第131話 片田舎のおっさん、囮になる
「フィッセル!」
相手の攻勢が増しているため振り向けはしないが、背後の正体は見るまでもなく理解出来た。思わずその名を叫ぶ。
フィッセルは襲い来る複数の影の矢を、剣魔法らしさ溢れる切れ味鋭い魔法で全て迎撃していた。影の矢と彼女の魔法がぶち当たり、当たり負けした影が撃墜されていく。
危ないところだった。あの影の矢、単純に躱したり捌いたりは多分出来ると思うのだが、危険度が未知数なために直接触れるのは避けたいところだったからな。
その点、同じく遠距離であれの迎撃手段を持つフィッセルが合流してくれたのはありがたい。
そしてもう一点。この場面で重要なのは、フィッセルが剣魔法を使って迎撃したということ。
つまり、問題の一つは解決されたと見ていいだろう。
「ありがとう、助かった!」
巨狼と距離を取り、入り口近くのフィッセルと肩を並べる。
背格好では俺の方が高いが、随分と頼もしくなったことだ。隣に並ぶ元教え子の成長した姿に、場違いながら少しばかりの感動すら覚えるね。
フィッセルに助けられるのはこれで二度目。一度目はレビオス司教を捕える時、二度目が今。相手が人間と訳の分からない獣では相当勝手は異なるはずだが、そこは彼女の手腕に期待させてもらおう。
「魔装具は壊してきた」
「なるほど、早かったね」
「うん、急いだ」
油断なく剣を構えながら情報を交換。どうやら教頭先生の用意した魔装具はぶっ壊したらしい。
正直、その手段を取ってくれてかなり助かっている。ないとは思うけど、これでフィッセルが停止させるための解析とか始めて時間を使っていたら、俺の身はかなり危なかったように思える。
「むぅ……強そう」
「ああ、一応攻撃は効いているみたいだけど、突破口がない。まだ情報が足りないね」
さて、これでこちらの頭数が増えて二対一になったわけだが、それでもまったく安心出来ないのが怖いところである。
一人でやるよりは断然楽になるだろうとは思うものの、フィッセルという万能札が切れるようになった今でも勝ちへのプランがいまいち浮かんでこない。
つまりは、言った通り情報の不足。この虚ろな巨狼がどういった性能で、どういった攻撃が有効なのか掴み切れていないのがその大きな要因である。
「とりあえず、色々試してみる」
「分かった。動きは任せるよ」
どうやら彼女にも、ここまで来て退くという選択肢はないらしい。ここで尻尾巻いて逃げれば、他への影響が計り知れないからね。
無論玉砕するつもりはないけれども、ここで打てる手は出来る限り打っておくべきだろう。
「――――、――――」
「……何か喋ってる? けど分からない」
「うん、俺にも分からない。気にしている余裕はあんまりないけど」
一方の巨狼は、新手に対して何か思うところがあるのか、その動きを一瞬止めてまた声にならない声を発している。期待はあまりしていなかったが、フィッセルもあいつが何を言っているのかはさっぱり分からないようだ。
まあこんな場面でわざわざ考え込むことでもないか。とりあえず相手に敵意があることは確定なので、こちらとしては戦うのみである。勿論本格的にやばくなったらフィッセルを連れて逃げるつもりだが。
「……ッ来るよ!」
ささやきのような声を発した後、虚ろな巨狼が動きを見せた。
先ほどと同じ、身体の一部から影を切り離して矢として攻撃を加える遠隔攻撃手段。
よくよく目を凝らしてみてみれば、これはまだ予備動作があるから分かりやすいな。身体の一部が不自然にぼこりと泡立つから、よそ見さえしていなければ躱すこと自体は出来そうである。
「むんっ」
攻撃の合間を縫って接近したフィッセルが剣撃を放つ。俺の時と全く同じように、攻撃が当たった部分の影が僅かに削り取られ、そして中空へと消えていった。
「……あんまり効いてる感じがしない」
「同感だね……」
そして、その一部始終を見たフィッセルも俺と同じ感想を抱いたようだ。
見た目通り、削り取った影の分相手を弱らせているのであれば、望みがなくはない。なくはないが、手数が二人に増えた今でもそれはあまりに非効率過ぎる。
これが槌やら大斧やら、単純にデカい武器ならまた話は変わったのかもしれないが、今ここに居るのは剣士が二人。やはり物理的な攻撃手段では限界があるのかもしれない。
「次はこれ」
一息入れて情報を整理すると、フィッセルが再度飛び出していった。
今度は直接の剣撃ではなく、先ほど影の矢を迎撃した時のように剣魔法を飛ばしてみることにしたらしい。
フィッセルの剣魔法が巨狼の本体に吸い込まれていく。数瞬後、着弾した場所がぶわりと泡立つと、影のいくらかが溶けだすかのように消えていくところが見えた。
どうやら、剣魔法の方が物理的な攻撃よりもいくらかは通るらしい。とは言っても、じゃあそれをどれくらい当てればいいのかなんて現時点では見当もつかないが。
「俺も働かないとね……!」
さりとて、攻撃の手段をフィッセル任せにするわけにもいかない。
相手にどれくらいの知性があるかは謎だが、さっきまで俺に集中していた攻撃がフィッセルにばかり集中してしまうのも困る。折角の頭数有利、活かさない理由はない。
彼女の方に巨狼の意識が向いたところで俺も近寄って本体に一撃を加える。
うーん。今までよりかはいくらか深く入った感覚はあれど、やっぱり効いている、って感じはいまいちしないな。
確かに斬ってはいるはずなのだが、その手応えが怪しすぎて物凄い違和感を覚える。頭で処理する情報と、手に残る実感の乖離が著しい。剣士としてはあまり慣れたくない状態だ。
「――、――――」
「くそ、調子狂うなあ……!」
この声みたいな音にしても、そこから感情的な何かを読み取れればまた何か違ったのかもしれない。しかし残念ながら、本当に何も分からんのである。感情が乗っているのかどうかすら怪しい。
あの影の親玉さん的には何かを訴えようとしているのかもしれないが、生憎とそれは通じないのだ。人間に分かる言葉で話せとまでは言わないが、せめて喜怒哀楽くらいは分かる言語でよろしくお願いしたい。
「ふっ!」
俺の斬り下ろしと、フィッセルの剣魔法が重なる。
手応えは相変わらず。せめてこう、当たった感触とまでは言わずとも音くらい分かりやすいものがあればいいんだけど、それすらもない。ただひたすらに空気を斬っているみたいで、すこぶる気味が悪い。
「……うーん」
フィッセルが攻撃を加えながら小さく唸る。
巨狼の影は、しかし素直に斬られ続けてくれるほど大人しくもない。こちらの攻撃が一、二回当たると、それを嫌うようにして距離を取ってしまう。
広さがあると言えどもここは地下なので、逃げるにしても限界はある。あるのだが、それでも前後左右にうろちょろされながら嫌がらせみたいに飛んでくる影の矢を捌くのは、結構精神を消耗する。それはフィッセルも同様だろう。
ついでに言えば、俺の身体は神経張り詰めた長期戦に耐えられるほど頑丈ではないのだ。今のところ目に見えたダメージを負ってはいないものの、当初の予想通り、これがずっと続くとなると厳しい見通しであった。
「効いてはいる……足りないのは瞬間火力……」
その足を止めることなく、フィッセルが戦いながら解析を続けていた。
そう。勝てそうな手段があるとすれば、一撃であの影を根こそぎ持って行くような破壊力のある攻撃。広範囲に高威力を叩き込む必殺技でもあれば、この状況は打開出来るかもしれない。
だが、さっきも言ったがここは地下である。広大な魔法をぶっ放しでもしたらこの空間ごと崩壊しそうで怖い。いやまあ、俺にそんな手段は取ろうと思っても取れないわけだが。フィッセルがいまいち攻めあぐねているのはそれの影響もあるのかな、なんて思っていた。
「先生、一つ提案」
「ん、どうした?」
いったん距離を置き、フィッセルと合流。何やらフィッセルにはこいつを倒す腹案がある様子。
こういう時、魔術師という存在は実にありがたいものだと感じ入るね。剣士と言えば聞こえはいいものの、やることと言えばただ剣で相手をぶった切るだけだ。なのでそれが通用しないとなると、本当に出来ることがなくなる。
「あいつを一撃で飛ばせるくらいの魔力を貯める。その間守ってほしい」
「なるほどね……。了解だ、その威力に期待させてもらうよ」
「うん、頑張る」
出てきた案は至極単純で、相手を一撃で葬れるレベルまで威力を高めた攻撃を放つというもの。
実体の掴めない相手に剣士の身ではそんな芸当出来るはずもないがしかし、これが出来てしまうのが魔術師の恐ろしさでもある。仮にここに立っているのが俺でなくてルーシーなら、もっと簡単にこの虚ろな巨狼を撃破出来ていたんだろうな。
「動きながらだと魔力を練り上げ切れない。だから咄嗟には動けなくなる」
「分かった、標的は俺に絞らせよう。フィッセルはそっちに集中してほしい」
作戦内容は簡単だ。フィッセルが魔力を練り終わるまで、俺がひたすら相手の標的になればいい。つまりは囮である。
おじさんには些かきつい任務ではあるが、出来るところまではやらせてもらおうか。
「始める。……むんっ!」
「うおっと……!」
早速、フィッセルが魔力を練り始めたらしい。
俺と手合わせした時も、魔法の素養がない俺が見ても分かるくらい剣が光っていたが、その時と比べても今回は既に相当だ。どんどん剣が纏う魔力のようなものが膨れ上がっていくのが目に見えて分かる。あの時はやっぱり手合わせということで加減していたんだなと嫌でも痛感させられるね。
「さて、俺も動かなきゃ、ね!」
そして、この状態のフィッセルは満足に動けない。いや多分動くことは出来るだろうけど、そうするとあの練った魔力が霧散するとか、そんな感じだろう。いつぞや聞いた時も、魔法の拡張と維持には物凄く技術が要ると聞いた。
となると、俺は彼女が標的にならないように、あいつの目の前でうざったく動き回らなきゃいけないわけだ。
「――――、――」
「こっちだよ!」
巨狼はフィッセルの動きに一瞬反応を見せたが、接近してきた俺に標的を絞った様子。
近距離から繰り出される影の打撃は、そこそこにスピードもある。しかも見た目で威力がさっぱり分からないから、下手に受けるのも避けたい。
そして今回は、俺自身が距離を取って逃げるわけにはいかない。自然と至近距離を維持したまま相対せざるを得ず、しかも回避してばかりでこっちへの気が逸れれば意味もないから、俺からもある程度積極的に攻撃を繰り出す必要がある。
「……っぶな!」
つまり、超しんどい。あっぶねえ、今影が俺の服を掠めた気がする。
攻撃を食らった部分をちらりと確認してみると、何か鋭い刃物で切り付けられたかと思うくらい見事に切れていた。
ヤバい、やっぱりあれはまともに食らったらいかんタイプの攻撃だ。
切れ味を持っているということは、剣で受けてしまうのもちょっと危ないかもしれないな。流石にこの剣が一発で当たり負けすることはないだろうが、万が一を考えるとすべて避け切るのが理想か。
「むむむ……!」
交戦している後ろから、フィッセルの唸り声が聞こえた。
うわ、なんだあれ。剣の周囲に魔力らしきものが迸っていて、物凄く肥大化している。あんなの食らったら人間だと骨すら残らないんじゃないだろうか。今更ながら魔法の凄さを噛み締めているよ俺は。
「っと、よそ見してる場合じゃないな!」
視線をもとに戻すと、丁度巨狼の前足が振り下ろされているところだった。後ろに躱すのではなく、斜め前に踏み込んで襲撃を避ける。
端的に言って物凄く怖い。こんなに相手に張り付くようにして戦うことなんて、今までの経験ではあまりなかったことだ。
しかし、ここで退いてしまうとフィッセルの魔力が無駄になってしまう。
多分だけどあれは、何回も気軽に集め直し出来る類のものでもないはずだ。集中を続けた先でそれが不発に終わり、再度高いレベルで集中力を保ち続けるのがかなり難しいことを、俺は身をもって知っている。
「ふんっ!」
なので、今の俺に出来ることはこいつにとにかく纏わりついて、標的を俺に絞らせること。気合を入れ直し、効いているかも分からない斬撃を幾度となく放つ。
先ほどまでは少しばかり余裕のあった体力と精神力が、加速度的に削れ落ちていく強烈な実感があった。