第108話 片田舎のおっさん、拗ねられる
「いやいやいや……えぇ……?」
ルーシーから齎された言葉に、思わずといった感じで声が漏れてしまった。
「相応の給金は出すつもりじゃ。悪くはないと思うんじゃがの」
「えっ、いや、そういう問題?」
勝手に話を進めんな。
そりゃ剣にしろ魔法にしろ、何かを教えるというのは技術の伝承だから、そこにお金が発生するのはまあ妥当だとは思う。
妥当ではあるが、そもそもの話の流れがちょっとおかしい。どうしてただの剣士である俺が魔術師学院で教鞭を執ることになるんだ。
「無理じゃないかな……俺は魔法を使えるわけじゃないし」
生徒からしても、魔法を学びに来ているのに出てきた講師が魔法を使えませんじゃ納得出来ないだろう。
魔術師学院は、魔法の素養を持つ者がその才能をさらに伸ばすために足を運ぶ場所だ。
当然ながら、ほとんどの人は魔法に対して意欲的であるはずである。俺の道場だって剣を学ぶ場所だし、剣に対して肯定的な人しか当然ながら集まってこない。わざわざ金を払ってまで、嫌々ながら学ぼうとする人間はそう多くないはずだ。
そんな場所に、魔法のまの字も分からんようなおっさんがしゃしゃり出るのはどう考えても違う気がする。ルーシーの無茶振りには慣れてきたつもりだが、この話はかなり無理があるんじゃないだろうか。
「なに、お主に魔法を教えろとは言わんよ。どう見ても剣士じゃろお主は」
「分かってるじゃないか……」
そうだよ、俺はどっからどう見てもただの剣士である。ミュイが通うことになったから魔術師学院に足を運んだだけで、それ以上は何も求めていないし求める気もない。
「教えて欲しいのは剣の方じゃ。お主、元々剣を教えとったんじゃろ? 問題ないと思うがの」
「ふーむ……」
別に教えるのが嫌だ、というわけではない。それが嫌なら、そもそも道場なんて継いでないわけで。
ただ、魔法を学ぶ場所で剣を教える、となると違和感がすごい。これはもしかしたら俺個人が持っている勝手な認識かもしれないが、そうだとしても一度違和感を覚えた以上、そうすんなりとはいかんのである。
「私は賛成。先生の剣がまた見れる」
「そ、そう……」
ここで剣魔法科の講師を務めているフィッセルが賛成に回った。
君はそれでいいのかとちょっと思ってしまう。ルーシーがやろうとしているのは、本来そこで教えるはずだった教え子の活躍の場を奪うというものだ。
人には確かに向き不向きがある。フィッセルの性格上、剣や魔法を他人に一から手ほどきするのはあまり向いていないだろうな、ということも分かる。
しかし、だからと言ってそれが出来る者を外部から引っ張り続けていては、後進が育たない。フィッセルだっていつまでも、教えるのが下手です、で通すわけにもいかないだろう。すべてが年功序列で決まるわけではないだろうが、それでも長く同じ環境に居れば後輩も部下も増えてくる。
俺の心情的に受けにくい、という点を除いても、ここで安請け合いしてしまってはフィッセルの成長を阻害することになりやしないか、なんて心配も付き纏ってくる。
「ミュイはどうじゃ?」
「……別に。どっちでも……」
ルーシーが剣魔法科を受講している生徒でもあるミュイに確認を取るが、返事は可もなく不可もなくといったもの。
表立って嫌だと言われたらそれはそれで凹むかもしれないが、もしそうならそれを理由に断ることも出来たんだけどなあ。なんだか今のところ、俺が魔術師学院に赴くことには皆肯定的に捉えている様子である。
「でも俺は、国王御璽付きの任命書で特別指南役になった身だよ?」
「アリューシアは週一回程度なら構わんと言っておったぞ」
「そっかぁ……」
特別指南役の肩書を出してみるも、既にアリューシアには話を通した後らしい。毎度毎度思うけど、こいつの手回しの速さはいったい何なんだ。俺本人を口説き落とす前に外堀を埋めるんじゃないよ。
「そういえばさ。アリューシアからは了承が出ていたとしても、実際問題国王からの任命書を持った人間が兼業ってどうなの?」
続いてちょっと気になったのはこの点であった。
究極を言えば俺はただの雇われ人だが、問題は俺を雇った人の役職である。なんてったって国王様だ。
相手が王族だからといって、必要以上に義理立てすることはないと俺も思ってはいるが、逆に言えば最低限は義理立てしておかなければ拙い。この話を受けてしまい、特別指南役としての役目を十分に果たしていない、などと言われては俺も立つ瀬がないのである。
「ん、そこは問題ないぞ」
「なんで?」
「詳しくは言えんが、問題がないようにした」
「えぇ……?」
ルーシーってどこまで顔が利くんだろうか。もしかして王族相手でもこの調子なんだろうか。
いったい何がどうなって問題なくなったのかは想像もつかないが、少なくとも彼女は嘘や出鱈目を言う人間ではないことは分かっている。彼女が良しと言うのならば、それは良しなんだろう。どうしてそうなったのかは皆目分からないけれども。
「まあ、とは言っても別に強制でも命令でもないでな。あくまで相談事じゃよ」
ここまで話しておいて、ルーシーは一旦強硬姿勢を解いた。
うーん。そう言われると多少は気が楽になるというものだが、なんだか押してダメなら引いてみろ的な思惑を感じなくもない。
「んー……」
さて、どうしよう。
繰り返すが、俺は別に剣を教えること自体が嫌なわけじゃない。
魔術師学院という、俺とは対極に位置する場所で教えるという点と、レベリオ騎士団の特別指南役としてそれはどうなの、という点。気になるのはこの二つだ。
騎士団に最初に赴いた時も、誰だこいつみたいな視線は多かった。それが魔術師学院となると、もっと露骨になるだろうことは想像に難くない。
俺だって折角教えるとなれば、気持ちよく教えたいのである。騎士団の場合はヘンブリッツ君との立ち合いでそれは消えたわけだが、さて魔術師学院となると果たしてどうか。
ルーシーのことだから、主要なところにだけ確認を取って後は流れで、みたいな気配も感じる。細かい帳尻だとか感情面のあれやこれやは現場で合わせてね、というタイプのやつだ。
それをされると一番面倒臭いのは、やっぱり現場側なんである。騎士団庁舎に初めて赴いた時のような視線をもう一度味わうと考えれば、あまり気乗りのするものでもなかった。
ただ一方、ルーシーが既にアリューシアとの話を終えている点、何故かは分からないが書類上俺の雇い主である王族にも話が通っている点、本来教鞭を執るはずのフィッセルや、その生徒であるミュイが賛同している点など、無下に断るのも忍びない状況も整っている。
「とりあえず、一度生徒たちの反応を見てから、っていうのでもいいかい?」
結果として、一度フィッセルとともにお伺いして見て、そこでの反応を見てから決める、という折衷案を提案することにした。
「構わんよ。どんな子が相手かも気になるじゃろうしな」
ルーシーの反応はそれでもいいぞ、的な感じ。
魔術師学院に足を運ぶのは初めてではないが、それでも教える立場として踏み入れるのは当然ながら初の試みである。まずは相手方の反応を窺ってみて、というのは俺的に言えば妥当なラインじゃないかと思う。
それに道場の頃は向こうから生徒が来ていたが、魔術師学院は違う。俺が乗り込んでいく形である。やっぱり相手の反応は気になってしまうのだ。
「ふふ、楽しみ」
俺の返答を聞いたフィッセルが僅かに口元を緩めながら、ゆらゆらと上半身を揺らしていた。なんだか随分と御機嫌な様子である。
「そんじゃ、わしは書類でも整えておくかのー」
「いや、まだ教えると決めたわけじゃないんだけど……」
「準備しておくに越したことはないじゃろ」
「それはそうだけどさあ……」
もし仮に俺がそのまま魔術師学院で剣を教えるとなれば、それはまた新たな雇用の形になるだろう。そうなると、それ相応の書類を用意しておかなければいけないのは事実ではある。
ただなんか、先にそこまで準備されてしまうと逃げ道を塞がれたような気持ちにもなっちゃうな。
「魔術師学院には癖のあるやつもおるが、基本はいい子ばかりじゃよ」
「そうだと嬉しいけどね……」
そりゃまあ教えるとなれば、癖のある子よりは素直な子の方が嬉しいんだが。
「それじゃ、職場見学じゃないが、一旦見に来るってことで話を進めておくぞ」
「ああ、うん」
なんだかんだで押し切られたような気もするけど、まあまだ決定したわけじゃないし気楽に考えよう。
それに、ミュイがどんな態度で学院の授業を受けているのか、というのも少し気になることだし。これは完全に俺目線の我が儘だけどね。
「また日程は連絡するでな。そう遅くはならんと思う」
「分かった」
ところでその連絡ってどうやって取るんだろう。また俺の家に乗り込んでくるんだろうか。アリューシアやフィッセルへの言伝って形だと俺もびっくりせずに済むんだけどな。
「先生、またね」
「ああ、うん、気を付けて」
ルーシーがフィッセルを連れて我が家を後にする。
結局フィッセルがほとんど喋ることなく話がほぼほぼまとまってしまったわけだが、ルーシーは彼女を引っ張ってきてどうしたかったんだろう。まあ一応現段階で教えてるのはフィッセルなわけだし、話を通すために連れ出してきたんだろうか。
「……ふん」
ルーシーとフィッセルが去った後、ちょっとばつが悪そうに鼻を鳴らすミュイ。
この子、まだ照れてるな。そんなに俺に剣を見られるのが恥ずかしいのだろうか。愛いやつめ。
「剣魔法のこと、言ってくれてもよかったのに」
「……ふんっ!」
可愛いなあと思ってからかっていたら、本気で拗ねられた。
おじさんちょっと反省。
「それじゃ、飯の用意でも……っと」
さて、来客も帰ったことだし時間ももうしばらく経てば日が落ちるかなといった頃合い。
晩飯の用意でもするかと席を立った俺が目にしたのは、奥の部屋に雑に積まれている服であった。
「ミュイ。雑に置くと制服が皴になっちゃうよ」
「……ふん」
「毎日着るものなんだから、悪く見られちゃうのはミュイだよ」
「……分かったよ」
軽く指摘すると、返ってきたのは面倒臭そうな反応であった。
彼女はのそのそとリビングから歩いてくると、しぶしぶといった感じで制服を畳みだす。
そう。ミュイが正式に魔術師学院に通うようになってから、学院から彼女の制服が支給されたのである。
青を基調とした学生服にスカート、ワンポイントとしてセットになっているペリース。都会のエリート学院らしい、とても清涼感と清潔感に溢れたデザインだ。
どうやらフィッセルやキネラさんが着ているローブは一人前となった魔術師の証らしく、まだ学生の身である者は身に着けることはないらしい。
代わりに、魔術を学ぶ学院所属の人物であることを証明するのがこの制服であるらしかった。ちなみに男性はスカートがズボンになるのだとか。
「折角似合ってるんだからさ」
「……うるせぇ」
「ははは」
これは親目線の贔屓かもしれないが、ミュイの青髪も相まって、青基調の制服は彼女によく似合っていると思う。生来の眼力の鋭さは置いておくとしても、青の統一感のある色合いは実に良くマッチしている。
馬子にも衣装、というとミュイに失礼だろうか。けれど、跳ねっかえりのお転婆とも言える彼女がこういう畏まった服に袖を通しているというのは、中々に感慨深い。
別に女の子らしくあれ、とかそういうことを言うつもりはない。自由に育ってくれればいいと思っている。
ただし、その土台となる教養や仕草というものは、俺の目と手の届く範囲で最低限身に付けさせてあげたい。
結局その辺りが不足して、最終的に困るのはミュイ本人なのだ。四六時中俺が盾になるわけにもいかないし、いずれ彼女も大きくなって独り立ちする。
その時に、ミュイ自身が恥をかいてしまうような事態は出来れば避けたい。なので、あまり気乗りはしないものの、時にはこうやって口酸っぱく窘めることもあるのであった。
「剣も魔法も教養も、覚えることが沢山だね」
「ふん」
いずれ彼女も、俺なんかの手にはかからなくなってくるのだろう。
その時が待ち遠しくもあり、嬉しくもあり。同時にほんの少しだけ、寂しくも感じるのだ。




