第175話 片田舎のおっさん、打ち合わせる
彼はアリューシアと同じ時期に、俺の道場の門下生として剣の腕を磨いていた。
彼女と違って、型稽古に苦戦していたことをよく覚えている。地頭の回転は速いが、身体を思い通りに動かすのは少々苦手であったらしく、技の習得速度はやはりアリューシアの方が一段も二段も早かったな。
「まずは紹介致します辺境伯閣下。こちらはヴェスパーとフラーウ。騎士ですが、今回の役目としては私やベリル氏の付き人のようなものです」
「なるほど。確かにアリューシアと先生だけで来るわけにもいかないだろうからね」
ヴェスパーとフラーウはウォーレンとは初対面のようで、二人はアリューシアの紹介を受けて頭を下げるのみにとどまった。これは多分、何かを聞かれない限り余計なことは喋らないし、ここであったことも何も喋りませんよ、という意思表示だろう。
その点はウォーレンも察したらしく、普通は辺境伯を相手に無言を貫くなど無礼と取られても無理のない瞬間ではあったが、彼は何事もなかったかのように話を続けていた。
「とりあえず、座って話しましょうか」
「そうさせてもらおうかな」
ウォーレンの一声で、部屋の中にある応接用のソファに腰を掛ける。うおー、ふっかふか。
「改めて、遠路遥々お疲れ様でした。バルトレーンからは遠かったでしょう」
「確かに距離はあったけど、旅路そのものは快適だったよ。皆のお陰でね」
改めて労いの言葉を受け、それに返す。言った通り長くはあったけど別に不快な旅ではなかったからね。入念な準備と計画があれば、こういう長旅もさほど苦ではないと学べたのは良いことだ。まあ俺は騎士団の計画におんぶに抱っこで来ただけだけど。
「あと、アリューシアも畏まらなくてもいいよ。今は外の目がないから」
「そうですか? ではお言葉に甘えて」
そしてかなり硬い口調でヴェスパーとフラーウを紹介したアリューシアに対し、ウォーレンが態度を砕くように口添えた。それを受けて彼女は一気に肩の力を抜いた様子。
なんだかアリューシアが堅苦しく話していたのに、一足先に砕けていた俺の格好が付かない気がする。いやでも、ウォーレンから外の目がない時は普段通りで良いって言われたし、なんとか俺の面目は保たれていると思いたい。
「ウォーレン。サハトと名乗った者ですが、教育が行き届いてないのではないですか」
そして彼女は席に着いた瞬間、開口一番苦言を呈していた。
この子、サハトが俺に対して取った態度についてまだ根に持っている。あれはそう見られた俺が悪いはずなんだが、どうやら彼女の中ではそうではないらしい。
「サハトが何か失礼を?」
「先生を侮っていました」
「そうか……」
いや、ウォーレンもそんな神妙な顔つきにならないでほしい。俺の格好なんてどこからどう見てもただの平民なんだから、彼の持った疑問自体は真っ当だと思うよ。
ただまあ、あの場でそれを態度に出してしまったことへの是非についてはまた別問題だろうけれど。その点で言えば確かに、教育が行き届いていないという彼女の苦言は一理あるのかもしれない。
「後でそれは伝えておくよ。サハトは叩き上げで兵士長まで上り詰めたから、腕の方は信用しているんだけど……」
「辺境伯の傍に置いておくにはまだ不足でしょうね」
アリューシアのサハトに対する評はずっと手厳しい。頼むからそれが私怨の類でないことを祈るばかりである。彼女も公私を混同する性格ではないが、この子俺が関わることについては結構ポンコツになることがたまにあるからな……。
「それで……そろそろウォーレンのことを訊いてもいいかな?」
「ああ、そうでしたね」
席に座り、雑談と言うには少しばかり過激な論調が飛び出た後。俺はウォーレンについて改めて聞く姿勢に入った。
ウォーレン。彼はアリューシアの同期としてうちの道場で切磋琢磨していた弟子の一人である。
アリューシアよりは長かったから五年か六年くらいは居た。勿論彼もうちの剣技を一通り修めており、餞別の剣を渡してある。
ただ、彼はうちに来た時から一貫してフルームヴェルクとは名乗らず、ヘレステという姓を名乗っていた。そして俺の道場に弟子として居た期間、そのことについて俺から突っ込むこともなかった。
何故なら、ウォーレンを連れてきた人物もヘレステ姓を名乗っていたからである。
「ジスガルトは元気にしているかい」
「ええ、今は隠居しておりますが元気ですよ。父上も」
「それはよかった」
ジスガルト。ウォーレンの父親であり、また俺の同門でもある。つまり、俺のおやじ殿であるモルデア・ガーデナントに師事していた人物の一人だ。
そんな男が「俺の息子だ。よろしくやってくれ」と言う言葉とともに置いていったのがウォーレンということになる。
そもそもジスガルトは俺と同門ではあるけれど、その伝手はおやじ殿から発生していたものだから俺も深くは気にしてなかったんだよな。ジスガルトもウォーレンも、初めてうちに来た時は護衛なんか付けてなかったし、お貴族様らしい服装に身を包んでいたわけでもなかった。
「隠居ってことは……彼も辺境伯だった、ってことだよね」
「そうですね。先代の領主が父上になります」
「そっかあ……」
マジで俺の知らんところで貴族様との縁が発生していた。勿論バルトレーンやビデン村とフルームヴェルク領では物理的な距離があるから、そう関わり合うこともないだろうが、なんとも奇妙な繋がりである。
この縁は正確に言えば俺ではなく、おやじ殿から紡がれたものではあるにしろ、だ。
「ところで……どうして昔はフルームヴェルクを名乗らなかったんだい? ジスガルトもそうだけどさ」
「えーっと、それはですね……」
現状の認識のすり合わせが終わったところで、疑問をぶつけてみる。
単純に、フルームヴェルクを名乗らなかったのはちょっと不思議だ。別にウォーレンやジスガルトがそうだとは言わないが、普通は家の権威とかそういうものがあれば、相応にそれを振るっているはずである。
けれど、二人からはそんな素振りは微塵も感じられなかった。だからこそ俺も、相手がまさか辺境伯の血筋であるなんて露ほども思っていなかったわけで。
「父上も私も、家を継ぐ予定がなかったんですよ。父上は末っ子でしたし、私も四人兄弟の三番目だったので。ヘレステは父上の代から勤めている使用人の姓を借りました」
「何故わざわざそんなことを?」
「それは混乱を避けるためですよ。辺境伯の血筋を名乗る者がいきなりやってきたら、それはもう大変でしょう」
「ああ、うん。まあね……」
確かに、あんな辺鄙な村にお貴族様の子息が剣を習いに来たとなればそれは一大事だ。当然ながら大きな騒ぎになっていただろうし、下手をしたら国際情勢にも関わる。
その点で言えば彼やジスガルトの気遣いは正しい。正しいが、回りまわってこんな大事になるなんて微塵も思わなかったよ。
「……だけど、現実としてジスガルトも君も家督を継いだんだよね」
「まあ、そういうことです。色々と不幸が重なった結果ですよ」
「そうか……」
もう一段突っ込んでみると、彼は観念したかのように苦笑を滲ませた。
貴族に限らず、家というものは基本的に長男が継ぐ。そしてその長男にもし何かがあれば、次男、三男と下っていくわけだ。
俺の記憶する限りでは戦争は起こっていないはずだから病没か、あるいは誰かの陰謀が働いたか。あまり深く突っつくものではないので、ここでの言及はしないけれど。
で、親としての視点で言えば。家督を継ぐ可能性が低いとはいえども、愛しの我が子には違いない。どうにかしてやりたい気持ちは一般的に持つはずである。これが娘であれば他家に嫁ぐ選択肢も出てくるが、息子だとその線もやや難しいだろう。
残る選択肢としては、騎士団や王国守備隊などの国家機関に身を置くか、長子を補助する役目を買って出るか、あるいは手に職をつけるか、そのくらいかな。
ジスガルトとウォーレンは、一番目と三番目の案を睨みつつ剣の腕を磨こうとしたところ、家督の椅子が思いもよらぬ形で回ってきた、という感じか。
きっと俺なんかでは、到底想像のつかない苦労があったことだろう。身内を喪った喪失感や、その他諸々の心労を考えれば下手な言葉はかけづらい。
「ですから、家名を名乗らなかったんです。どうせ家には長く居られないだろうし、父上もそのために剣を学ばせたと当時は思っていたので」
「事情は分かった。すまない、辛いことを説明させてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ。どうかお気になさらず」
流れとして聞いて当然だった内容とは言え、その中身は気軽に告げられるものでもない。謝罪を述べると、返ってきたのは実に寛容な言葉であった。
「ところで、これからの予定ですが」
「説明しましょう」
ウォーレンへの疑問が一通り解消されたところで、アリューシアが改めてと言った感じにお題目を繰り出す。
俺たちがバルトレーンからフルームヴェルク領までやってきたのは、何も旧交を温めるためじゃないからな。表向きの本題は夜会への招待であり、そこに付随する密命はサラキア王女殿下の嫁入りに備えた予行演習である。
「パーティは三日後を予定しています。四人にはそれまで、私の別館で過ごして頂ければと」
「分かりました」
やっぱりと言うか何と言うか、俺たちは普通の宿で過ごすのではなくウォーレンが持つ別館で寝泊まりをするようだ。俺としては普通の宿の方が気持ちが休まるんだけどな、貴族に招待される側となるとそうも言っていられない。
別にだらだら過ごすつもりまではないんだけど、人様の家で、しかも視線がある中で過ごすというのは結構緊張する。注目を浴びる立場というのは実に大変だ。アリューシアやヘンブリッツ君の凄さが改めて分かる。
「ちなみに先生は、今回の夜会における状況はご理解されておりますか?」
「状況……?」
状況とは。思わぬところから突きつけられた質問に、思わず考えが止まる。
ふむ。どうなんだろう。状況と言われてもなあというのが正直なところだ。貴族からパーティに招待されてそれに出席する、以外の状況があるんだろうか。
「いや、特には……何か特殊な状況なのかい?」
なので、俺からは申し訳ないが質問に対して質問を返すことしか出来ず。
俺の返答を受けたウォーレンは、その表情に先ほどよりも幾分か濃い苦笑を浮かべて言葉を続けた。
「……恐らく先生は、今回の夜会で多数の貴族や地元の有力者……特に沢山の女性から声を掛けられる可能性が高いです。と言うか、ほぼ確実にそうなります」
「えっ、なんで?」
なんだそれ。なんでそんなことになるんだ。俺にはさっぱり彼の話す論理が分からない。
「先生は自覚を持たれていないかと思いますが、貴方は今や一部とはいえ大変な有名人です。王室からの覚えもめでたい。レベリオ騎士団の名とともに、知る人ぞ知る実力者として誰もが縁を持ちたいと考えていますよ」
「えぇ……?」
続く彼の言葉に、俺は困惑を隠せなかった。
何故いきなりそんなことになっているんだ。少なくともバルトレーンに居る間はそんな話は一切聞いてこなかった。街を歩いていても誰にも声を掛けられないし、特段見られているという意識もない。
それがましてや、バルトレーンから遠く離れたフルームヴェルク領でそうなってしまう状況は、どうしても想像出来なかった。
「それなら私が傍に居て対応すればいい話です」
俺の困惑を流石に感じ取ったか、アリューシアが援護射撃を飛ばしてくれる。
確かに、アリューシアが傍に居てくれたら心強い。俺にはお偉いさんとの対応なんてどうすればいいかさっぱり分からないからね。
今回の旅の中でちょこちょこ挨拶するだけでも大変だったのに、貴族が主催する煌びやかなパーティでお偉い様方のお話に付き合わなきゃいけないのはかなりしんどい。
「……それはあまりよくないんじゃないかな」
「何故です。騎士団長と特別指南役の組み合わせですよ。役不足とは思えませんが」
「アリューシア。君が麗しい女性であることは事実だけど、今回の夜会は淑女として出る場じゃないだろう?」
しかし彼女の言葉に、ウォーレンが突っ込みを入れていく。
俺にはここら辺の貴族の嗜みというか、暗黙の了解というか。そういうものがどう働いているのかが分からない。二人の主張のどっちが正しいのかも分からん。なので、このやり取りを眺めるしかないわけだね。悲しい。
そして俺たちの会話が始まってからというもの、ヴェスパーとフラーウは見事に沈黙を貫いている。一言も喋っていないどころか相槌すらない。
これはこれで凄まじいことだ。俺なら居た堪れなくなって気まずいことこの上ない。そういう意味でもよく訓練されているよこの二人。
「バルトレーンでどうかまでは知らないけど、先般の事件からレベリオ騎士団と先生への評価と関心は近隣でかなり高まっている。きっと夜会に参加する誰もが話をしたいと切り出してくると思う」
「それ自体は光栄なことだとは思うけど……なんだかむず痒いね」
本音としては嫌だが、素直に嫌だとは流石に言えない。なのでむず痒いという曖昧な表現でふんわりと表現するしかなかった。
先般の事件と言うとあれだ、ほぼ間違いなく王族暗殺未遂事件のことだろう。
ここフルームヴェルク領はスフェンドヤードバニアと国境を接している。今は表立って戦争をしていないにしても、常に仮想敵国として警戒はしていたはずだ。その相手と起こった事件であれば、耳に入っていてもなんらおかしくはない。
そして結果だけ見れば、レベリオ騎士団は極めて重大な外交問題に発展しかねない事件を、ギリギリの瀬戸際で防いだ英雄である。だからこそ今回の夜会に招待されたわけだ。一般論として、そんな有力者が地元に来るのなら、なんとかして縁を繋いでおきたいという気持ち自体は理解出来た。
でもなあ。嫌だなあ。面倒臭いしどう振舞っていいかが分からない。この辺り俺はやっぱり、本質的には立派な小市民であった。
「それこそ私が傍に居て相手をすればよいことです」
「出来ないよ。ほぼ確実にね。君には主賓としての役目に加えて騎士団長としての身分がある。夜会中、色々と能動的に動かなきゃいけない。それらを全部無視して先生の傍に居続けるのは不可能じゃない?」
「……それならヴェスパーとフラーウを付ければ済むことでは」
「彼ら二人の存在も大事だよ。でも、立場上この二人では防げない相手も数多く居る。騎士とは言え、彼らの役目は従者だろう。さっき言ったように、先生と縁を結びたいと考える貴族の、特に女性がやってきた場合、この二人ではそれを跳ね除けられない。言い方は失礼だけど」
「……」
アリューシアが負けじと反論を重ねるが、全てはウォーレンの返しの一手で封じられていた。
うーん、これはどうなんだ。俺は招待を受けてここにきてしまった以上、今更夜会に出席しないという選択肢は取れない。それをすると各方面の面子に泥を塗ってしまうことくらいは流石に分かる。
「先生が全て対応し切れるのなら先生一人でもいいと思うけど……先生、多分難しいでしょう?」
「うん、難しいと思うな……お恥ずかしながら……」
ウォーレンは俺の方へと視線を配り、そう投げかけてくる。
彼はうちの門下生だったし、その親であるジスガルトも俺と同門だった。俺の性格は彼も理解している。難しいだろうと言われた通り、俺にそんな器用な役目がこなせるとは自分でもとても思えなかった。
「だから、それらをある程度防ぐ……言ってしまえば虫除けだね。それとまあ箔付けの一面もあるけど……。そのためのパートナーは別で居た方がいいと思う。どうかな?」
「……異論ありません」
なんだかウォーレンにアリューシアが丸め込まれているように見えなくもない。彼女は彼女で頭も回るはずだが、やはり辺境伯として貴族階級の一線で戦ってきた男は経験が違うのだろう。
「で、でもだよ。俺のパートナーなんてどうするんだい?」
ウォーレンの論を取るのであれば、俺には夜会に出席する際に帯同するパートナーが必要と言うことになる。というか話を聞く限り、誰かに防波堤になってもらわないと俺がかなりきつい。
そしてヴェスパーとフラーウでは、貴族とは対等に渡り合えない。勿論俺個人だけでも無理。これは実力がどうのではなく単純な身分の話だ。
しかしながら彼の案を採用したとて、じゃあそのパートナーを誰にするんだという問題が今度は立ちはだかる。
今からバルトレーンから誰かを呼ぶわけにはいかないし、当たり前だがフルームヴェルク領での知り合いなんて、ウォーレンとその父であるジスガルトくらいしか居ない。
貴族や地元の地主、商会の主と対等に渡り合える身分を持ち、更に俺たちの意図も汲んでくれるこちら側の権力者。そんな都合の良い人物が果たして居るのかどうか。
「ですので、先生のパートナーには我が愚妹のシュステを付けようかと思います。彼女なら上手く立ち回れるはずですから」
「えっ」
「は?」
良い笑顔とともに齎されたウォーレンの提案。
それに対し、俺の困惑とアリューシアの威圧が同時に木霊した。
ウォーレンは先生のこともちゃんと考えている優秀なひとです