第171話 片田舎のおっさん、遠征に出る
「よし、それじゃあ行ってきます」
アリューシアから遠征の話を聞かされ、ミュイやルーシーにそのことを相談してからしばらく。
今日はその遠征が始まる日である。いつもと違って、玄関先で発した声は誰かに届くこともないまま、家の奥へと吸い込まれていった。
ミュイは数日前から学院の寮に移動している。ルーシーに寮の短期利用を薦められてからの手続きは思いの外早く進み、ミュイの生活の拠点は今、一時的に魔術師学院の学生寮へと移っていた。
丁度空室があったのはありがたいことだけれども、これが果たしてたまたまラッキーだったのか、それとも魔術師学院長の口添えがあったのかは分からない。その辺りは聞くのも野暮だと思うしね。
ルーシーと話をしてから今日までは、なんだかんだで慌ただしい日が続いた。魔術師学院とは書類のやり取りのために何度か往復したし、アリューシアとも詳しいスケジュールや移動の予定なんかを打ち合わせしたり。後者に関しては俺は話を聞いて頷くだけで、打ち合わせと呼ばれるほどのものではなかったけれど。
ミュイも一時的に寮に移ると言った時、特に反対もせず受け入れてくれたのは大きかった。まあ一人でこの家から通うメリットがまったくないからな。寮なら衣食住のうち食と住は保証されるし、衣についてもイブロイからの贈り物があったので問題ない。
書類には俺とミュイの両方のサインが必要だったが、出会った当初と比べてちゃんと自分の名前をすらすらと書けていたのに感動したのは秘密だ。
どちらかと言えば、俺がフルームヴェルク領から帰ってきた後、ミュイが寮での生活を気に入って今後そっちで住むと言われないかどうかが少し心配である。
もしそう言われれば俺は多少寂しい気持ちはあれど、反対はしないだろう。
親離れ、と言うほど長い期間親の代わりをしたわけでもないが、いずれ彼女にも独り立ちの時期が来るわけで、それは遅いよりは早い方が一般的に良いはずである。四十五にもなって初めて親元を離れた俺が言っても、何も説得力は生まれないかもしれないけどさ。
「大分涼しくなってきたなあ」
日の出から間もなくの時間帯から動き始めるのはいつものことだが、最近は晩夏を超えて初秋に入ったからか、夜間と早朝は結構涼しい。本格的に日が昇ればまだまだ陽射しは強烈なものの、季節の移ろいをしっかり感じられる時期になった。
これからしばらくは過ごしやすい時期が続き、それからあまり嬉しくない冬に差し掛かる。単純に寒いのも勿論嫌なんだけど、雪が積もると非常に拙い。交通の便が一気に滞るため、片田舎であるビデン村では色々と苦労したものだ。
バルトレーンで冬を迎えるのは初めての経験だが、ビデン村とそう大きく気候は変わらないだろう。
ただ、木材の輸送が滞ったりしたらヤバいので、本格的に寒くなる前に木は多めに備蓄しておいた方がいいかもしれん。俺はともかくミュイに寒い思いをさせるわけにはいかない。
仮に彼女が寮に居続けることを選択すれば、これも要らぬ心配になってしまうのだが。
まあ、ミュイのことを今考えても何も事態は変わらない。俺はこれから向かうべきフルームヴェルク領のことと、その裏に隠された密命のことを意識した方がいい。
結局フルームヴェルク辺境伯の正体について、これといった予測が立てられないまま当日を迎えてしまった。
アリューシアの性格を考えれば、俺が気付いていないとなればすぐに正解を寄越してくれそうなところ、意外なことに彼女はその後何の情報も出してはくれなかった。
多分これは、彼女のお茶目な一面が出てしまったのかな、なんて思う。もし任務において重要な情報であれば、それを差し置いて私情を優先するような性格はしていない。つまり、辺境伯の正体をあえてぼかすことは作戦に対する不利益には繋がらないと判断したのだろう。
となると、俺と辺境伯が顔見知りであろうがそうでなかろうが、今回の遠征の大筋は何も変わらないということだ。実際に知らぬ顔であればそのまま存ぜぬを通してお付き合いすればいいし、マジで俺が忘れていただけなら到着した後に謝るしかない。
「……誰なんだろうな、辺境伯って」
本当に心当たりがなくて困る。
うちの道場には当然ながらビデン村出身者以外も居たが、何も規則性があったわけじゃない。バルトレーンから来ていた人も居ただろうし、近隣の他村からきている人も居る。
しかしそれでも、相手がお貴族様となれば流石に分かるはずなのだ。それは服装だったり従者の数だったりと要因は様々だが、何にせよ俺みたいな一般小市民とは明らかに違う。
となると道場関係者以外の線もあるかと思われるが、そっちはもっと可能性が薄い。
なんせ俺は今まで碌に村から出てなかったからである。道場以外のコネクションなんて俺には何もないからな。なんの自慢にもなりゃしないけどね。
じゃあやっぱり弟子の誰かかな、なんて思う。あるいはおやじ殿の知り合いとか。でもおやじ殿との共通の知り合いなんて意外と少ないし、やっぱり道場関係者の線が一番濃い。
「……まあ、行けば分かることか」
アリューシアから話を聞いてから今日まで、このことはそれなりに考えてきたけれど、結局何も分からない。おやじ殿に聞けば分かったかもしれないが、そのためだけに移動するのもなんだかなという感じ。
元弟子だとしたら素直に謝ろう。俺も全員をはっきり完璧に覚えているわけじゃないからな。
「お、なんだか沢山居るな」
これから向かう先のことをのんびり考えながら歩みを進めることしばし。騎士団庁舎の前へとやってきたところ、いつもは守衛が数人居るくらいなのだが、今回は数十人がぞろぞろと集まっている。
見られる装備は大きく二通り。銀色のプレートアーマーに身を包んだ数人と、革鎧と薄手のコートで武装した数十人。前者が騎士で後者が守備隊の連中かな。
そして彼らの集まる脇には、馬車が数台並んでいた。ビデン村に帰省した時のような立派なものが一台と、残りはそれよりは幾らか見劣りする、しかし中々頑丈そうなものであった。
「先生。おはようございます」
彼らを視界に収めながら近寄ると、その集団の中でもひときわ目立つ騎士団長が俺に気付き、声を掛けてくる。
「おはよう。もしかしてお待たせしたかな?」
「いえ、問題ありませんよ」
一応言われていた集合時間には十分間に合うように家を出たはずなんだけど、既に大勢が集まっているのは流石と言うべきか。
戦うための人間が集まってはいるものの、場の雰囲気はそこまで悪くない様子だった。まあ戦場に向かうわけでもないから、出発前から無駄にピリついても仕方がないからな。その辺りは皆心得ているようで、慎ましやかに雑談を交わしていたり、装備の点検をしている者が多い。
「やあ、貴方がベリルさんですかな」
アリューシアと挨拶を交わしていると、一人の男が歩み寄ってきていた。
装備は標準的な守備隊のものだ。革鎧とコート、そして腰には長剣を一振り差している。体格や年齢は大体俺と同じくらいだろうか。コートで分かりにくいが、少なくとも腹が出ているだとか、余計な肉が付いているような印象は受けない。短く刈り揃えられた黒髪は清潔感もあり、柔和な雰囲気と誠実な印象を与えるものだった。
「はい。レベリオ騎士団付き特別指南役、ベリル・ガーデナントと申します」
挨拶に対し、対外的な名乗りを返す。これ未だに俺の口から言うの違和感が拭えない。あとちょっと恥ずかしい。けれど、そんな個人的事情をぐちぐち言っても仕方がないわけで。
「これはご丁寧に。私はゼド・ハンベック。守備隊の小隊長をしております。まあ、あいつらのまとめ役のようなものですな」
「なるほど。道中よろしくお願いいたします」
庁舎前に集まっている守備隊の方へちらりと視線を動かしつつ、ゼドと名乗る男と握手を交わす。手に伝わる感触はやはり硬く、日常的に武器を扱っている人間の手であった。
剣術にかかわらず何かしらの武を修めている人間というのは、立ち居振る舞いであったり身体つきであったり、どこかにそういうサインが現れる。いわゆる、分かる者が見れば分かる、みたいなやつ。
別にわざわざ言及したりはしないが、それらを見つけることが出来ると何となく嬉しい気持ちになるね。その意味で言えば、ゼドはしっかり武を修めている人だということ。頼りになりそうで何よりだ。
「ハンベックさん、人員の方は」
「ええ、全員揃っております。いつでも出られますよ」
挨拶に一段落が付いたところで、アリューシアからゼドに確認が入る。
互いに口調は穏やかだが、こういう時の上下関係ってどうなるんだろうな。
レベリオ騎士団と王国守備隊は、組織としては別である。当然、指揮命令系統も別だ。恐らく世間一般の認識で言えば、騎士団の方が上みたいな見られ方なのだろう。
しかし一方で、守備隊には騎士を退役した者が入隊することもあるようで、一概に下とは言えない事情もありそうな気がする。かつての先輩が守備隊に所属していることも大いにあり得るだろうし。ここら辺も移動中暇そうなら聞いてみようかな。
「では先生、こちらへ」
「……ん?」
どうやら間もなく出発するらしく。アリューシアに指示された先は、一台しかない立派な馬車の方であった。
「俺もこっちに乗るの?」
「当然です。先生と私が今回の主賓ですから」
「そ、そう……」
一応聞いてみるも、当然のように返されてしまった。未だにこの扱いにはちょっと慣れない。いい加減慣れて行かないといかんというのは分かってるんだが。
「出発だ! 配置につけ!」
俺たちが馬車に乗り込んだ直後。先程まで穏やかに会話していたゼドの鋭い指示が響く。
ぞろぞろと守備隊の者たちが動く気配を感じながら、馬車はゆっくりと動き始めた。
でっぱつ
来週は帰省で家に居ないため、更新をお休みします。
またお盆明けにお会いしましょう。




