ!!」
そんなわけで話は纏まったのであるが、俺の隣でアリューシアが声にならない声を上げていた。納得はしていないが、理は向こうにある。そんな感じの顔である。
だが、俺からそんなことを突っ込んだりはしない。目に見えた藪蛇を突くほど俺も馬鹿ではないつもりだ。
「別館の方はここから少し距離がありますが、馬房もあるので滞在に問題はないでしょう。使用人も居ります。侍女も付けますから、何かあればそれらに申して頂ければ」
「いや、なんだか至れり尽くせりで悪いね……」
「主賓とはそういうものです。先生も慣れた方がよろしいかと思いますよ。招かれる機会はこれから増えこそすれど、減ることはないと思いますので」
「ははは、努力はしてみるよ……。馬車の中でアリューシアにも同じことを言われた気がするね」
言った通り努力はしてみるが、慣れる気はちょっとしない。と言うか、こんな機会は出来れば今後遠慮したいとまで思っている。なんだけど、それはどうにも無理っぽいなあ。俺も腹を括らなければならないということか。剣を振る場面以外で必要な覚悟なんて、これっぽっちも持ち合わせちゃいないけれど。
「別館への移動の際はサハト以下、護衛を就けます。万が一があってはならないので」
予想はしていたが、ここから別館までの短い距離も護衛が就くらしい。
来る時は、暇な時間が出来たら現地の酒場にでも繰り出したいと考えていたが、これもしかしてそれも無理なんじゃないだろうか。一人で人目を気にせず過ごせる時間を作れるかどうかも微妙だぞ。
まあ、それはもう仕方のないものとして割り切るしかない。
それよりも俺が気にするべきは、三日後のパーティにおける身の振り方である。ウォーレンの妹が傍に付いてくれるとは言え、それは俺が全く喋らなくていいということにはならない。
出来ればこの三日間でそういう知識を、たとえ付け焼刃だとしても付けておきたいところ。俺個人が恥をかくのは構わないが、それでレベリオ騎士団が舐められでもしたら困るからな。
しかし、ウォーレンの妹か。会ったことはないしその存在も今日知ったばかりだが、どんな子なんだろう。辺境伯の血筋であるからして、礼儀正しい人だろうとは思うものの、初対面の人に夜会で帯同してもらうのもそれはそれで緊張してしまいそうだ。
「ああ、それと」
「ん。まだ何かあるのかい?」
ウォーレンもその父であるジスガルトも、艶のある綺麗な金髪をしているから、シュステという妹もそういう髪色をしているのかな、なんて考えていたところ。
概ねの話は纏まったに見えたが、まだ用件が残っているらしい。ウォーレンはさも今思いつきましたといった風に、やや言葉尻を跳ねさせながら続けた。
「先生も、いきなりパーティ当日にシュステと初対面ではやりづらいでしょう。別館にはシュステも向かわせますので、そこで当日まで交流を深めて頂ければと思います」
「えっ」
「は?」
ウォーレンの提案に、俺の困惑とアリューシアの圧が乗った。
なんかさっきも見たぞこの構図。