第123話 片田舎のおっさん、情勢を知る
「結局、スフェンドヤードバニアが今どうなっているのか、そう言えば知らないと思いまして」
イブロイからの問いかけに、自身の疑問を伝える。
レビオス司教を捕えることになった一件、そして王権派と教皇派の争いの舞台となってしまった御遊覧。直接関わったのはその一端でしかないが、ルーシーから色々と経緯の予測を聞いてしまった以上、その顛末というのもある程度は気になってしまうのである。
イブロイの他に情報を持っていそうなのはルーシーだが、彼女は所属としてはレベリス王国の魔法師団である。よりスフェンドヤードバニアに近い位置に居るのは多分イブロイだろう。
流石にガトガと連絡を取るのは難しいし、そもそも伝手がない。ロゼなんてもっての外だ。今まさに渦中にいることだろうしな。
「ふむ。僕は一応レベリス王国の人間だよ?」
そんな俺の疑問に、イブロイは笑って答えた。
このおっちゃん初対面の時からそうだったけど、どうにも食えない感じが強い。悪人ではないと思うけど、それでも掛け値なしの善人というにはちょっと憚られるような、そんな感じ。
「でも、俺よりは詳しいでしょう」
「まあそうだね」
絶対に拒否するとまではいかないものの、少しばかり話したくはなさそうな空気は感じた。しかしそれでも、俺はあの事件に関わってしまった以上、多少の知る権利というものはあると思う。伝えられる範囲でいいから聞いてみたいものだ。
「さて、どこから話したものかな」
とりあえず話してはくれるらしい。やや悩んだ素振りを見せた彼は椅子に座る姿勢を少し直すと、小さな溜息とともに言葉を漏らした。
「ああ、まずはレビオス司教だね。彼は本土に送還されて裁かれたよ。破門こそ免れたようだが、司教位は剥奪された。けれど……」
「けれど?」
先ずはイブロイと関わる切っ掛けになったレビオス司教。いや、この場合は元司教か。彼はきちんと裁かれはしたらしい。この辺りの情報もガトガから聞いていたものと一応は一致する。
細かい処分の内容とかは知る由もない。しかし、司教位の剥奪って宗教的には相当な気がするな。破門や死罪になっていないだけマシと捉えることも出来るだろうけども。
しかし、どうやら話はそこで終わらないらしい。
「裁判のしばらく後、不慮の死を遂げたそうだ。気の毒なことにね」
「それは……」
続けて出された内容に、言葉を失う。
不慮の死。恐らくこの言葉は、最大限配慮された表現だろう。十中八九、殺されている。諸々を考慮しても、あまりにタイミングが良すぎた。
「……随分、詳しいんですね」
「なに、たまたま聞き及んだだけさ」
だが、それをレベリス王国に居ながらここまで情報を得ている、イブロイの立場と情報網も気にはなるところだ。
俺の言葉に彼は曖昧な笑みを浮かべているが、実際イブロイのスフェンドヤードバニアでの扱いってどうなっているんだろうな。ルーシーとも浅からぬ仲のようだし。
「彼のしていたことは、最大の禁忌だった。……教皇派にとっても、王権派にとってもね」
「……」
なるほど。
レビオス司教の犯した禁忌は、どちらの派閥にとっても表沙汰になっては厳しかったということか。
王権派としては当然見過ごせないし、それを黙認していたであろう教皇派にとっても、あくまでそれは教皇派の庇護のもと、ひっそりと出来ていた前提があればこそだ。
さらに、レビオス元司教自身が教皇派に守られていたと公言してしまうのも拙い。だからこそ、表向きは司教位の剥奪として一応面目を示し、裏では排除した。そういうことになるのかな。
まあ宗教の教えに殉じた、と言えば聞こえはいいかもしれないが、やっていたことは人身売買と死体を魔法で弄るようなことだしなあ。俺が彼を庇う必要もないし、ここは必要以上に突っ込む理由もないか。
「ただこれに関しては、君に依頼して正解だと今でも思っているよ。教会騎士団を呼んでいたら、また違った結末になっていたかもしれないしね」
「まあ、それは確かに……」
ガトガやロゼからの情報から察するに、レビオス元司教は恐らく教皇派に属する人間だ。
その人間の逮捕に教会騎士団を呼んでいたら、事件そのものをもみ消されるか、最悪イブロイ自身の立場や命も危なかったかもしれない。
ガトガ自身は自分のことを中立だと言っていたが、騎士の一人ひとりがどういう思想を持っているかなんてのは分からないからな。それはロゼと相まみえた時に実証されている。
「……ちなみにベリル君は、スフェンドヤードバニアの現状はどこまで?」
「ええと……王権派と教皇派とで不和が起こっているらしい、ということくらいです」
「ふむ」
俺の反応に対し何か思うところがあったのか、イブロイからの質問が飛ぶ。
とは言っても俺が知っていることなんて言った通り、権力争いが起きているらしいですよ、くらいである。その情報だってルーシーから聞いたものがほとんどだ。俺個人が持っている情報なんて全くないと言っていい。
争いの現場にいたのは事実だが、そこから何か経緯や隠された事実を類推出来るわけでもないしね。
「僕の知る限り、あれから何かが劇的に変わったわけではないよ。あくまで表向きはね」
あえて最後に注釈をつける辺り、裏では大きく動いている、ということだろう。
結果として、他国の王族を巻き込んで一大事件を起こしてしまったのである。これで大事にならなかったら一体いつなるんだという話だ。
「ということは、既に動き出し自体はしていると?」
「まあね。あまり公言するような類のものではないが」
そりゃまあそうだけども。
しかし隣国の王族を巻き込んだ事件の割には、確かに騒ぎ自体は小さい。当然、事件があった当初は俺の知る限りでもかなり噂話が立っていたが、今は少なくともバルトレーン内ではそれほどでもない、といった感じである。
無論、事件自体が忘れ去られたわけではないだろう。俺は当事者の一人だから余計にそう思うだけかもしれんが、あれは忘れようと思っても中々忘れられないくらいのインパクトはあった。
「近いうちに大きく動くんじゃないかな、とは思っているよ。内容が内容だしね」
「その割には随分と楽観しているようにも見えますけど……」
「僕はスフェン教の信徒ではあるが、スフェンドヤードバニアの人間ではないからね」
「はあ……」
隣国の国教を信仰しているとは思えない発言である。ほんまこのおっちゃんは。
なんだか都合よくスフェン教の司教とレベリス王国の国民であるという札を使い分けているような気がするな。
「ただ、スフェンドヤードバニアの人間で司教まで上り詰めていても、処罰は避けられなかった。このこと自体は喜んでもいいと思うけどね」
最後にイブロイがそう締めて、レビオス元司教の情報は打ち止めとなる。
俺なんかは彼の悪行を実際目にしているからそこまでの違和感は持たない。しかし、ロゼはレビオス元司教や教皇のことを信じていた様子でもあった。
なんらかの情報操作があったことは確実だろうが、それを抜きにしても断罪は免れなかったということか。司法が正しく働いているという意味では、確かに一市民としては喜ぶべきことな気もする。
そう言えばグラディオ陛下に招かれて王宮で食事をした時も、そういうことへの言及はほとんどなかったな。
あくまであれは労いの場であって、そういう話をする場所ではなかったという見方も出来るが、一方で俺という政に関わらない人間の前では言いにくいことでもあったのだろうと思う。あるいはもっと単純に、口に出来る段階ではなかったか。
おじさん、それなりに口は堅い自信はあるけど、それでも国家間のやり取りを耳にして冷静でいられる自信はちょっとない。
ただまあ、そこら辺を俺が聞いても仕方がないしな。情報を持つことによるリスクの方が遥かに大きい気がする。そういう話はアリューシアやヘンブリッツに任せておくに限る。
「それと、教会騎士団での動きで何かご存じのことがあれば伺いたいです」
「ふむ。知り合いでも居たかな?」
「まあ……はい、そんなところです」
そして今、一番気になっているのはやはりロゼの処遇とその後だ。
これに限って言えば、アリューシアやルーシーすらも頼れないから辛い。彼女に関しては、俺とガトガだけの秘め事だからなあ。
秘め事っていうとちょっといけない事象を想像してしまうが、実態は字面以上にヤバい代物である。
なんせ、王権派の打倒を掲げている教皇派の尖峰、更にその中心に居た人物のことだ。教会騎士団副団長という地位もヤバさに拍車をかけている。
しかしながら、それらの情報を表立って集めづらいというのは、事情を知る者としてはどうにもやきもきしてしまう。
なので、イブロイからの問いかけにも曖昧に答える他なかった。いや、正確に言えば知り合いが居ること自体は伝えても全く問題ないと思うのだが。どこでどんな情報が洩れるか分からないからな、用心に越したことはない。
「教会騎士団の情報はあまり多くは入ってきていないね。ああでも、幹部級の首がいくつかすげ変わったというのは聞き及んでいるよ」
「例えば、副団長などですか」
「ほう。詳しいね」
「ただの予測ですよ。当てずっぽうの」
「そうか」
イブロイからの追及を躱す。これで躱せているのか疑問は残るが、彼は曖昧に頷くにとどまった。
否定をしなかったということは、ロゼはほぼ確実に副団長の座からは降りたと見ていいだろう。すげ変わったとなると、また新たに誰かが副団長に任命されたのだろうか。
ガトガが苦悩している様子が脳裏に思い浮かぶ。ヒンニスからロゼ、そしてまた新しい副団長と、短期間に首が三つも変わったことになるからな。
だが、そこから先は誰にも分からないまま、か。
まさかイブロイにロゼの行先をしつこく聞くわけにもいくまい。素直に考えるならば、ロゼは負傷を理由に副団長の座を辞退、その後隠居という筋書きになるだろう。
今はどこで何をやっているのか。心配にはなるが、彼女も強い子だ。俺のようなおじさんに遠いところで心配されても困るかもしれないな。
願わくは、新しい生活の中で、新しい目的を持ってほしいと思う。
「他は何かあるかな? そろそろ午後の祈祷の時間でね」
「いえ、大丈夫です。すみません、お時間を頂いて」
「構わないさ。君とは今後ともそれなりには付き合っていきたいしね」
「ははは……」
話が一段落ついたところで、またしてもイブロイの一見柔和な、そして胡散臭い笑み。
うーん。俺としてはルーシーとの縁もあるし悪い人じゃないと思っているが、必要以上に深く入り込むのは少し遠慮しておきたい。また前みたいな無茶振りをされてもちょっと困る。
「そういえば、ミュイ君は元気にしているかい?」
「ええ。元気ですよ。今は魔術師学院で頑張って勉強しています」
「そうか。それはよかった」
最後に、ミュイの近況を伝えて今回のお話はお開きとなりそうだ。
しかしやっぱりと言うか何と言うか、イブロイはミュイのことも知っていたんだな。俺は直接伝えたことはないが、ここら辺はルーシーからある程度の情報は渡っているのだろう。
まあ彼はルーシーの家のことも知っていたし、ハルウィさんとも顔見知りの様子であった。一時期居候していたミュイのことを知っていても何らおかしくはない。
ただ出来れば、俺以上にミュイをあまり近付けたくない、というのは勝手な言い分だろうか。
どうにも彼に全幅の信頼を置くには少し憚られる。更に質が悪いのは、イブロイ自身が自分のそういう見られ方を知った上でそう振舞っているように見えるという点。
俺もバルトレーンに来てから、随分と人との付き合いが増えた。
今までビデン村で過ごしていた分には村の皆と、弟子の子たちとの付き合いだけに終始していればよかったが、これからはそうもいかなくなる。というか、実際そうなりかけている。
俺一人ならまだしも、ミュイが余計な事件やトラブルに巻き込まれるのは避けたいところだ。いや別にイブロイが悪人だとまで言うつもりはないけれども。
「表まで送って行こう。また何かあれば教会に来るといい。何か懺悔したいことが生まれれば、その時は話も聞こうじゃないか」
「はは、そうならないことを祈るばかりですよ」
互いに席を立ち、教会の入口へ。
今のところ、後悔するような出来事は特にないけれど。言葉通り、懺悔室のお世話にならない未来を祈るばかりだ。