第172話 片田舎のおっさん、気まずくなる
ゴトゴトと、石畳の上を車輪が回る音が響く。
首都バルトレーンとその周辺は街道も比較的整備されており、基本的には石畳が敷いてある。王国全体を見ればまだまだ整備しきれているとは言えないけどね。実際ビデン村なんかは土道だし、他にもそういう町や村は沢山あるだろう。
フルームヴェルク領がどれくらい栄えているのかはまったく分からないが、国境間近の辺境とは言え大きな戦争はここしばらくはなかったはずだから、それなりに都会だと何となく嬉しいなと思う。
「……」
バルトレーンの喧騒が薄らと耳に入る中、車内は実に静かなものであった。
俺が乗り込んだ立派な馬車の中には、俺を含めて四人の人間がいる。
俺とアリューシア、そして帯同する騎士が二名の計四人だ。つまりは全員が顔見知りであり、その意味では気楽でもある。知らん人と同じ空間で長時間一緒というのは精神的には中々つらい。同じ沈黙でも、心地よいものと心地悪いものとで別れるからな。
通常の旅と少し違うのは、御者も騎士や守備隊の者であるということか。どうやら馬車だけを借り受けて、その他の人が必要な物事に関しては全て身内で固めているらしい。任務の性格を考えれば仕方がないこととは言えど、随分と警戒が強いなというのが第一印象であった。
「……しばらくは馬車の旅かあ」
「はい。何卒ご辛抱頂けると」
「ああいや、不満ってわけじゃないよ。新鮮だなと」
何となく零した言葉に、アリューシアが反応する。
言った通り、別に不満があるわけじゃない。そりゃ俺が指名された流れに多少物申したい気持ちはあるが、反対ってわけでもなかったからね。
しかし、せいぜいがビデン村とバルトレーンを往復するくらいしかしたことがなかったから、こういう長期の旅というのはひどく新鮮だ。
道中の食糧や移動計画については騎士団側で全て負担してくれるとのことで、俺がしたことと言えば持って行く荷物の整理と確認をしたくらい。一人だけ長めの遠足にでも行くのかというお気楽っぷりである。
まあそもそも、俺個人が用意すべきものは道中の路銀と着替え、そして剣くらいだ。今回は気ままな一人旅というわけじゃないから、もう少し荷物は増えているが。
「でもやっぱり、自分だけこういう場所に座っているのは慣れないね」
「そちらもお慣れください。先生は招かれる立場ですから」
「分かってはいるんだけどね……」
アリューシアの言葉に思わず苦笑で返す。
今回、座って移動出来るのはアリューシアのような騎士と、俺と、後は交代で御者を務める者くらい。他の皆は全員歩きである。
勿論護衛という観点から見て、全員が馬車に乗り込むわけにはいかないことくらいは分かっている。しかしながら、こうやって守られるより誰かを守るために立ち回る方が気が楽なのも確かだ。いや、護衛対象に万が一があってはいけないという別の緊張感はあるけれどね。
今回の移動に関して、馬車に詰め込まれているのは道中の食糧とか万が一野営になった際の道具一式とかそういうものらしい。なので、人が乗る隙間はほとんどない。誰かが負傷したなどの緊急時であればその限りではないだろうが、そんなことは起こらないに越したことはないからな。
「先生も何かあれば、この二人に申し付けください」
「いやいやそんな、悪いよ」
彼女はそう言って、ともに座る二人の騎士へと視線を配る。
男性の騎士が一人と女性の騎士が一人。二人とも新人と言うほど若くはないが、ベテランと言うほど年を取っているわけでもない。年齢で言えばアリューシアと同じか、やや下かといったところ。
男性の方はヴェスパー、女性の方は確か……フラーウだったか。指南役となってそれなりの期間が経っているから、見覚えのある騎士は大体覚えているつもりだけど、それでも全員しっかり顔と名前が一致するかと言われたらちょっと怪しい。
彼ら二人は修練場での鍛錬でもよく見かけるし、俺が見た限りでは武に対しても実直だ。だからこそ名前を覚えることが出来たとも言える。流石に俺も、修練場にあまり顔を出さない騎士については自信がないからな。
「知っているでしょうが、先生はこういうお方です。気付いたことがあれば率先して動きなさい」
「はっ」
「い、いや、本当に大丈夫だからね……?」
何かあるごとに騎士を使うなんてめちゃくちゃ気を遣うのに、アリューシアが二人に念押しをするものだから、余計に俺の肩身が狭くなったぞ。二人は二人でそんな張り切って返事するんじゃないよ。
でもこういうのって、俺が遠慮して自分で何かやろうとすると逆に彼らが落ち込むんだよな……。
上司からの命令を遂行出来ないのが心苦しいという気持ちは少し分かる。となると、自然と彼ら二人を俺が使わなきゃいけない場面も出てくるわけで。気楽な旅だとは思っていないが、余計な負荷をかけられた気分になってしまう。勘弁してほしい。
「……ちなみに、この人選の理由を訊いても?」
今現在、馬車内に漂う空気は少なくとも俺にとってはあまりよろしくない。かと言って気楽に雑談でもしようという感じでもないため、とりあえず今回の遠征に関係ありそうなことを聞いてお茶を濁すことにしてみた。
「比較的若手で心技体において優秀、口が固く、先生ともある程度面識のある者から。選出後は個人との面談を経て決定致しました」
「……なるほどね」
選出の基準に俺の要素が入っているのが気になるが、多分これ突っ込むだけ無駄だな。いや確かに、まったく知らん人より修練場で顔を合わせる人の方が助かるのはその通りだけども。
騎士としての実力も然ることながら、口が固いところも選定理由に入っている辺り、ヴェスパーとフラーウの二人も今回の任務の本命については知っていると見ていいだろう。
任務の密命を抜きにしても、貴族に呼ばれた夜会に向かうのなら口の固さは重要だ。余計なことを言わない節度は大事だし、何よりそこで見聞きしたことをみだりに外部に漏らさない信用が何より重視される。
少なくとも今回同行する騎士に限って言えば、王室からの密命を知っている者とみてよさそうだ。守備隊の方は分からないが、まあそこまでわざわざ聞く必要もないだろう。
「若手に限定したのは何か理由が?」
それよりも、選定の条件に若手という言葉が入っていたのが少し気になる。
騎士団はその性質柄、あまり年を食った人は居ない。だがそれはあくまであまり居ないだけであって、まったく居ないわけじゃない。事実、団長であるアリューシアより明らかに年上の騎士も存在している。
無論、若いというのはそれだけで大変なアドバンテージではあるのだが、武の世界は体力や筋力だけで決まってしまう程狭量ではない。それは計らずして、俺やおやじ殿が証明している。
「長旅にもなりますし、体力面も考慮しています。その他にも様々な要素は含みますが」
「……そうか、ありがとう」
続いた俺の質問に、アリューシアはまず体力面の理由をあげ、それ以降はやや言葉を濁すにとどまった。まあ考えてみれば当然で、ヴェスパーやフラーウが同席している中で告げる内容でもないだろうからね。これは俺の質問がちょっと不躾ではあった。
ただその言葉の真意を探れば、幾つかここでは声に出せない理由というものが見えてくる。
前提として、レベリオの騎士は皆優秀だ。そもそもが大変に厳しい入団試験を合格した者だけが騎士となれるのだから、純粋な戦闘力は担保されていると見て問題はない。
しかし優秀な者が数多く集まれば、その中で更に優劣が付く。これはどんな集団でも同じだ。全員が全員同じレベル、しかも高い位置で留まるというのは人間である以上絶対にあり得ない。
その観点から見れば、ヴェスパーとフラーウは優秀ではあるものの、騎士として最上位の実力を持っているかと問われればその答えは否である。あくまで俺個人から見た評価ではあるけれど。
当然だが、彼ら二人が弱いわけでは決してない。単純に二人より強い騎士もまた多く居るというだけである。
今回の任務の重要性を鑑みれば、騎士の中でも最上位、もしくはそれに近しい実力を持つ精鋭を抜擢するのが普通だろう。ヘンブリッツ君を連れてくることは出来ないから仕方ないにしても、その次くらいに強い人が普通は候補に挙がるはず。
だが実際に選ばれたのは、若手であるヴェスパーとフラーウの二人。実力では彼ら二人を凌ぐ騎士が多数居るにもかかわらず、だ。
「……」
「何かございましたでしょうか?」
「ああいや、なんでもないよ」
思案に沈みながらヴェスパーに視線を向けると、間髪入れずに何かご用命かと問われてしまった。別に用事はないんだ、ごめんね。
ヴェスパー。彼は非常に整った顔立ちをしている。それはフラーウも同様で、美男美女の組み合わせと言ってもなんら過言ではない。
つまりは、そういうところも今回の選定基準に含まれている、と言ったところかな。
まあ、理由としては分かる。長旅になるので体力面も考慮したというアリューシアの言も嘘ではないだろうし、更に言えば今回のポーズをしっかり全うしようとしている、ということだ。
表向きは辺境伯からの国難回避に対するお礼の招待。そして主賓はアリューシアと俺。付き人として出るなら、見目が優れているに越したことはない。
加えて相応の礼儀作法も求められる。そう考えれば、この二人は確か良いところの出だったような気がするな。レベリオの騎士には貴族出身の者も決して少なくない。実力主義だから、平民出身の者も数多く居るが。
と言うか、礼儀作法という点で言えば一番怪しいのは俺である。不安しかない。
「しかし、こうして若い騎士に囲まれると俺の存在は浮いちゃいそうだね。ははは……」
場を和ませようと放った言葉ではあるが、言っていて自分で虚しくなってきた。
うら若き騎士団長とその脇を固める容姿端麗な騎士二人。そこにおっさんが加わるというのはどうにも場違い感が凄い。今からでも代役を立てられないだろうかと考えてしまうくらいには、なんだか気が滅入ってしまった。
「とんでもないことです。落ち着いた雰囲気と老練な気配。先生はただそこに立つだけで、達人の剣士と呼ぶに相応しい立ち居振る舞いをしておられます」
「そ、そう……」
めちゃくちゃ良い笑顔でアリューシアに諭されてしまった。二人きりの時に言われたなら百歩譲って面映い、で済んだかもしれないが、ヴェスパーとフラーウが居る時に言われるのは責め苦か何かか? 勘弁してほしい。
「二人もそう思いますね?」
「はっ。団長の仰る通りかと」
「ヴェスパーに同じです。素晴らしい剣士でありましょう」
アリューシアがすかさず二人に同意を求める。その声色と表情はいつも通りだが、心なしか眼光が鋭いように感じられた。
「あ、ありがとうね……」
やめて。やめて本当に。なんだこれ。新手の苛めか?
これもしかしてフルームヴェルク領に着くまでずっとこんな感じなの? マジでご遠慮願いたいんだけどなそれは。
ヴェスパーとフラーウは優秀な騎士です
先日の8月17日に発売された、ヤングチャンピオン烈9月号におっさん剣聖のオリジナルショートストーリーが掲載されました。更に特典でベリルのクリアファイルが付いてます。
また、今月24日にはコミカライズ第4巻が発売されます。
どうぞよろしくお願いいたします。




