第147話 片田舎のおっさん、村を案内する
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「はい、問題ありません」
「はい! ばっちりっす!」
俺たちがビデン村に着いた日の翌日。
久しぶりに本来の自分の部屋で睡眠をとった後、居間に向かえばそこでは既にヘンブリッツ君とクルニが揃っていた。
二人とも流石だなあ。向こうからすれば無理を言って付いてきたことになっているだろうから、朝から迷惑はかけられないといった気持ちなのかな。俺としてはある程度のんびりしてもらってもいいんだけど。
「クルニ、ミュイは?」
「あー、まだ寝てるっぽかったんでそのままにしてきたっす。……起こした方がよかったっすか?」
「いや、いいよ。慣れない旅で疲れてると思うから」
昨日はクルニと同じ部屋で眠ったであろうミュイは、どうやらまだ起きていないらしかった。
言った通り、馬車の移動で疲れたんだと思う。長旅というわけでもとりわけ過酷な旅というわけでもなかったが、長距離の移動というのは慣れてないと本当に疲れるのだ。
なので、ミュイにはしっかりと睡眠をとってもらうことにしよう。寝る子は育つとも言うしね。
「あら、おはようベリル」
「おはようお袋」
そして居間には両親の姿もあった。おやじ殿は椅子に腰掛けて茶を飲んでおり、お袋は朝食の準備をしていた。
となると、ミュイを除いた中で一番起きてきたのが遅かったのは俺ということになるのか。別に競っているわけでもないんだけど、なんだかちょっと悔しい。俺も朝は結構早い自信があるのに。
「じゃあ、先にご飯にしちゃいましょうか」
お袋がそう言って、食卓に朝食を並べ始める。
とりあえずは飯を食おう。エネルギーを摂取せねば身体も頭も働かない。そして食い終わったら軽く水浴びでもしておきたいところだ。
田舎だろうが都会だろうが夏であることに変わりなく。今の時刻としては日の出からしばらくといった具合だろうが、それでもじんわりと汗ばむ程度には暑い。
湯浴みなんて贅沢は言わないけれど、この季節なら冷水を浴びるだけで充分に気持ちいい。
幸いビデン村は水源に困ることはなかったから、水だけでいいのならある程度贅沢な使い方が出来る。これが農地が増えて人口も増えたら分からないけどね。人が少ないことにもそれなりの利点はあるということだ。
「いただきます」
居間に揃った皆の声が響く。
昨日もそうだったけど、こういう細かいところのお行儀って大事だよな。俺はそこら辺結構厳しく育てられたし、そんな俺を育てた両親は勿論のこと、ヘンブリッツやクルニもその辺りはしっかりしている。
食物と、何よりそれを作ってくれた人に対する感謝の念はいつだって忘れてはいけないのだ。
ちなみに朝食はパンとサラダとガラのスープ。
バルトレーンの宿屋だとここにミルクが加わったりするんだけど、生憎ビデン村では畜産はあまりやっていない。肉は狩りや商人からの仕入れがほとんどだし、牛乳や山羊乳、卵なんかも手に入ったらラッキーくらいである。
比べてみて改めて思うが、やっぱりバルトレーンの生活水準は凄いものなんだなあと感じ入るばかりだ。人が沢山集まれば物も沢山集まるというのは道理ではあるんだけどさ。
「道場の方はもう少し後ですかね?」
「そうだね。稽古が始まるまでの間に村の案内と、ついでに水浴びでもしようか」
「水浴び! いいっすねー!」
朝食を頂きながら雑談に花を咲かせている中、俺の提案にクルニが飛びつく。別にいいんだけど、君はもう少し女性としての嗜みを持った方がいいんじゃないかとも思う。
ヘンブリッツ君が居るとはいえ、おっさんと水浴びはもうちょっと遠慮してほしい。いや面と向かって嫌ですと言われたらそれはそれで凹むかもしれんが。我ながら複雑な性格をしているな。
「着替えは十分な量を持ってきたっすからね!」
「そ、そう……」
俺の心配事など他所に、クルニは既に水浴びする気満々であった。
ビデン村はアフラタ山脈からほど近いところにあるからか、近場にそれなりの数の小川が走っている。
人の手が入っていない小川だから、水質も十分。水浴びどころか飲用にも耐え得る水が近くで手に入るのは非常に大きい。汲んで村まで運ぶ労力はかかるにしろ、こっちから赴く分にはかかる費用はゼロみたいなもんだしね。
「じゃあ食べ終わったら、散策がてら小川まで行こうか」
「さんせーいっす!」
クルニのテンションが上がっているが、ヘンブリッツ君もまんざらではなさそうだった。そりゃこんだけ暑いと水の一つも浴びたくなるってもんよ。
それに、一番近い水場まで行くなら丁度ビデン村も案内出来そうだしね。とは言っても、二人にとって目新しいものなんて一つもないだろうけれど。
「よし、ご馳走様でした」
朝は食べないと身体が持たないが、かと言って起き抜けにいきなり沢山は食べられない。
パンにサラダ、具のないスープというのはそんな絶妙な塩梅を上手く突いた献立だと思う。流石はお袋と言っておこう。
「お袋、ミュイが起きてきたらお願い」
「はいはい、行ってらっしゃい」
手早く朝食を掻っ込み、剣とタオル、あと着替え。それだけ抱えて家を出る。
ヘンブリッツ君とクルニも同じように、最低限の荷物だけ持って出てきていた。
「長閑な朝ですな。バルトレーンでは中々お目にかかれません」
「はは、物は言いようだねえ」
ヘンブリッツ君が目を細めて言うが、まあ物は言いようだよ本当に。言い方を変えればクソ田舎ってことだからね。
バルトレーンは朝から賑やかで喧しいから、それに慣れている人からすると丁度いいのかもしれない。それでも数日経てば飽きるかもしれないが。
聞こえるのは小鳥の囀りと、木々を揺らす風の音くらい。俺もなんだかんだで昨日までバルトレーンに居たから、この静けさは久しぶりだ。何と言うか、心に染み入る静寂である。
とは言っても、うちの道場に限って言えばもうしばらくすればそれなりに喧しくなる。門下生たちがやってくるからだ。
その時が来るまでは、この久しぶりの静けさというものを楽しんで過ごすとしよう。
「あそこが村唯一の宿場。あっちが村唯一の鍛冶場だね」
「鍛冶場ではどのようなものを?」
「基本は農具だよ。俺みたいなのも居るから、剣も打つけどね」
てくてくと歩きながら、ビデン村について軽く説明をしていく。
言ってて思ったけど、ほとんどの施設が村唯一である。うちだって村唯一の剣術道場だしな。
こういう田舎では、いわゆる二匹目の泥鰌を狙う旨味がほとんどない。ただでさえ少ない客の奪い合いにしかならんからである。
例外で言えば狩人とか農家とかかな。前者は狩人の熟練度や狩場によって獲れる獲物が違ってくるし、後者で言えば持っている土地がものを言う。後発であっても持っている資産と技術によっては逆転が狙えるのがその二つだ。
後は立身出世や一発逆転を目論んで冒険者になったりとかもある。まあそういう人は失敗したら大体戻ってくるし、逆に成功すればこんな田舎に戻ってくる理由がない。
そんなわけで子供ならいざ知らず、大人になってもこういう寒村で根を張っている人たち、というのはそれなりの理由がある。それが前向きなものか後ろ向きなものかは置いておくとして。
「一通りは揃っている感じですね」
「そりゃあね。小さくてもここは村だから」
規模と質では逆立ちしたってバルトレーンに勝てない。鍛冶屋一つとっても、ここの鍛冶師も腕は悪くないが、業物が打てるかと言われれば否だろう。バルデルの方が腕は遥かに良いと思う。
まあそれでも、最低限の生活を送る分についてはなんとかなっているのがこのビデン村だ。場所によってはもっと厳しいところもあるんだろうけど。
「しかし……少々意外ですね」
「ん? 何が?」
小さい村を案内しながら小川に向けて歩いていると、ヘンブリッツ君がぽつりと呟いた。
「いえ、バルトレーンからビデン村はそう離れていないでしょう。もう少し発展していても良いと思うのですが……」
「ああ、それね。平たく言うと発展する理由がないんだ」
「理由がない?」
「そう」
彼の疑問に端的に答えてみれば、返ってきたのは少し間の抜けた返事であった。
言った通り、この村には発展する理由がない。別に俺がこの村を嫌っているだとかそういう話ではなく、あくまで客観的に見た時の事実だ。
「まず、この村の向こうには何がある?」
「……アフラタ山脈、ですかね」
「うん、そうだね」
直線的な距離だけで見た場合、首都バルトレーンからビデン村より遠い町や村はいくらでもある。ヘンブリッツ君が言うように、距離だけで言えば別にそう離れていないのだ。道中のトラブルがない前提であれば、馬車で一日かければ到着する道のりである。
だが、このビデン村はそんな立地にも関わらず人は増えないし、今も昔も片田舎のまま。
「で、この一帯の土地は痩せてこそいないけど、とりわけ肥沃でもない」
「ふむ……」
レベリス王国では農業が割と盛んだ。なので、その系統の技術や知識というものはそれなりにある。その上でここら辺は農業に不適とは言わないまでも、やっぱり開拓するには時間も金もかかってしまう。
つまり、この土地に金と時間をかけて発展させる理由が要る。人を呼び込むに足る切っ掛けが必要なのである。
「後はまあ、これが一番重要かなって思うんだけど。地理的にビデン村からどこかに行くことがないんだ」
「と言いますと?」
「交通の行き止まりなんだよ、ここは」
これが例えば、街と街を繋ぐ要衝であれば話は変わってくるだろう。しかし、ビデン村の向こうにはアフラタ山脈しかない。お隣のサリューア・ザルク帝国に行くにしても、この村を経由する理由もない。
一応とはいえ村ではあるから、近隣の村との交流はあるしバルトレーンなどの主要都市との交易もある。ただしそれは発展のためと言うより、そこに住む人たちが生きるために最低限必要なことだ。
そういう理由がいくつか重なって、このビデン村は何時までも片田舎なのである。むしろ条件の割には発展している方だとすら思う。普通こんな交通の行き止まりの場所に宿場なんて存在しないからな。
「この大陸がもうちょっと平和になれば違うんだろうけどね」
「それはまあ……どこもそうですな」
何より、そこかしこに存在しているモンスターが超絶に厄介である。こんな田舎では街道の守りすら不安定だ。この状況下で伸び伸びと自由に発展しろという方が無理がある。
実際ビデン村だってほぼ毎年、サーベルボアの対処に追われている。もっと小さく細かい事件はそれこそ沢山あるだろうからね。
「あの山が何とかなればまだね……」
「……現状では難しいでしょう」
「だよねえ」
とにもかくにもあのアフラタ山脈が悪いのだ。いや水源地ではあるし多少なり山の恵みもあるから、まるっきり駄目な点ばっかりってわけじゃないんだけども。
ただ少なくともあの山々が平地であれば、ビデン村も帝国と王国を繋ぐ中継点の一つとしてそれなりに栄えていた可能性はある。ビデン町くらいにはなっていたかもしれん。
まあ、もっと言えばそんな場所に定住して村を興した、俺たちの御先祖さんが悪いみたいな話になってしまうんだが。それを言い出すとキリがないし、アフラタ山脈がなくなればいいなってのも絵空事でしかないから、言っても詮無いことではあるけどね。
「難しいもんっすねー」
「そうだね。何事も簡単に上手くは行かないものだよ」
多分将来的に、もっと人間の数が増えて、もっと技術が発展して、もっと脅威が少なくなればその限りではないのだろう。けれども、それが果たされるのは少なくとも数十年、下手したら数百年は向こうのことになると思う。
要するに、今の俺たちだけでは如何ともしがたいというわけだ。ただ少なくともレベリス王国に関して言えば、そういう未来を目指すがために魔法の研究に力を入れたりしているはずなので、そこら辺は為政者の描く今後に期待したいところである。
「お、見えてきたね」
「おおー!」
そうやってしばらく談笑しながら歩く先に、平原を横切る清流が見えてきた。
流れは穏やかで、水深も浅い。川の最深部でもせいぜい膝下くらいの深さしかなく、目的が泳ぐことであればまっこと不適な小さい川である。
ただしその分、溺れる危険も少ない。村からほど近いこともあって、水汲みから子供の水浴びまで大変お世話になる村の癒しスポットの一つだ。
「川自体は小さいし見晴らしもいいから危険はないと思うよ」
「了解っす! ひょーっ!」
俺の言葉を聞くや否や、超速度でクルニがぶっ飛んでいく。どんだけ水浴びしたかったんだ。
靴を脱いでジャバジャバと足を踏み入れ、膝を突いたと思ったら顔面から顔を突っ込み、しばらくしてから勢いよく顔を上げてぶるぶると振っていた。犬かな?
「副団長! 先生! めっちゃ気持ちいいっす!」
「ははは、それはよかった」
満点の笑みでクルニが叫ぶ。
まあ真夏日の朝から小川で水浴びとか結構な贅沢だと思う。ある意味で首都バルトレーンでは味わえない生活とも言える。あっちは蒸し風呂屋とかが繁盛している代わりに、近場で気軽に入れる川なんてないからな。
「けど、何と言うか……」
「ええ……」
「目のやりどころに困るね……」
「はい……」
俺もヘンブリッツ君もクルニも、薄着である。夏なんだから当たり前だ。
で、全身に水を浴びると当然衣服は身体に張り付く。下手したら透ける。
つまり、諸般の事情が重なりあって俺とヘンブリッツ君は今、クルニを直視出来ない状況に陥っていた。
「ちょっと離れたところで俺たちも涼もうか……」
「そう、ですね……」
ざっと見える範囲には、他の村人の影は見えない。不幸中の幸いであった。
ヘンブリッツ君と隣り合って、川のせせらぎの中にどぼんと足を下ろす。川の水はほどよく冷たく、火照った身体をしっかりと冷やしてくれていた。
クルニは服一枚でも着ていたらセーフだと思っているフシがあります。