第133話 片田舎のおっさん、見守る
「ベリル。今回はご苦労じゃったの」
「ありがとう。いや、本当に大変だったよ」
魔術師学院地下の騒動から幾日か経ったある日。
俺は学院長であるルーシーに再び呼ばれて、学院の学院長室まで足を運んでいた。
あの虚ろな巨狼を仕留めた後、予想通り地上の影たちも霧散してしまったようで、あれ以上の被害が出なかったのは喜ぶべきなのだと思う。
事件の顛末についてはキネラさんや他の教師からも問われはしたが、ひとまず解決はしたらしい、と伝えるだけに留めて詳細の伝達は伏せておいた。
と言うのも、魔術師学院の地下で起きた出来事を俺の口からどこまで喋っていいのか、その塩梅を図りかねていたからである。
地下の存在自体はフィッセルも知っていたからして、学院の教師陣なら知っていてもおかしくはなかっただろう。しかしながら、その地下にいったい何があったのかは誰も知らない様子であった。
学院の幹部であろうブラウン教頭ですらまったく知り得ていなかったのである。その状況下であの虚ろな巨狼に言及することは、学院に余計な波紋を呼びかねないと思って今まで黙っていたわけだ。
「ファウステスの小僧め、こそこそと何かやっとるとは思っとったが……」
で、今はルーシーに一通りの流れを伝えた後である。
彼女は俺の報告を聞くと一つ溜息を吐き、教頭先生への微かな疑問を零していた。
「勘付いてはいたんだ?」
「まあの。ただこんなことをしでかすとは思わんかったわい。おかげで出張の予定がパアじゃ」
「それはお気の毒様だね……」
そう。彼女は帝国への出張を途中で切り上げて、急遽レベリス王国への帰還を果たしていた。きっとなんらかの形で事件の情報が彼女の耳に入ったのだろう。その手段は分からないままであるが。
一般的に考えれば早馬でも飛ばしたのかなと思うが、さりとて相手はルーシー・ダイアモンドである。どんな突飛な方法で情報を入手していても、俺はそこまで驚かない自信があった。
「結局さ、地下に居たアレはなんだったの?」
「ん、そうじゃな。こうなった以上、お主には知る権利があるじゃろう」
まあルーシーがどうやって情報を得たのかというのは割とどうでもいい。大事なのは、全ての事情を知っているであろう彼女が今ここに居るということ。
質問に対する反応を見るに、ルーシーは魔術師学院の地下について知っている。どこまで聞いていいのかはちょっと悩むところだが、こんな事件に巻き込まれたのだから相手の正体くらいは教えてくれてもいいじゃないか、というのが正直なところであった。
「あやつはロノ・アンブロシア。特別討伐指定個体の一体じゃよ」
「特別討伐指定個体……」
ただのモンスターではないとは思ってたけど特別討伐指定個体かよ。そりゃ手強いわけだ。
「なんで特別討伐指定個体が学院の地下に?」
次いで出てくる疑問はこれだ。そんな御大層なものが、よりにもよって魔術師学院の地下に何故封じられていたのか、である。
「目的は二つ。封印と研究じゃな。相対したなら分かると思うが、あやつは殺せんのよ」
「ふむ……」
確かに虚ろな巨狼……ロノ・アンブロシアは、フィッセルの最大火力でも殺せはしなかった。流石にルーシーがフィッセルより弱い魔法しか使えないというのはあり得ないから、殺せないというのは本当のことだろう。
「影を取っ払うのは簡単なんじゃがなー。あやつの核はわしでも壊せなんだ。いくら影を払っても、放っておくと核から再生しよるのよ。じゃから封じておった」
「あれ簡単なんだ……」
ルーシーが溜息とともにその能力を語る。
あの影を取っ払うのを簡単だと言ってのける辺り、やっぱり彼女は魔術師として別格なんだなと感じ入る。俺一人ではどれだけ斬っても倒せる気がしなかった。
多分、理論上は物理攻撃だけでもあの影を削り切れるんだろうけど、じゃあいったいどれだけの手数が必要になるのかは想像したくもない。普通に考えたら攻城兵器が必要なレベルだと思う。
いや、待てよ。それよりも。
さっきの話で物凄く嫌な予感がしたというか、やばいなって思ったんだけども。
俺もしかして、特別討伐指定個体の核を持ち歩いちゃってたりする?
「えっと、あのさ……もしかしてその核って」
「ん? おお、お主も見たか? 漆黒の結晶体なんじゃが」
「これのことかな……」
ゴトリと、持ち歩くどころか地下から回収してミュイと同じ屋根の下に保管していた黒の結晶をテーブルの上に並べる。
あんなのが家の中で自然発生していたら洒落にならんかった。よかった、ミュイが居る時にこいつが再生しなくて。俺は今心底ほっとしているよ。
「……は?」
その結晶を見たルーシーが、実に珍しく驚愕の表情を張り付けていた。
おお、なんだか彼女のこういう表情は物凄く貴重だ。いつも余裕綽々で、時に憎たらしいと感じるほどの顔を浮かべていたルーシーが、心底びっくりしている様子だった。なんだかこの顔が見れただけでも今日学院に来た価値がある気がするね。
「お主、これ……割ったんか……?」
「え、うん。もしかして、まずかった……?」
ルーシーの疑問に素直に答える。
やっぱり割ってしまったのはまずかっただろうか。話を聞く限り、研究対象にもしていたみたいだし。
いやでも、あそこでこれをそのまま放置しておくという選択肢も取りにくかった。緊急事態だったということで、なんとかお許しいただきたい。
「く……っくははは、はーっはっはははは!!」
「うおっ!?」
どうにかしてお咎めを回避したい俺の心情とは裏腹に、彼女は俺の報告を聞くと盛大に笑い始めた。
「くっくく……! そうかそうか、割ったか! お主、やっぱり凄いのぅ!」
「え、えぇ……?」
うっすらと目に涙を浮かべ、ルーシーがなおも笑いながら俺の肩をばしばしと叩く。ちょっと痛い。
いや、俺としてはどうしていきなり笑い出したかの説明が欲しいんだけど。でも、少なくとも怒られるようなことではないようでちょっと安心した。
「こいつはな、わしでも壊せんかった。その意味が分かるか?」
テーブルの上に鎮座した結晶をつんつんと指で弾きながらルーシーが。
つまりこの核は、ルーシーの魔法でも破壊することが出来なかった、ということか。
フィッセルもこの結晶のことを恐ろしく硬質だと言っていたし、多分めちゃくちゃな硬さなんだろう。斬った時の手応えも、的が小さい割にかなりはっきりしたものだったからな。
「はあ……俺はなんだか凄いものを斬っちゃった、ってこと?」
「なんじゃなんじゃ、もっと偉そうにせえ」
「いや、そう言われても……」
フィッセルの魔法でもルーシーの魔法でも壊せなかったものを斬った。それは確かに凄いことだとは思う。
ただ、ロノ・アンブロシアの結晶が単純に魔法的防御力が高く、物理的な衝撃であれば頑張れば壊せた可能性もある以上、なんと言うかこう、やったぞ! みたいな感覚はあまり湧かないというのが現状だ。
「それが出来たのは、やっぱりこいつのお陰だと思うから」
「ふむ、その赤鞘の剣か」
それにやはり、一番の要因はこのゼノ・グレイブル製の剣だろう。
もし仮に、この剣を俺じゃなくてフィッセルが振るっていたとしても、きっと同じ結果にはなっただろうと思うのだ。
特別討伐指定個体の素材から作られた剣だから、同じ特別討伐指定個体の核を斬ることが出来た。そう説明された方が、俺としては遥かに納得がいく。
「その剣、ちょいと預かって研究させてもらえんかの?」
「それは駄目」
「ちぇー」
ルーシーからの提案を、ほぼ反射で断る。
いやまあ確かに、この剣の秘めたる力というものがあれば、それを知ってみたい気持ちはある。あるんだが、彼女に預けたらそのまま分解とかされそうでちょっと怖い。
今のところは、これは恐ろしい切れ味と頑丈さを持った極上の剣。それくらいの認識で十分だろう。それ以上の情報が必要になる場面が訪れないことを祈るばかりだが。
「ふむ……魔力の残滓がほぼ完全になくなっておるの」
気を取り直してという感じで、ルーシーが黒の結晶を手に持ってまじまじと観察する。
魔力の残滓というものは俺にはさっぱり分からんが、それがなくなっているということは、こいつは完全に殺せたということだろうか。
「ここから再生するとは考えにくいが、一応封印しておくに越したことはないじゃろう。こいつはわしが預かってもよいかの?」
「ああ、うん。それは最初からそうしようと思ってたから」
もともと俺ががめようとも思ってなかったからね。ロノ・アンブロシアの結晶は最初からルーシーに渡すつもりでいた。
一応今のところ再生の懸念はないということだが、万が一あんなのが再び湧いて出てきても困る。ここはルーシーに再度封印してもらうのが一番確実に思えた。
「いやーしかし、これを斬るか……やっぱり凄いのう、お主」
「大袈裟だよ。どっちかと言えばこの剣の凄さだと思うけどね」
「あいっかわらずじゃのーお主は」
ルーシーからは少し諫められたが、俺はこの結果が自分自身の手柄だとはあまり考えていない。
あの巨狼の影をほぼ全て消し飛ばせたのはフィッセルの魔法のお陰だし、結晶を叩き斬れたのもこの剣があってこそだ。
そりゃ結果として俺が斬ったわけだから、俺が出した成果にはなるだろう。しかしさっきも言ったが、もしこの剣を持っていたのがフィッセルでも同じ結果になっていたと思うし、それがアリューシアやスレナでも同様だと思う。
詰まるところ、一定以上の技量を持った者がこの剣を振るえば、同じくらいの成果は出せるだろうということだ。俺自身、自分の技量が低いところにあるとまでは思っちゃいないが、だからといって天狗になれるほど自惚れてもいないつもりである。
「けどまあ、昔に比べたら少しは自信もついてきたかな」
「そうか。そりゃいいことじゃな」
アリューシアに半ば無理やり連れ出されてから今まで、この短い間に様々な出来事が目まぐるしく起こっていた。そのどれもが俺には荷が重いと感じることばかりではあったが、なんだかんだで今もこうして過ごせていることは素直に誇ってもいいんじゃないかな、とも思う。
まあだからと言って、天狗になったり自意識過剰になったりするのはよくないと思うから、その辺の自制も忘れないようにしたいけどね。
俺は長年剣に触れてきたが、それでも剣の道を極めたとはまだまだ言い難い。これからも身の丈に合った精進を重ねていきたいところだ。
「そういえば、ブラウン教頭については?」
「処遇については要検討じゃが、何にせよ学院には居れんじゃろうな」
「そっか……」
今回の主犯とも言えるブラウン教頭についても、当然ながら無罪放免とはいかないだろう。
結局あの後、騒ぎを聞きつけた王国守備隊と教師陣で事態の収拾にあたっていたが、その時に教頭先生は事件の重要参考人としてそのまま守備隊の面々に連れて行かれたようだった。
今後どのような裁きが下されるのかは少々の時を待たねばならないが、ルーシーの言った通り、今まで通り学院で教頭先生として教鞭を振るうのは難しいだろう。結果として目立った負傷者は出なかったものの、起こしたことの大きさは無視出来ない。
「はー、まったく。考えねばならんこととやらねばならんことが山積みじゃ」
「はは、お疲れ様」
最後にルーシーの愚痴っぽい呟きを聞いて、一旦話が途切れる。
彼女は魔術師学院の最高責任者であるからして、今回の件についても色々と動き回らなきゃいけないことは多いはずだ。その場に居なかったから知りません、というのは心情的には理解出来るものの、道理としてはちょっと通らない。監督責任も多少なり問われることになるだろう。
その点つくづく思うが、騎士団の特別指南役と、学院の臨時講師という肩書はやっぱり気楽なのである。
無論、立場に関係なく自らの行動には責任を負うべきではある。
しかしながら、他人や組織の責任を知らずに負わずに済むという点で言えば、これくらいの立ち位置が俺には一番合っているようにも感じた。
大層な肩書と責任だけ増える立場なんて御免被りたいしね。俺は俺自身と、俺の短い手が届く範囲のみにおいて頑張りたいのだ。
「気苦労は絶えんが……まあ、お主を呼んでよかったこともあるでな」
「そっか。お眼鏡に適ったのなら嬉しいね」
言いながらルーシーが、学院長室の窓から学院の校庭を覗き見る。
つられて俺も視線を下ろしてみると、フィッセルが三十人ほどの学生たちを相手に木剣を振るっているところであった。
「強制はせんが、今後も様子を見に来てくれると助かる。その方があの子も喜ぶじゃろ」
「一応そのつもりだよ。ここまで見ておいて途中で放り出したくはないしね」
あの事件があった後、剣魔法科の受講人数は結構増えた。
どうやら俺とフィッセルが地下で頑張っている間、剣魔法科の五人も地上に這い出てきた影を相手にしていたらしい、というのはキネラさんの証言だ。
俺は彼らを、危険なことに首を突っ込むんじゃないと叱ったんだが、一方でその気持ちは理解出来なくもなかった。
やはり剣を学んでいる以上、それを発揮したいと思うのは剣士の性だ。たとえ危険だと分かっていても、今の自分がどれだけ通用するのか実感してみたい。その誘惑から逃れるのは大変に困難なのである。
その意味で言えば、彼ら五人は技術的にはまだまだ未熟なれど、心構えとしては一人前の剣士になりつつあるということだろう。
彼らが起こした行動は容認出来はしないものの、結果として剣魔法科の人気に繋がったと考えれば、まあ悪くないのかなとも思う、あくまで結果論だけどね。これで生徒の誰かが怪我でもしていたら目も当てられなかった。
ただ、そういう場面で目に見える成果というのは、やはり伝わりやすい。
キネラさん他、教師陣の守りが前提にあってこそだとは思うが、木剣を片手に奮戦する彼らの様子は、同学年の生徒からすればさぞ輝いて見えたのかもしれないな。
「フィスも目が変わった。あれは教え導く者が宿す光じゃな」
「ルーシー大先生の目にもそう映るかい」
そしてやっぱり大きいのは、フィッセルの意識が大きく変わったということ。
今までの彼女は、人にものを教えることを嫌うとまではいっていないものの、どこか面倒くささを感じていた様子だった。
なまじ彼女自身が優秀なために、未熟な子たちを教えるという行為に多少なりストレスを感じていたこともあったに違いない。
しかし、こうやって実際に人に教える機会が与えられ、時に悩みながらも彼女は自分なりの教え方、というものを頑張って模索している。
完璧にこなすのは難しいだろう。教えるのに慣れるのだって時間がかかる。俺も田舎の道場で師範として初めて立った時は、不安の方が大きかった記憶がある。
今でこそ教えるという行為そのものには大分慣れたつもりだが、それでも自分の示した道が常に正しく完璧であるとは思わないし思えない。
「ちょっと窓開けていい?」
「ん、構わんぞ。気になるか?」
「まあ、ね」
部屋主の許可を取り、学院長室の窓を開く。湿気をあまり孕んでいない爽やかな風が一筋、部屋の中を駆け抜けていった。
「――だから、魔法も大事だけど、正しく剣魔法を扱うためにも正しい剣の振り方を覚えるべき。基本はこうやって、こんな感じ」
開放された窓から、フィッセルの声が僅かに届く。
「くくく、気になるならお主も混ざればよかろう」
「いや、彼女がこれから変わろうとしている時に俺はきっと邪魔だよ」
フィッセルも最初の頃とは違い、頑張って理屈を教えようとしていた。彼女はもともと頭の出来もいいから、一度要領を覚えればそこからは速いだろう。
そうやって一皮むけようと頑張っている時に、過剰な干渉は時に成長を阻害する。勿論気にはなるし、先に言った通りほっぽり出すつもりもないから、今後もちょくちょく顔は出させてもらうつもりではある。
しかしそれでも最初にやったような、授業をそのまま乗っ取る事態は避けたい。それに見る限り、もう俺の手もそこまで必要ないかな、なんて気持ちもある。今後も見届けたいというのはルーシーから願われた側面もあるが、大部分は俺の我が儘だろうな。
剣魔法科の人気を高めたいという当初の目標も、どうやら達成出来ているようだしね。あれだけ数が増えれば教える方も大変だが、反面充実感もあるだろう。
そしてなんでもそうだけど、母数が増えるとさらにその中に上下が生まれてくる。ここも教える側としては悩ましい問題だ。近未来に想定されるそれらの課題を、フィッセルがどのようにしてクリアしていくか。後進の成長にはやはり興味は尽きない。
「以上。分かった?」
「はい!」
おっと、どうやらフィッセル先生の説明が一段落ついたらしい。
目が変わったとルーシーが評した通り、今は彼女も教えることについて錯誤する楽しみを得られている様子で何よりだ。
いずれ近い将来、フィッセルのような一線級の剣魔法の使い手が二人三人と増えていけば、相乗効果で講義の人気も上がっていくだろう。
その輝かしい未来の出発点に、末席とはいえ携わることが出来たのは素直に喜ばしい。願わくは、師子ともに一層の成長と発展を、これからも見届けることが出来ますように。
「じゃあ実際にやってみる。全員木剣持って。素振り千回」
「……割り込まんでいいのか?」
「いや、まあ、ははは……。とりあえず、今は見守るよ……」
からりと晴れた魔術師学院の校庭で。
生徒たちの元気いっぱいの声が響き渡り。
「そう、良い感じ。ナイス。グッド」
「彼女も頑張っているからね。今、口出しするのは野暮というものさ」
彼ら彼女らの一振りに混じって、精いっぱいのフィッセルの声が、微かに聞こえた。
これにて第四章閉幕となります。お付き合い頂きましてありがとうございます。
書籍版4巻には書き下ろしもございますので、ご興味を持たれた方は是非そちらも手に取って頂けると幸いです。
非常にありがたいことに、書籍版、コミカライズ版ともに皆様の応援もあって続刊することが出来ています。今後とも変わらぬご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
最後に、本小説を「面白い」「続きが気になる」などなど感じて頂けましたら、是非ブックマークと広告下部の「☆☆☆☆☆」よりご評価の程、よろしくお願いいたします。




