第120話 片田舎のおっさん、食事に行く
「それじゃ、お邪魔しました」
「うむ。またな」
学院から用意された契約書にサインを認め、ルーシーの淹れてくれた紅茶に舌鼓を打ってしばらくした後。
ルーシーと別れの挨拶を紡ぎ、俺は学院長室を後にした。
時刻は丁度お昼時。
アリューシアの計らいもあって、魔術師学院で教鞭を執る時は騎士団での稽古は休みになった。より正確に言えば、休んでいいことになった。つまり俺は今から庁舎の方に顔を出してもいいし、このまま街をぶらついて帰ってもいいわけである。
「まったく、結構な身分になっちゃったな……」
パタンと学院長室の扉を閉めてから、一言。
この世界から俺への忖度が働いている、なんて大仰なことは流石に思わないが、それにしたってここ最近の出来事は身に余る。
ついこの間まで、俺は片田舎の道場で門下生とのんびり過ごしていただけだったのに。
気が付いてみればレベリオ騎士団の指南役に就任し、バルトレーンで弟子たちと久しぶりに再会し、スレナとともに特別討伐指定個体を仕留め、大業物と言える新しい剣を手にし、何故か子供が出来、挙句の果てには魔術師学院で臨時講師なる立場も手に入れてしまった。
勿論、ここで胡坐をかくつもりはない。
これまでの流れははっきり言って、運が良かった。
いや、アリューシアにいきなり国王からの任命書を突きつけられて半ば誘拐に近い形で引っ張られたのを運が良かったというのかは疑問が残るが。
ただまあ、ありがたいことに首都バルトレーンで新しい生活を送っていく中、やっぱりこなきゃよかった、なんて思うようなことは少ない。
これは偏に俺の周囲に居る人たちが良い人で凄い人だった、というのが大きいが、そういうのも含めてやはり俺は、運が良かったのだろう。
そして同時に、これまで培ってきた技術や経験、鍛錬が、田舎の剣術道場師範とはまた別の形で実を結んだということになる。
充実感はある。満足感もある。
今までビデン村に篭っていた生活もそう悪いものではなかったが、これはあの場所では得られなかった感慨だ。
「今日はどうしようかな、っと」
魔術師学院のやたら長い廊下を歩きながら、今日のこれからを考える。
夜はミュイと飯を食べるにしても、それまでは結構な時間が余ってしまった。とりあえず時間的にも、昼飯を食いに行こうかと思う。
こうやって生活の環境と幅と基準が上がったことにより、今日明日のこと以上を考えることも増えた。
即ち、今の俺の生活はどこを目標に設定すればいいのか、である。
ビデン村で剣を教えていた時は、それだけでよかった。
自分の腕と立場に納得はしていたし、高望みなんてするべくもない。
だが、今の俺には新たな肩書がある。立場だって生まれているはずだ。何の間違いか知らないが、王族からも顔と名前を憶えられた。
多分、一般的には誇れることなのだと思う。王国最強と名高いレベリオ騎士団の特別指南役に就き、王族からも覚えめでたい。
しかし、それじゃあこれが俺の望んでいたことかと問われれば、そこには少し疑問符が付いて回るのである。
満更でもない現状の境遇ではあるものの、それでも突如として降って湧いた今現在に、困惑がないと言えばそれは嘘になる。
当面はいい。
指南役としての務めもあるし、たった五人とは言え魔術師学院の生徒たちのこともあるし、何よりミュイが居る。
彼女が学院を無事卒業して、独り立ちするまで。まあ少なく見積もっても数年以上はかかるんだが、問題はその先だ。
元々大した欲も持ってなかったもんだから、どうにも身の振り方を考えてしまうというか。
最終的には、実家に戻って道場を継ぐことになるのだろうとは思う。それにしたって、おやじ殿からはさっさと嫁を見つけろなんて言われているから、それもこなさなきゃいかんのだろうけども。
「嫁……恋人……うぅーん」
歩きながら、ついつい呟きが漏れる。
今の環境で出会いがないとは言わない。
アリューシアもスレナもクルニもフィッセルも、道場で学んでいた時と違って今や立派な大人だ。弟子としてというより、一人の女性として接するべきだということは分かる。
何より、彼女たちは皆美人で気持ちの良い性格をしていた。
となるとやはり問題は俺の性格だとか性分だとか心持ちだとか、そういう話になってくるんだろう。
ただどうしても、自分が剣を教えていた弟子たちに対してそういう感情というか、目線を持てそうにない。何かきっかけがあれば変わるのかもしれないが、今のところその線は薄そうである。
「あら、ベリルさん。こんにちは」
「おわっ!? っと……キネラさん。こんにちは」
もやもやと考えながら歩いていたら、突然かけられた声にびびってしまった。我ながらちょっと情けない声が出た。
声をかけてきたのは、この魔術師学院で教師を務めているキネラ・ファインさん。魔術師らしくローブを羽織った大人の女性だ。
「学院長から聞いていますよ。こちらで教鞭を執ることになったそうで」
「ええ、まあ……迷惑がかからないようにはします」
「迷惑だなんてとんでもない。期待してますよ、なんて」
「ははは……」
ちょっとおどけるような口調で期待をぶつけてくるキネラさん。
初対面はミュイを初めて学院に連れてきた時だが、その時から彼女は今と同じく落ち着きを持っていて、それでいて暗いというわけでもない、まさに出来た大人を体現したような印象であった。ふわりとウェーブを描いた髪が、その印象をより強くしている。
年はどうだろう。俺よりは下だろうけれど、具体的にはちょっと分からない。多分アリューシアより少し上かな、という気もする。
まあここら辺はわざわざ聞くものでもないし。そう親しくもない女性に対して不躾に年齢を聞くのは、かなり失礼だという話は聞いたことがある。
けどまあ、なんだろうな。
仮の話だが、もし俺が嫁を貰うとすれば、こういう包容力のある優しい女性がいいな、なんて思う。そんな人が俺にそういう類の感情を向けてくれるのかとか、応じてくれるのかとか、そういう問題は一先ず置いておくとして。
「何か考え事ですか?」
「えっ、ああ、いえ……まあ、はい。そんなところです」
キネラさんに突っ込まれるが、流石に将来の嫁と好みについて考えてました、なんて言えないしな。内容はどうあれ考え事をしていたのは事実なので、そういう感じの答え方になってしまう。
ルーシー曰く、キネラさんは魔術師としても優秀で、特に防性魔法に優れているらしい。その防性魔法というものが何か分からないから、いまいち想像は付きにくいけれど。機会があれば見せて貰えたりするんだろうか。
「そういえば、ミュイはどうです?」
俺が考えていることを深掘りされても困るので、とりあえずといった感じで話題を提供してみる。
ぱっと思いついたから聞いた部分は多分にあれど、気になると言えば気になる話題だ。
ミュイはあまり、自宅でそういうところを語らない。
勿論、重大な問題などがあればルーシーやフィッセルが伝えてくれるだろうが、どんな日常を送っているのか、細かいところは分からないのである。
「まだ人との接し方が上手く分かっていないような部分はありますけど、素直でいい子ですよ。他の生徒たちとの衝突もないですし」
「そうですか。それはよかった」
恐らく借りてきた猫みたいな感じなんだろうなあ。
素直でいい子だという評に、俺からしたら意外性はあまりない。彼女は過ごした環境もあって後天的に性格がきつくなってしまっただけで、根は結構いい子である。
懸念としては、そんなミュイが学院に上手く馴染めるかどうかというところだが、こればっかりはある程度の時間はかかるだろう。俺やルーシーが相手でも、彼女はそれなりに気を抜くまで短くない時間を必要とした。
ただ、自宅で話される数少ない情報や剣魔法科の講義の様子から見るに、そこら辺もあまり心配はなさそうだった。少ないながらも学友には恵まれていそうで何よりである。
「ふふ、やはり親としては気になりますか?」
「ええまあ、そんなところです。お恥ずかしいですが……」
そんなやり取りを経て、キネラさんはふわりと優しく笑う。俺としては、曖昧な笑いで返すほかなかった。
後見人として、父親として。
今が気になるのも勿論だが、将来的に俺は彼女に何かを残せてあげられるのだろうか、という悩みはやっぱり尽きない。こればっかりは、腕の立つ弟子たちも頼りに出来ないのが困りどころだ。
考えてみれば、俺の周りって親として頑張っている人が居ない気がする。誰も彼も独り身である。弟子で言えばランドリドくらいだ。
そこら辺、一番頼りになるのは恐らくおやじ殿になるんだろうが、中々この類の相談を持ち掛けるのはやりにくい。そもそもこのめちゃくちゃな過程を一から説明するのも面倒だし。
「でも、彼女にも頑張って改善していこう、という気概は見て取れます。それはやはり、ベリルさんのお力添えだと思いますよ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
俺は、キネラさんにミュイ周りの事情をあまり詳しくは話していない。とりあえず書類上の後見人は自分ですよ、というのを伝えたくらいだ。
もしかしたらルーシー辺りから説明が入っているのかもしれないが、それでもこうやって俺やミュイのことを酌んでもらえているのはありがたい。つくづく、俺は人の縁に恵まれているようである。
「本日はもう上がりですか?」
「ええ、午前中に剣魔法科の授業も終えましたので。のんびり昼飯でも食べに行こうかなというところです」
言いながら改めて周りを見渡してみれば、生徒やら教師やらと結構すれ違う。時間的にもお昼休みといった頃合いだろう。
「なるほど。そう言えば、ベリルさんはこの辺りは結構来られるんです?」
学院長室の前から学舎の出口へ。自然とキネラさんと歩きながらとなった会話の中、ちょっとした質問が飛ぶ。
「いやあ、北区の方は未だにさっぱりでして。学院と王宮以外、目立った場所は知りませんね」
言った通り、北区の地理は未だにさっぱりだ。大体乗合馬車に乗るか、時間に余裕がある時は歩いたりするけど、学院への道以外ほとんど行ったことがない。
何か欲しいものがあれば西区に行くし、飯処で言えば中央区周辺で事足りている。わざわざ北区に赴いて何かをしようという理由がなかった。今更一人で観光してもなあという感じもある。
「でしたら、ご一緒にお昼でもどうです? 安くて美味しいところがあるんですよ」
「えっ」
予想外の言葉に一瞬固まる。
弟子以外の女性からランチのお誘いなど、まさか受けるとは思っていなかった。他意があるわけじゃないだろうが、それでも想定外のお誘いに、とっさに返す言葉が浮かんでこない。
「……ご迷惑でした?」
「あ、いえいえいえ! そういうわけでは!」
俺の反応を否定的なものと捉えてしまったのか、キネラさんの眉が少し下がる。
いかん、なんかめちゃくちゃテンパってしまっている。そりゃ今はお昼時だし、冷静に考えたら新しい同僚と軽くご飯を突くくらい、何も不思議ではないはず。
「すみません、あまりそういうお誘いに慣れておらず……。私でよければ、是非」
「ええ、ありがとうございます」
「いえそんな、お礼を言うのは俺……あ、いや、私の方で……」
「ふふふ、そんなに緊張なさらなくても」
しどろもどろな俺の対応にも、彼女は笑顔を崩さない。
なんと言うか、大人として経験値の違いが見て取れる。年齢で言えば俺の方が年上だろうが、俺なんてずっと地元の道場に篭っていただけだからなあ。
田舎の村だと付き合いなんて見知った顔しか居ないわけで、こういう外交性は培われてきたとは言い難い。まあただの言い訳だけどさ。
「同僚になったことですし、ちょっとした親睦を深めるものとでも思って頂ければ」
「そうですね……では、お言葉に甘えて」
親交を温めるためと言われれば、こちらとしても無下にするわけにもいかない。そもそも、お誘いを断る理由も特にないしね。
しかし、確かに書類上は同じ教師になったのかもしれないが、魔術師学院に勤めるお歴々と肩を並べるというのはどうにもむず痒い。ブラウン教頭のようにあからさまな視線や意見を受けるわけではないものの、やっぱり魔法を使えない身で、という微妙な肩身の狭さというものは感じてしまう。
そういった意味では、こうして声を掛けてもらったのはありがたいことだ。キネラさんとはミュイと初めて学院に来た時からの顔見知りでもあるわけだし、少なからず事情を知っている一人でもある。
それに、こうやって親睦を深めておけば、何かあった時に俺も言い出しやすい。その何かが起こらないことを祈るばかりではあるけれど。
「ではいきましょうか。学院からは歩いてすぐですから」
「ええ。ご相伴にあずからせて頂きます」
「あら、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」
そんなやり取りを残しながら、魔術師学院の正門を通る。
真上に昇った太陽の光を浴びながら目を向けると、透き通った空に王宮の尖塔がよく映えていた。




