第174話 片田舎のおっさん、到着する
「失礼、騎士団長殿。間もなくフルームヴェルク領に到着致します」
「ありがとうございます」
守備隊と貴族の私兵に囲まれた馬車の中で、絶妙に気まずい空気にもいい加減慣れてきたところ。コンコンと馬車の扉がノックされ顔を出してみると、馬車と並行して歩いているゼドから連絡が入った。
「ようやく目的地だね」
「ええ、順調に来ています」
先ほどの街を出立したのが早朝で、今は太陽が西に傾き、地に伸びる自身の分身が縦長になる頃合いだ。
どうやらアリューシアが朝方言っていた、順調にいけば今日中にフルームヴェルク領に入れるというのは情報通りだったようで、往路に関してはほぼ理想的な進行と言っていいだろう。
窓から外に視線を投げてみても、街道は歩きやすく整備されており見通しも良い。道も流石に石畳とまでは言えないもののしっかりと踏み固められていて、人の往来が多くある証左でもあった。つまりフルームヴェルク領はそれなり以上に栄えている可能性が高い、ということだな。
別に観光目的で来たわけじゃないけれども、折角の遠出なのだから寂れているよりは賑やかな方がいくらかありがたい。そんな暇があるかは分からないが、もし出来ることであればご当地の酒場にでも寄ってみたいものだ。
俺はフルームヴェルク領に来たことがない、というかビデン村から碌に出たことがなかったので、今回の往路はそれなりに新鮮でもあった。そして長旅の半分をようやく終えられそうになった段で改めて気付かされるのは、やはりレベリス王国は豊かな国である、ということだ。
立ち寄った町々も繁栄具合に差はあれど、明らかに困窮しているような場所は少なくとも俺の目には見当たらなかった。まあこれは日程を組んだ騎士団なり王室なりが、そういう場所をあえて避けたという見方も出来るので、それだけで全てを決めつけるわけにはいかない。
しかしそれでも、他所の土地から数十人規模で雪崩れ込んできた集団を賄うだけの財や食があるということには違いない。
例えばビデン村で言えば、いきなり数十人が飯と宿を提供してくれと言って駆け込んできたらちょっと厳しい。そんな余裕はないし、仮にあったとしてもそれは村民のための備蓄である。これは単純にビデン村の規模が小さすぎるせいでもあるが。
まああそこのような片田舎を除いて、他所からの突然の流入や集団の対応にある程度備蓄を回せる規模の町が多いのは、それは即ち国全体の繁栄度を如実に表している。
更にレベリス王国では最低限の交通網も整っているから、大規模な自然災害でも起きない限り、物資の流通が止まることがない。つくづく良い国に生まれたなと感じ入るばかりであった。
「全隊、止まれ!」
フルームヴェルク領を目前にして色々と考えていたところで、守備隊長であるゼドの鋭い声が響く。
彼の声に合わせて馬車の動きも止まると、再びゼドが馬車の扉をノックして顔を覗かせた。
「騎士団長殿、フルームヴェルク領に到着致しました。前方に迎えの兵が来ております」
「分かりました。ありがとうございます」
報告によると、いよいよ辺境伯の領に到着したらしい。馬車の中から首を出して覗いてみると、どうやら川を領土の境として簡素な関所が設けられている様子であった。
そして関所の周辺には十人ほどの兵士の姿が見える。今俺たちに帯同している貴族の私兵とはまた違った装備だから、恐らく彼らが辺境伯の私兵なのだろう。
そうこうしているうちにゼドと数名の守備隊の者、それと今まで俺たちに帯同していた兵士の一人が関所の方へ向かっていく。多分報告だとか、あと貴族の兵士間での引継ぎとかがあるんだろうな。
当たり前だが貴族が抱える兵士たちと言うのは、勝手に自分の領土から外には出られない。いや物理的には勿論出られるんだろうけど、それをやってしまうと色々と問題になるからな。なのでこういう護衛任務の場合、隣の領土に到着したらそこで報告と護衛対象の引継ぎをやるんだそうだ。
なんとも言えないしがらみがあるもんだなあと俺は呑気に構えているけれども、実際彼らからしたら真剣にならざるを得ない。自分の対応一つで隣の貴族と喧嘩になるなんて互いに避けたいはずだからね。
「ヴェスパー、フラーウ。外に出ますよ。先生もお願いします」
「はっ」
「ああ、分かった」
このやり取りはバルトレーンを出てから何度も繰り返しているから俺もいい加減慣れた。要するに周囲を護衛する兵士の所属が代わるから、顔合わせと簡単な挨拶だけしておくというものだ。
まあ顔も名前も知らん人を守るのは、有事が起こった際を考えるとちょっと難しい。なので最低限の面識を作っておくわけだな。ビデン村を出てバルトレーンに来てからもそうだけど、今回の旅程は初めて尽くしである。
「お初お目にかかります。フルームヴェルク辺境伯領私兵軍兵士長、サハト・ランバレンと申します。あなた方を屋敷までお守りするよう、主人より仰せつかっております」
「レベリオ騎士団団長、アリューシア・シトラスです。道中よろしくお願いしますね」
「はっ、お任せください」
向こうを代表して兵士長と名乗ったサハトという男性が、こちらを代表してアリューシアが挨拶を交わす。
年の頃は三十くらいかな。切れ長の目に綺麗な黒髪をオールバックにして後ろで結っている。よく言えば実に剣士的、悪く言えば愛想がないというのが彼に抱いた第一印象であった。
兵士長と言うだけあって、剣もそこそこ扱えそうだ。フルームヴェルク領に到達するまで様々な領主の私兵を見てきたが、俺の所感では彼と彼の部隊の練度が一番高いように見える。無論、アリューシアやヘンブリッツなどの練達と比べるには流石に相手が悪いが。
「……失礼。お連れの方は騎士のようには見えませんが、そちらのお方が例の?」
とか思っていたら、そのサハトから早速猜疑的な視線を投げかけられた。
なんだかこの感覚も久しぶりだなあ。初対面のヘンブリッツ君や冒険者ギルドのメイゲンを思い出す。ちょっと懐かしい。間違っても繰り返し味わいたいものでもないけどさ。
「騎士団の特別指南役を務めるベリル・ガーデナント氏です。何か問題が?」
「……いえ、なんでもありません。では早速参りましょう」
「結構。よろしくお願いします」
そして俺が自己紹介をしようかと思った矢先、アリューシアが幾分か棘のある口調で機先を制していた。
別に俺は何とも思っていない、と言うか、未だにそういう目で見られない俺の立ち居振る舞いが悪いことくらいはいい加減気付いている。
この辺りも改善しなきゃいかんなあと思ってはいるものの、威厳のある見た目ってどうすれば培われるんだろうな。髭はもう生やしてるし。服装かな。まあ平民丸出しだもんな俺の普段着って。でも動きやすい服装が剣士的には正義なので、何とか勘弁して頂きたい。
「教育がなっていませんね」
「て、手厳しい評価だね……」
挨拶を済ませて馬車に戻り、ヴェスパーとフラーウも含めて座った途端の第一声がこれである。
いやまあ、仮に彼と実際戦うことになったとしても十中八九勝てるとは思う。勝てはするが、潜在的な強さと見た目の印象というものはまったくの別問題だからな。
「視線に感情を乗せるべきではありませんから。まだまだ鍛錬不足かと」
「それは御尤もだとは思うけど……」
まあ、あそこまで露骨な視線を貰えば、多少なり目聡い人なら誰でも気付く。
サハトはサハトでそれを直接口にするのは流石に堪えた様子であったが、見る人が見れば「誰だこのおっさんは」と言外に言っているのと変わらない。その意味では確かに、脇が甘いと言われても言い逃れは難しいだろう。
俺個人が侮られるのは別にどうでもいいんだけど、こういう対外的なお仕事が舞い込んできた場合、ともすればレベリオ騎士団自体の品位が疑われかねない。
いよいよ改めて、見た目の印象も気にしていった方がいいのかもしれん。そもそも論で言えば、それよりも俺を表舞台に立たせるなという注文を先に付けたいが、どうにもそれは言っても無駄っぽいので諦めるしかなさそうなのが辛いところである。その注文が通るのであれば、俺は特別指南役になどなっていなかっただろうし。
「……しかし、中々に賑わっているね」
フルームヴェルク領に入ってしばらく。恐らく屋敷に案内するということで中心部に向かっているのだと思うが、進むにつれて町の喧騒がこちらの耳にも届くようになってきた。
建物の密集度や高さというものはそこまででもない。単純な繁栄度で言えばバルトレーンの方が遥かに上だろう。しかしながら行き交う人の数は多く、そして皆精力的に見える。何と言うか、下町のごった返した感じをそのまま大規模にしたような印象を持つ。
「フルームヴェルク領は国防の要ですから。人も物資も自然と集まります」
「なるほどねえ」
確かに表立って戦争こそ起こっていないものの、他国と隣接しているということは常に一定の緊張状態を強いられるということ。更にレベリス王国とスフェンドヤードバニアの間では先般の王族暗殺未遂事件もあって、互いに予断を許さない状況なのだろう。
その意味で言えば、今回レベリオ騎士団が辺境伯に招かれたのも、隣国に対するけん制の意味合いも含むのかもしれない。まあその辺りの政治的なやり取りは俺にはさっぱり分からんから、完全に当てずっぽうの考えでしかないけれど。
そんなことを考えながら、馬車の窓から見える景色をのんびりと楽しむ。もう日も沈み暗くはなっているが、そこかしこに明かりが灯り、人々の喧騒も聞こえてくる。
つまりはバルトレーンと同じく、夜の娯楽もそれなりに用意されている町ということだな。これは是非とも、なんとか時間を見つけてご当地の酒場にでも繰り出してみたいところだ。ビデン村などの田舎だと日没は就寝の準備を意味するからね。
「おっ、あれかな」
そうこうしているうちに、車窓からひと際大きな建物が目に入る。あれが恐らく辺境伯の屋敷なのだろう。王宮とは流石に比ぶべくもなく、騎士団庁舎や魔術師学院ほどの規模を誇っているわけでもないが、それでも十分な大きさと堅牢さが一目で見て取れた。
「失礼。馬車はここまでとのことで、後は歩いて頂きたいとサハト殿が」
「分かりました。従いましょう」
馬車が屋敷の正門前に着いたところで、長く続いた往路の旅は一先ず終焉を迎えた。まあ後は歩きでと言われても、正門から屋敷の玄関までそう離れているわけでもないっぽいからね。問題はないし常識的な範囲での話だろう。
「屋敷へは私が。他の方々には宿を別で取っておりますので。お前たち、護衛の方々を宿までご案内して差し上げろ」
「はっ!」
そしてここでゼドたち守備隊の面々とは一旦お別れとなる様子。まあ、お貴族様の屋敷に数十人で押しかけるわけにもいかんしな。
辺境伯の兵士の方も、俺たちの先導は兵士長であるサハトが引き継ぎ、他の面々は守備隊を宿まで案内する方向で別れるようだ。そういうわけでこの場に残ったのは俺とアリューシア、ヴェスパーにフラーウ。そしてサハトの五人となった。
サハトの先導で屋敷へと足を踏み入れる。その間に通った中庭もよく手入れされていて、夜で視界は利かないけれども、恐らく昼間は綺麗な花が咲いている景色が広がっているのだろうなあと、呑気なことを考えながら歩くことしばし。
「レベリオ騎士団の方々をお連れ致しました」
「入れ」
重厚な扉を前に、サハトがノックとともに用件を告げる。
返ってきた声は、予想に反して意外と若そうな声色であった。国境を任される貴族なのだから、老獪なおじさん辺りが出てくるのかなと思っていた俺にとってはちょっと意外である。
「失礼します」
サハト、アリューシア、俺、ヴェスパー、フラーウの順番で扉を潜る。
部屋の中は予想よりも広々としていたが、壁と机から放たれるランプの明かりが視野を十分に確保していた。明かりを惜しげもなく使えるというのは、ただそれだけで財を持っている証拠になる。フルームヴェルク領はやはり、それなり以上に栄えた土地であるらしい。
そして机の向こう。この屋敷の主でありフルームヴェルク領を治める領主でもある人物が、我々の到着を歓迎するかのように立ち上がり、微笑を湛えていた。
「遠路遥々よく来てくれた。私がフルームヴェルク領領主、ウォーレン・フルームヴェルクである」
「此度は招待頂き誠に感謝申し上げます。レベリオ騎士団団長を務めております、アリューシア・シトラスと申します」
貴族の領主と騎士団長。互いが礼を逸しないよう挨拶を交わす。
この場面だけを切り取るのならば、正に王国の上位陣による会合だ。グラディオ陛下に招かれた晩餐会ほどではないにせよ、そこに同席する以上は緊張しない方がおかしい。
しかし、俺の胸に去来したのはそんな緊張ではなく。アリューシア分かってて黙ってやがったなこの野郎、というなんとも珍妙な感情であった。
俺は確かにフルームヴェルクという名前に聞き覚えはない。ないが、ウォーレンという名前は十分に記憶している。そりゃ思い出せないわけだよ。こいつフルームヴェルクなんて一言も名乗ってなかったからな。
「サハト、ご苦労だった。お前は下がれ」
「……ですが」
「サハト。お前はレベリオ騎士団に信を置けないと言うのか?」
「……はっ」
辺境伯が兵士長の退室を命じるが、サハトは一言だけ食い下がった。しかし辺境伯が圧を掛けると流石にそれ以上は厳しいと判断したのか、素直に部屋から出ていく。
彼の気持ちは分からないでもない。相手が如何にレベリオ騎士団とは言え、初見の人間を相手に自身が忠誠を誓う主人の守りに就けないのは気を揉むことだろう。まあ今回に限って言えば、その心配はまったくの無用になったわけだが。
これでサハトとウォーレン辺境伯が入れ替わり、この部屋の中には変わらず五人が留まる形となった。
「騎士団長殿、お連れの二人は」
「大丈夫ですよ」
辺境伯がヴェスパーとフラーウについて言及するが、それをアリューシアは一言で交わす。ここで言う大丈夫というのは、二人の口は堅いから安心してくれという意味である。
「……じゃあ大丈夫か。久しぶりアリューシア。そして先生も、ご無沙汰しています」
「お久しぶりです辺境伯。……で、いいのかな?」
「ははは。外の目がない時は普段通りで結構ですよ、先生」
「そうかい? それじゃ遠慮なく。久しぶりだねウォーレン」
言いながら彼は、先ほどまでの支配者然とした態度をすっかり納め、年齢相応の青年へとその姿を変貌させた。
ウォーレン・フルームヴェルク。
俺の道場に居た元弟子のうちの一人であり、またアリューシアの同期でもある男だ。




