第106話 片田舎のおっさん、剣を預ける
「えぇっと……確かこっちだったか」
いつもの訓練が終わった後。
俺は騎士団庁舎を出てから真っ直ぐ家には帰らず、少し違う場所へと足を進めていた。
行きたい場所は定まっているが、道はまだいまいち覚えきっていない。多分こっちで合ってると思うんだけど。こんなことならまたクルニにでも付き合ってもらえばよかったかもしれない。いや、それはそれで彼女には迷惑かな。
「お、あったあった」
だが、どうやら俺の辿ってきた道は間違いではなかったらしい。
中央区のちょっと外れたところに存在する、小ぢんまりとした鍛冶屋。今回のお目当てはここである。
「お邪魔しますよっと」
「おう、いらっしゃ……おお、先生じゃねえか」
扉を開いて挨拶を投げ込むと、返ってきたのは威勢のいい出迎えの声であった。
そう、バルデル鍛冶屋である。クルニのツヴァイヘンダーを仕入れ、また俺のゼノ・グレイブル製の剣を作り上げた、元弟子が営む鍛冶屋だ。
しかし相変わらずこいつは物凄い身体をしているな。鍛冶師ってのは筋肉ムキムキじゃないと務まらない仕事なんだろうか。
「どうしたんだ?」
「いや、ちょっと剣を見てもらいたくて」
「ほう?」
俺の申し出に、バルデルの瞳が怪しく光る。
いや別にやましいことは何もしてないんだが、なんで剣を見てもらいに来ただけでそんな顔をされにゃならんのだ。
「何かあったか?」
「ん……いやね、ちょっと斬り過ぎたかな、と」
腰に提げた鞘を取り外してバルデルに渡しつつ答える。
俺の見立てに限って言えば、この剣自体に目立った損耗は見られない。が、それはあくまで素人目線での話だ。こういうのは本職に任せるに限るのである。俺も不安があるまま帯剣したくはないしね。
「ほーん……まあいいか。ちょいと見させてもらうぜ」
「ああ、頼むよ」
鞘から抜き出した剣を、バルデルが睨みつける作業が始まった。
じっと見て、時に触り、また刃筋に沿うように布を当てたりしている。その様子をじっと見ているのもすぐに飽きてしまったので、手持無沙汰を感じながら店に飾られた武器に視線を流す。
相変わらず、良い剣たちだ。
冒険者として最高ランクであるスレナが懇意にしているくらいだから、バルデルの腕はそれで半ば保証されているようなもんである。俺も彼が打った剣には満足しているしね。
バルトレーンに居る限りは、彼以外の鍛冶師に世話になることは多分ないと思う。これは勿論、俺の元弟子であるという贔屓目も多少含まれてはいるが。
「……かなり斬ってるな。どうしたんだ先生」
「えっと……この前、騒ぎがあっただろう?」
「ああ、噂にゃ聞いてる。そういや先生も騎士団所属だったな」
「まあ、一応ね」
あの事件があった後、剣は流水で洗い流しはしたんだが、やっぱり沢山の何かを斬ったことは分かるらしい。どこを見てそう判断したのかは分からないけれど。
今回バルデルに剣を見てもらおうと思ったのは、その件も関係している。というのも、如何に切れ味が落ちなかったとはいえ、沢山の人間を斬ったことには変わりないのだ。
俺では分からないレベルの刃毀れや、消耗などがあるかもしれない。その懸念を払拭するために、こうやって稽古終わりに訪ねてきたわけである。
「それで、どうだい?」
「んー……」
剣を見つめるバルデルの表情はそう硬くはないが、逆を言えば明るくもない。
「まあ、ちょいと研げば大丈夫だろ。言うほど摩耗してねえよ」
「そうか、それはよかった」
やっぱりこの剣出鱈目だなあ。あれだけの大盤振る舞いをしておいてちょっと研げば元通りなんて、普通の剣では考えられない。ただの鉄で出来た剣であれば、戦闘中にダメになっていても何らおかしくない使い方だった。
これはやっぱり、ゼノ・グレイブルの素材が良い感じに作用しているんだろう。あとなんだっけ、エルヴン鋼とか言ったっけ。そういう希少な金属も使われているらしいから、耐久性もきっと高いんだろうな。良く知らんけど。
「しかし、やっぱ先生はすげえな」
「うん? 何がだい?」
研ぐためだろう、剣の細かい埃や汚れを掃除しだしたバルデルが、感嘆したように言葉を漏らす。
「いや、どんだけこの剣が頑丈だっつっても、上手く刃筋を立てなきゃ意味がねえからな。恐ろしく上手く使わなきゃいけねえ。ま、逆に言えばどんだけ上手く使ってても駄目だったくらい、酷使したとも言えるが」
「ははは、ありがとう」
一介の剣士として、剣筋を褒められるのは悪い気分じゃない。それが元弟子からの贔屓目であったとしても、やっぱり腕前を良く言われることに悪い気はしないのだ。
しかしまあ、やっぱりあの数の人間を一度に相手取るのは普通はやらないよな。業物でもない、普通の刃物で人間を斬れば通常五人、良くても十人も斬ってしまえば刃は鈍る。
その点、この剣はつくづく常識外れと言ったところだろう。俺には勿体ない、と思ってはいたが、ああいう場面が今後もないとも限らない。身に纏う武器は出来る限り上物を持っていた方がよさそうだ。
その意味では、アリューシアの武器も何とか新調させてあげたいところだが、まあそこは俺が言っても聞かないんだろうなあ。ちょっぴり気が重い。
「ふむ……ついでにコーティングもやり直すか……。なあ先生」
「ん?」
「こいつ、一日二日預かってもいいか。研ぎもそうだが、エルヴン鋼で再コーティングしておきたい」
ふーむ。どうしよう。
今のところ、真剣を振らなきゃいけないようなイベントは特にない。数日程度なら問題はないように思える。そもそも俺も、前の剣が折れてから今の剣になるまでは一週間以上開いていたわけで。
「代わりの剣はそこのやつを適当に持ってってくれていいからよ」
「ああ、うん、それなら別に構わないよ」
腰が寂しくなるなあと思っていたら、どうやら替えの剣は貸してくれるらしかった。それなら特に文句はないし、俺も得物が万全の状態にあった方が何かと嬉しい。第一、たった数日でまたあんな事件が起きるわけもないしな。
「さて、どれどれ」
とりあえずゼノ・グレイブル製の剣はバルデルに預けるとして、一時の相棒となる剣を選んでみようじゃないか。まあ言うて、めちゃくちゃ拘るつもりも特にないんだけどね。こういうのは結構気分が大事なのである。
「ふむ」
適当に見繕って手に取ってみるが、やはり良い剣だ。しっかり研がれているし、重心も申し分ない。
出来るなら、今の剣とサイズや重量感が同じくらいのやつを腰に差しておきたいところだな。一時でも重みが変わると、ちょっと気持ちが落ち着かないのだ。
「これでいいか」
いくつか手に取って素人なりに目利きをして選んだそれは、何の変哲もないロングソード。飛び抜けて優れているとまでは言わないが、堅実に作られたモノであることは分かる。
まあ、俺は剣を振るのが本職であって、剣を作ったり選んだりする立場の人間でもないからね。
「うん、悪くない」
腰に掲げてみるが、重量感もほぼ思った通りで違和感も特にない。数日身体をだまくらかすには十分の出来だろう。いやまあ、ここにある剣は全部バルデルが打ったものだろうから、品質という点では悪いはずはないのだが。
「そんじゃ、研ぎとコーティング料で一万ダルクだ」
「ああ、分かった」
元々研ぎを依頼するつもりで来たんだし、この程度の出費は想定の範囲内。
むしろ俺からしたら、ゼノ・グレイブル製の剣をロハで頂いているのだから、これくらいは払っておかないとどうにも腹の座りが悪いというものである。
世の中、タダでものが手に入るのならそれが一番よさそうに思えるが、俺としても剣を教えて日銭を稼いでいる身。相応の技術には相応のお金が払われるべきだと思っている。
バルデルも鍛冶師として申し分ない働きをしているはずだし、それに見合うものは支払われるべきだ。いやまあ、この剣に関してはスレナからお金は入っていると思うけど。
「そんじゃ、明後日くらいに来てくれ。きっちり仕上げとくからよ」
「うん、よろしく頼むよ」
料金を支払い、代わりの剣を腰に差し、バルデル鍛冶屋を後にする。
しかし念のためにとは思ったが、バルデルに見てもらって正解だったかもしれん。やはり餅は餅屋に限る。俺程度の観察眼など、俺が一番信用していないからな。
「よっし、帰るか」
俺の一日の仕事はこれで終わり、ではない。
家に帰ってミュイと食卓をともにし、彼女を愛でるという重大なミッションが残っている。ミュイも今の生活には大分慣れたようで、時々ではあるが魔術師学院で起こったことなんかを食事の場で教えてくれたりもする。
そういう話を聞くのは、楽しい。何より、ミュイがちゃんと魔術師学院の学徒として馴染んでいることが分かるから安心出来る。
でも、学院でどういうことがあった、みたいな話はちょくちょく聞くんだが、どんな授業を受けているのか、というのは何故かあんまり教えてくれない。別に無理に聞き出すことでもないから、彼女の気の赴くままに任せているのが現状だけど。
日が幾分西に傾き、影の背丈が伸びてきた時分。
今から家に向かえば、日没までには十分に余裕をもって戻れるだろう。今日の晩飯はどうするかな、と、我が家の台所事情を思い浮かべながらの帰路となった。
第四章開始です。
これからものんびりお付き合い頂けますと幸いです。