第146話 片田舎のおっさん、一日を終える
「先生はしばらくこちらに居られるんですよね」
「うん、その予定だね」
皆で飯を突きながらわいわいやっていると、ランドリドからふと訊ねられた。
この道場で暮らしているということは、俺からビデン村に手紙が届き、また両親が手紙を返したことをランドリドもほぼ確実に分かっているだろう。つまりは、俺が帰ってきた理由も知っているはずである。
要は、サーベルボアの討伐に参加するんですよね、という水面下の確認だ。これがただの一時帰省ではないことを、彼もよく分かっていた。
「規模はどうだい?」
「まだそこまで足を伸ばしていませんのでなんとも。ただ、例年より多い気配はあります。ちらほら近くまで下ってきているのを見かけるようになりました」
「ふむ……」
ランドリドは俺の指導の下で六年間、剣を学んでいた。そして、すべての技術を吸収して卒業した。
つまり彼も門下生時代、サーベルボアの討伐に参加したことがある。それも一度や二度ではない。俺はまだこの村に着いたばかりだからさっぱり分からんが、ランドリドの経験から言わせると例年よりも群れの規模は大きめらしい。
まあそれでも、オーシャンランク目前だったプラチナムの冒険者には少しばかり退屈な仕事かもしれないが、これもビデン村でやっていくには必要な通り道だ。今回は大いに頼らせてもらうとしよう。
「ところでお前、得物変えたのか?」
「ああ、これ?」
そんな俺とランドリドのやり取りを聞いていたおやじ殿から質問が飛んでくる。
そう言えば、この剣のことは説明していなかったな。特に手紙に書くような内容でもなかったし。
無論、今回の主目的の一つが戦闘であるが故に帯剣もしている。ヘンブリッツ君もロングソードを持ってきているし、クルニだってツヴァイヘンダーがある。
非武装なのはミュイくらいだ。彼女も剣魔法科で戦う術を学んではいるが、その期間と練度はまだあまりに短く、低い。とてもサーベルボアの討伐に連れて行ける段階には達していない。なので今回はお袋やファナリー夫人とともに、お留守番しながらゆっくりと羽を伸ばしてもらう予定である。
「前のやつは折れちゃってね。新しく打ってもらった」
「ほう。……ただの鋼じゃねえな」
「まあね。俺には勿体ないくらいの業物だよ」
掻い摘んで事情を説明する中、おやじ殿が目聡くただの剣ではないことを見抜いていた。
より正確に言えば、特別討伐指定個体ゼノ・グレイブルの素材で出来た剣なんだけど、それを俺が喧伝するのは何か違う気がするんだよなあ。実際に倒したのはスレナであるわけだし。
「先生の新しい剣は凄いんすよ! あの特別討伐指定個体、ゼノ・グレイブルの素材で打ったやつっすから!」
「あっ」
あまり騒ぎにしたくないから黙っていたのに、クルニが速攻で全部ぶっちゃけてしまった。
「そりゃ凄えな。お前が倒したのか」
「いや、直接倒したのはスレナだね。覚えてる?」
「当たり前だろうが。しかし、あの子か……あの子も元気にしてんのか」
「うん、めちゃくちゃ元気だよ」
「そりゃよかった」
何かを思い出すかのように、おやじ殿の目がふっと細められた。
スレナは道場の教え子というわけではなく、身寄りがない子が養子先を見つけるまでうちで約三年間預かっていた形だ。なので、俺やおやじ殿からしても弟子という認識がほとんどない。俺からすれば今のミュイみたいな娘というか、年の離れた妹というか、そんな感じ。
「スレナちゃん! 懐かしいわねえ」
そして両親から見れば、孫のような存在だったのだろう。お袋も喜色を湛えて声をあげ、スレナが居た頃を懐かしんでいる様子だった。
そう言えば俺は一人息子だからなあ。兄弟姉妹がまったく欲しくなかったと言えばちょっと嘘になる。両親もそれ以上の子宝に恵まれなかったのか、俺が生まれて意図的にやめたのかは知らないけれど。第一そんなもん面と向かって聞くべきじゃない。
「"竜双剣"のスレナ・リサンデラですか。まさか彼女もこの村の出身だったとは……」
「いや、うーん……出身、というには少し語弊があるかな。何と言えばいいのか……」
どうやらランドリドは、スレナがこの村で世話になったことがあることを知らなかったらしい。まあ本人としても言いふらすものでもないだろうからね。
しかし、その説明には少し難儀してしまうな。これは彼女の個人情報にもなるだろうし、俺からすべてを伝えてしまうのもなんだか憚られる。何より輝かしい実績と地位を誇るスレナに対し、余計なケチは付けたくないのだ。
俺の知っているスレナは大人しくて、どちらかと言えばオドオドした感じの性格なんだけど、今の彼女はそんな過去はとても想像が出来ないくらいに立派な人物になっている。そんな風評がまかり間違って通ってしまわないようにしたい。
「スレナって……あの赤髪の人?」
「そうそう。以前飯屋で会った人だよ」
「うぇ……アタシ、あの人ちょっと苦手だ……」
「ははは」
ミュイはスレナから謎の圧をめちゃくちゃ向けられた人間だからな。さぞ怖かったことだろうし、苦手意識を持ってしまうのも仕方がない。あれは完全にスレナが悪い。
「そう言えばベリル殿、今後の予定はある程度立っているのでしょうか」
「ん、そうだね……」
腹も膨れてある程度落ち着いたところで、ヘンブリッツ君から今後の計画について尋ねられた。
彼やクルニは、サーベルボアの討伐のために無理やり引っ付いてきたようなもんである。逆に言えば、その予定が立っていないと居心地が悪かろうというのも簡単に予測が付いた。
「おやじ、まだ山には入ってないんだよな?」
「ああ。麓の観察はしちゃいるが、人手が足らんかったからな」
山に入っていないということは、調査についてはまだほとんど手が付けられていない、ということか。
ここで言う山とは、レベリス王国の北西を走っているアフラタ山脈という山々のことである。
少し、地理を整理しておこう。
レベリス王国はガレア大陸の北部に広大な領地を持っている。で、国の中心からやや北西の位置に首都バルトレーンがある。そこからほぼ真っ直ぐ西に向かったところにあるのがビデン村で、更に西に行くとすぐそこがアフラタ山脈の一部だ。
この山脈、この地に生きる者にとっては結構な曲者で、ぶっちゃけ人の手がほとんど入っていない。ほぼ丸々野生の山そのものである。人が住むには少しばかり環境が過酷で、開拓もほとんど進んでいない。
もしかしたら何かしらの資源とかが眠っているのかもしれないが、予想される費用対効果があまりに悪すぎるため、碌に手を入れられていないというのが現状だ。
更に問題をややこしくしているのが、このアフラタ山脈。ガレア大陸の西から南西に下るように続いているのだが、長すぎてお隣のサリューア・ザルク帝国の領土まで伸びてしまっているということ。
正直言って、険しい山々の詳しい国境線なんて村に住んでいてもまったく分からない。一応、大体ここら辺からこっちだあっちだ、というのは決められてはいるらしいものの、そんなもん一歩山に踏み込んでしまえばサッパリ分からんのである。
これがまだ、流れの旅人や近隣の村民がたまたま踏み込んでしまった、くらいなら大した問題にはならない。そこら辺は大いに情状酌量の余地があるし、互いにある程度分かっている暗黙の了解みたいなものがある。
しかし、如何に調査という名目があるとはいえ、騎士団なり魔法師団なりの国家機関が国境付近に踏み込んでしまうと色々とヤバい。下手したら一気に戦争だ。そんな事態はやっぱりお互いに避けたいのである。
仮に帝国に対して、正式に通告した上で騎士団なりが調査に向かうとしよう。それでも向こうとしては国境間近で軍事演習をしているだとか、侵攻のための下見だとか、そういう見方が出来る。即座に戦争とまではいかなくとも、国家間の緊張は無駄に高まる。
戦争は一つの外交手段ではあるが、誰だって好き好んで血を流したりはしない。少なくとも俺の知っている常識だとそうなる。
だもんで、アフラタ山脈周辺はほとんど調査も開拓もされていないのだ。帝国の方がどうしているかまでは流石に分からないが、多分似たようなもんだと思う。
まあそれ以前に、山脈には狂暴な動物やらモンスターやらが多く居るから、仮に国境の問題がなくても厳しいんだけどさ。
サーベルボアも基本は山に棲み付いているやつだ。しかし繁殖期を迎えると数が増えるため、餌を求めて山を下りてくることが多い。
そしてビデン村のようなアフラタ山脈に近い集落は大体こいつの被害に遭う。うちはまだ剣術道場が村の中にあるから自衛出来ている方だ。他の村々はもうちょっと厳しいだろう。
元々モンスターでも動物でも、ある一種を絶滅まで追い込むのは今の人類の生存圏では不可能である。
なので、増えすぎて明らかに害となるやつを間引いていくしかない。今回のサーベルボアの討伐も言ってしまえば間引きだ。絶滅させるのは不可能だから、人間に害が及ばないところまで減らすだけ。
「んー……まずは明日明後日辺りで道場の練習を見ようか」
「練習を見る、ですか?」
「そう。討伐に参加出来そうな子を募る」
俺の答えに、ヘンブリッツ君が少し間の抜けた声で答えた。
いわゆる戦力の確認だな。今うちの道場に通っている門下生のうち、サーベルボアとの戦闘と山への侵入に耐えられそうな、かつ参加に前向きな子を探す。
前提として、戦えるからと言って無理やり連れ出すようなことはしない。本人の実力とやる気、この二つが揃って初めて最低限の戦力として換算出来るようになる。
道場に通う弟子たちは、全員が全員武を極めようとしている者ではないのだ。勿論、剣術道場に通うくらいだからその比率は高いと思うが、中には最低限の護身のためとか、我が子が運動苦手だから克服させたいとか、そういう理由の子も居る。
仮に物凄い才能を秘めていたとしても、元々戦うつもりがない子も居るんだよね。そんな子に実戦を経験させてもほぼ意味がないわけで、余計な危険が増すだけである。
だからその見極めをまず行うのである。
俺の見立てでは数人はいけそうだけどどうだろうな。俺がこの道場を離れてから何年も経っているわけじゃないので、最後の記憶を引っ張り出しても割と正確なはず。
まあ最悪、誰も居なかったとしても大きな問題はないだろう。なんせ俺とランドリドとヘンブリッツ君とクルニが居るんだから、戦力としては十分だ。村の防衛にはおやじ殿を当てればいいわけで、問題はなさそうに思える。
「懐かしいですね。私も志願した一人でしたから」
「ランドリドは当時結構ギラついてたからね」
「いやあ、お恥ずかしい限りで……」
食卓に残りわずかとなったチーズを食みながら、過去に思いを馳せる。
思い出を糧に残りの人生を生きるほど枯れてはいないつもりだが、それでも色んな弟子を迎え入れ、そして送り出していった日々はいつまでも色褪せないものだ。本当に剣を振れなくなったら、過去の記憶を味わいながらゆっくりと余生を過ごしてみたいものである。
「その練習というのは、我々も見せて頂けるのでしょうか」
「勿論。と言うか、是非副団長としての意見も伺いたいくらいだよ」
「ははは、それは責任重大ですな」
俺の道場では確かに戦う術を教えているものの、その辺の戦力換算というか嗅覚というか、そういうものは現役の第一線で活躍している騎士たちの方が鋭いはずである。なので、ヘンブリッツ君とクルニに関しては彼らの意見も大いに参考にさせてもらうつもりだ。
「よし、じゃあそんな感じで。今日は休んでおこうか」
明日は道場を見た後に早速偵察から始めるつもりだから、今日は旅の疲れをしっかり癒してもらわないとな。ミュイはお留守番でいいけど、騎士の二人にはちゃんと休んでもらわないと困る。
「俺はもう身体が満足に動かんからな、頼むぜベリル」
「はは、よく言うよ」
調子の良いことばっかり言いやがってこのおやじめ。
確かに全盛期に比べたら、その実力は大いに落ちているだろう。だが年老いてなお、彼は俺の知る限り最高の剣士である。そんじょそこらの剣士に負けるはずもなく。ましてやサーベルボアくらい、狩れないわけがない。
ただまあ、既に引退したおやじ殿を酷使する真似は俺も出来れば避けたい。そのためにわざわざ帰ってきたんだしね。
「さて、と。ベリルは自分の部屋をそのまま使え。一部屋は副団長さんに使ってもらうとして……あんまり大所帯でこいつが帰ってくることを想定してなかったんでな、クルニの嬢ちゃんとミュイは同じ部屋でいいか」
「私は大丈夫っすよ!」
「アタシも……まあ……」
「なんだ、ベリルと同じ部屋がいいか?」
「…………クルニと一緒でいい」
「はっはっは!」
あ、今ちょっとミュイが迷った。可愛いやつめ。