第150話 片田舎のおっさん、打ち合いを眺める
「ヘ、ヘンブリッツ君?」
「はい。……やはり少し拙かったでしょうか?」
思わず声を掛けると、彼からは少しやってしまったという表情が見て取れた。流石に挑発行為が過ぎると考えたのかもしれない。
しかしそれは決して、二対一は厳しいんじゃないかと考えている人の顔ではなかった。つまり、アデルとエデルの二人を相手取ること自体には何も問題がないと思っている。
「いや、うーん……どうだろうね……」
この一面だけを切り取ればヘンブリッツ君が煽ったように見えるが、その火種を作ってしまったのはある意味で俺の発言でもあるわけだし、判断が難しい。もっと元を糺せば、最初に吹っ掛けたのはアデルである。
とは言え、実力の見立てとしてはむしろ正しい。
アデルとエデルの二人がかりでヘンブリッツ君に挑んだとしても、極端な奇襲が成立でもしない限りはヘンブリッツ君が勝つだろう。彼らの間にはそれくらいの実力差が存在している。
まあそれはあくまでアデルとエデル、ヘンブリッツ君それぞれの実力をある程度把握している俺だから分かることだ。それを戦いもせずに察しろというのはやや難易度が高いか。
「先生! ベリル先生もあたしたち二人よりそいつの方が強いって思うの!?」
「だからそいつじゃなくてヘンブリッツだって。まあ……二人がかりでもヘンブリッツ君の方が強いと思うよ」
「~~~~ッ!」
なんかこのやり取りついさっきもやったな。ほぼ同じ問いかけを受けてほぼ同じ答え方をした気がする。
けれど俺の答えは変わらない。彼らがいくら優秀だとは言っても、厳しい評価を下せば所詮は実戦経験に乏しい剣士見習いの二人である。これが二十人とかなら話は変わるかもしれないが、レベリオ騎士団副団長の椅子はそんなに軽いものではないのだ。
俺はヘンブリッツ君と初めて打ち合ったあの時、確かに勝ちはした。結果として被弾しなかったから、まあ完勝と言ってもいいのだろう。
だがそれでも俺は、ヘンブリッツ君の実力を疑ったり下に見たことは一度もない。別にこれは相手の立場を慮ってだとかそういう話ではなく、そもそも彼は純粋に強いのである。
強靭な肉体から繰り出されるパワーとスピード。タフネスもスタミナもテクニックも十分、更には勝負勘も持ち合わせている。
俺が勝てたのは偏に、今まで生きてきた分の経験が僅かに多く積み重なっていただけで、仮にヘンブリッツ君と同い年の頃の俺が戦っていたら普通に負けていた。この目の良さを持っていても、過去の俺が彼に勝てたかは大分怪しい。
ちなみに俺は、ヘンブリッツ君がアリューシア以外の騎士に負けているところを見たことがない。ほぼ毎日修練場に顔を出し、かなりの人数と手合わせをしているにも関わらずだ。
それに、ガトガやロゼと共闘した王族護衛時にも彼は暗殺者に負けていなかった。すぐ傍に居るのがアリューシアという特級の傑物であるが故に基準がおかしいことになっているだけで、彼は普通にバカ強い部類の人間である。
「そこまで言うなら見せてもらおうじゃない! エデル、やるわよ!」
「え、えぇ……」
「つべこべ言わない!」
「わ、分かったよぉ……」
そして辛抱ならんといった様子のアデルが遂に噴き出し、エデルとともにヘンブリッツ君に挑もうとしていた。
普通ならエデルの力を借りずに一対一を挑みそうなところではあるが、アデルを賢い方と評したのはそこである。
本人としては負けてたまるかという気持ちが強いだろう。しかし、俺からヘンブリッツ君の情報を多少なり得たことによって、その査定を彼女の中でかなり上方修正している。
こういった情報を素直に自分の中に組み込むことが出来るのも、彼女の立派な強みだ。剣士として敵方の戦力算定の精度は死活問題に直結するからな。
まあそれも、あくまで彼女の中ではという注釈が付く。真に正確な判断が出来ていれば、ここでレベリオ騎士団の副団長に喧嘩を売るという選択肢自体を取り得ない。
ここはヘンブリッツ君も乗り気である以上、一つ授業料としてアデルにはしっかり世界の広さというものを学んでもらうとしよう。
「あの、先生。大丈夫なんすか……?」
「ヘンブリッツ君さえ問題なければ大丈夫だと思うけどね」
クルニがどっちの心配をしているのかはいまいち読めないが、まあ大丈夫だろう。彼だって流石に全力でぶっ叩くなんてことはしないはずだし。しないよね? 俺の時は明らかに全力でぶん回してたけどさ。
「逆に聞くけど、クルニは剣を習い始めて二年目三年目って時にヘンブリッツ君と戦って勝てると思う? 自分が二人居ると仮定してもいい」
「無理っすね。多分五人居ても無理っす」
「そういうことだよ」
問いかけてみると、クルニが一瞬でスンッて顔になった。そりゃまあそうなるよ。俺だって剣を習い始めてちょっと慣れてきたかなーくらいの時にヘンブリッツ君と戦えと言われても、まるで勝てる気がしない。
「ランドリドもそれでいいかい?」
「先生がそれでよいのであれば」
「じゃあ問題ないってことで」
現師範代のランドリドの許可も取れたことだし、これで何も問題はなくなった。
正直アデルとエデルがヘンブリッツ君に勝てるとは思ってないが、一方で二人がどうやって戦うのか、そしてヘンブリッツ君が彼らの攻撃をどう捌くのかはちょっと興味がある。
「互いに納得するまでやるといい。ただし、俺かランドリドが危険だと判断した場合は止める。それでいいね?」
「問題ありません」
「問題ないわ!」
「うぅ……分かりましたぁ……」
アデルと違ってエデルは巻き込まれ事故みたいなもんだけど、それでも剣の打ち合いで手を抜いたりさぼったりする子じゃないから、そこら辺は大丈夫だろう。
第一、本当に嫌なら彼の性格上この模擬戦には絶対に参加しないはずである。つまりは勝てるとまでは言わずとも、二人揃えばそこそこいい線は行くんじゃないかと思っている証拠だ。
エデルはお世辞にも明るい性格とは言えないが、それは自分に自信がないこととイコールではない。彼には彼なりの剣に対する自負というものがある。今回の場合、最終的にはそこが刺激されての結果なのだろう。
「じゃあ、互いに構えて。他の子はしっかり下がっておくように」
三人がそれぞれ距離を取り、木剣を構える。途端にしんと静まり返る道場内。この空気は嫌いじゃないね。
他の門下生たちは巻き込まれないように壁際まで寄せておく。流石に騎士団の修練場ほど自由に動けるとは言わないが、それでも一対二の模擬戦が出来ないほど狭くもない。しっかり見させてもらうとしよう。
「では……はじめ!」
「どりぇええええい!!」
開始の合図を出した途端、物凄い気合いとともにアデルが吶喊していった。うんうん、中々に気持ちのいい発破だ。これぞ攻撃型の剣士という感じである。
打ち合いの初手として彼女の行動は正しい。気合で相手をビビらせるというのはぶっちゃけかなり有効である。それが初見の相手なら尚更だ。ほんの一瞬でも相手が怯んだり強張ってくれたら儲けもの。そのまま有利を取れる一手である。
まあそれはあくまで相手が並の手合い、あるいは自分と実力差が近いか自分より下の相手に限るんだけどね。
「っしぇえああァッ!!」
アデルの気合いに負けず劣らず、ヘンブリッツ君が吼える。
迎撃の仕方として、これもまた正しい。相手が勢いづいているというのであれば、それ以上の勢いでもって迎え撃てばよいのである。物凄く単純な理屈だが、剣士の一瞬と言うのはそういうところで決まることもあるので馬鹿には出来ない。
そして気合いの質量が同じであれば、後はそれ以外のところで決まる。つまり、本人の純粋な技量だ。
「うっ……ぐうっ!」
振りかぶったアデルの上段斬りを、ヘンブリッツ君は躱すこともいなすこともせずあえて正面から受けた。がっぷり四つの状況となるが、その均衡は一瞬で崩れる。ヘンブリッツ君のパワーがアデルのそれを大きく上回っているためだ。
「ぬぅんっ!」
ヘンブリッツ君が更に力を加えると、アデルは力を逃がす余裕もなく圧し折られるように膝を突く。
あれは完全に力の差を分からせるためだけの行動である。彼もなんだかんだ結構ヤンチャなところがあるな……。手段そのものを否定はしないけれども、まあまあえげつないことをやっている。
「……ふっ!」
「っしゃあッ!」
アデルの状況を見てこれは拙いと判断したか、エデルが鋭い突きで横槍を入れにかかる。しかし素早く気配を察知したヘンブリッツ君がアデルを抑えていた木剣を浮かせ、エデルの突きを弾いた。
「う……わっ!?」
ガァン! と、とても木製の剣がぶつかったとは思えない強烈な音が響き、その衝撃でエデルの腕が泳ぐ。
うーわ、剣の腹を思いっきり力でぶん殴ったぞあれ。むしろ木剣を手放さなかったエデルこそを褒めるべきか。あんなのがまともに入ったら間違いなく一撃で戦闘不能に陥る。大丈夫かな、ちょっと心配になってきた。
「……ッエデル! 同時に行くわよ!」
「う、うん……!」
その間に態勢を整えたアデルが指示を飛ばす。
まあ、二人がそれぞれ向かっていったのでは一人ずつ撃破されて終わりを繰り返すだけだからな。
一対一では敵わないと素早く見切り、同時あるいは波状攻撃に転進しようとする思考の回転と割り切りはかなり速い。中々に素晴らしい戦術眼と言えるだろう。
「ちぇりゃああああっ!!」
「はっ!」
再びアデルが咆哮とともに吶喊。先程までと違うのは、微妙にずれた角度からエデルも同時に進撃していること。
「ぜあァッ!」
「……ッ!?」
これまた先程と同じように、強烈な気合いで迎え撃つヘンブリッツ。
彼は発破とともに間合いを詰めて来るアデルに対し、自分から更に距離を詰めに行った。必殺の間合いを殺されたアデルは余力を持って剣を振り切ることが出来ず、ヘンブリッツ君の暴力的なまでの剣撃に弾き飛ばされる。同時に自分から動いたことにより、エデルの初撃の攻撃範囲から逃れることに成功していた。
そしてアデルが力に押されてたたらを踏んでいる一瞬の間に素早く切り返し、エデルの剣を迎え撃つ。
もとより純粋な腕力で言えば、エデルはアデルよりも弱い。そんな彼がヘンブリッツ君の力に対抗出来るわけもなく。結果として二度、二人はあっさりと跳ね返されていた。
「ふむ……」
……やっぱりヘンブリッツ君、強いなあ。
タイマンでの戦闘能力は勿論のこと、対多数戦の心得というものをよく分かっている。副団長である以上は騎士たちを指揮する立場にあり、多数の戦闘法に慣れていなくては話にならないというのは当然ではあるのだが、それにしても強い。
「ちっ! まだまだァ!」
「その意気や好し! 来い!」
派手にぶっ飛ばされたアデルが、その闘志を萎えさせることなく再度突っかかる。
今度はアデルが突っ込むかと思わせて、木剣の射程外ギリギリのところでけん制を飛ばしていた。彼女なりに色々と考えているのだろう。戦闘中に思考を止めないのは大事だからね。
そしてその間に、エデルが後ろに回り込んで斬りかかった。
あ、ヘンブリッツ君の蹴りでエデルがぶっ飛んだぞ。彼は後ろに目が付いてたりするのかな。
エデルが復帰するまで、アデルは大振りを止めて細かい剣撃を刻んでいるが、そのどれもが叩き落とされるか躱されている。そして攻守が入れ替わってアデルやエデルが守勢に回るともう駄目だ。ヘンブリッツ君の力を御せるだけの技術が、今の彼らにはない。
「……凄いな」
驚くべきことに、ヘンブリッツ君は木剣を振る力自体はかなり込めているが、その打撃を彼らの身体に一度たりとも当てていなかった。全部木剣同士をかち合わせている。まともに当てたのはさっきの蹴りくらい。
恐らく、余計な怪我をさせないようにという配慮からだろう。アデルとエデルは容赦なく当てようとして一発も当てられていないのに。彼らの間には、現時点では比べるのも烏滸がましいほど技術と経験に差があった。
「ああああっ!」
「ッ!」
まだ始まってそんなに時間も経っていないはずなのに、アデルとエデルの服は既に汚れでボロボロだ。短時間で幾度となくヘンブリッツ君に転がされたからである。それでも諦めずに突っ込んでいるのは称えられるべき精神力だが、それも長持ちはしないだろう。
人間、精神状態というものは実に重要で、多少の実力差なら心で跳ね返せるのが面白いところであり、また同時に怖いところでもある。
アデルたちは最初、絶対に勝つという気持ちを持っていたに違いない。しかしそこから何としても勝ちたいに切り替わり、程なくしてせめて一矢報いたいに変遷し、最終的に勝てないまで落ちている。
この「勝てない」まで気持ちが進んでしまったらもう駄目だ。ただでさえ力と技術に差があるのに、気持ちで負けてしまえば勝てる道理は完全になくなってしまう。
「……そこまで!」
「ッ!?」
しばらく成り行きを見守っていたが、この辺りが限界だろうと中断の判断を下す。
俺の言葉にヘンブリッツ君は粛々と、エデルは気落ちしながら。アデルは憤懣遣る方ないといった様相で、それぞれが木剣を下ろした。
「どうして! まだやれるわよ!」
「駄目だ、明らかに集中力が落ちてる。これ以上は怪我に繋がりかねない」
「……ッ!」
体力的にはまだやれるだろう。うちの門下生たちには基本的に走り込みをさせているから、バテてはいない。けれども疲労は確かにあるし、何より精神的な消耗が大きく見えた。言った通り、こんな状態では一つの間違いで大怪我になりかねない。
そして、アデル自身がそのことに気付いていないはずはないのである。事実、彼女は俺の言い分に言い返すことなく頭を垂れていた。
「ヘンブリッツ君、お疲れ様」
「ありがとうございます。いやはや、予想より大分強かったですね。流石はベリル殿の教え子たちです」
大した疲れも見せず、彼は一つ呼吸を置いて答えた。
かなり攻撃的な態度をとられていたのに、ここでも気遣いを忘れない辺りやはり彼は出来る男だ。
「……ごめんなさい!!」
「おわっ」
なんだか微妙にこのまま練習を再開しようかという空気でもなく、どうしようかなと頭を捻っていると、アデルがいきなり大きな声で謝罪の言葉を発していた。でも頭は下げずに胸を張っている。どういう謝り方なんだ。
「貴方は確かに強かった!! 非礼を詫びるわ!! でもあたしは絶対に貴方に追いついて、そして追い越して見せます!!」
「……その意気や好し。いつでも挑戦をお待ちしていますよ」
堂々とした、いっそ清々しいまでの宣言。その気持ちが通じたか、ヘンブリッツ君も爽やかな笑顔で応じていた。
これは一件落着、でいいのか? まあ本人たちが納得しているのならそれでもいいのか。
彼女がこれから先、どういった剣を修めてどのような将来を歩むのか、それはまだ分からない。剣の道から途中で逸れるかもしれないし、言った通り冒険者になるかもしれないし、もしかしたら騎士になるなんて可能性もある。
どの道を行くにせよ、彼ら彼女らの未来が明るいものであってほしいと願うばかりだ。俺たち大人は、子供たちがこれから歩く道をある程度舗装することは出来るが、どの道を進むのかは結局本人の意思次第なところがあるからね。
「ランドリド、時間を取ってしまって悪かった。いつもの様に進めてもらって大丈夫だよ」
「あ、はい。分かりました」
そして今日道場を覗いた目的は、アデルとエデルをヘンブリッツ君と戦わせることではない。これはなんかもうよく分からん流れで起きてしまった偶発的な遭遇戦なのだ。
サーベルボア討伐の本番に、連れて行けそうな門下生を選別する。その本来の目的を果たさせてもらうとしよう。