第121話 片田舎のおっさん、食事を楽しむ
「このお店です。量もほどほどで美味しいんですよ」
「おお……」
魔術師学院の正門を出てしばらく。多分時間的に言えば、十分歩いたかどうか、といったところだろう。
キネラさんに案内されながら、俺は一軒の飯処へと足を運んでいた。
レベリス王宮や貴族たちの住まいがある北区。辿り着いた飯処はその立地に相応しいような、やや小ぢんまりとはしているが清潔感と高級感のある店構えである。
雰囲気で言えば、以前アリューシアと服を買いに行った店に似ている。これやっぱり俺がちょっと場違いな気がしてきたぞ。大丈夫かな。
ちなみに歩いている途中、何人かに奇異の目で見られたのだが、それはもう仕方がないということで諦めることにした。キネラさんには申し訳ないと思うものの、こればっかりはもうどうしようもないのである。
アリューシアやスレナと一緒に居ると感覚が麻痺しそうになるが、魔術師学院の教師だって生粋のエリートには違いない。そういう意味ではキネラさんもこのバルトレーンでは相当な有名人のはずであり、そんな彼女とぽっと出のおじさんが一緒に歩いていれば、そりゃ衆目も集めてしまうというものだ。
「席は……まだ空いているみたいですね。入りましょうか」
「え、ええ」
しかし、そんな視線に晒されていたはずのキネラさんに、戸惑いや恐れの感情は見られない。図太いのか、慣れているのか。まあ多分後者だろうなと思いながら、先を行くキネラさんの後ろをついていく。
なんだかバルトレーンに来てからこういうシーンばっかりな気がする。女性が前を行き、その後ろに男性である俺がついていく流れ。なんとも格好がつかんなあと思いながらも、こんなおじさんに今更張る見栄もなかろうと思いなおす。
「いらっしゃいませ。二名様ですね」
カラン、と清涼な、しかし静かな音がドアベルから響く。
うーん、行きつけにしている酒場と違ってドアベル一つとってもお上品。
「はい」
「ではこちらのお席へどうぞ」
キネラさんは流石に通い慣れているのか、俺たちの入店に反応したボーイさんと淀みないやり取りを行っていた。その後ろを頑張ってきょろきょろしないようについていく俺。やっぱりちょっと格好悪い。
そして案内されたのは、北区の閑静な街並みを眺めながら食事をとれるテラス席。
うーん、オシャレ。昼下がりのぽかぽかとした陽気の下で取る食事というのもまたオツなものだ。
「ふふ、また緊張されていますね」
「ええ、まあ……。あまりこういう店には来ないもので」
席に着いて一息つくと、キネラさんから話しかけられる。
ミュイと飯を食べに行く機会はそれなりにあれど、そのほとんどが庶民的というか大衆的というか。店の雰囲気や所作に緊張するようなグレードのところに行くことはなかったからなあ。そういうところは俺以上にミュイが緊張しそうだし。
「もっと気楽にして頂いて大丈夫ですよ。そう厳しいお店でもありませんので」
「はは、ありがとうございます……」
どうやらここはそれなりに高級そうではあるものの、そこまで格式ばったお店でもないらしい。
格だけで言えば、レベリオ王宮でグラディオ陛下とともに食卓を囲んだあの時がぶっちぎりでトップだろうが、そういうのは出来れば今後御免被りたい。
まあ、ちょっと高級感のあるお店で魔術師学院の同僚とご飯を突っつくだけだ。そう考えれば、王宮のあれやこれやに比べると少し気が楽にもなる。
講師になったとはいえ、俺は臨時かつ非常勤。魔術師学院に行くのは週に一回、剣魔法の講義がある時だけだから、他の先生方との交流はほとんどないと言っていい。
その中でキネラさんは、ミュイの事情もあり比較的話せる相手であった。というか、生徒以外だとルーシーやフィッセル、キネラさんくらいしか話す相手が居ない。俺は職員室みたいなところには行かないから、全然友好関係が広がらんのである。
「何を頼みます? ここはラビオリが美味しいんですよ」
「ああ、じゃあ私もそれを頂きます」
運ばれてきた水で舌を湿らせながら、注文するメニューについて少し言葉を交わす。
ここによく通っているキネラさんが普段頼むものであれば、そう外れることもあるまい。何より、このバルトレーン北区で店を出せている時点で一定の質は保証される。味の好みは一旦置いておくとしても、口に出来ない味のものは出てこないはずだ。
「すみません。ラビオリを二つ」
「畏まりました。トマトベースとチーズベースが御座いますが」
「ベリルさん、どちらにします?」
「えっと……じゃあ、トマトベースで」
「では、それを二つお願いします」
キネラさんがボーイを呼び止め、スマートに注文をこなす。やっぱりというかなんと言うか、この人も上流階級の人なんだなあと感じるね。所作言動の一つひとつに気品がある。外行きのアリューシアを柔らかくした感じ。なんか変な例えだが。
「講師のお仕事にはもう慣れましたか?」
「ええ、まあ。なんとかやらせてもらっていますよ」
料理が来るのを待つ間、近況伺いみたいな感じの雑談をこなす。
言った通り、講師の仕事はまあなんとかやらせてもらっている、みたいな感じだ。道場の時と比べて教える子の数が少ないから、一人ひとりをしっかり見れるというのも大きい。
それに、本来の講師であるフィッセルのことを教えていた、という情報の威力は俺が思っている以上に大きかったらしく。今のところは生徒の皆も言うことを聞いてくれてありがたい限りであった。
「そう言えば、ルーシー……学院長からは、キネラさんは防性魔法の優れた使い手であると」
「あら。そんなに誉めそやされるほどでもないんですけどね」
以前聞いていた情報を確認ついでに漏らしてみれば、返ってきたのは柔らかい笑顔。
「ベリルさんも、魔法に興味がおありですか?」
「それはまあ、ないと言えば嘘になりますね。自分は剣一辺倒なものですから」
魔法は、大きく五種類に分別されるという。
曰く、攻性魔法、防性魔法、回復魔法、強化魔法、生活魔法の五種類だ。
フィッセルの剣魔法とか、ルーシーの放つ魔法とかはまあ分かる。どういう効果があるのか、どれくらいの威力があるのか、視覚的にもまだ分かりやすい。
強化魔法や回復魔法も分かる。というかこれらは奇跡という名で、スフェンドヤードバニアの連中が使っていた。
生活魔法ってのはやや聞き慣れない言葉だが、多分攻撃性のないものだとか、魔装具を作るための魔法かなとか、そういう想像も付く。
しかしながら防性魔法というのは、その単語を聞いても詳しい内容がちょっと分からない。
名称の通り、守りに関するものだろうというのは何となく分かるのだが、じゃあ具体的に魔法の力でどう守るのかってのはいまいち理解が及ばないままであった。
「他の魔法はなんとなく分かるんですけど、防性魔法というのは想像が付きづらく……」
「ふふ、確かにそうですね。攻性魔法と比べて見た目にも分かりにくいですから」
そんな気持ちを素直に吐露すれば、キネラさんもそういう見解であるらしい。
確かに守る魔法って、まず見た目の想像が付かないんだよな。炎に対して同量の炎をぶつけたり、あるいは水をぶつけたりして無力化するとしても、それは同じ攻性魔法であるはずだし。
「じゃあ、ちょっと試してみましょうか」
「えっ?」
突然の提案に言葉を失う。
試すって魔法をってこと? こんな食事処のど真ん中でやるの? もしかしてこの人もルーシーと同じタイプの人だったりする? もしそうだったらおじさんびっくりです。
俺の困惑を他所に、キネラさんは俺の目の前に右手を差し出した。
「私の手を握ってみてください。グッと強めに」
「え、えぇ……?」
ふわふわとした笑顔のまま、眼前に手を差し出すキネラさん。
うーん、これは握手でもすればいいのだろうか。というか女性の手に触れるってそんなに気安くやっていいもんじゃない気もする。
「遠慮なくどうぞ」
「わ、分かりました……。いきます」
どうしようか少し迷っていたら、遠慮なくやっていいよとのお達し。
ここまで来て、じゃあやっぱりやめときます、なんてのも言い出しづらい。覚悟を決めてってほどじゃないけど、折角魔法の一片に触れさせてもらえるのだ、お言葉に甘えてやってみよう。
「よっ…………お、おぉ……?」
普段人と握手する時よりは強めに、それでも女性への暴力にはならない程度に抑えて、彼女の右手を握る。
すると、なんとも言い難い感触が俺の手に伝わった。
「ふふ、もっと強めでもいいですよ?」
キネラさんは余裕の表情である。
発せられた言葉は挑発と言えるほどのものではないが、彼女の手を握る時に感じた感触。これを信じるのであれば、もっと力を込めても問題ないはずだ。
「……なるほど。では、遠慮なく……!」
ぐぐぐ、と握る右手に力を込める。
はっきり言って、かなり強めに握っている。これがただの一般女性が相手なら、痛みに悲鳴を上げていてもなんらおかしくない強さで、だ。
「ぐぬ……!」
「とまあ、これが防性魔法です」
最後はほぼ全力で握り潰す勢いで行ったが、結局彼女の表情は微動だにしないままであった。
「ふう……よく、分かりました。凄いですね、これ」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
入れていた力を抜き、右手をほどく。全力で力を込めていたせいで、ちょっと右肩が張っていた。
だが、キネラさんのおかげで防性魔法がなんたるかは少し分かったぞ。
「基本はこうやって、魔力の膜を張るのが防性魔法です。膜の強さや広さは使い手の技量、状況に寄りますが。今回みたいに手の一部だけなどの狭い範囲であれば、人によってはかなりの強度を出せますね」
同じく右手を戻したキネラさんが説明をしてくれる。
俺が彼女の右手を握った時に感じた感触。
それは女性の柔肌などではなく、冷たく弾力性と強靭性のある「何か」であった。断じて皮膚の感触ではない。
言われた通り、魔力の膜を張っているという表現が一番しっくりくる。
いくら握っても、人間の握力ではとても突破出来そうにない感覚であった。これなら確かに、熟練した者であれば剣戟や弓矢の攻撃なんかも弾けるかもしれない。
「先程のような単純なものであれば、防ぐのも比較的簡単です。これがもっと力のある剣だったり魔法だったりすると、また勝手は変わってきますけどね」
「なるほど……」
魔法にはまったく縁も才能もない俺だったが、これは正直少し羨ましい。
極論を言えば、この魔力の防御膜を展開したまま近接戦をこなすことが出来れば、攻防一体の無敵剣士の出来上がりである。
無論、それはあくまで理想上の話で、キネラさんの言う通り現実はそう単純ではないのだろうが、それでも剣士である俺からすれば、攻性魔法と同じくらい魅力的に感じられた。
「凄まじい力ですね。私も俄然興味が湧いてきました」
「ふふ。それは何よりです」
恐らく、キネラさんも本気でやったわけではないだろう。
ただ単純に、右手一つをおっさんの握力から守っただけだ。これがもし俺の全力の一振りだったら、果たして結果はどうなっていたか。曲がりなりにも武に携わる者として、興味は尽きない内容である。
「ちなみに学院長はもっと速く、もっと強く出来ます。あの人は全ての魔術に対して別格ですから」
「分かってはいたつもりですけど、凄い人なんですねあの人……」
「ええ、掛け値なしに凄い人ですよ」
如何せん最初に知り合った切っ掛けから今日に至るまで、ルーシーとの付き合いがざっくばらんとしたものだったため、未だ彼女の評価に対するギャップを感じなくはない。
いやまあ、相対した時から凄い人だというのは分かってはいたのだが、なんだか俺の中で気の置けない悪友みたいな立ち位置に収まってしまっている。
これが良いことなのか悪いことなのかは分からんが、付き合い自体はそれなりに良いものが出来ていると信じたいところだ。
改めて思ったが、仮に彼女との関係が険悪になったり最悪敵対したとして、ルーシーに勝てるビジョンが湧かない。なす術なくボコボコにされて終わるだろう。権力も実力も俺なんかとは遥かに格が違う。
今度会った時からルーシーさんとかルーシー様とか敬称付けた方がいいのかな。そんなことを考えてしまうくらいには、魔法の凄さとルーシーの凄さを改めて感じた一幕だった。
「お待たせ致しました。トマトベースのラビオリになります」
魔法の一端を垣間見たところで、料理の到着である。
おお、美味そう。適度に焦げの付いたパスタ生地がまた食欲をそそるな。
「それでは、頂きましょうか」
「ですね。頂きます」
手を合わせ、頂きますのご挨拶。
ナイフで切れ目を入れると、ふんわりとした湯気とともにオイルの爽やかな香りが鼻腔を擽る。お、中身は挽肉と芋かな。シンプルな組み合わせだが、その分深く味を楽しめそうな一品だ。
「ほふっ……うん、美味い」
口に運べば肉のジューシーさとオイルの香り、そしてトマトの酸味が程よく口の中でとろけ、絶妙な味を生み出している。
流石は北区に店を構えるだけはあるね。多少値は張るかもしれないが、たまにはこういうところでお淑やかにランチ、というのも悪くない気がしてきた。一人で来る気はちょっと起きないけれど。ミュイの教育の一環でこういうところに足を伸ばすのもいいかもしれない。
「気に入って頂けたようで嬉しいです」
「いや、本当に美味しいですよ。ありがとうございます」
うまいうまいとパクパク食べていたら、キネラさんから声がかかる。
本当に礼を言うのはこっちの方で、こんな俺を気に掛けてくれるし、連れてきてもらった飯屋も旨い。
フィッセルという接点が生み出した新たな交友に、自ずと俺の頬も緩むというものだ。
「そう言えば、フィッセルは魔術師学院でも優秀だったとか」
「ええ、とても大人しくて好い子でしたよ。本の虫のように色々な魔術書や学術書を読み漁ってましたね」
「それはまた、フィッセルらしいというか……」
「ベリルさんが教えていた頃はどんな様子でした?」
「ずーっと素振りしてましたね。それこそ剣の虫みたいな感じですよ」
「あら。うふふっ」
そうして話題は自然とフィッセルのことへと移る。
彼女は本当に隙あらば素振り、みたいな感じで自主練習を欠かさない子だった。多分何か一つのことに集中しやすいタイプなんだろう。その才能は舞台を移した魔術師学院でも、遺憾なく発揮されていたようである。
「まああの子、たまに集中しすぎて人の話聞いてないこともあるんですけど……」
「分かります。凄い集中力なんですよね」
ただし、少しばかり集中しすぎるきらいがあるのは玉に瑕。一つの道を極めるためには大事な要素だけどね、集中力って。そんなところも魔術師学院では変わらなかったらしい。
「そうそう、学院ではこんなことも――」
「へえ、それはまた――」
キネラさんは気遣いも出来るし会話も上手い。優雅に昼食を食べながら、軽妙なトークに自ずと口も軽くなる。
そうして俺たちはラビオリに舌鼓を打ちながら、実に楽しいランチタイムを過ごしていった。
キネラさんは地味ですがかなりの使い手です。地味ですが。