第149話 片田舎のおっさん、思いに触れる
彼女の身長は低い。多分クルニと同じくらいだろう。青みがかった黒髪をほどほどに伸ばし、自信に満ちた黄金色の瞳とミュイを思わせるような吊り目は、背の低さを帳消しにするほどの気の強さを感じさせた。
実際に彼女は気性が荒いというよりは気が強いタイプで、普段の練習態度も良いし真面目で勤勉とも言えるが、一度こうだと自分の中で決めたものは絶対に譲らない頑固さを持っている。
ただじゃあ、それで皆から嫌われていると言われればそんなことはなく、持ち前の明るさと負けん気の強さで逆に皆を引っ張っていくくらいだ。正しく剣士に向いた性格と言えよう。
「アデル! 失礼なことを言うんじゃない」
「何よ! あたしは間違ったことは言ってないわよ!」
先の発言を諫めたランドリドに対してさえも、その態度は変わらない。
あの子は一度言い出したら中々止まらないからなあ。それは俺が剣を教え始めた頃から変わることなく現在までやってきている。ランドリドも彼女の手綱を握るのは苦労してそうだ。実際俺も大変だったことがあるからな。
と言うかまさに今、道場の空気が大変なことになっている。なんだか和気あいあいと練習って雰囲気じゃなくなってしまったぞ。
「……騎士の一人として、彼女がそう思うに至った理由は気になりますな」
突然の口撃を受けても、ヘンブリッツ君も態度を崩すことなく冷静なまま。流石は王国一の騎士団を纏める副団長である。たかだか田舎の娘一人に挑発されたくらいでカッとなっていては、騎士の名折れであるとでも言わんばかり。
一方でクルニはずっとあわあわしているんだけれども。君はもうちょっと騎士らしさを身に付けるべきでは。
「アデル。考え方や感じ方の否定はしないけど、自己紹介くらいはするべきじゃないかな?」
とりあえずヘンブリッツ君はともかくとして、アデルには冷静になってもらわねばちょっと困る。
彼女は感情の起伏が激しいというか、感情が前面に出やすい性格をしているが頭が回らないわけじゃない。むしろ、どちらかと言えば賢い方だとも言える。
実際、俺の指摘に彼女はぐっと押し黙った。言われたことが妥当であれば、それを即座に勘案するくらいの器量は持っている子である。なので一旦落ち着きさえすれば、ちゃんと話も出来るだろうと思うのだ。
「……アデル。アデル・クライン。ベリル先生とランドリド先生の弟子よ。いずれランドリド先生のような立派な冒険者になってみせるわ」
「立派な心掛けだと思います。先程も申し上げましたが、ヘンブリッツ・ドラウトです」
ぶすっとした表情と声色のまま、アデルが。その瞳の色は相変わらず攻撃的であった。
アデル・クライン。俺の弟子の一人。
確か十五歳だったか、それくらいの年齢である。今はランドリドの弟子でもあるが。
彼女はビデン村の育ちではなく、お隣のアード村の出身だ。近隣だと剣術道場なんてやってるのはうちくらいだから、アデルのようにちょくちょく他所の生まれの人はいたりする。
剣術に関しては優秀で、確かうちでは三年目くらいのはず。
最初から物覚えは良かったが、性格上攻めっ気が強くてアリューシアやフィッセルなどとはまた違った剣筋を持っている。あえて近い人を挙げるとしたらスレナかな。まあスレナは正確には俺の弟子ではないんだけれど。
そしてアデルは、ちょっと珍しい出自でもあった。
「お、お姉ちゃん、落ち着いて……皆びっくりしてるから……」
「エデル! あんただってそう思ってるでしょ!?」
アデルとヘンブリッツ君のやり取りに、一人の気弱そうな少年が待ったをかける。
エデル・クライン。アデルの双子の弟だ。彼ら二人は姉と弟の双子なのである。双子自体はたまに見かけるが、性別の違う双子というのは中々お目にかかることがない。
アデルに比べれば高めの身長、同じく青みがかった黒髪を短くまとめ、瞳はやや赤みの強い黄金色といった違いがみられるが、やっぱり一番の差異は垂れ目がちな目尻だろう。ある意味ここが彼の気質を一番よく表していると思う。
アデルとエデルは顔も似ているし当然年齢も一緒だが、性格は正反対と言ってもいい。姉は強気で怖いもの知らず、一方の弟は大人しく引っ込み思案。
しかもこれでいて、実はエデルの方がちょっとだけ強いというのがまた面白い。別にこれは二人の実力に明確な差があるというほどではなく、単純な戦い方の違いだ。エデルはその性格通り、慎重かつ流麗な剣技を得意としている。
アデルはがつがつ前に出るから、まあ相性の差だな。逆にエデルでは勝てず、アデルなら勝てる相手だって居る。つまりはそれくらいの差である。
「エデル君も、そう思っているのかな?」
「あ、あの……その、えっと……」
ヘンブリッツ君が優しく問いかけるが、即座に否定しない辺りはアデルと程度の差はあれ似通った考え方なのだろう。
しかし、二人がこういった感情を持っていたのは少々意外でもあった。と言うのも、俺が教えている間……つまり俺が特別指南役となってバルトレーンに発つ前までは、そんな話題は少しも出なかったからである。
一般的な世間の認識としては、レベリオの騎士は誉れ高い職業の中でも最高峰に位置しており、市井からの評価も極めて高い。事実、クルニのようにレベリオの騎士になることを目標に剣を学んでいる者も数多く居る。
無論、冒険者なんかも人気の高い職業の一つだが、比べてみるとやっぱり騎士の方に軍配は上がるのである。当然その分倍率も高く、レベリオの騎士となるには一筋縄ではいかないが。
だがそれでも、騎士団自体を下に見るような発言を俺は初めて聞いたかもしれない。それくらいにはレベリオ騎士団の勇名は名高く、レベリオの騎士は強いからだ。
「こいつはオドオドしちゃいるけど、あたしと考え方自体はほぼ同じよ」
「……尚更、そう思った理由が気になりますね。お聞かせ願えますか?」
エデルの様子にしびれを切らしたか、アデルがぶっきらぼうに言い放つ。
ヘンブリッツ君の言う通り、彼らが何故そう思うようになったのかという経緯は確かに気になる。レベリオ騎士団はこんな田舎まで出張してくることは滅多にないが、逆に言えば一度も会わないままここまでネガティブな印象を持つのも珍しい。
「あたしは、レベリオの騎士に会ったことがない。今日この時が初めてよ」
アデルが胸を張って語りを続ける。自分の意見には一分の隙も見当たらない、そう言わんばかりだ。
「あたしの村がモンスターに襲われかけた時も、不作で悩んでた時も、ベリル先生たちがサーベルボアを倒しに行った時も、騎士なんて一人たりとも来なかった」
「……」
「いつだって助けてくれたのは冒険者や狩人や先生だったわ。どうせいっつも首都に引き篭ってるんでしょ。そんなやつら、大したことないに決まってる」
「……耳の痛い話です」
アデルの言葉を聞いて、ヘンブリッツ君は少しばかり眉を下げた。
彼女の言い分は分からないでもないけどね。言い方は少しあれだが、たかだか片田舎の些事如きで騎士団はいちいち出張ってこない。騎士には騎士としての優先順位があり、そして限界がある。
本来はそういう部分をカバーするために王国守備隊が編成されているはずだが、その守備隊だって王国全土に居るわけじゃないしな。ビデン村にも守備隊は駐屯していない。
で、そういった田舎村に住む人々が戦力として当てにするのは冒険者、あるいはその村を拠点とする狩人とかになる。
傭兵も選択肢には入るが、彼らは割のいい収入が期待出来ない田舎の方に出張ることはまずない。騎士団とまた理由は違えど、田舎にはあまり縁のない職種だ。
一方で俺は、騎士団が王国全土をしっかり守ることが出来ていないことの理由にも納得している。
まあ要するに、絶対的に数が足りんのだ。
レベリス王国は広い。騎士団全員をまるっと動員したって、守れる範囲は極狭いものになる。
じゃあ人数を増やせばいいじゃないかと言われるかもしれないが、それはそれで厳しい。人数を増やすということはつまり、入団試験の難易度を下げるということである。
そうなると当然、量が増えても質は恐ろしく低下する。それは武力という面のみならず、騎士としての精神性などもそうだ。
加えて、騎士団の質が下がれば国内外問わず評価が下がる。そうなってしまうと国としても予算を割けなくなり、運営に支障が出る。それだけならまだしも、組織として腐敗してしまったらもう最悪だ。目も当てられない。
どんな組織でもそうだけど、一定の質を担保するためにある程度の選別は必要である。騎士団が武力だけを持つならず者一歩手前の集団に成り下がってもいいのなら人は増やせるが、その未来は誰も望んじゃいない。
アデルの言い分は一見筋は通っている。
というか、自分の目に見える範囲だけの事象を拾い上げればそうなってもおかしくはない。俺の望みとしてはもう少し広い見識を持ってほしいところだが、こんな片田舎ではそれも限界があるだろう。
そして元から多少関わりのあった冒険者から、ランドリドという生え抜きが師範代になったことでその認識に拍車がかかった、というところかな。
「騎士団に属する一人として、国民の安全を確保出来ていないことは痛ましい問題です。その点に関しては、返す言葉もありません」
癇癪とも捉えられかねないアデルの言葉に、それでもヘンブリッツ君は真摯に応対している。それだけでも十分ありがたいことではあるが、まあそれだけで騎士団の在り方に納得しろというのも、アデルたちには少し難しい問題か。
「ですが、騎士団はそれを諦めているわけではありません。言い訳がましくなりますが、そのために日々の鍛錬を続けています。少しでもそれを分かって頂けるように、精進していくとしか今は言えませんな。必要とあればその決意を見せるというのも、吝かではありません」
レベリオ騎士団が王国民全員を守ることは出来ていない。それが実現可能かどうかは置いておくとして、実際に脅威に晒されている人々からすれば、それは切実な問題だ。
だが、騎士団にもプライドがある。自分たちこそが王国最強の集団であり、護国を成す者たちだという自負。その感情が、ヘンブリッツ君の言葉に発露しているようにも思えた。
「……ふん。あんた自身は強いって言いたいわけ?」
「ベリル殿には及びませんが、それなりには」
「いや、そこは強いって言おうよ」
思わず突っ込んでしまった。
アデルの問いかけに対して俺を比較対象として出すんじゃないよ。そこは自信持って強いって言いなよ。実際ヘンブリッツ君は十分に強いんだからさ。
「ベリル先生。こいつは強いの?」
「こいつじゃなくてヘンブリッツね。まあ俺が評価するのもおかしい話だけど、強いよ。少なくとも今のアデルよりは」
「ふぅん……上等じゃない」
やべ。別段煽るつもりじゃなかったけど、結果としてそうなってしまった気がする。
だが言った通り、ヘンブリッツ君は強い。アデルも優秀だし剣士として優れた素質を持っているのは事実だが、じゃあレベリオ騎士団の副団長に勝てるかと言われればそれは無理な話だろう。現時点での実力のみで述べれば、クルニの方がまだ強い。
要は彼女は、まだ世界の広さを知らないのだ。ビデン村の剣術道場という極めて狭い範囲で実力の多寡を決めてしまっている節がある。世の中はもっともっと広く、そして強さにも色々な種類があることを知ってほしいところである。
ランドリドもどうやら大体同じ考えらしい。特に彼らの会話を止めることなく、半ば諦めたような表情で経緯を見守っていた。まあ口で言って止まるなら止めているはずだしな。
「騎士ヘンブリッツ。そこまで言うならあたしと勝負しなさい」
そして、ここまで昂ってしまったアデルが次に口に出す言葉は、この場に居るほとんどが予想出来ている。
「構いませんよ。なんならエデル君と一緒にかかってきてください」
「この……ッ! 舐めてくれるじゃない!」
だがその言葉に対して、ヘンブリッツ君が更に火をくべるのは完全に予想外であった。