第167話 片田舎のおっさん、呼び出される
扉を開けて進んだ先。そこは一言で言えば、まあ大体予想通りの執務室、という感じだった。
窮屈に感じることはない程度に広く、壁も応接室や廊下と同じく白で統一されており落ち着きもある。応接室と違うのは、幾つか質の良さそうな調度品が並べられていることと、アリューシアの座る執務机の横に大きな書籍棚があることか。
レベリオ騎士団は歴史も由緒もある騎士団である。これまでの活動記録だけで見ても多数の書類があって然るべきだし、恐らくそれ以外の書物も並んでいるのだろうな。彼女は知識欲に関しても貪欲だから。
窓際に位置する執務机に座り、ペンを走らせるアリューシアの凛とした佇まいはある種の神聖さすらを感じさせるね。俺は彼女が机に向かって何かをしているところをあまり見たことはないが、実に似合っている。
「先生。御足労をお掛けして申し訳ありません」
「いやいや、問題ないよ。気にしないで」
そんな彼女は俺の姿を見て席を立った。騎士団長と特別指南役、どっちが偉いとかそういう話をするつもりもないけれど、彼女はもう少し俺に対して遠慮なく立ち回ればいいのにとも思ってしまう。
無論彼女からすれば、片田舎に引っ込んでいたおっさんを半ば無理やり引っ張り出した負い目というものはあるだろう。それは否定しない。しかもわざわざ国王御璽まで用意したのである、彼女の物凄い意思の強さというものは嫌と言うほど感じた。
だが王命があったにしても、最終的には俺がそれを呑んだからこそ今の関係があるわけだ。
それに、確かに突然だったが今では感謝もしている。きっと俺がビデン村にずっと篭ったままでは、こうはならなかっただろう。まあこれは結果論にしかならないと言われればそうなんだけどさ。
「どうぞ、お掛けください」
「ああ、うん」
言いながらアリューシアは、やや壁の方に寄せてある応接席らしき場所を指した。
執務室とは言え、こうやって来客を迎えることもあるだろうしな。それに、応接室では出来ない類の話だってあるはずだ。まさかそこに俺が噛むことになるとは思いもよらなかったが。
「しかし、アリューシアが机に向かっている姿は新鮮だね。似合っていると思うよ」
「ありがとうございます。ですが、まだまだ精進せねばと常々思っております」
「はは、頑張り屋なのは相変わらずだね」
俺は本心でその言葉を発したのだが、どうやらアリューシアは世辞と受け取ったらしい。お世辞じゃないんだけどなあ。剣を振っていても机に向かってペンを走らせていても、彼女の姿は様になる。
実際の執務能力がどうかなんてのは俺には知りようもないが、低かろうはずもない。もしそうなら彼女は今、あの椅子に座っていないわけだし。
「それで……今回はどういった趣かな?」
「はい、早速ですが本題に入らせて頂きます」
アリューシアと二人でゆっくり腰を据えて歓談する機会というものは、俺がバルトレーンに来てからも案外増えていない。俺は基本的に修練場で稽古を付けているし、彼女は騎士団の運営に注力しているからだ。
ともに修練場に立つことはあれど、二人きりで話す機会は少ない。現に今も、俺は稽古を中断してこの場に来ており、彼女も執務の手を止めている。あまり無駄話をして彼女の時間を浪費するのもよろしくなかろうということで、早速本題に入ってもらうことにした。
「先日、こちらが騎士団宛てに届きました」
「ふむ」
その言葉とともに机の上に置かれたのは、一通の封筒。
恐らく何らかの手紙か命令書の類かなと思うが、開けられた封蝋の文様について俺は見覚えがなかった。つまりこれは、王家からのものではない。
「フルームヴェルク辺境伯からの招待状です。内容は、一般的な貴族主催の夜会への招待となりますね」
「ふむ……?」
はて。フルームヴェルク辺境伯とは。知らん名前である。
辺境伯というくらいだから、国境付近……恐らくスフェンドヤードバニアかサリューア・ザルク帝国、どちらかの国と領土を接するお貴族様だとは思う。思うが、辺境伯なる人物に関してはまったく思い当たる節がない。はっきり言うと分からん。
そして、その招待状が騎士団宛てに届くことはまだあり得る話だとして進めるにしても、その話が来たことと俺がここに呼ばれたこととの関連性がもっと分からない。
「えーっと……? つまり、レベリオ騎士団が辺境伯主催の夜会に招待されている、と?」
「そう言うことになります」
一応確認を取ってみると、俺の認識に間違いはないらしい。
俺はそういう催し事に関わったことはないけれど、アリューシアほどの人物となればその類のお誘いもそりゃまああるんだろう。そう言えばビデン村に居た頃、彼女から送られてきた文にはそういう付き合いが増えたとも書かれていたなと思い出す。
でもやっぱり、それを個別に伝える理由までは分からないままだ。
アリューシアがフルームヴェルク領まで行くから、その間の騎士たちの稽古を頼むだとかそういう感じなのかな。でもそれなら別に俺をわざわざ呼び出す必要はないと思うし、そもそも副団長としてヘンブリッツ君が居るんだから違う気もする。
あ、もしかしてヘンブリッツ君も一緒に行くとかだろうか。いやでも、それは流石に指揮命令系統が混乱するような。万が一があった時にトップが不在では困る。
「事情は分かったけど……どうして俺が呼ばれたんだい?」
色々と考えてみるが、これと言った結論は出ない。なので聞いてしまうことにした。わざわざ呼んだということは、アリューシアもその理由も俺に伝えるつもりのはずだからな。
「この夜会に、先生も出席して頂きたいのです」
「なんで?」
なんで?
ほぼ反射で飛び出した俺の疑問は、アリューシアの柔らかな微笑みにかき消された。いやなんでだよ。
「これは確かにレベリオ騎士団に送られたものですが、より正確に言えば私と、先生に宛ててです」
「……なんで?」
彼女の言葉をもう一度脳内で咀嚼してみたものの、結果として出てきたのはやっぱりシンプルな疑問の声だった。
アリューシアが呼ばれるのは分かる。彼女はこの国の騎士団長で、国内屈指の戦闘力を持つ団体の頂点だ。首都バルトレーンのみならず、王国内のあらゆる人脈と繋がりを持っておくことが大切であろうことは想像に難くない。
しかしそのターゲットに俺も入っていると言われれば、それはちょっと反応に困るのである。
俺自身、特別指南役の肩書をもらってからそれなりの時間は経っているから、バルトレーン内で多少なり知名度が出てきた、ということならばまだ納得も出来る。
先般、王族暗殺未遂事件なんかも起こってしまったし、その前後で俺の顔が騎士団外に知れ渡ったというのもあるだろう。そろそろ顔の一つでも繋いでおいてやるか、という機運が貴族内で高まっているのだとしたら、それもまだ理解の範疇だ。
けれども、今回の相手は辺境伯様である。俺は行ったことすらないし何なら場所も知らない。そこにわざわざ正式な騎士でもない俺が引っ付いていく理由が、どうしても見えなかった。
「理由は幾つかありますが……先生は、フルームヴェルク領のことは?」
「いや、寡聞にして知らないね」
「……そう、ですか」
うん? なんだかアリューシアの反応が少しおかしい。
これもしかして、俺がフルームヴェルク領とその領主のことを知っている前提で話を進めようとしていたのか。それは話が噛み合わないはずだ。
けれども、俺の普段の生活なんてアリューシアならよく知っているはず。それなのに、俺が辺境伯のことを知っていると思い込んでいたのはやや腑に落ちない。
大変失礼な可能性だが、俺がそのフルームヴェルク辺境伯様と過去どこかで知り合っていて、更にそのことをすっぱり忘れてしまっている事態もなくはないのかな。
いやしかし、流石に貴族様と出会ったとなれば俺も忘れはしないと思う。俺の知る限りではビデン村に貴族が訪ねてきたことはなかったはずだし、もしそんなイベントが起きていたら流石に覚えている自信がある。
実はお忍びで来てました、とかなら分からないが、あんな片田舎に貴族が来る理由もないし、お忍びでこっそりやってくる理由なんてもっとないだろう。
「……では、先にもう一つの理由から」
「うん」
彼女の前提が一つ崩れてしまったようで、なんだか申し訳ない。でも本当に心当たりがないんだこっちは。
一応他の可能性として考えられるのは、おやじ殿の伝手くらいか。あの人俺が生まれる前というか、お袋と一緒になってビデン村に戻ってくるまでは結構各地で無茶苦茶やってたらしいからなあ。
そしておやじ殿の性格を考えた時、仮に交友を持ったお偉いさんがビデン村に訪ねてきたとしても、お貴族様が来たぞ、なんて紹介の仕方は多分しない。仮に付き合いがあったとしても、あんなところまで訪ねてくる可能性はほぼないに等しいけれど。
「フルームヴェルク領は、スフェンドヤードバニアとの国境沿いに位置しています」
「……ふむ」
辺境伯と俺との関連性を頑張って考えてはいたものの、やっぱり思い当たる節がない中、アリューシアの説明が続く。
そしてフルームヴェルク領が帝国ではなく、スフェンドヤードバニアと国境を接しているということが分かり、俺の中で警戒度が少し上がった。
正直俺は帝国にもスフェンドヤードバニアにも行ったことはないが、後者は諸々の事情を一部知っているだけに、あまりいい印象を持っていない。俗な言い方をすればキナ臭いというやつだ。
そうなると、ヘンブリッツ君ではなく俺を呼んだ理由にも少しばかり理解が及んでくる。王族暗殺未遂事件が起きた後、王族の晩餐会に呼ばれたのはアリューシアと俺だったから。
「それは、先般の事件も多少は関わっているのかな?」
一度気になってしまえばもう、聞いてみるしかないわけで。幸いここには俺とアリューシアしか居ないから、余程大声で叫ぶような真似をしなければ外部に漏れることもないだろう。
「そうですね。念のため、この先は他言無用でお願いしたいのですが」
「勿論」
「ありがとうございます」
アリューシアの念押しに、即答で応える。
ほぼ間違いなく、これは王族絡みの案件である。だとすれば彼女がわざわざ俺を呼び出した理由にも説明が付く。そんな特級の火種、こっちからばら撒くなんて真似は死んでも御免だ。命と心がいくつあっても足りない。
「サラキア王女殿下の輿入れの話が、本格的に進められることとなりました」
「ふむ」
つまり、グレン王子のもとに嫁ぐことが決まったということか。アリューシアにその話が降りている以上、レベリス王国とスフェンドヤードバニアとの間では既に大筋は纏まっているはず。後は時期をいつにするかなどの細かいすり合わせが中心だろう。
「事前の移動経路の確認、それと経路上にある領主たちとの打ち合わせ、こちらが本命となります」
「なるほどね……」
確かにこれは重要事項だ。騎士団を動かすのも納得だし、アリューシアが直々に動くことになるのも分かる。
しかし、こう言ってはなんだが大丈夫なんだろうか。俺はスフェンドヤードバニアの現状は詳しく知らないが、ロゼとの一件からあまり時間は経過していない。その間に超速度で内部対立が収まったとは少々考えづらいな。
「となると、まさか俺とアリューシアの二人旅ってわけでもないだろう?」
「はい。現状では、私と先生に加えて数人の騎士が帯同、合わせて道中の護衛として王国守備隊から一個小隊分が予定されています」
「……結構多いね」
なかなかの大所帯である。
騎士の帯同はまだ分かるにしても、道中の護衛に王国守備隊から一個小隊ってのは相当な規模だな。騎士が数十人規模の護衛を引き連れて貴族の夜会に向かうのは、冷静に考えたらなんかおかしい気もするけどさ。
レベリオの騎士だけでなく王国守備隊が帯同するのは、本番の輿入れの際の護衛も守備隊が担うからだろう。つまりは、予行演習に近い。
多分だけどそのメンバーのほとんどは、グラディオ陛下が以前言っていたロイヤルガードの面々になるんじゃないかな。そう考えれば色々と辻褄が合う。
そして当たり前の話だが、レベリオの騎士と王国守備隊が国境付近にぞろぞろと集まっていては、隣国との間に余計な緊張を招く。特に教皇派に属する人たちは、王国側もあまり刺激したくはないはずだ。
「そのための招待状、というわけだね」
「そうなります。名目上は、隣国との国交危機を瀬戸際で食い止めた騎士団への慰労と感謝となっておりますが」
「名目上は、ね……」
要するに文字通りの招待ではないということが、この言葉で確定した。
ほんの少しだけ、本当にほんのちょっとだけ、ただ単純に旅行を楽しめるかもしれない、みたいな楽観的な思考が生まれたんだけど、まあそうは問屋が卸さないというわけだ。やっぱり面倒事じゃないか。ちくしょうめ。
「一応聞いておくけど、ヘンブリッツ君じゃ駄目なんだよね」
「はい。万が一に備え、指揮官と纏まった戦力はやはりバルトレーンに置いておく必要があります」
「それは御尤も」
スフェンドヤードバニアがこの機に乗じて再びちょっかいを出してくる可能性に限らず、王族が住まうこの街の最大戦力をまるっと留守にさせてしまうのは非常に拙い。何もなければそれが一番だが、何かが起こってしまった時に対応出来ませんでしたではお話にならないからな。
となると、アリューシアとヘンブリッツ君の両方を一気に動かすことは出来なくなる。万が一の際に上位者不在はどう考えてもダメなので、これは致し方ない。
「しかし……アリューシアはともかく、俺の参加は絶対じゃないようにも思えるけど」
「絶対ではありませんが……そうですね、一つ目の理由についても向こうに着けば分かると思いますよ」
「ふむ……」
一つ目の理由というのは、フルームヴェルク領についてのことかな。着けば分かるというのはつまり、思い出せるということだろうか。今のところ心当たりはないものの、マジで忘れているだけだったら本当に申し訳ない気持ちだ。
それなら今ここで教えてくれよとも思うけど、まあ本当に俺が忘れているのなら悪いのは俺になるので、それも強くは言えない。
「後は私個人の希望ですね」
「そ、そう……」
いつもと変わらない調子でさらっとぶっこんでくるなこの子は。騎士団長の権限の範囲に収まる希望なのかなそれは。
「……と言うのは置いておくとしても、この招待状にははっきりと先生の名も書かれていますよ。サラキア王女殿下の推薦でもあるということらしく」
「ご指名かあ……」
思わず執務室の天井を見上げる。
これはあれか、つまりいつものパターンか。
俺の耳に話が入る前に外堀が埋まり切っており、相談という体で持ち掛けられる実質的な命令というやつ。なんかバルトレーンに来てからこのタイプの話多くない? 多分気のせいじゃないと思う。
しかも今回はサラキア王女殿下からのご指名と来た。俺に拒否権はない状態である。特別指南役を仰せつかった時のような陛下からの命令書ではないにしろ、王族からの指名を断るのは一市民の俺には無理だよ。
「……ん。ちょっと待って」
「はい、なんでしょうか」
そこまで考えて半ば諦めたところで、一つの疑問が湧き出てきた。
「サラキア王女の推薦"でもある"ってことは……その、フルームヴェルク辺境伯も俺のことを知ってる?」
「勿論です」
マジかよ。これ本当に俺が一方的に忘れてしまっている可能性が高いぞ。
本当にごめんなさい。許してほしい。




