第137話 片田舎のおっさん、了承を得る
「――よし、今日はこのくらいにしておこうか」
「はい。お疲れ様でした」
早朝から少しばかり時間の針を進めた時分。もうすっかり太陽はその顔を覗かせ、灼熱の波を容赦なく地上へ浴びせかけていた。
お昼ちょっと前、くらいな感じだけど、今日はここら辺で切り上げておこう。鍛錬中もこまめに休憩を取ったり水分の補給はさせていたが、やはり騎士たちの疲労の色がやや濃い。
この暑さは如何に屈強たるレベリオの騎士でも、そう長く耐えられるものではない。あのアリューシアやヘンブリッツでさえも大粒の汗を絶え間なく流し続けている。
そして何より俺がヤバい。俺は指導する側だから、騎士たちと比べたらずっと動いているわけでもないんだが、それでも疲労感と不快感が時を追うごとに増してきているのが分かる。
勿論、まだやれるかと問われればやれないことはない。それは騎士たちだって同様だろう。
だが、今ここで本当のギリギリまで追い込む必要まではない。かなりキツいともう無理の狭間を反復横跳びするのは、たまに来る実戦の時だけで十分だ。
それに、普段からギリギリまで追い込んでしまうと、不測の事態に対処出来なくなる。訓練は大事だが、その訓練は何のために行うかと言うと本番に備えるためである。いざ本番が回ってきた時に疲労で動けませんでしたでは、お話にもならない。
まあその本番が回ってこないことが一番の平和ではあるんだけども。
「じゃあ俺は戻るよ。皆も水分補給と休息をしっかりね」
「ええ、徹底させておきます」
訓練中に倒れるような者は居なかったが、だからといって安心は出来ない。訓練が終わった後に倒れる可能性も十分にあるからだ。
なので、ややしつこいかもしれないが、水分補給と十分な休息を厳命しておく。こういう指導は倒れてしまってからでは遅いから、元気なうちにしつこいくらい言いまくっておくのである。
「団長、少し――」
「はい、なんでしょう」
修練場からの去り際、ヘンブリッツ君がアリューシアへ声を掛けている様子が耳に入る。
まあ多分、騎士団の運営とかそういう感じのあれだろう。多分俺にはまったく関係ない話なので、聞き流して修練場から離れる。関係があるなら俺にも声を掛けているはずだし。
「ふー……。涼しいけど暑いな……」
修練場から一歩外に出ると、屋内では感じられなかった風がそよぎ、身体の熱を良い感じに解してくれる。けれど、やっぱり陽射しは暑い。
適度に汗を流すのは健康な肉体を維持していく中で必要だ。しかしそれでも限度はある。俺も結構汗かいちゃったし、エールの一杯でもひっかけておきたい気持ちが湧き出てくるな。
ひと汗かいた後のお酒ってなんであんなに美味いんだろうね。神秘である。
これが独り暮らしであれば、迷わず近場の居酒屋に足を運んでいたところ。
しかし今の俺にはミュイが居る。勿論、真昼間から泥酔するくらい飲むつもりはまったくないけれど、それでも地元のビデン村に帰るためについてこないかという、彼女からしたらそれなりに大きいお誘いをする以上、やはり素面でなくてはならないと思う。
「……断られたらどうしよう……」
自宅への道すがら、ついついそんなことを考える。考えてしまった。
俺としては、無理やり連れて行きたくはない。それは大前提だ。彼女にはビデン村に行く理由も、俺の両親に顔を合わせる理由もない。義理、はもしかしたらあるのかもしれないが、それをこっちが言うのは違う気もする。
なので、互いに了承を得て憂いなく出発したい。
出会った当初に比べれば大分角が取れてきたミュイだが、それでも一般的な少年少女と比すると気性は荒い方だ。流石に暴れるとまでは思わないけれど、辺鄙な村に長期間足を運ぶなんて嫌だと言う可能性は十分にある。
というか、その可能性の方が高いんじゃないか?
スリをしていた時と違い、ミュイには既に魔術師学院という居場所がある。
俺が家を空けていても、十分なお金さえ渡しておけば何とか生活はするだろうし、折角の夏期休暇、学院の友人と遊びたいなんて言われたら俺も強くは言えない。
何なら俺が居ない間、ルーシーのところに再度預けるという手段もある。ルーシーも断りはしないだろうし、ミュイだって嫌な顔はしないだろう。
出会った当時とはまた違う、魔術師学院の生徒と学院長という立ち位置から改めてルーシーと触れておくことも、彼女の成長に繋がる公算は高い。
「……いかん、本当に断られる気がしてきた……」
考えれば考えるほど、ミュイがわざわざ俺の里帰りについてくる理由がなくなってきたぞ。
しかもその目的は、地元に現れる獣退治と来た。はっきり言って彼女には関係がない。そっちでどうぞやっててください、私はここに残ります、と言われる未来が確定ではないものの結構はっきりと見える。
「でも、言わないわけにはいかないしなあ……」
これが一日二日で済む話なら、ちょっと出てくる、でほぼ丸く収まる。
だがそうではない。流石に行先も目的も告げずに数週間家を空けるのは非常識すぎる。
強引に連れ出すのは論外。黙って出るのも論外。
となればやっぱり、事情を話して付いてきてもらうかの判断を委ねるのが一番いいように思う。
「うーん」
最終的にミュイの返答次第なので、どれだけ俺が悩んでも答えは出てこないし出てくる答えも変わらない。
けれども、一度考え始めてるとどうにも考え込んでしまう。子育てに悩む世の親たちも果たしてこんな気持ちを持つんだろうか、なんてことも過る。
「……」
で、そうやって考え込みながら歩いていたら、いつの間にか我が家の前にまで来てしまった。
道中、夏らしい活気とともに街も賑わっていたはずなんだけど、ほとんど覚えていない。酒屋に寄るわけにもいかないし、帰りに飲み物でも買って帰るか、なんて案は物の見事に吹き飛んでしまっていた。
「……ただいまー……」
未だに断られたらどうしようという気持ちを拭うことが出来ず、なんだか帰宅の挨拶も覇気のないものになってしまった。いや普段覇気があるのかどうかは置いといて。
「おかえ……どしたの」
「あ、いや、別に……?」
そんな気持ちは、奥から顔を覗かせたミュイに容易く見破られてしまう。
くそぅ、そう言えば彼女は人の気持ちや心情を量るのが結構得意だった。それは生来の性格というより、スリに身を置いていたから身に付いたものではあるが。
「ふぅん……」
普段よりも幾分か粘度の増した視線が俺を射貫く。
どうかしたかと問われれば特にどうにもしてないんだけれど、なんだかこの心情の説明は非常に難しい。
なので、彼女の訝し気な視線を受け流しつつの帰宅となった。ちょっと気まずい。
「……お昼。食べる?」
「ん? ああ、うん。食べるよ」
その空気をミュイも若干嫌ったか、努めて話題を変えてくれたようにも思えた。
他人の心情が読めるということと、他人の心情に気を遣うと言うのは全く別だ。彼女の視点で言えば、前者は出来ていたが後者は全く出来ていなかった。というか、しようとしなかった。
それが今や、不器用ながら俺への気遣いを見せるようにまでなった。これが嬉しくなくてなんであろうか。さっきまでのやや陰鬱な気持ちも吹っ飛ぶというものである。
それに、実際腹は減っている。ぺこぺこと言っていい。そりゃ朝から鍛錬してればそうもなるが。
「今回は割とうまくできた……と思う」
「へえ。それは楽しみだ」
魔術師学院が夏期休暇に入ってから、食事番は自然とミュイが務めることが多くなった。単純に家に居る時間が俺よりも長いからである。
これは自然発生的にそうなっただけであって、俺からやってくれと頼んだことはない。その成果もあってか、彼女の料理の技術というものは少しずつ上達しているようにも思えた。
更に今回は自信作ときた。期待値もグングン上がるというものである。
「いただきます」
「ん。いただきます」
そして食卓に並ぶのは、パンとポトフ。相変わらず料理のバリエーションが増えたとは言えないが、それでも徐々にポトフのスープが澄んできていることを鑑みるに、確かに上達はしていた。
「お、いいね。臭みがない」
「……ん」
一口スープを啜れば、腸詰と野菜から染み出した旨味が口内を駆け巡る。
確かに、これは美味い。彼女が割とうまく出来たというのも頷ける。
確かな旨味は、煮ることで出続ける灰汁をしっかり取り除いていた証拠。きっと彼女のことだ、煮立つ鍋の前でひたすら我慢強く待っていたに違いない。その涙ぐましい努力が垣間見えて、殊更に美味く感じる。
「うん、これは美味しい。美味しいよ。手が進むね」
「…………ん」
素直に褒めてあげれば、彼女はどこかばつが悪そうに俯き、呟きを返すに留まった。
これは照れている時の反応だな。俺はミュイに詳しいんだ。
「……で」
「うん?」
「何かあるんでしょ、言うこと」
「……よく分かったね」
「分かるよ、そんくらい」
その恥ずかしさを払うように、彼女はややぶっきらぼうに俺の心理を見抜いた。
うーん、そこまでばれているとは思わなかったな。確かに帰り際情けない姿と声を見せはしたが、それだけだ。
ここは彼女の観察眼を褒めるべきだろう。伝えなきゃいけないことがあるのは事実だし、それを悪い方向に察せられてしまったのは俺の落ち度だ。
「ん……実は、実家から騎士団の方に俺宛ての手紙が届いてね」
ここまで来て、何もないよとは言えない。意を決して、今日起こった出来事を伝え始める。
とは言っても、手紙の内容の大半はミュイに伝えても仕方がないことだ。なので、その内容は割愛させてもらう。ミュイとしても、それをわざわざ突っ込んでくるようなことはなかった。
「それで、実家の方でちょっと手伝いをして欲しいってことで、一時的に戻ってこないかって言われてね。ミュイのことも伝えているから、親からすれば君を見たいってのもあるんだろうけど、もしよかったら一緒にビデン村まで行ってもらえないかと思ってさ」
「ん、いいよ」
「勿論、学院が休みとは言っても友人付き合いもあるだろうから無理にとは言わないし、何なら俺が居ない間ルーシーのところで……え?」
「だから。いいって」
断られるにしてもせめて、ミュイが断ることに罪悪感を持たないように説明を続けようとしたところ、返ってきた答えに思わず窮する。
今いいって言った? 言ったよな。しかもほぼ即答に近い速度でだ。
「なに。なんか文句ある?」
「あ、いや、ないない! ないよ。うん、ありがとう」
「……ふん」
面食らった俺を見て、不機嫌そうに言の葉を紡ぐミュイ。慌てて否定と感謝を述べれば、今度は照れを隠すように鼻を鳴らした。
ここまで快諾? されるとは思っていなかっただけに、未だにびっくりしている。彼女の性格からしてゴネるようなことはしないだろうが、それでもバッサリ断られるとばかり思っていた。
「いつ?」
「出来れば早めがいいかな、と思ってるけど。騎士団の方もあるから、週明けくらいかな」
「分かった」
ミュイの了承が得られたとはいえ、じゃあ明日から行きましょうとはならないのが勤め人の難しいところ。
アリューシアが言っていたように書類へのサインもあるから、どうしても諸々の手続きに数日はかかるだろう。その間に帰省の準備を進めないとね。とは言っても、俺もミュイもそう大きな荷物はないわけだが。
そもそも俺はほぼ裸一貫で実家を半ば追い出されているわけで。ほんまあのおやじ。
「ミュイ、ありがとうね」
「……別に」
改めて礼を述べれば、返ってきたのは相変わらずぶっきらぼうな声。
しかしそこにはやっぱり、彼女の僅かだが確かな成長を感じられるのだ。




