第160話 片田舎のおっさん、仕留める
「ッしゃあ!」
「ブフウッ!」
紙一重の攻防を際で制したのも束の間、断ち切った牙へは目もくれずにすかさず切り上げを見舞う。
掬い上げた刃はサーベルボアの首筋に寸分違わず滑り込み、俺の両手に確かな感触が伝わった。
「ブゥエアアアッ!!」
「一撃では難しいか……!」
しかしやはり身体が大きいというのはそれだけで脅威だ。十分な間合いで剣撃は入ったはずだが、それでも仕留め切るまでには至らなかった。
派手な血飛沫は上がっているし相当な出血を強いている。いずれやつは動けなくなるだろうが、直ちに行動不能に陥らせるのはやはり厳しかったか。
「ブ、ブゴ……ッ」
先ほどまでお構いなしに突っ込んできていたサーベルボアは、自慢の牙を根元から持って行かれたことと首筋に受けたダメージからか、どうやら多少なり動揺している様子であった。
「折らずに斬るとは……流石ですな!」
たまたま俺の一連の動きを見ていたのだろう、ヘンブリッツ君から感嘆の声があがる。
牙は、折れたわけではない。根元からすっぱりと切断されている。これは俺の技量だけの問題ではなくゼノ・グレイブル製の剣あってこその結果だろうが、それらを加味しても個人的にはかなり上手いこといった実感がある。
まあ単純な手応えだけで言えば、ロノ・アンブロシアの核の方がもっと硬かったかな。明らかに異質だったあれと比べたら、多少デカいとはいえ所詮は動物の牙である。やり終えた今だから分かるが、斬れないわけがなかった。
「プゴゴッ……!」
「来ないなら、こっちから行くよ」
最初の威勢はすっかり鳴りを潜め、じりじりと後退していくボス。増援を期待したいところだろうが、残念ながら他のやつらは既にほとんどが剣の錆に成り果てている。
俺がこいつと最初からタイマンを張れているのも周囲の手助けがあったからこそだ。確かに迎撃自体は上手くいったが、あの瞬間に別方向から突進を食らっていたらひとたまりもなかった。
「はっ!」
「プギイッ!?」
一足飛びに近付いて、まずは相手の機動力を奪う。突き出されたロングソードの切っ先は、しっかりとサーベルボアの右前脚に吸い込まれていった。
些か感情が昂っている。
長らく眠っていた剣士としてのプライドが刺激されている。それは明確である。
だが、その感情に任せて油断したり状況を見誤ったりはしない。そこを見失ってはいけない。
相手は手負いで、傷の具合から見てもそう長くは持たないだろう。それでもここでみすみす逃がすというのは容認出来ない結果だ。自棄になったモンスターがどういう行動に出るのか、予測が付かないからな。
「それじゃあ、終わりにしよう」
そして、足を奪った手負いの獣に情けをかけてやれるほど、俺は寛大でもない。
「プッ……」
断末魔となる嘶きを聞く猶予もなく。俺の突き出した剣はサーベルボアの口元に吸い込まれ、斜め下から口腔を通して脳天を貫いた。
牙は斬れたし多分頭蓋骨も斬れるだろうけれど、少ない労力でより確実に仕留めるならやはり突きに限る。口の中はどんな生物でも基本的に柔らかいからな。頭蓋骨を避けて致命傷を与えられる極めて有効な手段である。無論、正確に狙える状況の前提は必要だが。
「おーりゃーっ!」
大物を確かに仕留め、改めて周囲の状況を確認する。
どうやら俺がやり合っていた間にほぼほぼ殲滅を完了させていた様子で、残りの一頭をクルニが元気に追い回しているところだった。
あ、追いついて後ろ脚をぶった切った。これであの一頭も終わりだろう。というか本格的に逃げ始めたサーベルボアに追いつけるってヤバいな。俊足どころの話じゃないぞ。
「ベリル殿、状況終了しました」
「うん、ひとまずはお疲れ様」
ヘンブリッツ君が作戦の完了を報告しながら、愛用のロングソードをぴしゃりと振るう。
剣身に降り注いだ獣の血が遠心力で全部ぶっ飛んでいった。あれ格好いいよな。ヘンブリッツ君のような剣士があの動作をすると実に様になる。
「先生。完璧な蛇打ち、お見事でした」
「ありゃ、見られてたか。ありがとう」
蛇打ちはうちの道場の技だから、うちの剣技を修めて卒業していった弟子も使えるし、当然ランドリドだって扱える。
それでもこうやって弟子に剣の腕を褒められるのは、悪い気はしないね。
「さて……」
改めて場を確認してみると、まあ中々に酷い。二十頭ほどのサーベルボアがそこかしこで血を流して倒れている。
これはこれで放置しておくと、なんかまた別の問題が発生しそうでちょっと怖いところだ。出来れば死体は回収しておきたいが、それをするには圧倒的に人手が足りない。予想していたことではあるが。
「一応確認するけど、逃がした個体は?」
「恐らくいません。この場に居たものは全て仕留めたかと」
「それは重畳」
どうやらこちらの速攻が良い感じに決まったようだ。ここまで上手く事が運べたのも、やはりランドリドとヘンブリッツ君が戦闘要員として参加してくれたことが大きい。クルニも立派な戦力には違いないが、アフラタ山脈の探索から対象の討伐まで淀みなく動けたのは、ベテラン二人の力があってこそである。
「クルニ。あれ持てそう?」
「んー……ちょっとやってみるっす」
仕留めたクソデカサーベルボアを持ち運ぶことが出来そうか、念のため確認してみる。多分、いや恐らくほぼ確実に不可能だろうけど、彼女ならなんか出来そうな気がしないでもない。
「……無理っす。デカすぎるっす」
「そっか……」
駄目でした。そりゃそうだよね。
百歩譲って重量的に可能だったとしても、物理的にあのサイズを一人で運搬するのはやっぱり厳しかったらしい。まあこいつは後で人手を足して何とかしよう。
「しかし、他の群れの反応はありませんでしたな」
「そうだね。念のためにもう少し探っておきたいところだけど」
結構派手にやり合ったのだが、少なくとも戦闘中に追加のサーベルボアがやってくることはなかった。そして今も周囲に中型以上の気配はない。まだ断定は出来ないものの、主だった群れがこの一団だけだったという可能性がある。もしそうであれば非常にありがたい。
その分はぐれのサーベルボアが急増していたと考えれば、一応数の上での理屈は合いそうだからな。
「とりあえずこの牙だけでも持って帰ったらどうっすか?」
「うん、そうしようか」
手ぶらで帰るのもなんだかなという感じなので、クルニの進言に従ってボスの牙だけでも持って帰るか。かなりの大きさだし、これ一つで討伐証明にはなるだろう。
「ものの見事に綺麗に切断されていますね……」
「いや、我ながら上手くいったよ」
拾い上げたサーベルボアの牙は、本当に綺麗に刃が通っていた。前情報なしにこれだけを見せられたら、恐らく戦闘中に剣で斬ったとは思えないほどだ。
切断面を指で触ってみるが、その感触はひどく滑らかであった。ゼノ・グレイブル製の剣でなければこの切れ味は出せなかっただろう。本当に俺はこの剣に助けられ続けているな。
そして今更、他の剣では満足出来ないだろうという微かな予感もあった。自分には不釣り合いだと思う一方で、俺の方から離れられなくなっている気がする。なんだか拗れた恋愛関係みたいな話だ。
「でも先生の気合い、凄かったっすね!」
「あ、いや、はははは……」
そりゃああれだけ大声で叫んだら皆にも聞こえるのは自明の理ではあるのだが、改めて言われるとやっぱりちょっと恥ずかしい。
あの瞬間はかなり感情が昂っていたから、柄にもないことを考えていたようにも思う。
けれど、あの想いは気の迷いで出てきたものではなく、確かに俺が持っているものでもあるのだ。それは今後も失うことがないように頑張っていきたい。
「ふふ、ベリル殿。何か吹っ切れましたか」
「ん……どうだろうね。まあ、でも……良い変化はあったのかなと思うよ」
「それは何よりですな」
ランドリドやクルニは、俺を剣術の先生として見ている側面が強い。
一方でヘンブリッツ君は俺の弟子ではないから、一人の剣士としての見方が強い。そんな彼の鋭敏な感覚は、俺の感情的な揺らぎをなんとなく嗅ぎ取ったらしい。相変わらず素晴らしい観察眼だ。
言った通り、悪い変化ではないと思う。無論、自制の念は大事だしそれはこれからも持ち続けていたいが、剣士としての本能を眠らせ過ぎてもよろしくないと感じ入ったばかりでもある。
「さて。凱旋というわけにはいかないけど、ひとまず帰ろうか。大獲物は取れたしね」
「はい!」
戦果は上々。こちらには目立った怪我も消耗もない。ほぼ理想的な結果だ。
後は麓に配置した弟子たちに余計なトラブルが舞い込んでいないかという心配だけ。それでも大部分は俺たちが仕留めているはずだから、きっと大丈夫。
「フゴッ?」
「クルニ」
「うっす!」
とか思ってたら帰りにまたはぐれと出会ったりもした。
マジで何匹居るんだよ。今年はぽんぽこ産まれすぎじゃないの。