第127話 片田舎のおっさん、異常を知る
「なんだ……?」
想定外の声に、席を外して窓の外を見る。
学生寮はそれなりに背の高い建物だが、食堂は一階にある。なので、窓辺に近寄ればそれなりに近い距離で外を見回すことは出来た。ただ、今はもう夕日も沈んだ時間帯、あまり見晴らしの良い景色ではないが。
「誰か騒いでんのか?」
「まあ我々も騒いでますけどね! はっはっは!」
突然の声に生徒たちも興味が移ったようで、俺と同じように声の根元を探ろうと窓に寄ってくる。
今日は週末ということで、ただ学生が騒いでいるだけならまだ分かる。しかし、先ほど聞こえた声はどうにもそういう賑やかさとはまた違う。
どちらかと言えば、危機感を孕んだ声のように聞こえたが……。
「フィッセル。今この時間で学舎の方に居る人は?」
「ほとんどが先生。勉強するにしても、この時間まで学生が居ることはまずない」
「ふむ」
学生でないのならば、先ほどの声は教師、もしくは外部の人間が上げた可能性が出てくる。
子供ならまだ悪ふざけや悪戯で通るかもしれないが、魔術師学院ほどの施設に勤める教師となればその線も薄いかな。
侵入者って可能性も捨てきれないから、今のところは何とも言えないけれども。
「――げて! ……く!!」
続いて耳に入ってきた声。先程よりもいくらかはっきりと聞こえたそれは、明らかに焦りの色が混じっていた。
「フィッセル」
「うん」
俺の声に、フィッセルが呼応する。互いに自ずと、腰に提げた剣に手を添えていた。
恐らく、なんらかのトラブル。魔術師学院の学舎で起こる事件なんてあまり想像したくもないが、それでも出くわしたのなら、大人として対処していかなきゃいけない。
「フィッセルと様子を見てくる。皆はここに残るように」
「わ、分かりました」
どうやら生徒たちも何かしらの違和感は感じ取った様子で、俺の指示に大人しく従ってくれる様子だった。
まったく、折角の祝いの席が台無しである。誰かの悪戯だったらガツンときつく言ってやりたい気分だ。
ここで万が一戦闘が発生するとして、生徒たちを巻き添えには出来ない。仮に取り越し苦労だったとしても、余計なリスクに若き芽を遭わせることはないからね。
出来れば気のせいであってほしいが、最近はどうにもこういうことに巻き込まれがちな気もするな。
「何か事件の可能性は?」
「分からない。そんなことが起きる場所じゃないと思うけど」
「まあそうだね……」
やや駆け足気味に、学生寮を離れる。
フィッセルの言う通り、ここは普通の学校じゃない。生え抜きたちを教え導くエリートが揃った魔術師学院だ。教師たちも勿論一線級の魔術師のはずである。仮に侵入者や不埒者が現れたとしても、よほど組織的で手練れが揃っていない限りは、何かことを起こそうというのも難しい。
それこそ先般起こった、王族暗殺未遂事件くらいの規模と計画性じゃないと厳しいだろう。そんな最悪の事態は、出来れば御免被りたいところだが。
「これは……」
「皆、逃げてる……?」
果たして、学生寮を出た俺たちが目にしたのは。
僅かに残っていたであろう教師たちが、学舎から慌てふためいて脱出している様子であった。
「なんだ……? 何が起こってるんだ……?」
数はそれほど多くない。やっぱり週末のこの時間帯だと教師たちも基本は学院に居ないようで、ぱらぱらと十人に満たない程度の人数が見えるのみである。
しかしたったそれだけでも、今の光景は十分に異常と言えた。レベリス王国が誇る教育機関、魔術師学院の教師たちが何かから逃げている。
じゃあその何かは、一体なんだ。
「ッ! フィッセル!」
二人で学舎の方へ走り寄ろうとした途端。
バリンと何かが割れる硬質な音とともに、その「何か」が飛び出してきた。
「――ッ!」
図体はそれほど大きくない。せいぜいが犬や狼程度だと思う。
思う、とついたのは、それの輪郭がぼやけて見えたから。
俺は、そこそこに目がいい。俺の剣士として誇れる数少ない要素でもある。しかしそれでも、突然飛び出してきた何かが一体なんなのかは分からなかった。
ぱっと見、犬っぽくは見える。四肢のように飛び出した影と、大口を開けているような歪な空間。闇夜に紛れてそれでもなおぬらりと妖しく光る牙のようなものが、眼前に襲い掛かる。
相手の正体が分からないまま、半ば無意識で剣を抜く。
一直線に飛びかかってきたそれに対し、抜剣の勢いそのままに袈裟斬りを放つ。
果たして俺の一撃が効いたのか、襲い掛かってきた何かは音もなく倒れ。
そして、音もなく消えて行った。
「……消えた?」
確かに斬ったはずではある。しかしながら、どうにもその手応えというものがなかった。
なんと言うか、物を斬ったという感触がほとんどなかったのである。剣を振った時にたまたま強い空気抵抗があっただけ、と言われても納得するくらいには、手に残る感触は極僅かであった。
「……まだ来る……!」
「くそ……ッ! なんだこれ!」
しかし、現にその何かは学舎の窓を割り、こちらに侵出してきている。つまり、物理的に干渉する力を持っている。
そして、襲い掛かってくる奴らが敵意を持っているのは間違いない。こちらを害しようとしてくるならば、排さなければならない。
「ふんっ!」
一匹目……こういうのの数え方って匹でいいのか? まあいいや。一匹目と同じく飛びかかってきた狼型のそれを、今度は斬り上げる形で迎撃する。どうやら耐久性の面ではそこまでの難敵でもないようで、俺の一撃でも十分に撃退出来るのは喜ぶべきところか。
だが一撃で倒せるのはありがたいが、状況がまるで掴めんぞ。まさか魔術師学院の中にいきなり魔物が湧いて出たとでも言うのだろうか。そんな馬鹿な。
「ふっ」
俺ではなくフィッセルの方に飛びついた影も、彼女の剣技の前に消える。
いきなり湧いて出てきた影は耐久性もそうだが、動き自体も大したことはない。多少速くはあるものの、フィッセルや俺なら十分に対応出来る相手であった。
基本的には野生の犬や狼程度とそこまで変わらないような感触である。これくらいの相手なら、多少群れられたところで大きな問題にはならない。
「一体何がどうなっているんだ……?」
「分からない……。でも、明らかに異常」
何匹かまとめて相手をしたところで、敵側の攻勢が一旦落ち着く。
周囲を見渡すと、学舎から逃げてきたであろう教師の一人が魔法で襲い来る敵を迎撃しているところも見えた。
やはり、魔術師学院の教師ともなればそれなり以上に魔法に精通している。当たり前だ。
となれば余計に、この程度の相手に逃げまどっていた理由が見つからない。俺やフィッセルで楽々御せる相手である。魔法のエキスパートが逃走する理由はどこだ。
何かしら拙いことが起きているのは何となく分かる。だが圧倒的に情報が足りない。このまま学舎の方に突撃するのが正解かすらも分からない。
俺たちは自分の身は勿論のこと、寮にいる生徒たちも守らねばならないのだ。いたずらにこの場を離れて良いものか、これは考えどころであった。
「ベリルさん! フィッセルさん!」
「……キネラさん!?」
これからの動き方をどうするか少し悩んでいたところに、見知った顔と聞き覚えのある声が届く。
魔術師学院の教師の一人であり、ミュイの担任でもあるキネラさんであった。
「どうしてここに……いえ、助かりました。ご助力ありがとうございます」
「いえ、お構いなく。出来れば状況の説明をお願いしたいです」
見知った顔を見て幾分か安心するが、今は呑気に歓談している場合ではない。手短に挨拶を済ませ、状況の把握に努めたいところだ。
その点はキネラさんもよく理解しているらしく、一息吐いて落ち着くと説明を続けた。
「私にもよく分かっていませんが……学舎から突如、あの影が湧いてきておりまして……対応に苦慮していたところです」
「なるほど……」
つまり学舎内に居たであろうキネラさんも、まったく状況が掴めていないということが分かった。
だが、それにしても疑問は残る。防性魔法の使い手であるキネラさんなら、あの影を倒せるかどうかは置いておくとしても、負けはしないはずだ。
それに、慌てる必要もない。不意を突かれたというのならまだ分かるが、それでも立て直す猶予はあったはず。他の教師陣も含めて、一目散に退避する理由付けはやっぱり、俺では上手く出来なかった。
「……っと、また……!」
キネラさんから説明を受けていたところ、またしても学舎の窓が甲高く割れ、あの影が突っ込んでくる。
全然関係ないけど、これ修繕の費用とかヤバそうだな。いやそんなこと考えている場合じゃないんだけどさ!
「ベリルさん、二歩退いてください!」
「!?」
突っ込んでくる影の数、凡そ十。これはちょっと一発でなんとかするのは難しいぞと思った矢先、鋭く響くキネラさんの声に、反射的に後ろに飛び退く。
「はっ!」
気合一閃。
彼女が声を張ると同時、襲い掛かってきた影の集団が不可視の壁に弾かれ、もんどりうった。
「すみません、今のうちに!」
「分かりました!」
なるほど、これが防性魔法か。
俺が体験した時はたかだか手のひら一つ分だったが、本気を出すと結構な広範囲を覆えることが分かった。てっきり自分の身体を中心にして守るものだと思っていたんだが、使い手の力量次第でこうまで化けるものか。
「よっと!」
しかし、感動している時間的余裕はない。
キネラさんの生み出した壁に弾かれ、明らかに動きの鈍った影を近いところから一掃していく。フィッセルの手も加われば、不意打ちさえ食らわなければ苦戦する相手でもない。とっとと駆除して話の続きだ。
「まったく、落ち着く暇もないね……」
「困る……」
再び湧いてきた影を一通り倒す。
しかし倒したはいいものの、学舎の方からまた気配を感じるぞ。
なんかこの影、もしかして無限に湧いてきてない? それはちょっと困るんだけどな。一匹一匹は大したことはないと言えど、こちらには体力と気力の限界というものがある。
「キネラさん、助かりました。……しかし、何故逃走を?」
勿体ぶっている余裕はない、単刀直入に聞いてしまおう。
先ほどのやり取りで分かったが、キネラさんはただ防性魔法の使い手というだけでなく、戦闘にもある程度長けている。咄嗟の状況で俺に対して退く指示を出し、的確に魔法を展開して見せた。
いよいよもって、この程度の相手に退かざるを得ない理由が見つからないのである。
仮に相手が無限に湧いてくるとしても、冷静に対処しながら考える時間は十分に作れるはず。
しかも彼女は一人ではない。他にも教師が居るのだ。協力して対応出来ていれば、ここまで後手後手に回ることはなかったように思える。
そんな俺の疑問に、彼女は臍を噛むような表情で答えた。
「実は……学舎内で、何故か魔法が使えなくなっているんです。何らかの力が干渉していると思われます」




