第130話 片田舎のおっさん、対応に困る
「でかいな……」
最後の扉を進んだ先で、正体不明のデカブツと対峙する。
これがなんらかの英雄譚であれば歓迎されるべきストーリーなのかもしれない。吟遊詩人が語る物語であればいい感じに盛り上がることだろう。だが俺はそこらに溢れる一介の剣士であり、英雄でもなければ伝説でもないのである。
率直に出てくる感想は「嫌だなあ」という素直なものであった。
相対した影の親玉は、しかし自由に動けるわけでもなさそうだった。
張り巡らされた鎖が、怪物の自由を奪っている。この鎖が物理的にあれを閉じ込めているのか、なんらかの魔法的要素が加わっているのかまでは分からないが。
「……」
剣を構え、じりじりと近寄ってみる。
今のところ、咄嗟の危険は感じられない。なら、もう少し近付いて様子を見ても大丈夫なはず。
この地下全体は、先ほどまでの通路や部屋と比べるとかなり広い。明かりが乏しいためそこまで視野が確保出来るわけでもないが、それでもここが狭くないことくらいは分かる。過去に誰かが掘り返したのか、最初からこの空洞があったのかは知らないけれど。
「……ん?」
そうして少し近付き、目に捉えられる怪物の影がより鮮明になった時。
もう一つの事実に気付いた。
「……食ってる? いや、破壊しようとしているのか」
この本体から出てきたであろう狼型の影が数匹、鎖に噛みついていたのである。やや緩慢とも言える動作でがじがじと、鎖を噛みちぎろうと食んでいた。
多分この影たちは、本能的に捕らえられている巨狼が自分たちの主だと分かっている。そして、主を解放するためにこの鎖を破壊しようとしているのだろう。
で、鎖に噛みつくにもスペースに限界がある。そこからあぶれた影たちが地上に侵出しているのだと考えると、一応の辻褄は合うように思えた。まあこれもただの推測で、実際その通りかどうかなんてまったく自信はないけどね。
「ふむ……」
さて、どうしよう。
鎖に群がっている影を斬ったとしても、多分すぐに復活してくる。かといって、本体を叩くにしても勝手にやっちゃっていいのかな、なんて疑問も少し湧いて出ていた。
こんな御大層に封印されちゃっているのである。果たして手を出していいのかってのはちょっと悩む問題だ。
まあとはいえ、実際に被害が出ているので見て見ぬ振りも出来ないんだけども。
「……んん!?」
とりあえず鎖に取りついている影をしばきつつ、フィッセルなり他の誰かが増援として到着するまで様子見しようかな、なんて思っていたところ。
バキ、メキ、と、今この場ではあまり耳にしたくない音が響き始めていた。
「壊れかけてる……!?」
そう。巨狼を縛り付けている鎖が、明らかに解けかけていた。
こりゃまずい。さっきまでは小さな影が頑張って鎖を食んでいるって感じだったのに、何かいきなりスピードアップし始めたぞ。
「くそ……!」
どうすべきか分からないまま、咄嗟に鎖に噛みついていた影の一つを払う。
地上に湧いていた影と同じく、こいつらは斬ればすぐに霧散するが、おかわりと言わんばかりに次の影が本体の足元から膨れ上がっているのが見えた。
やっぱり本体をどうにかしなきゃ、この影は無限湧きだ。更にその本体も鎖の拘束力が弱まってきているのか、少しずつ身じろぎをするようになっている。
「くっ……!」
虱潰しに影を斬りまくってみるものの、鎖の崩壊は止められそうにない。
どうする。どうしよう。手に負えないと見て一旦退くか。いや、このバカでかい本体が地下からせり出して来たらかなりヤバい気もする。
「―――――」
「何言ってるかさっぱり分からないよ!」
囚われている巨狼が、その大口を開けて声にならない声を発していた。
言った通り、何言ってるのかさっぱり分からん。やっと解放されることへの悦びだろうか、それとも囚われていたことに対する恨み節だろうか。
俺個人としてはこのまま大人しくしていてほしいんだけど、それは無理かな。無理っぽいな。ちくしょうめ。
「――――――」
さしたる間も置かず、巨狼を封じ込めていたであろう鎖がボロボロと解け落ちる。そしてその親玉が一層大きく口を開けた瞬間、すべての鎖が完全に剥がれ落ち、巨狼が解放されてしまった。
うん、デカい。
大きさで言えば、以前アザラミアの森で遭遇した特別討伐指定個体、ゼノ・グレイブルを更に二回りくらい大きくしたような感じだ。
足元に湧いている狼型の影と同じく輪郭がぼやけているもんで、正確なところまでは分からない。しかしながら、その身から放たれる圧力というものは嫌と言うほど感じられた。
うーむ、どうしたものか。
解き放たれてしまった以上、最善はここで打ち倒すことだ。だが、相手の情報がなさすぎる。フィッセルもこの地下に何があるかを知らなかった様子だし、こいつに詳しい人を呼んでくるってのも望みが薄い。
まったく、なんでルーシーはこんな時に限って出張なんて行ってやがるんだ。いや、彼女が不在だからこそ教頭が行動を起こしたってのは頭では理解しているんだが、どうにもこの類の愚痴というものはまろび出やすい。
「……っとぉ!」
なんてことを考えていたら、巨狼に先手を許してしまった。
緩慢な動作から齎された恐らく前足からの振り下ろし。剣でいなすのも正解か分からないので、とりあえず退いて躱す。
ここが広くて助かった。これがこの巨狼を収めるギリギリのスペースしかなかったとしたら、さっきの一撃で圧殺されていたかもしれん。
「―――――」
「見逃しては……くれないかなぁ!」
続いて放たれた横殴りの攻撃を、さらに飛び退いて躱す。
相手が知性のない獣であっても、その表情や動きからなんとなくの感情というものは察することが出来る。これは動物であってもモンスターであっても同様だ。
しかし、今相対している影からはそういう感情の類が一切読めない。そもそも感情があるのかどうかすら怪しかった。
話し合いの余地を期待していたわけではないが、これはいよいよそんなことをしている余裕はなさそうだ。
「ふっ!」
けん制の意味も込めて、飛び出してきた前足と思われる部分を斬る。
やはり先ほどまで相手していた影と同じく、抵抗はほとんどない。振り抜いた勢いそのままに、斬りつけた部分の影が僅かに歪み、そして消えていくさまが見えた。
さっきまでと違うのは、攻撃を当てても相手が消える気配がこれっぽっちもないということ。もしかしてこれ、不毛な消耗戦になるのか? それはおじさん困るんだけどな。
「――、――――」
何か吠えている、いや、喋っているのだろうか。残念ながらさっぱり聞き取れないし、何かの言語かどうかすらも分からない。声にならない音の無秩序な響きが耳を打ち付けている。そんな感じだった。
「……ん?」
巨狼が動けるようになって進んだ事態がもう一つ。
今まで地上に侵出してきていた狼型の影が、溶けるようにして本体と思われる巨狼へと融合していったことだ。
やっぱりこいつらは親玉の子分みたいなやつだったらしい。本命が解放された今、その役目は全うされたのか、この地下に居るすべての影が巨狼の下へと還っていた。
しかし今のところ、相手の出方としてはかなり大人しく、この状態のままであれば勝てるとは言わないまでも、負けずに時間を稼ぐことは出来そうにも思えた。
まあ、その勝てないってのがちょっと困るんだけどね。斬りつけてもダメージが入ったようには思えないし、かといって見過ごすわけにもいかない。今は俺も元気だけど、このやり取りをずっと続けろと言われたら正直かなりしんどい。
何より、相手の攻撃が分からないというのはかなりのプレッシャーになる。
受けたり防いだりするのすらヤバい可能性を考えると、うかつに受けに回れないというのは結構体力を持っていかれる。
極端な話、接触を許した瞬間に侵食されて俺の負け、みたいな危険性も完全には排除出来ないのだ。普通の剣撃が通っている以上、流石にそれはないだろうと思いたいが、こういうのは警戒してし過ぎるということはないのである。
「……っふぅ!」
迫り来る影を切り払い、一歩後ろへ下がる。
参ったな。相手の正体が分からないってのもきついが、こっちの攻撃が効いている気がしないというのが一番きつい。
ゼノ・グレイブルとやっている時は相手も硬かったが、目や口の中など柔らかいところにはちゃんと攻撃が通っていた。
今回はそういうぱっと見て分かる弱点がないのもきつさに拍車をかけている。口っぽいものは開いているが、奥に見えるのは深淵だけだ。剣を突っ込んで効くとは思えないし、その行動を起こした後に俺が無事とも思えない。
ただ一応、斬った場所は影みたいなのが揺らいでいるし、物理的な攻撃が完全に無効化されているとは思いたくないな。
現状それだけが唯一見える突破口にも思えるんだけど、こんなペースでちんたらやってたら日付が変わるどころか月も跨ぎそうである。流石にそこまで俺の体力は持たん。
「――――」
「ああもう、面倒くさいなあ!」
さらに厄介なのは、こいつが明らかに学習してきているということである。
最初の振り下ろしから横薙ぎまではただ単純に力押しみたいな感じだったが、俺の攻撃を二度三度受けるやいなや、その動きを攻防一体のものへと変化させていた。
今は極力隙がなく出の早い攻撃を仕掛けた後、ほぼ必ず飛び退いている。絵にかいたような一撃離脱戦法だ。野生の狼もびっくりである。
相手の仕掛けに合わせて今のところはなんとか一太刀は浴びせられているが、かなり浅い。いや実体のない相手に浅いも深いもあったもんじゃないのかもしれんけど、それでも感覚としては上手く入った感じがしない。
ただ逆に言えば、それは俺の攻撃も僅かながら確実に効いているということ。もし俺の剣が無視出来るものであれば、被弾を考慮せずにただ力押しすればいいわけで。
そこはありがたいことなのかもしれないが、かといってこの状態が続いても困る。見た目で相手の耐久力が分からないのも辛い。
こういうタイプって相手をしたことがないから勝手が分からないんだよな。これが人間とか野生の獣なら多少なり応用が利くと思うんだけど、今までの経験があんまり役に立たない。
動き的にも見た目的にも狼が近いが、それだけとも思えないし。これならある意味でゼノ・グレイブルを相手にしていた時の方がまだやりようがあった。今回は相手が生物かどうかすらも分からんのだ。
「うおっと!」
巨狼との距離をなかなか詰め切れず、微妙な間合いでにらみ合っているところに新たな動きが発生した。
つまりは遠距離攻撃である。本体から分離したであろう影が鋭さを増し、弓矢のように弾かれて飛んできたのだ。
「冗談きついね……!」
なんだか気のせいでなければ、相手の動きがどんどん良くなってきている気がするんだが。もしかしてさっきまでは寝起きで本調子じゃなかったとか言い出さないだろうな。そうなってくると流石にちょっと旗色が悪い。
「っとっと!」
どばどばと矢継ぎ早に飛んでくる影の矢。なんだかルーシーと初めて手合わせした時のことを思い出すな。要するに防戦一方なんだけどさ!
これが飛んできた分相手の体積が減るとかならよかったんだが、そういうのが期待出来そうな相手でもなかった。巨狼はなおもそのサイズを変えることなく健在である。
どうしよう。マジで困ったぞ。
ちょっと勝てるプランが湧いてこない。勝てそうどころか、このままジリ貧が続くと間違いなく俺が負ける。
「先生。お待たせ」
いよいよ本格的にヤバいと思った矢先。
いつぞやの時と同じく、横合いから突如飛んできた「何か」が、俺の窮地を救った。




