第139話 片田舎のおっさん、頼みを聞く
「そ、それはまた突然だね。どうしてだい?」
言うと同時に頭を下げたヘンブリッツ君。その内容と姿に俺は全く理解を示すことが出来なかった。かろうじて出来たのは、何故そう思ったのか理由を問うくらい。
いや本当にどうしてなんだ。
百歩譲って、サーベルボアの群れという相手に騎士団が危機感を示し、騎士の帯同を申し出る、というのならぎりぎり分からんでもない。村ではほぼ毎年起こることで俺は慣れているし、十分勝てる見込みのある相手ではあるが、それでも油断していい敵じゃないからだ。
だがそれを加味したとしても、レベリオ騎士団の副団長自らが動く案件ではない。何より、そんな要職に就いている人間がそれなりの期間、騎士団庁舎を空けるというのもあまりよろしくない気がする。
「……昨日、団長と話をしまして」
「うん」
綺麗に腰を折った状態を元に戻し、視線を合わせて彼は続ける。
「サーベルボア単体ならいざ知らず、群れを撃退する程の戦力が田舎の……失礼、ビデン村に本当にあるのかと」
「ふむ」
ヘンブリッツ君はビデン村を田舎の村と称したかったのだろう。それは否定しない。あそこはどこからどう見てもただの片田舎である。
冷静に考えれば疑問を抱かれるのも仕方がない話ではあるのだが、実際にそうだからこれもまた仕方がない。俺も剣を習い始めて身体つきも大人とそう変わらなくなった頃には、討伐に参加し始めていた。
「そこまで疑うなら、実際に見てきたら良いと言われまして。無論、ベリル殿の了承が前提とはなりますが」
「うん?」
と言うことは、彼の頼みはアリューシアを経由しているということか。
いやしかし、それはどうなんだ。信じられないのなら実際に見て来い、という指示はある意味で正しくもある。百聞は一見に如かずというのはよく言われることだ。
だがそれでも、レベリオ騎士団の副団長を軽々に動かしていい理由には成り得ない気がする。俺の見積もりだと、少なくとも二週間。長引けば三週間から一か月はあり得る期間だ。その間騎士団の運営はどうするんだろうか。
「それ、騎士団的には大丈夫なの?」
「団長は、私の見識が広がるのであれば行って来いと」
「そっかあ……」
アリューシアが許可を出すということは、その間の騎士団運営に関しても問題がないと判断しているということだ。
彼女は非常に優秀だし何なら天才でもあるわけだが、超人ではない。溜まった執務を一瞬でこなすことは彼女はおろか、誰にだって不可能だ。そしてその判断が付かない人間でもない。
つまり理屈で言えば、ヘンブリッツ君を連れて行くことに問題はなくなる。これでアリューシアがただやせ我慢をしているだとか、無理やり業務を詰め込んでいるだとか、そういう事態なら俺は彼の提案を断るべきだろう。
しかし彼女の力を間近で見てきたヘンブリッツ君が、その判断を誤るとも思えなかった。
「……まあ、アリューシアが許可を出しているのなら断る理由はないかな」
「ありがとうございます! 足手まといにはなりませんので」
「いやいや、そこは心配してないよ」
それに、この申し出自体はビデン村という視点から見れば非常にありがたい。
なんせレベリオ騎士団の副団長が戦力に加わるのである。百人力どころではない。凡夫百人よりも、ヘンブリッツ君個人の方が遥かに強いことは疑いようもない事実だ。
問題は実家への説明をどうするかだが、それは指南役のお目付け役だとか、俺贔屓で考えれば特別指南役を受けた人物を輩出した地元への挨拶だとか、理由はいくらでもでっち上げられる。ヘンブリッツ君なら、その辺りの口裏も簡単に合わせられるだろう。
「それと、俺だけじゃなくてミュイも同行するからそこもよろしくね」
「ああ、例のアクセサリーを持っていた女子ですな」
「そうそう」
ミュイはヘンブリッツ君と直接の面識がない。
俺がルーシーから家を譲ってもらったことや、ミュイの後見人になったこと、その彼女と一緒に暮らしていることなど、とりあえず最低限のことを伝えてはいる。
しかし、ミュイが騎士団庁舎に足を運んだのは結局あの一回だけだ。そしてそこで面識を得た騎士はアリューシアだけである。まあそのアリューシアも、ミュイにはあまり快く思われてはいない様子だが。
これがちょっと前であれば、ミュイの心情を加味して同行をお断りしているところ。だが今は彼女の精神も大分安定してきているし、棘も抜けてきている。
であれば、成り行きになってしまったとは言え、ヘンブリッツ君のような地位とそれに相応しい人格を持っている者とかかわりを持っておくのも悪くないだろう。
「ところで、俺が言うまでもないだろうけど……仕事は大丈夫だよね?」
「そこは抜かりありません。団長と調整済みです」
「ならよかった」
やはりと言うか何と言うか、その辺りはちゃんと調整した後らしい。これで俺が心配することが一つ減ったな。そもそもそこに問題があれば、アリューシアが許可を出すとも思えないし。
「出立はいつ頃の予定でしょうか」
「んー、来週には発ちたいかな。言うほど準備するものもないから、アリューシアの書類待ちだね」
こちらとしては、行こうと思えば明日にでも出発出来る。後はビデン村への馬車を手配出来るかというところだが、これも急にと言うことでなければ問題はないはず。アリューシアに連れ出された時も帰りの馬車は用意されていたから、そんなに難しいことではないだろう。
「騎士が所用で離れるというのは時折あることですので、書類の方もそこまで時間はかからないでしょうな」
「なるほどね」
ヘンブリッツ君曰く、騎士の個人的な事情でどうしても庁舎を離れなければいけないことというのはたまに起きるらしい。ご家族に不幸があった時とかその逆とか、まあいわゆる冠婚葬祭の場面が多いようだ。
その点で言うと、俺はどの状況にも当てはまらないからなあ。もしかしたら書類の内容に少し時間がかかっているのかもしれない。
とは言え、俺は今や一応国家の雇われ人であるため、書類なしで勝手に動いてしまうのは色々と拙い。
なのでここはやっぱり書類の出来上がりを待つしかないのである。ただ彼も言うように、そう時間のかかることでもないらしいのでそう待たされることはないと思いたい。
「では私も書類の申請と作成に行ってまいります」
「あ、そうか。そうなるよね」
俺が離れる時に書類が必要ということは、当然ヘンブリッツ君が離れる時も書類が必要ということだ。
そして彼は副団長という立場なので、書類の作成もする方になる。彼としても遅れることは本意ではないだろうから、書類の完成が少しでも早まることを祈っておこう。
「さて、それじゃ俺は鍛錬に戻るとするか」
最後にぺこりと頭を下げていったヘンブリッツ君と別れ、再び修練場の中へ。
今回の話は恐らく、他の騎士の耳に入ることを少し嫌っていたのかな、とも思う。
何度でも言うが、レベリオ騎士団の副団長ともなればそれはもう大物中の大物である。そんな個人が、許可を得てとは言えども個人の感情を重視して片田舎に向かうとなれば、どんな反応が返ってくるか分からない。
副団長不在の報はあって然るべきだが、その内容までを詳細に語る必要はない。
だが、張本人である俺に話を通さず勝手に付いていくのはあまりにも義理を欠く。
つまりは、そういうことだろうなと納得もするのだ。
「あ、先生! おかえりなさいっす!」
「ああ、抜けちゃってごめんね」
修練場へ戻ると、元気いっぱいのクルニに迎えられる。表情こそ明るいが、彼女は既に大粒の汗をいくつも流していた。
「エヴァンス君と模擬戦やってたのかな」
「はいっす! 三勝一敗! 今回も私の勝ちっすね!」
一層爽やかな笑顔が花を咲かせる。
クルニは最近、本当に実力の伸びが著しい騎士の一人だ。元々パワーはあったし基本の動きも出来ていたが、武器をショートソードからツヴァイヘンダーに変えてからはその特性が見事に合致したのか、恐ろしい成長曲線を描いている。
間違いなく、今が成長期。
逆に言えばここを捉え損ねると、彼女の今後が大きく変わってくる。指導者の端くれとして、このタイミングは逃せないなと改めて感じるのだ。
「あれ、副団長はどこか行ったんすか?」
「うん、なんか用事があるとかで」
クルニがヘンブリッツ君の不在を気に掛けるが、俺がここで正直に吐露しては彼がわざわざ俺を呼び出して話をした意味がなくなる。
なので、それとなく濁す答えになってしまった。まあ嘘は吐いていないので大丈夫だろう。
そう言えば、俺がしばらく離れることになるのはアリューシアとヘンブリッツ君に伝わってはいるが、これは俺の口から出来る限り皆に伝えた方がいいのだろうかとふと悩む。
俺は特別指南役として、何も毎日出勤が義務付けられているわけではない。だが、他にやることが無いのもあって結果としてほぼ毎日顔を出しているから、報告もなくいきなり来なくなるのは余計な心配を生み出さないだろうか。
「先生、なんか考え事っすか?」
「んー……いや、大丈夫。なんでもないよ」
少しの間悩んではみるものの、結論としてはまあいいかで落ち着いた。
俺がその心配をするくらいだから、当然アリューシアもヘンブリッツも気付いているはず。だとすれば、彼らの差配に従うのが一番いいのだろう。つまりは、俺から余計なことを言う必要はないわけだ。
「よし、じゃあ今日も頑張るとしよう」
「はいっす!」
一旦思考を脇に捨て置き、今日の鍛錬に集中する。
ここにはクルニをはじめとして、素晴らしい素質を持った有能で有望な騎士が沢山居る。彼らに真摯に向き合ってこその指南役であろう。逆に、こんな素晴らしい環境で教え子たちが伸び悩むのであれば、それは指導者の沽券にかかわる。
ビデン村のことは気になると言えば気になるが、今ここで気にしても事態は何も変わらない。それに、おやじ殿が居ればそう滅多なことは起こらないだろう。
なので、今日という一日をしっかりと務め上げるのだ。
ちなみに書類、特に申請書なんかの類は普通なら下が作り上が認める方が正しいです。
でも今回はおっさんとアリューシアなのでこうなりました。