第168話 片田舎のおっさん、一旦保留する
「ちなみに、時期と期間は?」
フルームヴェルク辺境伯の正体は非常に気になるものの、俺が忘れているのなら思い出しようがない。
そして多分、アリューシアもそこを深掘りしようとはしていない。あくまで本筋は王女輿入れのための下準備と予行演習であって、俺と辺境伯との知己は全体から見れば些事だからだ。
なので、分からんことはとりあえず脇に置いておこう。
ちょこちょこ考えすぎてしまうのは俺の悪い癖だが、それで何か新しいことが判明したり状況が好転したりすることは、ぶっちゃけあんまりない。なので一旦その思考を切り捨てて、その詳細について聞いてみることにした。
「来月ですね。往路復路でそれぞれ十日ほど消化しますので、滞在期間や諸々を含めると一か月前後の出張になるかと思われます」
「一か月かあ……」
やっぱりちょっと長いな、というのが正直な感想だ。
そりゃ勿論、辺境伯様が治めている領土に行くわけだから、バルトレーンから近いはずもない。ビデン村のようないくつかの事情が重なった結果片田舎となっている場所ではなく、正真正銘の国境線間近である。俺自身、遠出の経験があまりないからの意味でも一抹の不安はどうしても残ってしまう。
「俺に拒否権はないだろうけど、心情的に即答はしかねるな……。ミュイのこともあるし」
そして一番の懸念点は俺の経験不足などではなく、ともに暮らすミュイのことであった。
一か月と言う期間だけで見れば、昨夏ビデン村に里帰りした時と同じだ。しかし今回は流石にミュイの帯同は不可能だろう。書類上俺の身内になるものの、騎士団や辺境伯から見れば完全に部外者である。
更には今回は王族からの密命も込みときた。彼女を連れて行くという選択肢は最初から除外せねばならない。
そうなると今度は、俺が居ない間どうするのかという問題が出てくる。
いやまあ、彼女もまるっきり幼子というわけでもないから、俺が居なくとも生活自体は出来ると思う。魔術師学院も開いているし、お金はあるから食うに困る事態にはならないはずだ。
「……別段厳しく接せよ、とまでは言いませんが、あの子の年齢であれば問題も少ないのでは?」
「いや、うーん……それは確かにそうなんだけど……」
悩んでいるところに、アリューシアから至極真っ当な意見が飛び出した。まっこと仰る通りである。
多分これは、過保護というやつなのだろう。ミュイくらいの年齢で立派に独り立ちしている者は数多く居る。
何より彼女は、俺やルーシーと縁を持つまでは実質一人で暮らしていたようなもんだしな。手元にお金さえあれば再びスリに手を出すこともないだろうし、そこの心配はあまりしていない。
「とにかく、一度彼女と話をしてからにさせて欲しい。時間は掛けないから」
「分かりました。ただ、少しばかり急いでいただけるとこちらとしても助かります」
「うん、分かってる」
結局俺はこの場で即断できず、この話は一旦持ち帰りとなった。
いや、本来は即断せねばならない場面ではある。再三になるが、俺に断るという選択肢はない。しかしここは何と言うか、俺の我が儘だな。理屈ではなく感情的な部分である。
言った通り時間をかけるつもりはないし、そもそも家に帰ったらミュイが居るんだから、話は今日中にでも出来るだろう。
ここから取り得る俺の行動は大きく分けて二つ。
フルームヴェルク領に行くのはもう前提として、ミュイをそのままにするか、誰かに頼むかのどっちかだ。
無条件に断る、という選択肢は今のところない。
正直可能性として考えてはいないが、仮にミュイが猛烈に駄々をこねて拒否したとしても、それは俺が招待を断る理由にはなり得ないからな。駄々をこねるミュイはちょっと見てみたい気もするけど。
つまり俺としては行くしかない。後はどれだけ納得して出立出来るかという個人的な話になってくる。
なので、辺境伯からの招待には了承する方向で話を進めたいところなんだが、悩むのはやっぱりその間のミュイについてであった。
彼女のことだから、一か月くらい一人でなんとかなるとは言うだろう。しかしながら、周囲に何の根回しもなくミュイを長期間一人にさせてしまうのはちょっと抵抗がある。そして今回は連れて行くことが出来ない。
……仕方ない。必殺ルーシー・ダイアモンドを使うか。
ビデン村への帰省の際も、ミュイが断ることも考えてルーシーを頼る可能性も考慮してはいた。結果として彼女が俺の帰省に付いて来ることになって、その手札は切らずのままだったが、今回は流石にそうもいかないからね。
ミュイをルーシーの家にまるっと預けるのかは相談の余地があるにしても、話を通しておくこと自体に損はないはずである。ルーシーが気にかけてくれるということになれば、俺も後顧の憂いなくフルームヴェルク領まで旅立てるというものだ。
最大の問題は、そのルーシーが引き受けてくれるかどうか、なんだけどさ。
でも俺にも今までルーシーの無茶振りをこなしている自負があるから、そこは何とかしてゴリ押すつもりだ。自分だけ面倒事を他人に押し付けておいて、自分が押し付けられるのは嫌ですというのは、俺の考えから行くとちょっと通らないからな。
ルーシーは破天荒ではあるが非常識ではないので、その辺りの話はまあ通じるだろうくらいには考えている。
「……しかし、少々意外でした」
「ん? 何が?」
話も一段落ついて、今後のことを考えているとアリューシアがふと零した。
「てっきり、俺には不相応だ、という類の断り方をされるものかと」
「あー……うん、まあ、荷が重いとは感じているよ。俺は平民だから」
「それを言うなら私も平民の出ですよ?」
「ははは、それもそうだ」
今のイメージが強すぎて忘れそうになるけど、彼女は元々商人の娘なんだよな。つまり、政治的な後ろ盾がほとんど、あるいは一切ない状態からその身一つで一国の騎士団長まで成り上がったことになる。とんでもない大躍進だ。ご両親もさぞ鼻が高いだろう。
「でも……仮に拒否権があったとしても、俺は行くことになるんじゃないかな。王女様ともまったく知らない仲、というわけでもないしね」
「それ、は……確かにそうですが」
荷が重いと感じているのは事実だ。正直な話をすれば、国家の問題と外交の問題に俺を巻き込まないでくれ、というのが本音ではある。
けれど、分不相応だと感じるのはやめることにした。経緯はどうあれ、俺の力が必要とされているのであれば、それには応えるべきなのだろう。俺なんかに、という謙遜は、おやじ殿の力をも否定することに繋がってしまう。
実際はどうあれ、気持ちはそのように持っておかないと駄目だと思うのだ。ここら辺の気持ちの切り替えというか、感じるモノは多少変わったのかもしれないな。
「そう言えば、アリューシアのご両親は元気かい?」
「え、ええ。今でも各地を飛び回っていますよ」
「それは何より」
出自の話が少し出てきたので、雑談がてらご両親のお話を振ってみる。どうやら今でもご健勝のようで何よりだ。
商人は基本的に、一か所に長く留まらない。無論拠点となる場所はあるにせよ、本質は物を安く仕入れて高く売ることにあるから、自然と各地を動き回ることになる。
その過程にたまたまビデン村があり、年頃の娘としてアリューシアが居た。今思えば随分と奇妙な縁の出来始めだったな。それが今や巡り巡って、俺としてはとんでもない縁になっているんだけれども。
まあ、才能が一体どこに眠っているかなんて誰にも分からないことだ。磨こうとして初めてその大きさと輝きがぼんやりと見えてくるかもしれない、程度である。
そもそも生まれで才能が決まっているのなら、アリューシアもスレナもフィッセルも居ないことになってしまうからな。俺はおやじ殿とお袋から受け継いでいたかもしれないが。
「……先生は、少し変わられましたか」
「そう、かな? まあ……変わったと言えば変わったのかもしれないね」
俺は別段普段通りに過ごしているつもりなんだけど、最近こういう類のことをよく突っ込まれるようになった。ヘンブリッツ君にも言われた気がする。
おやじ殿との打ち合いを制して、変化がなかったかと言えば嘘になる。けれどまあ、だからと言って俺の性格がいきなり変容するもんでもないし、個人的な感覚としては今までとさして変わらない。気の持ちようは変えようと努力しているが。
それでも周りから見たら、どうやら俺にも変化があるらしい。自分では分からないものの、客観的には何かが異なって見えているのだろうか。自覚はあまりないので曖昧な答えしか返せないんだけど。
「ふふ、それはとても良いことだと思いますよ」
「そうであれば嬉しいね」
アリューシアが言の葉を落とす。優しい笑みを湛えながら。
まあ多分、良い変化ではあるのだろう。少なくとも以前より後ろ向きになってしまうことは減った気がする。
「っと、そろそろお暇してもいいかな? 修練場に戻らないと」
「ええ、主たる話は以上となりますので大丈夫です」
彼女との談笑は実に心地よくて、ついつい長居しそうになってしまう。しかし騎士団長を前に堂々とサボるわけにもいかないので、ぼちぼち本来の務めに戻るとしよう。
「多分、明日か明後日には返答は出せると思う」
「はい、お待ちしております」
今日中にミュイと話をして、可能であればルーシーにも話を通しておきたいところだ。ルーシーは朝に弱いから、騎士団での指南が終わった後に訪ねるくらいが丁度いいかもしれない。
研究に没頭するなら、早寝早起きした方が健康にもいいし頭も冴えると思うんだけど、まあ深くは言及すまい。彼女には彼女の生活リズムがあると本人も言っていたしな。
もしフルームヴェルク領へ赴くことになれば、その間騎士たちへの稽古は付けられなくなる。
そういう意味での憂いも絶てるように、今日も一日張り切ってやっていこう。




