第118話 片田舎のおっさん、走らせる
「はい、あと二周ー」
「先生の指示。しゃきしゃき走る」
時は少々過ぎ去って、何度目かの魔術師学院での講義。
今日は剣魔法科の五人を集めて、この無駄に広大な魔術師学院の敷地を走らせているところである。
「はい! とりゃあー!」
「うんうん、元気なのはいいことだ」
俺とフィッセルの声を受けて、シンディが元気よく返事をし、そして加速する。
あの子、本当に体力あるなあ。うちの道場で何年か腕を鳴らした弟子たちともいい勝負をするかもしれない。
単純な筋力で言えばネイジアやルーマイトの方が上だろうが、持続力という点では特筆に値すべき能力を見せている。魔術師より剣士の方がよっぽど似合っているんじゃないかってくらいだ。これでもし魔法の才能がなければどうなっていたか、というのは少々興味深い。
「ちっ……! 負けるかよ……!」
「僕だって……!」
シンディの加速を目の当たりにし、ネイジアとルーマイト、男子二人組が負けじと足を回していた。
何事もそうだが、競う相手が居るというのはいいことだ。如何にその身に豊富な才能が眠っていたとしても、単独で出来ることは限られてくる。
誰かと競い、誰かに教えを乞い、人は成長していくのである。俺だっておやじ殿が居なければ、今まで剣を握り続けることはなかっただろう。
「ふっ……ふっ……」
「は、はひー……はひー……!」
一方で、ミュイとフレドーラの二人はちょっとキツそうだ。特にフレドーラは結構、いやかなり体力に不安がある。
元々の性格や出自までは知る由もないが、彼女はシンディと違ってそこまで腕白というわけではないようで、今もなんとか肺に息を入れながら這う這うの体で走っている、という感じであった。
またミュイも――こちらは予想通りではあるが――持久力という点では、現時点での評価は高くない。
力の伝え方や瞬発力という部分では年齢と性別の割に秀でたものが見えるが、やはり身体の土台がまだしっかり出来ていないのだろう。
ここに関しては、今後の食生活も含めてじっくりと身体を作っていく他ない。剣術やら魔法やらと同じく、肉体も一朝一夕には出来上がらないのである。
「懐かしい。私もよく走ってた」
「うちは結構走り込みしてたからなあ」
剣魔法科の生徒たちが魔術師学院の敷地を走っているのを眺めながら、フィッセルがぽつりと零す。
フィッセルは一見華奢な容姿をしているが、その実かなりの体力がある。
レビオス司教を捕える時にも発揮されたように、最高速度こそそこそこなものの、かなりの長時間速度を維持して走ることが出来る。
ビデン村の道場では剣を教えるのは勿論、それと同等以上に身体作りに力を入れていた。だから、うちの門下生は基本的に体力自慢が多い。
これはおやじ殿の方針だが、そのおやじ殿曰く、うちの道場に連綿と受け継がれているやり方らしい。だから俺も昔からかなり走っていたし、おやじ殿も勿論、俺の爺ちゃんも走っていたそうだ。
そうやって鍛えられてきたからこそ、齢四十五を数える俺であってもそれなりの体力を維持出来ているわけだ。
そして、俺自身がその教育方針を肯定しているために、俺も弟子たちに走れと教えている。
まあ、今同じ量を走れと言われても多分無理だけどさ。
俺は四十五歳の割にはまだ体力ある方かなと思っているだけで、寄る年波には勝てんのである。
「剣を振るにしても何をするにしても、まず大事なのは体力だからね」
「私もそう思う」
しかしもって、基礎体力というのは結構馬鹿にならない。
この重要性を分かっていない人たちは、しばしば剣を振ることだけを意識しがちだ。後は筋力トレーニングとか。レベリオ騎士団なんかは、結構筋力を重視している節がある。
勿論、それが間違っているとは言わない。力強い剣を振るためには、最低限以上の筋力は絶対に必要だ。理力も大事だが、それだけで剣は速く振れない。すべてが必要なのである。
ただし、俺やおやじ殿が大事としている教えはそこでは留まらない。
一番強い剣士の条件とは何か。
一番力強く、そして速く剣を振れる者。それは正解の一つだろう。
だが、相対した相手と実力がほぼ互角なら。より力強く、より速く。そしてより長く剣を振れる者の方が強い。
さらに言えば、激しく剣を振り合い続けた後になお、敵わないと見て逃げる体力がある者。もっと言えば、逃げ足が速い者。
そういうやつが、結局最後まで生き残るのである。
俺はそんなに足が速いわけじゃないが、実力の見切りと割り切りの早さには結構自信がある。勝てないやつには勝てないしね。そういう時は一旦逃げて、また修行して挑むのが一番だ。
果たして、魔術師の卵たる彼らにそんな場面が出てくるのかってのは分からないが、備えておくに越したことはない。どちらにせよ、剣を十分に振るには体力も必要であるからして。
「ほりゃー! 終わりました!」
「おかえり。シンディは体力あるねえ」
「はい! それだけが取り柄ですから!」
フィッセルと細々と話しながら剣士について思いを馳せていると、向こうから勢いよく向かってきたシンディが走り終えていた。
「ふぅ……! クソ、はええな……」
「はぁ……!」
やや遅れて、ネイジアとルーマイトが到着。バテバテというほどではないが、それでも息は切れている。
「ふー……」
「はひぃ……!」
で、先に着いた三人が涼んでいるところにミュイとフレドーラが到着した。
この二人はかなり体力の消耗が激しい。フレドーラは分かりやすくバテバテだし、ミュイも顔には出していないがかなり辛そうである。
「皆、お疲れ様。こんな感じで、これから剣魔法の講義の際はちょくちょく走り込みと体力確認をします。常日頃から走っておくと、ちょっといいことがあるかもしれないね」
全員の到着を確認して、労いの言葉と今後の予定を伝えておく。
フィッセルとルーシーの太鼓判を頂いてから俺は、魔術師なら、とか魔術師学院なら、とかいう考え方を一旦捨てた。どこまで行っても俺は一介の剣士であるからして、教える内容は剣士の考え方に沿ったものだ。
魔術師の彼らにこれが必要なのかは正直分からない。
しかし、剣士としてみればこれは絶対に必要である。
「はい! 剣を振るには体力が大事! そういうことですね!」
「その通り。身も蓋もない言い方だけどね」
さっきまで走っていたとは思えないほどの元気の良さで、シンディが声を出す。
いや、この子本当に凄いなマジで。筋力や剣筋では他の皆にやや劣るものの、体力のみで述べれば突き抜けている。これは天性の才能だなあ。羨ましいものだ。出来ることなら、その才能をしっかりと伸ばしてあげたい。
「フィ……フィッセル先生も……は、走ってたん、ですの……?」
「勿論。沢山走った」
「ぉふぇ……そ、そうですの……」
フィッセルの剣魔法に憧れていることを公言したフレドーラは、息も絶え絶えと言った様子。体力がないのもそうだが、走るという行為自体にまだ慣れていない感じだ。
「ふぅ……体力が要るってのはなんとなく分かるけどよ……」
「何もそれだけが目的じゃないよ。しっかりと剣を振るには腕力だけじゃなくて、下半身も重要だから」
「なるほどね……」
ネイジアの零した疑問に答える。
言った通り、体力は確かに大事だ。しかし剣に限らず武器を効果的に扱うためには、腕力のみならず下半身の動かし方も重要である。
「素振りの時も言ったけど、何も知らない人は腕だけで剣を振りがちだ。だけど、足、腰、腕と正しく力を使えば、もっと楽にもっと効果的に剣を振れる」
「なんとなく分かります。僕も家で剣を習っていた時、足の動かし方も言われました」
俺の説明に、ルーマイト君が続いた。
別に俺自身を優れた指導者だというつもりもないが、ルーマイト君の家に付いていた剣術指南役は、ちゃんと下半身の重要性も教えていたようで何よりである。
腕力だけで剣の腕が決まるのなら、全員で延々腕立て伏せをやってりゃいいからな。ところがどっこい、現実はそういうわけにはいかんのだ。
「よし、今日はこれで終わりにしよう。丁度いい時間だしね」
言い終わるとほぼ同時。ゴォン、ゴォン、と、授業の節目を告げる鐘の音が鳴る。
「はい! 今日もありがとうございました!」
シンディが勢いよく頭を下げ、その後に勢いよく去って行った。実に清々しい挨拶と去り際である。
「先生も帰る?」
「いや、今日はこの後ルーシーに呼ばれてて。学院長室で待ってるらしいんだけど」
「じゃあ案内する」
「ありがとう、助かるよ」
フィッセルからこの後の予定を聞かれたので素直に答えておく。
なんでも、俺の雇用条件というか契約書というか、そういうものがようやっと纏まったらしい。
俺としても、フィッセルの授業を初めて見せてもらってから、これはある程度なんとかせにゃいかんと考えていたので、まあ講師の話は受ける方向で進めていた。
しかし、普段めちゃくちゃ動きの早いルーシーにしては意外と時間がかかったな、なんて思いながら、フィッセルの先導で魔術師学院の学び舎へと足を進める。
今更ながら思うが、魔法師団長兼魔術師学院長のルーシー様を呼び捨てにしているのは、果たしていいことなのだろうか。
初対面の時からなんとなくの流れで互いに呼び捨てにしあっているが、身分も立場も持っているであろう権力も随分違うだろうしなあ。
まあ、そんな彼女と気安い関係が築けている、という点でこれはメリットとして見るべきなのかな。別に本人から何か苦情を貰ったわけじゃないし、礼節を必要とする場でルーシーと話すことも早々ないと思うし。
「ここが学院長室」
そんなことを考えながら広大な学舎を歩くことしばし。
いくつかの階段とやたら長い廊下を経て、学院長室らしいところへと到着した。
「それじゃ、私は帰る」
「うん、案内ありがとう」
自身の役目は終えたと見たか、フィッセルが踵を返してこの場から離脱。別に彼女が同席していても問題ないとは思うが、呼ばれたのは俺個人だしなあ。
「さて」
コンコン、と。
見るからに重厚な扉をノックする。
「開いとるぞー」
「お邪魔するよ」
ノック後まもなく、投げやりとも表現出来そうな返事を頂戴して、俺はその扉を開けた。
コミカライズが非常に順調なのもあり、いつの間にかシリーズ累計35万部を突破していました。
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