第1話 片田舎のおっさん、来客を迎える
「ベリル。いい加減孫の顔を俺に見せてはくれんのか」
「おやじ、こんな田舎で何を期待してるんだ……」
片田舎の剣術道場の朝は、おやじ殿の訳の分からない呟きから始まった。
俺はベリル・ガーデナント。おっさんだ。
詳細は省くが、片田舎で代々続く剣術道場の師範なんかをやっている。
いや詳細を省きすぎだろとか思われるかもしれないが、他の情報を出しようがないので仕方がない。
俺はいい歳こいたおっさんで、片田舎の剣術道場の師範をやっている。それ以上でもそれ以下でもないのである。
「休みの日の朝っぱらから精神統一なんて、そりゃ出会いもなかろうよ」
「そういう教育をしたのはおやじじゃないか」
師範の座を俺に譲って引退してからこんな戯言ばっかりぬかしよる。
俺だって出会いがあるなら出会ってみたいわい。ちくしょうめ。
家が家なもんだから、物心の付いた時から木刀とじゃれ合っていた人生だった。
両親は俺を健全な男児として産み、そして育ててくれたが、どうやら俺はおやじ殿が持つ優れた剣の才能を引き継げなかったようだ。
無論、努力はした。
別に剣が嫌いではなかったし、何よりこんな田舎では他に没頭出来る趣味も生まれなかった。
好奇心の躍る幼少期。
人生の絶頂期である十代。
身体の成長に精神が追い付き、心身ともに充実を迎える二十代。
充実した時の中、更に研鑽を積む三十代。
そして培った経験がものを云う四十代に至るまで、それなり以上の時間を費やして鍛錬に励んだのは事実だ。
だが、結果として身に付いたのは常人よりも幾分かマシな太刀筋。
剣士としての名乗りは許される程度の体幹。
年齢にしては鋭い反応速度。それくらいのものだ。
満足しているかと問われれば否である。ただ、別に不満はなかった。
俺の到達点はここなんだな、という妙な納得もあった。おやじ殿が過分な期待を寄せず、伸び伸びと過ごせたことも大きいだろう。
「いい娘の一人くらい弟子におらんのか?」
「あのなおやじ、剣術道場は出会いの場じゃないんだ」
おやじ殿が再び呟いた戯言を切って捨てる。
実の息子相手だからだろうが、それにしたってデリカシーが無さすぎる。
おやじ殿が自分の歳を考えてか知らないが、道場の看板を俺に譲って気付いた新たな事実がある。
剣の腕はまあまあ程度で収まってしまった俺だが、どうやら剣を教える才能はそれなりに持ち得ていたらしい。
国に庇護されているとはいえ、こんな片田舎では危険も多い。
村の柵を一歩超えたらそこは野生だ。獰猛な動物も居れば危険なモンスターも居る。無論、村のすぐ傍までモンスターがやってくることは稀だが、それでもとても安全とは言えない世の中だ。
都市部や首都なんかは立派な防壁に守られ、騎士団や衛兵の巡回もある。
だがこんな場所にいるのは俺のようなそれで飯を食っているような者か、せいぜいが野生の動物を狩る狩人程度。一か所に止まらない傭兵や冒険者と言った類の者が時たま駐留することはあるが、それくらいだ。
だからと言うか、こんな田舎でも身を守る術、そして立身出世を支える術としての剣術はそこそこに需要がある。
生憎俺は魔法はからっきしだ。魔法のまの字も分からない。生まれてこの方、木刀と真剣しか振ってこなかったからな。
大体魔法を使える魔術師なんかは世界全体で見ても希少だ。首都にはお抱えの魔法師団もあるらしいが、総数は極めて少ないという。
あー。
弟子と言えば昔『大きくなったら私、先生と結婚します』なんて真面目な顔で言ってきた子も居たっけな。生憎それを真に受ける歳でもなかったから適当に流していたが。煌めく銀髪が綺麗な子ではあった。
話が逸れたな。
俺には剣術を教える才能がちょっとばかりあったという話だ。
需要と供給の兼合いなのか、俺の道場は片田舎という立地の割に門下生が多い。
近所の暴れん坊から村長の娘っ子から果ては都市部の貴族やそのお子様まで。
他に剣術道場くらいいくらでもあるだろと思う所がないではないが、門下生の数は俺と両親の生活水準に直結する。月謝を貰ってなんぼだからな、こっちだって流石に慈善事業じゃ成り立たない。
「まあなんだ、そろそろ親孝行の一つでもしてくれや」
「俺だってこの道場を継いでるんだ、弟子も増えたし収入も増えた。それが孝行でなくて何になるって言うんだ?」
「もう一声」
「あのなあ……」
まったく、朝から元気のいいおやじ殿だ。
で、だ。
俺も師範生活を続けてそれなりに長いが、剣を教えていく中でうちの道場を卒業して高位の冒険者になったり、国のお抱え騎士団の一員になったりと、まあそれなりに出世していったやつも居る。
中には卒業後も足しげく報告に来てくれたり、手紙を寄越してくれたりするやつも居るな。
自身に教える才能が多少あるとはいえ、俺の力量は知れている。そんな俺を気遣ってくれるのは有難いし温かい気持ちにもなるが、たかが田舎のおっさんにそこまで気を遣わんでも、と思わなくもない。
だってお前、国お抱えの騎士団長からお手紙届いたりするんやぞ。
お前もっと他にやることと相手する人おるやろ、と。
俺には到底釣り合わないビッグネームから届く手紙と、そこまで大成した門下生が居るという事実がどうにも俺の心をやきもきさせる。
俺にもうちょっと剣の才能があれば。
もしかしたら、この村を飛び出していたかもしれない。
「ま、ちょっとは期待させてくれてもいいだろ」
「はいはい、そういう縁があったらな」
ただまあ、それは所詮叶わぬ夢だ。正しく俺の力量は今が限界なのだから、流石にこの年になれば分別もつくというもの。
「……ふう」
おやじ殿が後にした道場で独り、澄んだ空気を肌で感じる。
精神統一をするには、悪くない朝だ。
「――ごめんください」
ゆっくりと自己の精神と向かい合っていると、来訪と思われる声が一つ。
うーん、誰だろう? 今日はお休みの日だから門下生の誰かって訳じゃなさそうだが。そもそも今習いに来ているのは子供がほとんどだ。丁寧な挨拶も寄越さず突撃してくるに違いない。
「はいはい、どちら様で?」
加齢とともに少しずつ重くなった腰を上げ、道場の戸を開く。
果たしてそこに居たのは、腰ほどまで長く拵えた銀髪を後ろに靡かせ、凛々しいと言える顔付きを備えたひとりの美人であった。
「先生。お久しぶりです」
「……えーっと、もしかして……アリューシア?」
「はい、先生。ご無沙汰しております」
端正な表情をふわりと緩ませ、アリューシアが応える。
うん。
なんで国お抱えの騎士団長様がこんな片田舎に来ているのかな? かな?