第154話 片田舎のおっさん、切り上げる
「ふう、散々だったな……」
アフラタ山脈での探索を切り上げ、それぞれの成果を持ち帰るために帰路についてしばらく。足元が険しい山々からなだらかな平原に切り替わり、ビデン村の防御柵が視界に入ったところで緊張が途切れたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
「流石に重いっすね……」
「ごめんね、もうちょっと頑張ってくれると嬉しい」
そしてクルニは仕留めたサーベルボアを二頭抱えていた。いや普通は一頭でも厳しいんだけど、それを成せてしまうのは流石の力と言うべきだろう。
だがさしものクルニもサーベルボアを二頭持ち上げるのは結構苦労しているようで、その顔には少しばかり疲労の色が見て取れていた。一人につき一頭持つことは出来なくもないけれど、そうすると道中の安全が十分に確保出来ないので苦肉の策である。
「中々に厳しい場所でしたな。立地さえ向けば騎士団の訓練にも使えそうですが」
「あんまりお勧めはしたくないけどね……」
一方のヘンブリッツ君は涼しい顔だ。疲労もあるのだろうが、少なくともそれを顔に出すようなことはしない。更にはこのアフラタ山脈が訓練に向いている可能性すら考えている。
俺個人の意見としてはやめてほしいけどね。別にそれは騎士団の実力を舐めているとかそういう話ではなくて、理由はもうちょっと大局的なところにある。
アフラタ山脈へ国家機関が介入すると、隣国との問題が噴出しかねないという危険が常に付きまとう。もしレベリス王国としてそのリスクを背負ってでも山脈を攻略すべき、という方針が採択されたのなら、それはもう仕方がない。
ただその危険が発露した場合、高い確率で割を食うのは国境間近に居を構える人たちだ。つまり、ビデン村もその可能性を孕んでいる。自分たちの与り知らぬところで勝手に戦禍に巻き込まれるのは、出来れば御免被りたいところだ。
「ところでこれ、どうするんすか?」
村までの道すがら、クルニが質問を飛ばす。これというのは恐らくサーベルボアのことだろう。
「村の人に頼んで血抜きと解体をしてもらおう。もしかしたら明日からの晩飯がちょっと豪華になるかもね」
「肉っすか! いいっすねー、俄然やる気出てきたっす」
俺は冒険者でも狩人でもないから、動物の血抜きなんてやり方が分からないしな。見様見真似である程度は出来るのかもしれないが、素材を駄目にしてしまうことを考えたらおいそれと手を出しにくい。
なのでこういうのは専門家に頼るに限る。余程の天才でもない限り、個人が出来る範囲には限りがあるからね。人間分相応がやっぱり一番である。
「でもどうなんすかねこれ、結構ヤバかったりするんすか?」
「うん、結構ヤバいと思うなあ……」
結局最初のサーベルボアを仕留めた後、村に帰ってくるまでそれぞれはぐれのサーベルボアに三頭出くわした。
群れでなかったのは幸か不幸か分からない。あんなところで群れに襲われなくてよかったと見るべきか、単体にしか遭遇しなかったことを嘆くべきか。
ただどちらにせよ言えることは、例年に比べて山脈のかなり浅いところまでサーベルボアが出張ってきているということだ。
これがたまたま今回はサーベルボアの子供が多く生まれて偶発的に、ということならまだ納得も出来るし、作業量は多くなるが対処は出来る。けれどそうじゃなかった時が怖い。
そういう事態になったら国境云々の話以前に、まとまった戦力を投入しないとアフラタ山脈を起点にモンスターに侵攻されかねない。流石にそれは最悪中の最悪なので、そんな運命はないと信じたいけどね。
「とりあえず今日は戻ってゆっくりしよう。明日も探るつもりだから、そのつもりで」
「はいっす!」
「承知致しました」
まあその理由が突き止められるかどうかは置いといて、現時点では偵察と探索を止める理由にはならない。いよいよもってヤバいと思ったら退却するし何なら村全体の退避も考えるが、その判断にはまだ情報が足りない、というところかな。
なので、明日も引き続き探索である。連日山登りは体力的にしんどいんだが、最低限の地理が分かる者が居ないと探索すらままならんからなあ。こればっかりは代役が居ないので俺が出張るしかない。
「お、ベリルじゃねえか。どうした、狩り帰りか」
「あれ、ロブさん。こんにちは。丁度いいところに」
そんなことを考えつつ村への歩を進め、やっとこさビデン村の防御柵に辿り着いたところ。一人のおじさんに声を掛けられた。俺と同年代かちょっと上くらいに見える、髭をびっしりと生やしたおっちゃんである。
ロブさんはビデン村に居ついて長い狩人だ。無理はしない堅実な狩りで大漁の機会こそ少ないものの、かなりの成功率で小物を、時たま大物を引っ掛ける熟練さんだな。
「あん? ははあ……丁度いいってのはそのサーベルボアか」
「そうそう。解体とかお願い出来ないかなと思って」
持ち帰ったサーベルボアの処理はロブさんに任せようと思っていたので丁度いい。
この村はどちらかと言えば農耕が主だから、ロブさんみたいな狩人はあまり居ない。アフラタ山脈に潜れば戦果は期待出来るが、それ以上に危険が大きいから狩人でもあまり立ち入らない場所である。自然とそんな環境に身を置く狩人や猟師は少なくなり、今では商人からの仕入れなどを除けば、彼がビデン村の肉事情を凡そ賄っている。
「よっしゃ分かった。あそこの小屋に運んどいてくれ」
「助かります。クルニ、お願いできるかな」
「はいっす!」
ロブさんの了承も得られたので、クルニに指定された場所までサーベルボアを運んでもらうことにする。
これがバルトレーンなんかであれば専門の輸入業者が居て、運送業者が居て、解体業者が居たりするんだろうな。だがこんな田舎村ではそのような大掛かりなものは何一つ期待出来ない。なので基本的にこういった専門的な技術を持つ個人に依存することになる。
それは武力と言う面でもそうだ。首都には騎士団が居るし、主だった都市部には王国守備隊が配備されているが、田舎ではどうにか戦力を捻出して自衛するしかない。
うちなんかは剣術道場がある分その戦力には恵まれている方だが、それでも武力の専門集団に比べると量と質、双方でかなり見劣りする。追い払えるのはせいぜい少数の小型種や獣くらいなもので、相手がモンスターの一団ともなればお手上げなのが現状だ。
道場の出身者や門下生に優れた武を持つ人間が居るのは事実。
しかし数と数との戦いにおいて、突出した個人というのは存外と活躍し辛い。そんなのはそれこそ御伽噺や伝説の類であって、現実的ではないのである。ルーシーみたいな本物の傑物なら多少の戦力差はひっくり返せるかもしれないが、それでも限界はあるだろう。
なので今俺たちに出来ることは、戦える人間でちまちまと脅威の数を減らしていくことくらい。
今回は人対人の戦争や抗争ではないので、そこら辺はまだ楽だ。相手が多少群れることはあっても、統制の取れた大規模な集団になることは考えられない。そこに人間が勝ち得る可能性が残っている、というわけだな。
「それじゃ、これ置いてくるっす!」
「ああ、いってらっしゃい」
ロブさんに指定された小屋へサーベルボアを運ぶために、クルニがぴゅーっと駆けていく。なんか疲れたとか言いながらめっちゃ元気だな。
「……サーベルボア二頭背負ってあれか。すげえなあいつ」
「はは、自慢の弟子の一人ですよ」
そんなクルニの様子を見て、ロブさんがぽかんとしていた。そりゃ初見であれはびっくりすると思う。大の大人であっても、一頭抱えて歩くことすら普通は難しいからね。
「ま、強いやつが居るってのはありがたいことだ。肉は後で届けてやるからよ」
「ありがとうございます」
サーベルボアの肉はやや硬いが、しっかり煮込むなり下処理をすれば全然食える。これは明日からの献立が少し楽しみになるところだな。その辺はお袋がきっちりやってくれることだろう。
ロブさんはクルニについての感想を呟くと、そのまま彼女の後を追って小屋の方へと向かっていった。
多分これから血抜きとかの処理をしてくれるんだと思う。牙や皮は手間賃ということで彼にそのまま預かってもらって、機会が来れば売っぱらってもらうか。
俺個人の話をすると、懐は結構温かいからね。村の人が少しでも過ごしやすくなるのなら、それに越したことはない。
「ところで、明日も同じメンバーでしょうか」
「いや、明日はランドリドも加わる予定だよ。道場が休みだからね」
明日は俺とヘンブリッツ君とクルニに加えてランドリドも探索に参加する予定だ。門下生たちをアフラタ山脈に連れ歩くのは流石に危険が大きいので、明日が今動員出来る最大メンバーでの探索となる。おやじ殿も行けなくはないんだろうけど、流石に加齢による体力の衰えと腰がヤバそうだからね。
ランドリドは過去に何回かサーベルボアの討伐に参加しているし、ある程度の地理は把握出来ているはず。今日よりは少し広めにエリアを取り、一気に情報を得たいところである。
それに、彼はつい最近まで凄腕の冒険者だった。恐らく山中の行軍には俺たちの中で一番手慣れているはずだ。大いに期待させてもらうとしよう。
「なるほど、それは心強いですな」
「そうだね、この上ない助っ人だよ」
無論油断は出来ないが、ヘンブリッツ君もランドリドもこんなところで油断をかますような素人ではない。明日は幾つかの群れを叩くことが出来れば最良、そうでなくとも最低限群れの規模と大まかな巣というか、纏まっている場所は把握しておきたい。
今日の偵察でヘンブリッツ君もクルニもアフラタ山脈がどういうところかは分かったはずだから、明日はよりスムーズに進めるだろう。
「先生! 水浴びしてくるっす!」
「あ、ああ」
ダッシュでサーベルボアを置いてきたクルニがダッシュで戻ってきた。どうやらこのまま山中探索の汚れと疲れを落としにいくらしい。
まああんなのをずっと背負ってたら臭いも移るしなあ。獣臭いというのは女性としてかなり忌避したい状況なんだと思う。
それにバルトレーンでは中々水浴び出来ないしね。やろうと思えば公衆浴場くらいはあるが、金もかかるし大体混んでる。そういう意味では水源に近い田舎というのは数少ない都会に勝てる長所でもあるな。
「じゃあ俺たちは一足先に戻ろうか。おやじとランドリドに報告もしなきゃいけないし」
「はい、分かりました」
突っ走って行ったクルニを見届けて、我が家に戻る。
サーベルボアに山の浅いところで立て続けに出くわしたのは少々想定外だが、まだ対処出来ないほどでもない。これ以上の厄介ごとが増えないことを祈るばかりだ。