第162話 片田舎のおっさん、連れ出される
「肉はまだまだあるぞ! じゃんじゃん食ってけ!」
「ヒャッホー!」
サーベルボアの討伐作戦からおおよそ一週間が経った。
今は諸々を片付けた後のお祭りみたいな感じになっている。苦労して運び出したサーベルボアはそのすべてが解体され、牙や皮は売り物として整えられ、有り余った肉はこうしてビデン村の人たちに大盤振る舞いされているというわけだ。
毎年恒例と言えば恒例なんだけど、数日はこんな感じのお祭り騒ぎが続く。好きな時に好きなだけ腹いっぱい肉を食える機会なんて中々やってこないから、皆のテンションはうなぎ登りである。
更に今回は実に幸運なことに、めちゃくちゃ良いタイミングで行商人がこの村に立ち寄っていた。
そのおかげで牙や皮なんかも早々に現金化出来たし、その金で酒とか娯楽品も買えたから村としては大助かりだ。
「ん……美味いな」
村全体が活気に湧いているのを眺めながら、商人が持ってきたぬるいエールを煽る。流石にバルトレーンの酒場のように冷えたものではない。それでも娯楽に乏しい寒村にとって、酒というのは非常にありがたい存在であった。
「よおベリル、今回は大猟だったな」
「フーフィル。まあね、今回も助かったよ」
木製のジョッキ片手にうろうろしていると、恰幅のいいおじさんに声を掛けられる。
このおっちゃんこそが今回の陰の立役者、商人のフーフィル。俺と同い年で、この村の出身者だ。
今回も助かったと言った通り、フーフィルが過去に良いタイミングで村を訪れたのは一度や二度ではない。彼はここの出身だから、当然サーベルボアの問題についても熟知している。つまり、金目になるものが大量に安く仕入れられるルートを一つ知っているというわけだな。
サーベルボアの皮や牙はそこそこの値で取引される。だがあくまでそこそこであって、狩る場所と相手の難易度を考えた場合、ほとんどの冒険者は手を出さない。単純に割に合わないからだ。
しかしこの村は違う。外部の戦力を当てにすることなく毎年一定量のサーベルボアを仕留めている。フーフィルにとっては討伐のために冒険者や傭兵を雇う資金も必要なく、村との直接取引で品々をノーリスクで手に入れられるチャンスとなる。
「毎年この時期が俺の稼ぎ時だからな。しかも今回は大物も居ると来た。助かったのはこっちだぜ」
「はは、あの牙は高く売り捌けそうかい?」
「ああ、上手く売り込めば相当な金になると俺は睨んでるね」
そしてフーフィルは商人ではあるが、悪人ではない。出身地への情も十分に持ち合わせている。だからこうやって酒をはじめとした嗜好品や日用品を、かなり割安で村に卸しているわけだ。
その手間賃を考えれば、村としてもごねる必要はない。何より外部の手がなければ売り払う伝手もないのだから、彼の手元に品々が集まるのは当然とも言えた。
「護衛の子たちにもちゃんと振舞ってあげないとね」
「当然だ。結果としてあいつらにとっても割のいい仕事になったんじゃねえかな」
今回、サーベルボアの運搬には結構な労力を要した。はぐれが例年より多かったため仕留めた場所にかなりばらつきが出たことと、あのクソデカいボスが居た所為だ。
なので、フーフィルの護衛として雇われていた四人組の冒険者チームに運搬を手伝って貰ったのである。冒険者たちは皆若かったが、全員がシルバーランクで最低限の実力を有していたというのも大きかった。
まあ、ホワイトやブロンズに旅路の護衛を頼むことはほぼないらしいけどね。
そりゃ実績も実力もない駆け出しに護衛なんて任せられないからな。それこそポルタやニドリーみたいに、危険度の低い調査依頼だとか小物の討伐依頼だとかでコツコツ信用と実績を積み上げていくのが新人の常道だろう。
「はー! ひと仕事した後のエールは美味いっすねー!」
「クルニ、あまり飲み過ぎないようにね」
「うっす!」
あまり酒に強くないとかつて自己申告していたクルニは、調子に乗ってぱっかぱっかとジョッキを傾けていた。
別に騎士団としての任務でもなんでもないから多少羽目を外すくらいは全然いいんだけど、あれ明日大丈夫かな。一応忠告はしておいたものの、あまり聞き入れてもらえたとは思えない。
それでもまあ、ビデン村での一幕が彼女の息抜きになっているのならいいのかな。
仮に酔い潰れたって俺の家で治るまで寝てりゃいいんだから気楽なものだ。ぶっ倒れても家に運ぶくらいはやってあげようじゃないか。
「じゃあ俺は冒険者たちの方に行ってくるわ」
「ああ、フーフィルも飲み過ぎないように気を付けて」
「自重するさ、俺ももうお前と同じで若くねえからな」
少々弛んだ腹を揺らしながら、フーフィルは上機嫌で去って行く。
あいつとも昔は一緒に木剣を振り回していたはずなんだけどな。彼と俺は同い年で同郷でもあるが、歩む道は随分と違ってしまった。
無論、どちらかが悪いというわけではない。俺には俺の、彼には彼の人生の歩み方がある。それに成功だ失敗だと評価を下すのは互いに失礼だ。それに、あいつも商人としてなんだかんだ上手いことやっていることだし。
「……オッサン、お疲れ」
「やあミュイ。ちゃんと食べてるかい」
フーフィルが去り、また独りぼっちとなって村のお祭り騒ぎを眺めていると、今度はミュイがやってくる。
彼女にとってはまったく馴染みのない場所での馴染みのない生活。勿論最初は緊張していただろう。それでもおやじ殿やお袋、クルニなどが甲斐甲斐しく世話をしてくれたおかげで大分気持ちの張りも抜けたように俺の目には映っていた。
「……肉、美味かった」
「それはよかった」
いくら肉があるとはいえ、ここには碌な調理器具も調味料もない。せいぜいが仕入れた塩や香草で味付けして焼くくらいだ。後は保存食として燻製にするくらいかな。
ただそれでも、肉であることには違いない。ミュイの舌はそれを十分なご馳走だと捉えたようで、彼女にしては珍しく素直に感想を吐露していた。
「どうかな、ビデン村は。まあ自慢出来るものなんて何もないところだけど」
バルトレーンという都会で魔術師学院に通う身からすれば、こんな娯楽の乏しい田舎はさぞ窮屈に映るだろう。けれど、都会の喧騒から逃れた緩やかな日常というのも中々に得難いものだ。特にミュイの場合は素性が素性だから、周りの目を気にせずにゆっくりと羽を伸ばしてもらいたかった。
「ん……いいとこだと思う」
「そっか」
村の人々は、結果としてミュイを温かく迎え入れてくれた。
こういう狭い社会だと、新参者は受け入れられるか村八分を受けるかのほぼ二択だ。彼女の場合は俺の連れというカードがあったことで、その辺りの蟠りはほとんどなかったように思う。
後はまあ単純に、この村だとおやじ殿の影響力がめちゃくちゃ強いからな。書類上とはいえその血縁に当たるのだから、村人たちもそう無下には扱えない事情というものがある。
なんにせよ、それはミュイが知らなくてもいい情報だ。彼女がビデン村から歓迎された事実、ただそれだけがあればいい。
「それ、エール?」
「ん? ああ、そうだけど」
互いに特に会話もなく、ぼけーっとどんちゃん騒ぎを外野から眺めているとミュイから声がかかった。
どうやら俺の持つジョッキに興味が湧いたようだが、人の物に興味を示すのは彼女としてはやや珍しい。
別に珍しくもなんともない、ただのぬるいエールだ。ミュイが飲めるかどうかは置いといて、特段目を見張るものではないはずだが。
「……一口飲みたい」
「えぇ……?」
もしや、酒そのものに興味を持つ年か。
どうしよう。健全な大人としてはこの要求は拒否するべきだと思う。いやまあ、酒を飲める年齢になる前から嗜んでいるやつなんてこの世にはごまんと居るが、それを目の前で見逃すのは果たしてどうか。
「……んだよ、やっぱ駄目かよ」
「ああ、いや、うーん……うぅん……」
やばい、どうしよう。
俺個人としてはここは頷いてあげたい。あまり我が儘を発揮しないミュイの貴重なおねだりである。しかしそれで万が一、ミュイがエールの味を覚えてしまったらと思うとちょっと怖い。
こういう経験はちゃんと段階を踏んで、加齢とともに少しずつ歩むのが一般的ではないか。
しかし一方で、ミュイもやっぱりと言っている辺り、断られることはある程度織り込み済みのように思える。それを分かっていてもなお、あえてお願いをしてきたのだ。その思いを無下にしてよいものかどうか。
ミュイの親として彼女のお願いに応えたい気持ちと、一人の大人として毅然として断るべきという気持ちが一瞬ながら激しく鬩ぎ合った。
「…………ちょっとだけだよ?」
「ん」
そして俺は負けた。
いいんだよ、俺以外の誰も見てないんだからこれはセーフ。飲み過ぎないように俺がちゃんと見張ってればセーフです。そういうことにしよう。
俺の手からジョッキを受け取ったミュイはまず匂いを嗅ぐ。エールは酒精も弱いしそんなに匂いのキツい飲み物ではないから、どうやら彼女の中での第一関門は突破したらしい。
「……うぇ。にがっ……」
「はっははは」
恐る恐るといった様子で彼女はジョッキを傾け、エールを口へと運んだ。
泡もほとんど消えてしまったぬるいエールが彼女の口腔に僅かばかり侵入し、舌の迎撃を受ける。
その結果、ミュイの味覚は速攻で白旗を揚げることになった。「ウェッ」という漏れ出た感想の通りの表情をしている。普段から笑顔はあまり見せない彼女だが、それでもこんなしかめっ面は中々に貴重な絵であった。
「……もういい」
「ふふ、ミュイにはまだほんの少しだけ早かったかもしれないね」
「ふん……」
ぶっきらぼうにジョッキを俺の方へ跳ね返すミュイ。
まあ俺だって、最初からエールが好きだったわけでもないからな。身体が大人になって、最初は興味本位で酒に手を出し、なんじゃこりゃと感じた記憶が蘇る。
それでもなんと言うか、大人としての嗜みというか憧れと言うか。そんなノリでちまちまと飲み続け、いつの間にやら味にも慣れて、いつの間にか俺の娯楽的に欠かせない一品になっちゃった感じだ。
……つまり、ミュイにもそれが起こったということだろう。
彼女は基本的に子ども扱いされることを嫌う。しかし本人の気持ちはどうあれ、世間的に見ればミュイはまだまだ立派な子供だ。適度な反発心は大切にしてあげたいが、客観的な事実は覆らない。
だから形だけでも大人の一員になってやろうと考え、俺が日常的に好んでいる酒に手を出してみた、そんなところか。無論、純粋な興味だったり他の思惑もあったりするのだろうが、そういった感情も恐らくゼロではあるまい。
「慌てなくとも、いつか酒の味も分かるようになるさ」
「……そうかよ」
気持ちとしては分かるが、別に急がなくてもいずれ身体は大きくなっていくし味覚も変わる。成長すれば自然と周囲からも大人として見られるようになり、彼女の願いは遠からず叶えられる。
そう。自然と大人として見られるようになる。中身も身体と同様に成長しているものだと周囲は勝手に認識していく。
俺も、外面的には立派な大人だ。沢山の弟子を見送る立場にもなったし、今では立派な肩書も付いてきた。俺自身、それに見合うように頑張ろうとも思う。
しかし、俺は果たして本当の意味で成熟しているのだろうか。大人の皮を被った大人になってはいないだろうか。
今までは疑問にすら感じていなかった事柄を、どうにも最近は意識するようになった気がする。具体的には、アリューシアに連れられてビデン村を出ることになってからは。
ヘンブリッツ君にも悟られたように、見る人が見ればきっと分かってしまうのだろう。だが別段、悪い変化だとは思わなかった。俺もまだまだ成長の余地を残しているんだという見方も出来る。まあ体力的な問題はもうどうしようもないけれど。
「おうベリル、ここに居たか」
ぐるぐると思考を巡らせていると、新たな声がかかった。
その正体はおやじ殿。口振りから察するに俺を探していたような言い方だが、何かあったっけな。特に改めておやじ殿と話す事柄はなかったように思うけど。
「ミュイ。ちょいとこいつを借りてってもいいか」
「ん……だいじょぶ、です」
「はっはは! ありがとうな」
「な、なになに。何かあった?」
「お前は黙って付いてくりゃいいんだよ」
「えぇ……?」
どうやら俺に拒否権はない様子。
というかおかしいだろ。ミュイの許可を取る前に本人が居るんだから俺に聞けよ。本当に相変わらずいい性格してんなこのおやじ。
「……で、何の用だよ。ミュイには聞かせられない感じ?」
「まーまー、ちょっと付き合えや」
てっきり子供には聞かせられない類の話でもあるのかなと思ったら、そうでもないらしい。
しかし本当に見当が付かないな。おやじ殿は目的を言わないまま付いてこいしか言わないし、なんのこっちゃ分からんぞ。
「……ここは」
「折角だ。久々に付き合え」
何も分からないままおやじ殿に付いていった先。
そこは、俺の剣が育まれた発祥の地。うちの道場だった。
おやじ殿の意図とは
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