第169話 片田舎のおっさん、伝える
「よ……っこいしょ、っと」
アリューシアからの相談を受けてから、少しばかり時間が経った今。
俺は今日も無事に騎士団での鍛錬を終えて、働く場所を庁舎から我が家へと切り替えていた。帰りに寄った西区の市場で芋が安かったので、今日の晩飯として煮込み料理を作ろうとしている最中である。
芋はいい。美味いし安いし腹も膨れる。しっかり煮込めば煮込むほど柔らかくなり、味も染み入るという万能食材だ。
これが俺一人なら自炊もそこそこに街の酒場へ繰り出してもいいんだが、今の生活は俺一人のものじゃないからな。こういうところでもちゃんと背中を見せておかねばならないとは思う。まあ、おやじ殿がまともに料理をしているところなんて俺は見たことないけどさ。
「そーれ、美味しくなれよー」
芋と、ついでに余りの肉を鍋に投入し、後は灰汁を取り除きながら見守る。
なんか最近、一人で作業してる時に独り言を呟くことが増えた気がするな。剣を振るのは黙々と出来るんだけど、何が違うんだろうね。ちょっと不思議。
昔は自分で料理を作るということにあまり積極的ではなかったが、ミュイが腹を空かせて帰ってくることを思えばまったく苦にならないのが面白いところである。お袋もこういう気持ちで料理を作っていたのだろうか。
魔術師学院の夏期休暇が明けてからは、基本的に何も用事がなければミュイより俺の方が家に帰るのが早い。こっちは概ね午前中で指南を切り上げるのに対し、学院の授業は午後まであるためだ。
なので、平日は俺が飯の準備をすることが多くなる。逆に週末は魔術師学院が休みなので、ミュイが家事全般を行うことが多い。
飯の準備以外は、特にこれといって定まっていない。掃除にしても洗濯にしても、各々が気になった時にやるというスタイルで今のところ行っている。
ちなみに意外なことに、ミュイは案外綺麗好きだったりする。ただし整理整頓が好きなのではなく、掃除を苦にしないタイプ。だから学院の制服を雑に脱ぎ捨てても彼女は気にしていないが、部屋にゴミや埃が溜まると自然と手が動くようで。
それなら制服も綺麗に畳んでほしいと思うんだけど、どうにもそこら辺は彼女的にちょっと領域が違うらしい。
ミュイは物欲もあまりない上に嗜好品も特に持っていないから持ち物が少ない。なのでゴミを増やすことはないし掃除もするんだけど、片付けをしない。中々に叱りにくいタイプであった。
「ただいま……」
「おかえりー」
そんなことを考えながら鍋をぐるぐる混ぜていると、お姫様のご帰宅である。今ではすっかりただいまを言うことに抵抗がなくなったらしくて何よりだ。
「ん? どこか怪我でもした?」
いつも通りの日常かと思いきや、今日はどうにも少し違った様子。
手足をやられている感じはしないが、身体の運び方がおかしい。庇う歩き方をしていないから、腰などの下半身ではなさそうだ。まっすぐ立てているから腹でもないかな。
歩く分には支障がないけれども、痛みのせいで正常な身体運びが出来ていない。となると、背中か肩か、そこら辺に何かダメージを負っているような気がする。
「……分かるんだ」
「分かるよ」
そんなことを考えていると、ミュイが露骨にびっくりした様子で感想を漏らす。
これが初対面の人なら分からなかったかもしれないが、ミュイとは短いながら一緒に生活をしているわけだしね。違和感があればすぐに気付ける。
「……別に大したことじゃないけど。打ち合いでシンディにやられただけ」
言いながら彼女は、制服の襟元を広げる。
おお、肩口辺りに結構派手な痣を拵えているな。多分骨は折れていないと思うが、それでもミュイにしたら相当痛いはず。
事情を聴くに、剣魔法科の講義でいいのを貰ってしまった感じだな。
ミュイはすばしっこいから、木剣を当てようにも素人では苦労するだろう。ミュイだけでなく、シンディもしっかり剣の技術が向上しているのは良いことだ。このまま互いに切磋琢磨してほしいところである。
「そっか……。ポーション使う?」
「……要る」
「分かった」
この程度の怪我であれば、少なくとも俺は驚かない。出来る範囲で適切な処置をして終わりである。棚に常備してあるポーションの瓶を取り出してミュイに渡して終了だ。
まあ俺の家にあるのは一番安い、薬草から作られたやつなんだけどね。それでも肌に沁み込ませておくだけで回復速度は大分違う。俺もこいつにはかなりお世話になっているからな。
剣を学ぶと決めた以上、怪我は必ずついて回る。生涯無傷で剣の人生を終えるなど絶対にあり得ないことだ。俺だって打ち身擦り傷切り傷なんて日常茶飯事だし、骨が折れたこともざらにある。
無論、その大小は指導者がしっかり見極めるべきだが、小と分かれば過剰に心配することもない。
監督者であるはずのフィッセルも彼女をこのまま帰したことから、大事には至らないと判断したのだろう。俺から見ても重傷と言うほどではなさそうだから、その判断は間違っていないと思う。
そしてミュイ自身が、世話を焼かれること自体をあまり好まないというのも大きい。これが泣いていたり心が折れてそうな時には寄り添うべきだと思うが、そうでないなら彼女の心のままに任せておくのが良い。
普段は何かと心配してしまうのだが、こと剣術に関するとなると途端にドライになってしまうのは何だろうな。これもおやじ殿の血と教育の成果なんだろうか。
「うー……痛ぇ……」
「大丈夫? 晩飯まで寝とくかい?」
「ん……平気」
ポーションの薬液を手に掬い、肩口に雑にぶっかけたミュイが唸る。
まあ痛みをしっかり認識出来ているということは、意識もしっかり保てているということだ。提案しといてなんだが、痛みが引くまでは寝るのも難しいかもしれない。
この辺りは本当に慣れだからなあ。痛みに慣れ過ぎるのもそれはそれで大怪我を誘発しかねないので良くないが、小さい怪我で動きが止まってしまっても困るからね。
「残りは飲んでおくといい。それでも治りは違うよ」
「……分かった。うぇっ……」
余ったポーションに口を付け、ミュイが渋い顔になる。分かるよ、ポーションって苦いんだ。薬草から抽出してるやつは草の味が口内に広がって、何とも言えない風味になる。
この辺り、魔法で作ったポーションは味もマシだったりするんだろうか。少し気になるところである。
「あ、そうだ。ちょっと報告しなきゃいけないことがあって」
「なに?」
ポーションが効いて痛みが引くまでは彼女ものんびり休むとはいかないだろうから、今のうちに話を通しておこう。こういうのは下手に機を見てとか考えていたら、どうしても後ろ回しになってしまう。特に今回は後ろ回しが許されない事案だから、早めに動くに越したことはない。
「どうやら騎士団の遠征に付き合うことになりそうでね。来月の一か月は家を空けることになると思う」
「……そう」
王族がどうとか、他国が絡みそうだとかそういう情報は伏せておく。ミュイに伝える必要性はないし、万が一彼女の身に危険が及んでも困るからな。
なので要点だけを伝えておくことにした。嘘は吐いてないし本当のことだから何も問題はない。
「流石にミュイを連れて行くわけにもいかないからね。俺が居ない間はルーシーになんとかしてもらおうと思ってるけど」
「ん……分かった」
俺の提案に、ミュイは思いの外あっさりと頷いた。
出会った当初に比べると、彼女は随分と素直になったように思う。勿論、同じ年齢の他の子たちと比べればまだ随分と棘があるけれど、あの叫びまわっていた頃から考えたら雲泥の差だ。
最初は本当に気性難という言葉がぴったり当てはまるほどの性格だったのが、今ではこの素っ気なさが個性だと言える程度には落ち着いている。
別に俺が偉い面をするわけじゃないけども、今のところは教育という面でも失敗まではしていないのかなと感じるね。魔術師学院に入学したことも良い後押しになっていることだろう。このまま順調に心身ともに成長して欲しいと願うばかりである。
「別に一人でもなんとかするけど」
「念のためだよ、念のため。万が一があったら困るし」
「……ふん」
やっぱり一人でも大丈夫だと言い出した。これは完全に想定の範囲内である。
しかしそれでも、頼る当てがないまま長期間留守にするわけにもいかないので、そこは呑んでもらおう。でもまあ、今の様子を見るに本当に大丈夫そうではあるので、マジで念のため以上の意味はなさそうだけどね。




