第136話 片田舎のおっさん、予定を決める
「えっと……サーベルボア、ですよね?」
「うん、そうだよ」
ヘンブリッツ君が一つひとつ確認をするように、言葉を紡ぐ。
「……となると、物凄く小規模であるとか」
「いや、どうだろう。例年だと数十頭は居ると思うけど」
「…………」
数の確認を取ったところで、ヘンブリッツ君が完全に押し黙ってしまった。
確かに、危険な動物ではある。子供はおろか、大の大人でも狩猟や戦闘の経験がなければ容易に不覚を取り得る相手だ。
逆に言えば、それなりの経験さえあれば御せる相手でもあるんだが、それでも危険がまったくなくなるわけじゃないからね。彼の心配も理解は出来る。
「ヘンブリッツ」
「……あ、はい」
何とも言えない表情で固まってしまった彼に、アリューシアが声を掛ける。
「先生は……。いえ、ビデン村というのは、そういう場所なのです」
「…………」
彼女の言葉を受けて、また黙りこくってしまったヘンブリッツ君。
というか、アリューシアの言い方も大概じゃないかと思う。なんだそういう場所って。
確かに辺境の村というものは危険だ。都会に住む人からは長閑に過ごせていいね、なんて思われるかもしれないが、そんなことはない。農耕にしろ狩猟にしろ、毎日が過酷なんである。だからと言って、文句を言う全員にそれを体験してみろとは言わないし思わないが。
まあそれらを差し引いたとしても、村での生活自体はそう悪いものではなかったと思う。
税はそんなに重いわけじゃないし――とりわけ軽いわけでもないが――夜盗や盗賊と言った連中が四六時中湧いてくるわけでもない。辺境の村ではあるが交易路線はちゃんとあるし、冒険者や傭兵、商人といった村外の者もそれなりには訪れる。
ミュイの実情を目の当たりにしてから、いわゆる平和ボケ的な考えは少し改められたが、それでも基本は長閑で良い村で、良い国なのだろう。
サーベルボアだって確かに脅威ではあるものの、以前戦ったゼノ・グレイブルやロノ・アンブロシアなんかと比べれば、危険度は格段に落ちる。あんなのがほいほい軽率に現れてたまるかという気持ちもあるが。
「しかし……」
「うん?」
しばしの黙考の後。ヘンブリッツ君が微妙な表情とともに控えめな声を上げた。
「外部に依頼しないということは、村だけでサーベルボアの群れを片付ける……片付けられるだけの力があるということですか」
「うーん。あると言えばあるんじゃないかな。俺も戻る予定だし、道場には門下生も居るしね。何より、おやじが居る」
これが仮に、何の戦力も持たない小さな村がサーベルボアの群れに狙われている、などであれば確かに大事件だ。可及的速やかに、冒険者や騎士団からの助力が求められるだろう。
だがあの村には俺のおやじ殿、モルデア・ガーデナントが居る。もういい年だし嫁だ孫だうるさいし最近は腰痛に悩んだりしているが、それでも彼は俺の知る限り最高の剣士である。
そこに腕は及ばずながらも俺が加わり、門下生らが加わる。更に今ならランドリドも付いてくるというおまけと言うには大きすぎるおまけ付きだ。
無論、門下生の全員が野生と戦える段階にあるとまでは言わないが、それでも十分に勝てる戦力が整っていると思う。事実今までずっとそうしてきたわけだし。
「モルデアさんがまだ動けるのでしたら、先生が戻る理由もあまりない気がしますが」
「それは多分、ミュイを見たいんじゃないかな……」
「なるほど……」
ミュイは俺の子供ではない。つまり、おやじ殿の孫でもない。
ただそれでも、長年嫁どころか恋人の気配すら見せなかった男に、突然面倒を見る子供が増えたのである。そりゃ気になって仕方ないだろう。
ミュイのことを隠しておく、ということも出来なくはなかっただろうが、それでも俺が実家と絶縁でもしない限り、いずれは分かることだ。
そして俺は実家と縁を切るつもりはまったくないし、いずれは道場に戻るつもりでいる。その時になったらそうだな、ランドリドには本人とその家族がよければ正式に師範代になってもらおうか。
それまでにおやじ殿からの無茶振りをどうするか、というのは一先ず横に置いておくとして。
……ていうか、めちゃくちゃ今更なんだけど俺はあの道場の師範である。
一番偉いはずである。
そりゃ両親に頭が上がらないというのはあるにしろ、おやじ殿はもう引退した身。バルトレーンに来てからというもの、ずっとばたついていたせいで全然気にする余裕もなかったけど、よくよく考えてみたらあんな無茶な命令を聞く理由はないわけだ。
そうだ、そうしよう。ミュイを連れてビデン村に帰ったら、おやじ殿に文句の一つでも言ってやるべきだ。
いや勿論、俺のことを案じてだというのは分かる。
実家の道場の跡継ぎだって常識的に考えたら必要だし、この歳に至るまで浮ついた話が一つもない、というのが親として心配なのもよーく分かる。
次世代に繋ぐことが当主の義務だと言われればそれはもう、ぐうの音も出ないくらいには分かるし納得する。
けれども。
やっぱり無理やり実家を追い出すのはちょっと違うんじゃないだろうか。アリューシアの訪問と特別指南役という切っ掛けがあったにしろ。
「……先生?」
「ん、ああいや、ごめん。ちょっと考え事してた」
そこまで考えたところで、アリューシアからの声がかかり意識が外へ向く。
いかんいかん。少なくとも今考えることではなかったな。今更感も強いし、実際文句を言うかどうかは実家に戻ってから改めて考えよう。
それに前も言ったが、結果として今の生活には特に不満を抱いていないのも大きい。
大変ではある。重圧もある。責任の大きさだって、片田舎の剣術師範とは比ぶべくもない。
しかしそれでも、現状に対する充実感と、おやじ殿への恨み節というものはまた別腹でもあるのだが。
「まあそんなわけで、俺は一度ビデン村に戻るよ。ミュイの紹介もしたいしね」
とりあえず話と俺の思考を着地させるという意味で、改めて今後の予定を口に出す。
アリューシアから問われたように、いつバルトレーンを発つかというのはまた考えなきゃいけないが、今日の稽古を終えてミュイに話を通して、準備してと考えると早くて二日か三日後くらいか。そこら辺は騎士団側の手続きの早さ次第でもあるが。
「私も是非付いていきたいところだったのですが」
「いやいや、それには及ばないよ流石に」
流石にアリューシアが加わるというのは過剰戦力が過ぎる。何より、辺鄙な村の一事情でレベリオ騎士団長をずっと拘束するわけにはいかない。
彼女には彼女にしか出来ない仕事と役割が沢山ある。無論、騎士が派遣されるということ自体は喜ぶべきだろうが、彼女にお願いするには些か荷が軽すぎる。
「そうですか……」
「別に今までも来てなかったじゃないか。そんなに落ち込まなくても……」
確かにアリューシアとは、道場に通っている時はともにサーベルボアを討伐したことがある。それは事実だ。
しかし言った通り、彼女が卒業してからわざわざビデン村に手伝いに来たことはない。勿論、定期的に交わす文の中でそのことも言及されてはいたが、それ以上に彼女が忙しかったからだ。そして、その忙しさは当時と変わっていない。むしろ要職に就いた以上、彼女の多忙っぷりはさらに加速している。
どうまかり間違っても、レベリオ騎士団長本人が出張ってくるほどの事件ではないのだ。
「さて、それじゃあ話も終わったし稽古を始めようか」
「……そう、ですね。時間は有限ですから」
「違いない」
それに、俺は今日話をするために騎士団庁舎に来たわけじゃない。騎士の皆と稽古をするために来たのである。与えられた仕事は果たさなきゃね。
「……」
アリューシアと会話をしながら、訓練用の木剣を手に取る。
その間、ずっと無言で難しい表情を浮かべていたヘンブリッツ君の顔が、妙に印象に残った。
ビデン村の名誉のために付け加えておきますが、ビデン村は普通です。




