第122話 片田舎のおっさん、教会を訪れる
「今日はありがとうございました。ラビオリ、美味しかったです」
「それは何よりです」
キネラさんと二人で昼食と会話を楽しんだ後。店を後にし、改めて礼を述べる。
いや、本当に美味かった。別に普段使っている酒場の料理やミュイの手料理が美味しくないとかそういう話ではなく、食べ物としてのジャンルが違う感じ。
たまにはこういった、ちょっぴりだけ豪華な食事も悪くないかな、なんて思う。ミュイの情操教育という面もあるし、幸いながらたまの贅沢くらいは出来る収入と貯蓄もあることだしね。
いやしかし、そういう店に通うのであれば、ミュイの食事作法なんかも少しは手を入れておくべきだろうか。あの子は相変わらずパワフルな食べ方をするので、ちょっといい店だと悪い意味で浮いてしまうかもしれない。
「長々と付き合って頂いてすみませんでした」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
ラビオリをつつきながら、結構色んな雑談をしてしまったなあと振り返る。
キネラさんは初対面の印象も良かったが、話してみると話し上手で聞き上手であった。こんなおじさんにも嫌な顔一つせず付き合ってくれる実にいい人だ。
「ベリルさんには期待していますから」
「期待……ですか」
いったい何に対する期待だろうか。剣魔法科の五人を正しく導く期待などを掛けられると、正直ちょっと重たい気もする。別に手を抜くつもりはないが、それでもおじさんの両手で支えられる量は限られているのだ。
「剣魔法科の現状、ご存じですか?」
「ええ、まあ……フィッセルから多少は聞きました」
キネラさんの話す雰囲気が、少しだけ変わる。
「剣魔法科は、いわば新しい学問の一つです。その道が早々に閉ざされてしまうというのは、やはり避けたいものですから」
「気持ちは分かります。……頑張ってみますよ、私なりには」
「ええ、ですから期待しています」
「ははは……」
恐らく彼女が伝えようとしていることは、以前フィッセルに聞いた話と同じ。講義の受講人数が少ないままだと、剣魔法科の講義自体がなくなってしまう、と言うことに対してだろう。
いやしかし、それにしたって期待がちょっと重たいぞ。ルーシーは本当にいい意味でも悪い意味でも伝える情報がざっくばらんである。ここまで困窮していることを最初に伝えられていたら、俺の心情も少し変わっていたかもしれないと思うくらいには。
「新しい試みは、どんどんやっていくべきだと思っています。私自身は、古臭い防性魔法しか誇れるものがありませんけれど」
「そんなことは……」
古臭い。あまり言葉として良くない響きではあるだろうが、裏を返せばそれは歴史があるということだ。
多分だけど、魔術師学院にも浅くない歴史があるはず。そういうのを重視する人が教師陣の中にも多い、ということなのかな。
「ふふ、すみません。ちょっと湿っぽくなってしまいました。それでは、私は学院の方に戻りますね」
「はい。午後も頑張ってください」
そんなことを考えていると、キネラさんから言葉が続く。どうやら魔術師学院の方に戻るらしい。
剣魔法科の講義一つだけを担当している俺と違って、彼女は学院の常勤教師だ。俺なんかとは忙しさの桁が違うだろうしね。
貴重なお昼休みの時間を俺との食事に使ってくれたのはありがたさも感じるが、同様に申し訳なさも感じてしまうな。
「機会がありましたら、また食事でもご一緒しましょう」
けれど、折角誘ってもくれたのだ。今回限りの付き合いとして切り捨てるには、少々どころではなく勿体なかった。あと普通にキネラさんいい人だし、友好な関係は保持しておきたいところである。
「あら。それでは今度はベリルさんがエスコートしてくださるということで、楽しみにしておきますね」
「ははは……お手柔らかにお願いしますね」
返ってきた言葉に、思わず苦笑を漏らす。
うーむ、これはちょっとよさそうな飯処を調べておく必要が出てきたかもしれん。練り歩きながら探してもいいが、アリューシアやルーシー辺りに聞けばそこら辺も教えてくれないかな。
「それでは、失礼しますね」
「はい、それではまた」
最後に挨拶を交わし、互いに別れる。
さて、今日この後はどうするべきか。美味しい料理を腹に入れた直後だから、適度に動いて少し燃焼させておきたい気もする。
剣魔法科の講義がある時、騎士団の指南役については休みを貰っているから、別にこのまま帰っても誰にも文句は言われない。しかしながら、やっぱりただ一日をのんびり過ごすだけというのはかえって落ち着かないものである。
「……ん?」
でもまあ、普段あまり歩かない北区に出てきたのだから、時間もあることだし軽く散策して帰るか、と考えていたところ。
カラン、カランと。学院の鐘でも酒場のドアベルでもない澄んだ響きが、晴れ渡る空に控えめに響き渡った。
「ああ、教会か」
音の発生源に視線をやると、少し小高い丘に建てられたスフェン教の教会が遠目に確認出来る。
そう言えば、北区にはレベリス王宮と魔術師学院、それに教会があるんだった。レビオス司教とのあれやこれやの関係で夜間に突撃をかましてから、結局その足は遠のいたままである。
あの件の顛末は、結局詳しくは聞いていない。教会騎士団のガトガから司教が裁かれたらしいというのは聞いたが、それじゃあ今、バルトレーンのスフェン教関連がどうなっているのかは分からないままだ。
ルーシーとイブロイの無茶振りから始まった司教の捕獲戦。フィッセルとクルニの助力がなければ危なかったであろう一戦。推定ミュイのお姉さんのこともあり、あまり心象の良くない場所である。
「んん……一応寄っておこうかな」
あの一件以降、イブロイとは会っていない。単純にタイミングが合わなかったというのもあるし、その後もスフェンドヤードバニア使節団の護衛なんかでごたごたしていたのもある。
時間はあるしそれなりに時間が経った今なら、あの戦禍の跡も綺麗になっていることだろう。ついでにイブロイが居れば、近況を尋ねるくらいはしてもいいかもしれない。
そんなわけで食後の運動も兼ねて、ちょっくら教会の方まで歩いてみることにした。
北区の馬車停留所から教会までは、そう遠くない。同様に魔術師学院までの道のりも近いものだ。
必然、学院と教会、それとついでにレベリス王宮は割と近い立地にあり、まあふらっと立ち寄るくらいなら難なく出来る距離であった。
整備された石畳の道を歩みながら、視線を左右に移す。
中央区と違って、そこまで背の高い建物が密集しているわけでもない。その分、王宮の尖塔や教会など、背の高い建物の存在感が一層高まっているとも言える。
夜と違って、人通りもほどほどにはある。流石に中央区や西区ほどではないが、それでもここがレベリス王国の首都であるということには十分納得出来る景観であった。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。礼拝ですか? お気をつけて」
見回りをしているらしき王国守備隊の人と、すれ違いざま声を掛けたりもしてみる。
流石に王宮がある地区だけあって、見回りの数が多い。
いやしかし、普通言葉を投げかけるならこんにちはとかそういう挨拶だったかもしれないと、少しだけ後悔した。守備隊の人に対して初手でお疲れ様はなんか違う気がしてきたぞ。普段から騎士団庁舎の前に居る守備隊の人らと交わしている挨拶をそのまま口に出してしまった。
幸いながら俺の言動はそこまで不自然ではなかったらしく、帯剣した初老の男性は和やかに挨拶を返してくれた。俺の歩く先から恐らく目的地は教会であると判断したのだろう。まあ行先は合っているけど、目的は礼拝じゃないんだけどね。俺は無神論者だし。
勿論、最初から神を信じていなかったわけでもないけれど。流石に幼少の頃からそんな悟りを得ているわけでもなかった。
最後に神を頼ったのはいつだったかな。子供の頃、お袋の作った料理をつまみ食いしようとして、皿ごとひっくり返してしまった時かもしれない。
おやじ殿はそうでもなかったが、あの時はお袋にしこたま怒られたっけ。つまみ食いをしようとしたことより、結果として食事を粗末にしてしまったことを物凄く叱られた記憶がある。
だからと言うわけでもないが、俺は食に関しては結構寛容になり、同時に厳しくもなった。出されたものはとりあえず食べるようになったし、食のありがたみというものを頑張って感じようともしている。
まあ結局のところ神に祈りは届かず、はちゃめちゃに怒られたわけだ。
それだけが原因だとまでは言わないが、神よりもおやじ殿やお袋、それに剣の道の方が信ずるに値するものだと考えるようになってから、無闇に神に祈ることはやめた。精神の拠り所としての神様や宗教を否定する気はないけどね。たまたま俺は違ったというだけである。
「……っと、ここか」
そんな幼少期に思いを馳せながら歩いていると、教会の建っている丘の前に到着した。
うーん、夜に来た時は中までは入らなかったし視界も良くなかったが、近付いてみると結構立派である。それなり以上に年季を感じさせる、石造りの教会だ。
ちらっと聞き耳を立ててみるが、分厚い扉越しではよく分からない。そう騒ぎ立てるような場所でもないだろうから、音がしないのは何も不自然ではないのだが。
ただ、周りを軽く見回してみても、死体だとか血の跡だとかそういうものは見られず、綺麗なものであった。
当然だが、あれから掃除も清掃もされたのだろう。じゃないと一般の人とか近寄れないしね。
お掃除をしてくれた誰かに心の中で感謝を述べつつ、教会の扉に手を掛ける。見た目よりは幾らか軽い扉の感触、扉はあっさりと開き、中の様子が目に入った。
「おぉ……」
広々とした空間に、礼拝用の長椅子が規則的に並んでいる。
奥の像は神を模したものだろうか。あれがスフェン神の像なのかもしれない。しばし目を泳がせると、祈りに来ているであろう信者の何人かが手を組み、頭を垂れている様子が目に入った。
「こんにちは。お祈りに来られた方でしょうか?」
俺の姿を確認した一人の男性が声をかけてくる。
いかにも聖職者らしいローブに身を包んだ、柔和そうな男性だ。年は俺と同じくらいかな。片手には教典らしき分厚い本を持ち、口元には穏やかな笑みを浮かべていた。
「こんにちは、お邪魔します。あの……イブロイさんはおられますでしょうか」
お祈りに来たわけではないので若干の申し訳なさを感じつつも、ここに来た用件を端的に伝える。
「ハウルマン司教ですか。失礼ですが、お名前を伺っても?」
「ああ、はい。ベリルが来た、と言って頂ければ分かると思います」
うん? 司教? 今司教って言った? あれ、イブロイって司祭じゃなかったっけ。もしかしてレビオス司教のあれやこれやがあったあと昇格したんだろうか。
「畏まりました。少々お待ちください」
まあでもそれを目の前の男性に対して突っ込むわけにもいかず。
俺の用件を聞いた男性はそのまま一礼すると、礼拝堂の脇にある部屋へと引っ込んでいった。
さて、待たされているということは、ここにイブロイは居るということだ。これで空振りだったら諦めて散策でもして帰ろうと思っていたので、一応話は出来そうかな。
「やあ、お待たせベリル君。教会へようこそ」
「あ、どうも」
応対してくれた男性が奥に引っ込んでからしばらくも経たないうちに、奥の部屋からイブロイが出てきた。思ったよりも早くて助かった。教会の礼拝堂で一人ぽつねんと残されても、何もやることがなかったからね。
「まさか入信、というわけでもあるまい。奥で話そうか」
ははは、と笑いながらイブロイが言の葉を放つ。
相変わらずこの人、宗教に仕える人とは思えない言動である。まあそれくらいざっくばらんな方が俺としても付き合い易いのだが、神を信奉する者としてどうなの、とは思わなくもない。
「お元気そうで何よりです」
「ありがとう。君も壮健なようで何より」
歩きながらとりあえずの挨拶を交わす。
ちらほらと礼拝に来ている人からの視線を感じるが、俺とイブロイとの関係ってなんだか一言では言い表しづらい。別段他人に説明する必要もないんだけど、教徒でもないおっさんがいきなり司教様を呼び付けている格好だからなあ。
「さ、入ってくれたまえ」
「失礼します」
で、案内されたのは多分応接室とかそういう類のところだろう。礼拝堂の脇から少し入ったところにある、小ぢんまりとした部屋であった。
流石に教会という立地上華美さはなく、質素かつ必要十分な造りと家具である。まあ男二人が雑談するくらいだから何も問題はない。
「さて、今日はどういった赴きかな? 懺悔でもするかい?」
互いに椅子に腰掛けた先で、イブロイが冗談めかして笑う。
「まさか。これでも品行方正に生きてきたつもりですよ、一応は」
悔い改めたいことって言われても特にないしね。つい最近までずっと田舎に引っ込んで生活していたので、別にそういうこともないのである。真面目に生きてきた、というよりは生真面目に生きてき過ぎたのかもしれないが。
「そうか。そう言えば、贈り物は無事に届いたかな」
「ええ、ありがたく使わせてもらっています」
「それはよかった」
贈り物、と言われて思い当たる節は一つしかない。ミュイのための衣類とお金が入れられていたあの木箱だろう。予想はしていたがやっぱりあれはイブロイからの謝礼だったらしい。
お金の方は大切に仕舞わせてもらっているが、衣類の方は言葉通り、ありがたく使わせてもらっている。年頃の女の子の服を買いに行くのもちょっと恥ずかしいと思っていたところだし。
「ところで、先ほど別の方に伺いましたが司教になられたそうで」
「ありがとう、君のおかげだよ。私もようやく出世した、ということかな」
先ほど受付に出てきた男性から聞いた情報を伝えると、どうやら司教になったのは本当だったようだ。
これはおめでたいこと、に当たるのだろうか。その背景を多少なりとも知っているために、手放しで喜ばしいことだとはちょっと思えなかった。
「それで、何か聞きたいことがあるんだろう?」
ルーシーの家で会った初対面の時と変わらず柔和そうな、それでいて少し胡散臭そうな笑みを湛えながら、イブロイが話を切り出した。
アリューシアには『「将来先生と結婚します」という思いを幼少期に本人へ伝えている』旨の爆アドが存在しますが、その爆アドを他の誰にも伝えていないため、現時点ではさほど周囲にアドれていません。
かなしいね。