第170話 片田舎のおっさん、話し合う
「必要あるんか? それ」
「だから念のためって言ってるじゃないか……」
翌日。
いつも通り騎士団の稽古を終わらせた後、中央区の売店でちょっと小腹を満たし、太陽が西の方へ傾き始めた頃。俺はルーシーのお宅へとお邪魔していた。
こちらもいつも通りハルウィさんに対応してもらい、応接室で美味しい紅茶を頂戴しながら待つことしばし。
以前午前中に訪ねた時と違い、身だしなみも瞼の開きもちゃんとしたルーシーが出てきて、フルームヴェルク領への遠征の話とその間のミュイの世話について相談した第一声がこれであった。
「ベリル。お主ちょいと過保護過ぎやせんかの」
「その自覚はあるけど、かと言って後は放任ってちょっと違うくない?」
ルーシーが盛大な溜息とともに零す。
俺だって少しばかり過保護な自覚はあるよ。少なくとも俺が同年代の頃に、両親から貰った気遣いよりかはずっと気にしている。まあ俺の場合、ミュイの年の頃にはもう剣士になることしか考えてなかったから、環境と状況が違うというのはあるんだが。
しかし俺が過保護だと呆れられるのはまだ許容範囲にしても、ミュイについても割とアッサリめなのは少々意外であった。彼女ならなんだかんだで「それくらい構わんぞ」くらいは言ってくれると思っていただけに、ちょっと作戦を変更せねばならない。
「別に居候させろとまでは言わないけどさ。何かあった時に頼れる先が決まっていた方がミュイとしても気が楽でしょ」
「言わんとしていることは分かるが……」
正直俺の作戦としては、とりあえず事情に了承してもらってから細部を詰めるという、あまりルーシーのことを強く言えないくらいの投げっぱなしコースだった。しかしその前提が崩壊してしまったので、理屈よりも感情面で訴え出ることにする。
「そんなに心配なら寮にでも突っ込んでおけばよかろう」
「寮はミュイが家から通うって言っちゃったからなあ……」
ルーシーの言う通り、そもそも最初はミュイを魔術師学院の寮に入れるつもりだったんだよな。そうなっていたら俺もここまで気を揉むこともなかったわけで。実際そうはならなかったから今、頭を悩ませている。
けれどまあ、彼女が寮ではなく俺との生活を選んだというのは何も悪いことではないから、それを今更どうこう言うつもりはないが。
「ん? いや、短期的にという意味じゃぞ」
「えっ、出来るのそんなこと」
さてどうしようかなと改めて思案に沈みかけたところで、ルーシーから新情報が齎された。
学院の寮って短期利用も出来るんだね。それはおじさん初めて知りました。
「申請は必要じゃがな。両親が仕事で不在になることなんぞ、そう珍しくもなかろう」
「まあ確かに……」
言われてみればその通りで、我が子が実家から学院に通う間、仕事やその他の事情で家を空けなければならなくなることは大いにあり得る。そうなった時に、学院側で何かしらの支援制度を設けている可能性までは考えていなかったな。
これが普通の学校ならそうでもないんだろうけど、魔術師の卵を預かる王国肝入りの学院となれば、それくらいは融通が利いてもなんら不思議ではない。
寮の短期利用は、正に現状にぴったりの解決策である。ミュイに慣れてもらうという過程は寮だろうがどこかに居候しようが同じことだ。であれば、通う先である学院の寮の方が余計なストレスも感じにくいはず。
寮から家に戻る時も、彼女は元々私物が少ないし部屋を汚すタイプでもないから、その辺りの心配もせずに済む。
「あ、ただ費用はかかるぞ。当然じゃが」
「それは勿論分かってるよ」
そして金銭面に関しても、今の俺なら十分に工面出来る。入学費用もそう高いものでもなかったから、まさか寮を利用するのに莫大な金額が取られることもないだろう。いやあ、本当にお金があってよかった。つくづく今の環境に感謝だな。
「それじゃあ、その方向で調整しようかな」
「それがよかろう。あの子もそうぐずりはせんじゃろうて」
うーん。そうなると俺ももう一度学院の方へ足を運んだ方が良さそうだ。これが急ぎでないならば、剣魔法科の講義がある時についでに、って感じでもいいんだろうけど、そういうわけにもいかない。
最悪なのは寮が一杯で受け入れが出来ない結末なんだが、そうなったらルーシーに再度お願いするか。寮の短期利用を提案したのは彼女なんだから、それが駄目だったら改めて面倒を見てもらうとしよう。
「しかし、フルームヴェルク領か。わしもあまり行ったことはないのう」
「そうなんだ。やっぱり国境沿いだから?」
ミュイについての話が一段落ついたところで、自然と話題は今回の遠征へと向く。
一応ルーシーにも、表立っての用件しか伝えていない。王族のあれやこれやについては彼女も知ってるかもしれないし、少なくとも察しは付いているとは思う。けれど、他言無用と言われた内容をこちらから開示してしまうのは、やはり道理に悖る。
「それもあるが、単純にスフェンドヤードバニアに用がないからの。今回の話が上手くいけば今後は分からんが」
そんな言葉を紡ぎながら、彼女は優雅な仕草で紅茶を啜った。
今回の話が上手くいけば、か。やっぱりこいつ裏の事情までしっかり分かっていやがるな。
今後とはつまり、レベリス王国とスフェンドヤードバニアとの間で婚姻外交が成功したら、という意味だろう。思いっきり政略結婚だが、グレン王子とサラキア王女は互いにそう悪く思ってはなさそうだったので、なんとか幸せな家庭を築いて頂きたいところ。
「ま、お主とアリューシアなら何かあってもそうそう後れは取らんじゃろ」
「そう言われるのは嬉しいけどね……」
俺の実力を評価してくれるのはありがたいが、何かあったら困るんだよこっちは。旅行気分で行くわけじゃ決してないけれども、どうも彼女の口ぶりだと何かがありそうにも感じてしまう。
「安心せい。今のところ、王室にも教皇にも教会騎士団にも目立った動きはなさそうじゃからの」
「なんで知ってるのさ」
「そりゃあお主、わしじゃからな」
「あ、そう……」
どうしてかと問われて、私だからで理由が通じる人物なんて俺はルーシー以外知らない。それでもつい納得してしまうのは彼女の凄さということだろうか。
ルーシー・ダイアモンドという女性は、冷静に考えなくても謎に満ちた人物だ。
今のところは俺から見れば、お世話になったり厄介な案件を持ってきたりする友人と悪友の間を反復横跳びしている人、という立ち位置だが、今以上の関係にこちらから首を突っ込もうとはなかなか考えづらい女性でもある。
恩もあればそれ以上にこやつめ、と思うこともある。
ただ少なくとも、敵ではない状況であれば問題はないのだろう。どちらかと言えば、こいつが敵に回ってしまった時の方が大変だ。争うつもりは毛頭ないが、おやじ殿との打ち合いを制した今でもまるで勝てる気がしない。
剣術だとか魔術だとか、そういう括りの外に居る気がしてならないのである。人間だけど人間じゃないような、そんな感じ。
と言うか本来、アリューシアから他言無用と言われていた内容をルーシーがズバズバ喋るもんだから、こっちも危うくその流れに乗りかけてしまった。
なんだか俺の方から口を割るのも嫌なので、別の話題は無かろうかと少し思考を泳がせる。
「……あっ、そうだ」
「ん? まだ何かあるかの?」
魔術。その単語が俺の脳内に出てきたことで、半分忘れかけていた疑問が再び浮き上がった。
ミュイに関わることだし、話題の転換としてそう不自然でもないだろう。気になると言えば気になるし、ついでに聞いてしまうか。
「この前、久々に剣魔法科の講義を見に行ってさ。その時に生徒たちの剣魔法を見せてもらったんだ」
「ほお」
俺の言葉に、ルーシーの片眉がピクリと跳ねる。魔術に関する話題には本当に食いつきがいいな。
「で、ミュイのだけ赤い……と言うか、なんだか炎っぽくてね。フィッセル曰く不器用らしいんだけど」
「なるほどのー」
先日見た剣魔法科の講義での一幕を話すと、ルーシーは得心が行ったような表情で頷いた。
「正確に言えば、不器用というのは少し違うじゃろうな」
「と言うと?」
そんな彼女から、少しばかりの訂正が入る。
俺が気になっているのは、ミュイが他の生徒たちとは違う波長の剣魔法を放ったことと、それに対してフィッセルが不器用であると言ったことについてだ。
要するにミュイの学院での立ち位置というか、魔術を修める過程においてどれくらい順調なのかが知りたいのである。
魔術については才能の多寡がほぼ全てを決める。それは間違いないだろう。しかしながら、じゃあ魔法を操る器用さというものも同時に才能で定義されてしまうのか。それは教育者として少々気になる話題であった。
まあぶっちゃけた話、ミュイが落ちこぼれに類するものなのか、それとも尖った才能を持つ個性派なのかを知りたいわけだな。別にそれを知ってどうこうしようと考えているわけではないものの、曲がりなりにも我が子である彼女の、相対的な成績というものが気になるのである。
「魔力の有無そのものは、才能に拠るものと考えられておるが」
「うん」
「実際に得意とする魔術……わしらは馴染むとか馴染まないとか言うんじゃが、それは本人の持つ気質や、育ってきた環境が大いに影響しとるようでの」
「へえ」
「例えばフィスが剣魔法に高い適性を持つのも、元々剣術を学んでおったからという側面は大きいじゃろうな」
「なるほどね……」
魔法にも何と言うか、性格みたいなものって現れるんだなあ。言われてみれば剣術だって一言に言っても、その人の気質や相性で扱う剣技は随分と異なる。それは同じ師に教えを乞うていても一緒だ。
確かにミュイは本来の性格は置いておくとしても、身を置いてきた環境自体は非常に苛烈なものだっただろう。その中でああいう気性が育まれたのであり、攻性魔法、もっと言えば炎に適性があるのも分からなくもない。
その線で行くと、キネラさんなどは性格通りの魔法を扱っているように感じてしまうな。あの大らかで誰にでも優しい性格は、まさに防性魔法を扱うにぴったりのように思える。
「無論、得意不得意や向き不向きもあるでな。その意味だけで言うなら、ミュイの現時点の力では剣魔法への適性は高くないやもしれん」
「……なんだか、指導者としては複雑だね。理由を訊いても?」
折角本人が望んで学んでいるのに、その学問に対して適性がないと切って捨ててしまうのは、やっぱりちょっと捨て置けない。いや、これが理想論かつ我が儘であるという自覚はあるのだが。
「剣魔法の特質は、魔力に切れ味を持たせることにある。魔力に特定の属性を付与するには、出来る限り真っ白の方がやりやすいんじゃよ。切れ味のある炎と聞いてピンとくるか?」
「あー……なんとなく分かる気がする」
ルーシーの語る内容は俺には勿論実践は出来ないけれど、なんとなくは分かった。
魔力という真っ白なエネルギーに対し、炎を付与するのと切れ味を付与するのは多分、別個の作業だ。その二つを同時にやろうとするのは、きっと難しいのだろう。燃える水や冷たい炎を想像するのが難しいのと同じように。
「ただ、将来は分からんぞ? もしやすれば、切れる炎を生み出すかもしれんしの」
「はは、それは凄そうだ」
斬撃力を持った炎が遠距離から飛んでくるなど考えたくもない。そんな技術がもし身についたら、それは物凄く大きな力になる。まあ、実現出来るかどうかは今後の彼女次第、ということかな。
「ちなみにルーシーは出来るの? 切れる炎を出すのは」
「出来なくはないが、わしから見てもそこそこ面倒臭い部類に入る。さっきの言葉で言うと、わしには少し馴染まんといったところかの」
「ルーシーにも魔法の得手不得手ってあるんだねえ」
「そりゃあるわい。出来る出来ないと得手不得手はまったく別じゃよ。それはお主も分かるじゃろ」
「まあね」
彼女の言わんとしていることはよく分かる。俺だって自分からガンガン斬りかかっていくことは勿論出来るけれども、それが得意かと言われればそうじゃないからな。俺はやっぱり、受け流して反撃を加える方が得意だし性に合っている。
「少なくともミュイは、他の連中より魔力を炎に変換するのが得意なんじゃろ。それは立派な長所で才能じゃよ」
「そっか。ありがとう」
最後に、俺が懸念していた事項をびしっと言い当てられてこの話は一区切りついた。
いやしかし、俺は別にこの質問の真意を伝えたわけじゃないのに、どうして俺の考えていることがここまで正確に分かるんだろうか。やっぱりこいつ魔法で人の心でも読んでるんじゃないかと、そんな疑念を払拭出来ない程度には、彼女の観察眼は優れている。これも経験のうちに入るのかな。俺には出来そうにない。
「話はそんなもんか? 今なら学院もまだ開いとるじゃろうし、急ぐなら行った方がよかろう」
「あ、そうだね。そうさせてもらうよ」
言われた通り、こういうのは早く動くに越したことはないからな。まだ日は沈んでいないし、逆にこの時間帯なら学院の講義も一段落ついてそうだから、あちらからすれば都合がいいのかもしれない。早速足を運ぶことにしよう。
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