第144話 片田舎のおっさん、居間で寛ぐ
「おうフレン。ベリルが帰ってきたぞ」
家の廊下をずんずんと進んだ先にある居間。うちの家はそこそこデカいが、その中でも一番広いのがこの居間だ。人数が多少増えても集まるどころか、集まった皆で寛ぐのもまったく問題ない広さである。
子供の頃は何でこんなにだだっ広いんだとか思っていたが、来客や歓待の可能性を考えると妥当な広さであると今なら分かる。
そしてそこには皆が余裕をもって囲めそうなサイズの長机があり、その更に奥で忙しなく動いている一人の女性。
「おかえりベリル。あらあら、皆々様もお揃いで」
「うん、ただいまお袋」
大きな鍋を抱えて振り返った女性はフレン・ガーデナント。お袋である。
白と茶が半分くらいの割合になった髪。ほどほどに伸ばしたそれを、後ろ手に結っていた。
おやじ殿もお袋もそうだが、俺が生まれた頃は白髪なんて生えてなかった。俺がそれなりに大きくなって、田舎の剣士見習いくらいになった頃から両親の髪に白が混じり始めたのをぼんやりと覚えている。
おやじ殿は結構凄い早さで髪が白くなっていった記憶がある。今なんて髪も髭もほぼ真っ白だ。それはそれで老練って感じがして悪くないと思う。俺なんて前髪の一部だけ綺麗に真っ白になっちゃったから、なんだか格好が付かんなあ、なんて思っているのに。
その点、お袋の変化は割とゆっくりだった。少しずつ少しずつ白髪が増え始め、同じような速度で皴も増えていった。
今ではすっかりおばあちゃん、みたいな感じになってしまったが、ある意味であのおやじ殿より強い肝っ玉は流石の一言だ。
俺もまるで勝てる気がしない。こればっかりはどれだけ年を重ねてどれだけ剣の腕が上達しようとも、覆せない何かがあるんだよな。
「ごめんなさいね、大したおもてなしも出来なくて」
「いえ! 御母堂におかれましてはどうかお気になさらず。押しかけたのはこちらです故」
俺たちの到着を見てお袋が楽しそうに、しかしやや申し訳なさそうに零す。その言葉に対して真っ先に否やを告げたのはヘンブリッツ君であった。
俺にとってここは実家だし、ミュイはそういう対応をするには少し幼い。なにより書類上とはいえ俺の娘になるわけで、そういう気遣いを表立って見せる場面でもない。
それに本来なら俺とミュイだけで帰ってくるところを、ヘンブリッツ君とクルニは言ってしまえば無理やり引っ付いてきた形になる。
残る面子を考えたら、まあヘンブリッツ君が返事をするべきなのだろう。それにしたって少しばかり、固くなりすぎている気がしないでもないが。
面と向かって御母堂なんて初めて聞いたぞ。いや確かに第三者の母親に対しての敬称であることは間違いないのだが、さらっとそんな単語が出てくるあたり彼も大概である。
「随分とお若いのに、しっかりされてるのねえ」
「恐縮です。レベリオ騎士団副団長を務めております、ヘンブリッツ・ドラウトと申します」
「あら、お偉いさんじゃない! ご丁寧にどうも。フレン・ガーデナントです」
続くヘンブリッツ君の挨拶に、お袋が目を丸くしていた。
やっぱり改めて思うけど、レベリオ騎士団の副団長って相当な大物だよ。どう考えてもこんな田舎村に、私用を多分に含んで訪れるような人じゃないでしょ。
普段から修練場でほぼ毎日顔を合わせるからついつい忘れがちになるけど、本来は俺が関われるような立場の人ではないのである。
「クルニ・クルーシエルです! よろしくお願いしますっす!」
「あらー、こっちは元気な子ねえ」
ヘンブリッツ君に続いてクルニが挨拶を交わす。
お袋は道場での稽古に顔を出すことこそほとんどなかったが、それはそれとして道場には今まで数多くの門弟が居た。その点から見ても、人と接することについてはかなり慣れている。送り迎えに来ていた保護者の方とのちょっとした会話だってお手の物だ。
僅かではある。僅かではあるが馬鹿に出来ない影響があるのが日常のコミュニケーションの積み重ねだ。
おやじ殿はどちらかと言えばそういうのをあまり気にしなかったから、俺が弟子やその親御さんたちと極力付き合っていこうと思ったのはお袋の影響が大きかったのかもしれない。
多分その結果として、おやじ殿の頃よりも門下生が増えたのだろうと思う。おやじ殿の剣の腕は今更語るまでもないが、間違っても彼は懇切丁寧に教えるタイプではなかった。剣士と言うより、職人に近い。
一つの技術体系を未来に紡いでいく時。それは時として正しくもあり、また時として間違ってもいる。
これは方法論と考え方の違いであって、その場で求められる結果によって最適な方法は異なってくるだろう。偶然にも、俺とおやじ殿では考え方が少し違った。それだけである。
「……ミュイ、です」
「あら、あらあらあら! この子がミュイちゃんなのねえ!」
あまりこの場で考えることでもないかな、なんて思っていると、最後にミュイが挨拶をしたところでお袋のテンションがぶち上がった。
こちらからの手紙でミュイについての最低限は知っているはずだから、それでついつい吹き上がってしまったのだろう。
普段のミュイならすかさず、ちゃん付けはやめろなんて言ってもおかしくない場面。しかしお袋の勢いに押されたか、それとも他に何か思う面でもあったのか。彼女からの反論は終ぞ口を切ることはなかった。
「さあさ、皆掛けて。お腹空いてるでしょ」
「まあ、腹は減ってるね」
そのまま普段の様子からは少し高い声量で、お袋が皆に着席を促す。
言われた通り腹は減ってるし、何より食事の場というのは誰かと打ち解ける際にはほぼ最適解である。誰だって難しい表情で顔を突き合わせて話すより、ともに食卓を囲みながら楽しく話す方が良いに決まってるからな。
「うーん、けど足りるかしらねえ」
「足りなきゃまた作ればいいだろ」
「あらぁ、それじゃおかわりはアンタに作ってもらおうかねえ」
「……」
お袋が呟き、おやじ殿がそれに返し、またお袋が返し、そしておやじ殿が黙った。
俺の記憶通りの光景である。この二人の口論というか言い合いというか、そういうものでおやじ殿が勝ったところを俺は見た記憶がない。
飯を作るのは、その実かなりの重労働である。
まず献立を考えるのが面倒臭いし、それをどれくらい作るのか量を計るのも面倒臭い。そして言わずもがな調理も面倒臭く、時間もかかる。我が家の台所事情はほとんどすべてお袋の管理下なので、こと家事に関しての発言力は物凄く大きい。
まあそれも気の持ちようである程度なんとかなる、というのは外ならぬ俺自身が証明しちゃってるわけだが。だってミュイのためにご飯作るの全然苦じゃないもんね。
とは言え、さっきのおやじ殿の発言はともすれば、待ってたら勝手に飯が出てくると考えていると取られても仕方ない言葉ではある。お袋の返しが冷たいものになるのも已む無しだろう。
「でもなんか……多くない?」
しかし、鍋にかけられている飯の量がなんだか多い気はする。鍋の中身は、ゴロゴロとした大粒の肉や野菜がこれでもかと入れられたスープであった。おやじ殿とお袋の二人で消費するには明らかに多い。
そもそも、こっちが手紙を出したのは随分と前の話だ。返事が戻ってきたのは最近のことだが、それだって一体いつ頃にビデン村から出てきたのかが分からない。
つまり、俺がいつビデン村に帰ってくるかは分からないはずである。手紙を出した段階では、本当に俺が帰ってくるのかどうかすら不明だったはずだ。手紙にだって、出来れば帰ってこいというニュアンスで書かれていた。
なので、俺が帰ってくることを見越して料理を多めに作っていた、というのはちょっと筋が通らないのである。
「多いってお前、ランドリドが居るだろうが」
「あ、そっか」
おやじ殿の反応に思わず膝を叩く。
完全に忘れていた。ランドリド、マジでごめん。
「さて、と。そんじゃあ呼んでくるかね」
ランドリドの存在を告げたおやじ殿が、のっそりと居間を離れていく。
流石にこの場面でお袋にランドリドを呼んで来いと言い放つには、些か旗色が悪かったのだろう。その背中は普段よりもほんのちょっぴりだけ、小さく見えた。
この家ではお母さんが一番つよい




