第117話 片田舎のおっさん、食卓を囲む
「そう言えばさ」
「……なに?」
ぱぱっと今日の食事の準備を済ませ、ミュイと席に着き、いただきますと言葉を発し、互いに料理に手を付け始めてしばらく。
只管無言で飯をかっ食らうのも味気ないなと思い、ふと思いついた疑問を投げてみることにした。
「どうだい、実際に剣を振ってみて」
「……んん」
俺の質問を受けたミュイは、唸るように小さな声を発した後、野菜スープを一口啜った。
今日のメニューは、焼肉に黒パン、そして野菜を煮込んだスープ。焼肉はその言葉通り肉をスライスして火で焙っただけだし、黒パンは出来合い。スープも具材をぶち込んで煮込むという、まあシンプルな感じである。
スープやシチュー、ポトフといった料理は時間こそややかかるが、手間がかからなくてよい。量も好きなだけ作れるから、二人分には少し多いくらいの量をいつも作っている。余れば次の日に消費すればいいし、何回も言っているがミュイも結構食べるからな。
「……難しい。フィッセル先生やオッサンがすげえってことがよく分かる」
「ははは、それを分かってくれるだけでも有難いものさ」
思ったよりはっきりした言葉を貰えて、思わず笑みが零れた。
剣は、見るほど単純ではない。当たり前だが、単純に振ればいいわけではないのだ。身体の置き方一つ、振り方一つとっても、そこには連綿と紡がれた技術が存在する。
無論、それらは一朝一夕で身に付くようなものでもない。途方もない反復練習と意識の果てにようやっとその一端が掴めるかどうか、といったところ。そして、それを掴めるかどうかは本人の努力と才能、両方の天秤を必要とする。
ただし、その才能がどのくらい眠っているか。そして、本人の努力でその才能をどの程度開花させることが出来るか。こればっかりはある程度の期間、しっかりと剣を振らねば分かりようがない。
魔法のように、使えるから才能がある、とはいかないのがまた難しいところであった。勿論それは、剣に限ったことじゃないが。
幸いながら俺はおやじ殿の血と教育のおかげもあって、それなりの才能と環境には恵まれた。アリューシアやレベリオ騎士団の皆にもそうだが、剣を学び始めたミュイにも、俺が持つ技術や知識くらいは持ち越してあげたいところである。
「ミュイは身体の使い方が割かし上手い。頑張れば、そこそこにはなれるんじゃないかな」
「……ふん」
俺の言葉にミュイは小さく鼻を鳴らし、焼いた肉に齧り付いた。
魔術師学院にお邪魔した時に見た限りではあるが、ミュイは剣を振る才能がまったくない、というわけではなかった。
元々スリをしてギリギリの生活をしていた所為か、身体つきは良くないし、それはこれからの改善が必要だ。
ただ、身体の使い方はそこそこ上手い。身体のどの部分にどれくらい力を入れればどの程度動くのか。それを恐らく本能である程度分かっている。
俺の知る限り、身体の使い方が抜群に上手いのはアリューシアとスレナの二人だ。流石にあの二人くらい大成する、とまでは俺も断言出来ないが、それでもまあ、ずっと真面目に剣を振っていればそこそこ良いところには行くんじゃないか、というのが俺の所見だった。
「魔法の方はどうかな」
「ん……まだ基礎っぽいから何とも。なんとなく難しいだろうなってくらい」
「そっか」
剣の方は俺でも多少分かるけど、魔法のこととなるとてんでさっぱりだからなあ。魔術師学院が適当な教え方をしているとも考えにくいから、そこら辺は信用しつつ、その成果に関しては剣と同じく気長に待つしかない。
ぱっと教えてぱっと扱えるのなら、そもそも学院なんて要らないわけで。
「けど、まあ……それなりには、楽しい」
「……うん、それは何より」
僅かに口元が緩んだミュイ。
ミュイは俺と一緒に生活するようになって、そして魔術師学院に通うようになって、ほんの少しだけ丸くなった。
まず事あるごとに叫ぶのを止めたし、攻撃的な口調もなんとか矯正しようという本人の意思を感じる。
勿論、環境によって育まれた性格と口調がすぐに変わることはないから、その変化は見る人が見れば分かる、程度の小さなものではある。
逆を言えば、ちゃんと見れば分かる程度には彼女も変わってきている。それはきっと、良いことなのだろう。
出来ることなら、このまま学友とかを作って学院生活を謳歌して心身ともに健やかに成長していってほしい。剣魔法科のシンディとかいい友達になれそうだけど、どうだろうな。
まあ、奇妙な縁から魔術師学院へ赴くことになったとはいえ、ミュイの交友関係にまで口を出すつもりはない。特に拗れなければ、おじさんは黙って見守る所存である。もし拗れたらどうしよう。飛んでいくかもしれん。
「オッサン、次来るのは来週?」
「ん……多分そうなるかな。細かいところはアリューシアとかルーシーとすり合わせないとだけど」
「……ふぅん」
ミュイの方から珍しく、俺の予定について言及があった。
彼女なりに、気にかけてくれているのだろうか。だとしたら嬉しい限りだ。
そう言えば、魔術師学院のキネラさんとかには俺とミュイの関係性は説明しているが、剣魔法科の生徒達にはどうしようかな。
ミュイが別に違和感を覚えていなければこのままでも良い気もする。下手に事情を突かれる事態も避けたいし、身内だからってお互い変な目で見られるのも避けたい。
幸いと言うか、ミュイ自身もそこら辺を良い意味であまり気にしていない。仮に俺が贔屓するタイプだったとしても、彼女はその贔屓をあまり快く思わない性格をしているように思う。
なので、表面上はただの臨時講師と生徒という体面を維持出来ている。フィッセルもそこは触れない方向で進めているっぽいから、特別何か言われない限りはこのまま講師と生徒の関係性を続けようかなという感じである。
「何か気になることでもあった?」
「いや……んん……何でもない」
ちょっと深掘りしようと突っ込んでみたら、何やら言い淀んでいる様子。
これは無理やり聞かない方がいいだろうなと思い、俺はそれ以上の言及を避けた。
俺とミュイの距離感というのは、結構独特だ。
赤の他人ではない。かと言って年の離れた友人というわけでもない。体面的には親子だが、じゃあ実態がそうかと問われるとちょっと難しい。
一つ屋根の下で共同生活をしているのは事実だし、俺がミュイの書類上の後見人だというのもまた事実だが、じゃあこの関係性を正しく表現する単語は何なのか。その答えはぱっと思いつくほど単純なわけではないようだ。
俺は別に困ることはないが、将来的にミュイのことを考えると、そこら辺の精神的な区切りというものは付けておいた方がいいのでは、とも感じる。
まあ何にせよ、これは俺が勝手に決めることじゃない。彼女の心の持ちようというか、そういうものが大切になってくる。ミュイがそれを見つけるまで、俺は辛抱強く彼女に付き合い、そして出来る範囲で支えていこうと思うのだ。
「……どうだった?」
「ん? 何が?」
小さくなった黒パンをぷちぷちとちぎりながら、ミュイがぼそりと呟く。
「その……アタシとか、他のやつらとか」
「……ああ」
多分、他のやつらとは魔術師学院で剣魔法科を受講しているミュイ以外の四人についてだろう。
どうやら彼女は、俺から見た彼らの寸評というものを気にしているらしかった。
「さっきも言ったけど、ミュイは身体の使い方が上手い。剣捌きはまあ、これからだけど……いい線はいくと思う」
「……ん」
改めて褒めてあげれば、こそばゆそうに声を漏らす。
褒められるという行為自体にまだ慣れていないのだろう。これからも隙あらばガンガン褒めていきたい所存である。
「単純な剣筋で言うと、ルーマイトが一番しっかりしていたかな。あくまで現時点では、だけど」
子爵家の子ということで、ルーマイト君は家でも剣を振っていたという。
下地の有る無しでは、表に出てくる技術に差が出てくる。それらは今後努力次第で埋められるものではあるものの、やはり現時点で剣に一番慣れているのは俺の見立てではルーマイト君であった。
「あと、ネイジアはあの中では一番身体が出来てる。多分一番力があるのは彼だろうね」
「……シンディは?」
「お、気になる?」
「……別に」
「ははは」
ミュイが他人を名前で呼ぶというのは結構珍しい。しかも、ミュイの方から気にかけて名前が出てくるってのは俺基準だと相当だ。
「今の段階では何とも言えないけど、あの素直さと体力は立派な武器だと思うよ」
「……そっか」
シンディはルーマイトのような環境の下地があったようにも思えないし、ネイジアのように身体が作れているわけでもない。そもそも女の子だし、単純な腕力ではどうしても男子に劣る。
それでも、あの愚直なまでの素直さとそれを実践できる体力がある、というのは凄いことだ。如何程の才能が眠っているのかはまだ未知数ではあるものの、ああいう素直な子は教えていても気分が良い。
魔術師学院の中で剣の腕を競うってのも少し違和感を覚えるが、まあ剣魔法自体がそういうものだから仕方がない。最初から俺に魔法についての期待はされていないわけだし、ルーシーに言われた通り、のんびり剣を教えていくことにしよう。
「シンディとはよく話すのかい?」
「……別に。あっちが勝手に話しかけてくるだけだし……」
「ふふ、そうかそうか」
「……んだよ。なんかおかしいのかよ」
「ははは、悪い悪い」
これ以上弄るとまたミュイが拗ねそうなので、ここは素直に退散しておく。
しかしまあ、彼女もそれなりに学院生活を送れているようで何よりだ。俺がその足枷になってしまわないよう、頑張って職務に励むとしよう。