第145話 片田舎のおっさん、団欒の時を過ごす
「先生! お久しぶりです!」
「ああ、久しぶりだね」
おやじ殿が居間を離れてからしばらく後。
彼の後ろから今はこの道場で師範代を務めているランドリド、そして彼の奥さんと、彼女の手に抱かれた小さな赤子がやってきた。
奥さんは確かファナリーさん、だったかな。初めて会った時の第一印象としてはやや大人しいタイプ。しかしながらランドリドをよく立てようとしている、礼儀正しい良き奥様といった感じ。
お子さんは確か……ジェイン君。まだまだ首も座っていない赤子だが、これから立派に育ってくれることを願いたい。子供は何時だって大人たちの財産なのだ。
「ここで住み込みしてたんだね」
「はい、離れの一室をお借りしております。剣を教えながら村のお手伝いをさせて頂いている、といったところです」
「なるほど」
うちは言った通り結構広いから、部屋数もそれなりにある。そのうちの一室をランドリドの家族に貸し出している、ということか。
確かに彼は村に引っ越すとは言っていたが、どこに住むとかはまだ決まってなさそうだったもんな。新しい家を建てるにしたって金も時間もかかる。多分、その費用を貯めながら村人と交流を図りつつ、みたいな感じだろう。
「ランドリド……やはり、ランドリド・パトルロック!」
「ん? 知り合いかい?」
新たに登場した一家を見て、ヘンブリッツ君が声を上げる。その声色と表情には、はっきりと驚愕の感情が現れていた。
レベリオ騎士団と冒険者。一見すると、交わりようのない関係性にも思える。ただアリューシアとスレナは結構付き合いが長そうだったから、トップクラス同士は面識があったりするんだろうか。
「オーシャンランク目前とも評された凄腕の冒険者……曲がりなりにも武に生きる者として、知らない方が失礼でしょう」
「えっ、そうなんだ」
ランドリドがプラチナムランクの冒険者であることは知っていた。そして、ファナリー夫人がジェイン君を授かったことを機に、その冒険者を辞めたことも。
だが、オーシャンランク目前だったというのは今初めて聞いたぞ。
世間一般に冒険者のランクを評すのならば、ゴールドで一人前。プラチナムまで上がれば一流と言って差し支えない。更にその上のオーシャンランクとなれば、これはもう超一流と言っていい評価である。
改めて聞くと、やっぱり勿体ない気はするなあ。とはいえその問答は、ランドリドがビデン村に引っ越すことを決めた時に既に聞いているので、今更蒸し返すことはしないけれど。
「ははは。それは過分な評価というものですよ、ヘンブリッツさん」
「……ランドリドもヘンブリッツ君のことを知ってたんだね」
「ええ、王国にその名を轟かせるレベリオ騎士団。その副団長ともなれば、知らない方が失礼でしょう」
ヘンブリッツ君の評を軽く受け流し、お返しとばかりにその情報を言い連ねる。
ランドリド、なんだか随分と柔らかくなった印象を受けるな。うちで剣を学んでいた頃から好青年には違いなかったが、その目にはもっとこう何と言うか、ギラつきがあった。無論いい意味でだ。
単純な年月の経過が彼をそうさせたのか、ファナリー夫人との出会いか、ジェイン君の誕生か、それともビデン村という都会の喧騒から離れた場所で腰を据える決心をしたからか。
何にせよこれもまた、良い変化だろうなと思う。家庭を持ち、武の最前線から身を引くことによって身に着くものもあるだろう。俺自身、ミュイを引き取ってから色々と物の見方も変わってきたので、その体感もあるが。
「揃ったところで、ご飯にしましょうか」
ぱん、と手を叩き、お袋が一旦場をまとめた。
最低限の挨拶は済んだし、ランドリドやその家族とはご飯を突きながらゆっくりと交流を深めることにしよう。ヘンブリッツやクルニ、それにミュイも明日明後日でとんぼ返りするわけでもないからね。
「フレンさん、私が」
「いえいえ、いいのよファナリーさん。貴女はジェイン君が居るでしょう」
人数分の皿にスープをよそっていくお袋にファナリー夫人が手伝いを申し出るが、お袋は笑顔のままそれをやんわりと断った。
まあ確かに、ファナリーさんとしては少し気持ちが落ち着かないのだろうと思う。彼女からすれば、夫が世話になっている雇い主の家に居候させてもらっている立場だ。
おやじ殿もお袋も、そういう状況だからと言ってファナリーさんをこき使うような真似はしないと断言出来る。そもそもそんな環境で育ったなら、俺はもうちょっと荒くれていただろうし。
だから先ほど彼女の申し出を断ったのも、混じりっ気なしの善意からだ。実際に生まれたばかりの赤子であるジェイン君からは手が離せないだろうしね。
「ファナリーさん、遠慮せんでええと前から言っとるだろう」
「モルデアさん……しかし……」
おやじ殿が援護射撃を飛ばすが、ファナリーさんは中々腹の落としどころが決まらない様子。
現在進行形でお世話になってる人からそれを言われても素直に納得は出来んわな。このやり取りを見ても、ファナリー夫人が良き人であることは分かる。二人ともそれを分かっているから余計な心労はかけたくないのだろう。
「アンタにはジェイン君をしっかり育てる義務がある。その子の手がかからなくなったら、まとめて借りを返してくれればいい」
その言葉に、俺は上手いなと思った。
ファナリー夫人の性格からして、善意だけで押し通すのは少しばかりの蟠りを残してしまう可能性がある。その点、借りという表現を使えば相手の心理的負担は少なくなる。それに、ちゃんと手が離れてから返してくれと言っているのもポイントが高い。
はて、俺のおやじ殿は果たしてこんな気遣いが出来る男だっただろうか。もしかしたらお袋からの注文もあったかもしれない。それとも俺が知らないだけで、身内かつ剣の教え子でもある俺に対しては、そういうものを出さなかっただけなのかも。
思えば家族として長い時間を過ごしてきたはずなのに、完全な外向けのおやじ殿というのはいまいち分からないままだ。道場の門下生に対してはいつものおやじ殿って感じだしなあ。
「……はい。それでは今は甘えさせて頂きます」
「うむ、そうしなさい」
そうしてやり取りは一段落を迎え、ほぼ同じタイミングで席に座った俺たちの前に今日の食事が並んだ。
パンとチーズ、肉と野菜がふんだんに入ったスープ。田舎村であることを考えれば、これでも十二分に充実したメニューである。
バルトレーンでは金さえ払えばなんぼでも飯が食べられるが、片田舎となるとそうはいかない。流通している物資の桁が違うからだ。金があっても、買い付ける食料が足りていなければ意味がない。
その観点から言えば、都会での生活は良くも悪くもはっきりしているなと思う。金さえあれば大体の物が手に入るし、逆に金がなければ碌に身動きが取れなくなる。
幸いながら今のところ金には困っていないので、バルトレーンでの生活もそこそこ上手くいっている。
しかしながら、あの生活に慣れ切ってしまうのも少し憚られるなあと思うのだ。別に贅沢してやろうとか、清貧こそが正しいだとか言うつもりはないけれど、首都での生活環境を標準だと思ってしまうようなことは避けたい。いずれこの村には戻ってくるつもりだからね。
「いただきます」
まあそんなことは置いといて、今は飯だ。皆の食前の挨拶が揃う。ジェイン君はまだ喋れないが、全員の声が揃ったのが面白かったのか「だぁー」と声を上げていた。かわいい。
思えば、大人数で食卓を囲むというのはあまり体験したことがない。今の状況で言うと、俺、両親、ヘンブリッツ君、クルニ、ミュイ、ランドリドとその家族。ジェイン君は赤子なので頭数から除くとしても、それでも八人というのは結構多い。
「おっ! このスープ美味いっす!」
「あらあら、ありがとうねえ」
「落ち着く味わいですな。いくらでもするりと食べられそうです」
「……美味しい、です」
「あらあら! ミュイちゃんも遠慮せずに食べるのよ!」
「アッ、ハイ」
そして人数が増えれば当然、それに比例して騒がしくもなる。
普段はミュイと二人で飯を突っついているから、多少会話はあれど賑やかとは言い難かった。俺は話そうと思えばある程度話せる方だけど、ミュイ自身が沢山喋るタイプじゃないしな。自然と静かな食事風景になる。
「ミュイ、大丈夫?」
「ん……別に。学院にはもっとうるさい奴居るし」
「あー……」
なので、こういう賑やかな場での食事というのはミュイにとっては中々新鮮、かつ慣れないことだろうと思って声を掛けたのだが、どうやらそうでもない様子。
そう言えば魔術師学院には食堂があるんだっけ。もっとうるさい奴と評される彼女の学友は、俺の知る限りだと一人だけ当てはまる人物が居る。多分と言うか、ほぼ確実にシンディである。
「ミュイは魔術師学院に通っとるんだったか?」
「そうそう、魔法の才能があるんだ」
「そりゃいい、将来安泰だな」
俺みたいな田舎暮らしが長い人間でも、魔術師になるのがこの国で最上位に位置する出世コースであることを知っている。それくらいには、魔法の才能が顕現する確率は低いのだ。
「ほう、魔術師の卵というわけですか。それは将来が楽しみですね」
「ああ、それにミュイは剣も学び始めたんだよ」
「剣術を!? それはまた珍しいといいますか……」
「学院に剣魔法科ってのが新しく出来たみたいでさ。実はそこの臨時講師も今務めさせてもらってて」
「となると、ミュイはお前の教え子でもあるわけか。はっは! まるで俺とベリルみてえだな」
「才能はあると思うよ。俺なんかはすぐ超えちゃいそうだ」
「ちょ……やめろって……!」
「皆さん、これは照れている時の反応です」
「おい……!」
ふははは。ミュイのことになると俺はなんぼでも喋れるからね。




