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死にたい俺と生きたい私  作者: chiter
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初秋の風が吹き、蝉の鳴き声も弱々しく夏の終わりを感じさせる。森の中は鳥の声と微かに蝉の声が聞こえる程度だった。昼下がりの午後、廃墟があるこの森の中に二人の人影があった。


ありさら持っていた水をゆっくりと口に運ぶ。まだ完全に慣れていない義手のせいか少し震えている。

その様子を心配そうに父、福井英吉は見つめていた。


この森の中には何度も来ていた。去年のこのくらいの時期によく二人で。その時行けなかった、行きたかった場所を目指してありさと英吉は進んでいた。


一度途中まで来たことがある道のりだったが慣れない義足の脚ではここまで来るのも容易ではない。

ありさの両手両脚は去年から自分のものではなくなっていた。手はある程度慣れてきたが、脚の方はまだ慣れておらず、普通に歩く分ならなんとかなるが足場の悪いこの場所は一人では歩く事は難しい。


「大丈夫か?あまり無理をするもんじゃない。辞めといたほうが…」


「だめ。今日じゃないとだめなの。去年行けなかったから。大丈夫だからお願い。」


ありさの強い想いに英吉は何も言わず、ただ肩を貸しながら共に先を目指してまた歩き出した。


「ありがとう。お父さん」


「昔からわがままだったからな。もう慣れたよ。それに、一緒にみたかったんだろ?」


去年の夏の終わりに一緒に見に行きたくて、でも叶わなかったその“わがまま”を叶えに二人はこの場所に来ていた。


「うん」

ありさは微笑みながら返事をした。


歩きながら借り物になった手脚を見つめ、義手でお腹をそっとさすった。

そうすると去年の夏を思い出せる。


(約束守るからね、琢磨)

ありさは心の中で誓った。




⦅次のニュースです。福井研究室により生命を持続させる薬が開発が成功した事が明らかになりました。この薬は“かぐや”と名付けられ、これを服用することにより平均寿命がこれまでの倍になることがわかっており、量産も可能との事で国はこの薬を国民全員に服用するよう呼びかける事を決定しました。これにより今までより長く働くことが可能となり少子高齢化問題の解決、加えて人口減少に対しての大きな足掛かりとなるのではないかと考えられています。福井研究所の会見によりますと…⦆


この薬が発表されてから、数カ月で約9割の国民が服用していった。この薬を飲むと老化が抑えられ、女性は若さを保ったまま、男性は若い肉体のまま今までの半分以上の時間を過ごせるようになった。老人でさえこれを服用すれば活力が湧き、趣味や仕事に復帰していったりした。

こうして今まで90歳が平均寿命だったのが200歳近く生きていくことが出来るようになった。

赤ん坊の頃にも打つことができ、これから生まれてくる子供達は全て200歳近くまで生きることができるようになったのである。


誰もが喜んだ。これは夢の薬だと。誰でも不老不死になれると言う者もいた。これを作ったやつは天才だと。


しかし、これを一度服用してしまうと寿命以外で死ぬ事を許されない。正確には、楽に死ぬ事は出来なくなるのである。今まで安楽死で使用してきた薬は打ち消されてしまい、車に轢かれても、刺されても、窒息しても、断食しても、その薬の効果で生きる事が出来てしまう。いや、この場合身体が勝手に生きようとするといったほうが正しいのか。

この薬の効果は簡単に言えば生命力の超増大。折れた骨は約一週間で直り、刺し傷は人になっては数秒で止血し、数分で閉じ、30分もあれば完全に塞がる。窒息しても皮膚呼吸だけで1〜2日持ち、断食しても数週間持つようになってしまうのだ。


一見確かに長寿になり、若さを保ち、夢の薬であるこれはある一部の人間からすれば強制的にこの社会に繫ぎ止める鎖でしかないのだ。


その一部の人間は今日もその鎖を断ち切ろうとしていた。


薬が作られてから12年後のちょうどこの日、上条琢磨は今日も自殺をしようとしていた。

人があまり入らないであろう森の中を1人、慣れたように進んでいく。暑い夏の日差しが木々に阻まれ日差し自体はきつくなかったが昨晩の雨の影響か蒸し暑さが辺りを包んでいた。森の中は蝉の鳴き声がさらに暑さを助長しているように感じる。琢磨は額の汗を拭いペットボトルの水を飲みながら目的地へと歩みを進めた。

森を抜けると、少しひらけた場所に出た。目の前には元がどんな施設かもわからないコンクリートの建物があった。建物の周りは柵がかかってあるがそこら中が錆びついており、地面は砂利だらけで草が乱雑に生えており誰も手入れしていない事が見て取れる。琢磨は建物の裏手に回り壊れた柵の間から建物の中に入って行く。中はほんの少しひんやりしていて外よりは過ごしやすい気温だ

建物の中には琢磨が少しずつ持ってきたものや元からあった何かよく分からないものがそこら中に転がっていた。

琢磨はその中から桶のようなものを手に取り水をその桶にくべ、自殺の準備を始めた。


琢磨は既に何度も死のうとした。何度も、何度も、自殺を行った。自分で自分を刺した。首も吊った。一酸化中毒も試した。なのに死ねなかった。普通なら即死だった事だろう。いや、この場合12年前ならだろうか。

切った傷口はすぐに塞がっていく。痛みはあるがすぐに動ける様にもなる。まるで、知らない間に自分がゴキブリにでもなったかのような気持ち悪さとその傷が治っていく様を見るのが嫌で仕方なかった。


辺りを見渡し誰もいない事を確認し、持ってきたリュックの中からナイフを取り出した。住んでる所から自転車で約二時間もかかるこの廃墟に琢磨は殆ど毎日通っていた。隣は森で辺りは砂利だらけのこの場所は普段誰も寄り付かないからだ。それでも辺りを確認するのは万が一見られて警察に連絡されれば終わりだからだ。

自分以外にも多くの人が自殺しようとしていたらしい。だが今や自殺者の数はほぼ0になってしまっている。大きな理由は2つ。1つ目は“かぐや”の効果である。撃たれても死なないので警察も12年前の様に優しくはない。当たり前のように銃を用いて強制的に止めてくるのだ。傷付けたとしても傷口はすぐに塞がり証拠としては不十分になってしまうからだ。そして2つ目は政府の政策の1つが原因だ。その内容は自殺者、もしくはそれを行いそうなものを連絡すれば報酬が貰えると言うものである。この政策は自殺者を救う、より良い環境を与えて生きる希望を持たせるためという方針のもと作られ決行されている。この政策のおかげで周囲の人間は皆目を光らせているように感じる。実際に報酬を貰った人もいてニュースになっていた。ただでさえ死ぬことが楽なものでなくなった中その行動すら許されない状況へと変わり、もはや社会そのものが寿命以外で死ぬことを許さないと思えるほどであった。そこに個人の意思は反映されず、まるで監獄にいる様だった。


琢磨は手首に深く切れ込みを入れ、そのまま桶に張った水につけた。

その血は30程で完全に止まってしまう。ただ痛みだけが襲ってくるだけで死ぬまでには到底至らなかった。


「今回もダメかよ…」

手帳にバツ印をつける。これで36回目の失敗だった。もう何日も何十日も死のうとしてるのに死ねないのだ。そろそろ簡単な自殺の仕方が無くなるぞ…そう思ってい手帳を眺める。


「ねぇ、君はどうしてそんなに死にたいの?」

突然、後ろから明るく澄んだ声が聞こえた。

不意打ちに琢磨は焦って振り返る。

廃墟の陰から人影が見える。身長はさほど高くなく、黒髪長髪の人物がそこに立っていた。

見られた。さっきは居なかったのに、隠れていた?もしかしたらつけられていたのかも。

色んな考えで思考がまとまらない。ただ警察に通報されればそれでおしまいだ。琢磨は冷や汗をかきながらも冷静に声のする方を睨んだ。


「そんなに怖い顔しないでよ。ここ最近ずっとこの廃墟に来てるからさ、気になってずっと見てたんだよ。何度も何度も痛いことしてさ、どうしてそこまでして死にたいのかなって気になっちゃった。」


その少女の様な容姿の女性は微笑みながら聞いてきた。薬を飲んでるせいで何歳かは分からない。どうやら見られていたのは今回が初めてでは無いらしい。

琢磨はすぐにリュックからマスクを取り出し顔を隠した。


「なんだっていいだろ。生きてるのが嫌なだけ、それだけだ。」

傷は完全に塞がった。琢磨は荷物をリュックの中に押し込みながら軽くあしらうように適当に返した。


「ふーん。ほんとにそれだけ?私にはなんだか死ぬ事に執念みたいなのがあるように感じるんだけどな〜。」

「ねえ君名前は?なんて言うの?」

たった今自殺をしていた人間にどうしてここまで明るく接する事が出来るのか訳が分からなかったが下手に無視して警察でも呼ばれたら溜まったもんじゃない。一応顔は隠したが見られている可能性の方が高い。

今は要求に従うほかなかいだろう。


「…上条琢磨だよ。」

「ふーん琢磨くんか、私は福井ありさ、ありさでいいからね。」

聞いてないのに自己紹介をされた。こいつが何を考えてるのかまるでわからない。琢磨は依然最大限の警戒態勢のまま話を聞いた。


「ねえねえ琢磨くんはここから近くに住んでるの?一人暮らし?」

ありさはまるで新しい友達を見つけたかのように質問責めをしてきた。


「一人暮らしだよ。ここには自転車で一時間くらいかけてきてる。もうここには来ないけどな。」


「えー。どうしてよー。せっかくお友達が出来たのにー。明日もきてよー。」


やっぱり友達と思っていた。

初めて出会った人に本気で呆れたのはこれが初めてかもしれない。


「ふざけんな。あんなの見られて気分いいもんでもないし、誰も寄り付かないと思ってここに来てたんだよ。でも、誰か来るってわかってる場所にはもう来ない。見られて通報でもされたら嫌だしな。」


「ふーん。じゃあ明日来てくれないなら通報しちゃおっかなー。」


「なっ」


「来てくれるなら通報はやめてあげる。どうする?ちなみにさっきの行為は動画で撮っちゃってたりするけど〜」

そう言いながらありさは手に持ったスマートフォンを振りながら不適な笑みを浮かべ言い寄ってきた。

どんなに今頑張っても見られていた時点で既に相手の要求を受け入れるしか無かった。


琢磨は自身の失敗に盛大に舌打ちをしてありさの要求をのんだ。


「やった!じゃあまた明日ねー。」

ありさは心底笑顔で帰っていった。

厄介なのに見られた。よりにもよってあんな奴に見られて…


「はぁー…最っ悪だ…」

そう呟いて琢磨は近くの小石に当たりながら廃墟を後にした。


翌日、またあの廃墟へと向かった。その足取りはいつもより重く、行くのが億劫になる。もしかすると廃墟には警察が来ているかもしれない、そう思えてならなかった。

いつも通る道も普段より更に周りを確認しながら廃墟を目指す。今のところ人影らしきものは見当たらない。

森を抜けいつもの少し開けた場所が見えてくる。

琢磨は木に隠れながら廃墟の方を確認する。どうやら誰も居ないようだ。あらかじめ持ってきた双眼鏡で廃墟内も確認するが怪しい人影は見えなかった。

それでも慎重になりながら廃墟内に入ろうとすると、

「おそーい。待ってたんだからね〜。」

と、大声で叫びながら廃墟の中からこちらに向かってくる人影があった。

どうやら先に来て中で涼んでいたらしい。

ありさは廃墟では目立ちすぎる白の長いワンピースを着ていて廃墟では場違いなサンダルを履いて、さながらどこか良いところのお嬢さんと言ったような格好だった。

「ばか、大声出すな。いくら廃墟だからって誰か来たらどうする。それに遅くない。お前が早すぎるだけだ。」

琢磨が到着したのは朝の8時過ぎくらいだった。

いくらなんでも早すぎる。

「そっか。ごめんごめん。つい嬉しくなっちゃって。今度からは気をつける。うん。気をつける。」

本当にわかってるのか。こんなやつと関わってるとろくなことがないに決まってる。なんとかしてあの動画を削除しなければ。

いや、今はそんな事より

「お前今日ここに警察とか呼んでないよな?どっかに隠れてるとか、通報したとか。」

逃げるルートを確認しながら琢磨はありさに聞いた。最悪森の中を通っていけばもしかすると逃げ切れるかもしれない、頭の中はその事ばかりだった。

「してないよ。」

「は?」

今なんて言った?

呆気にとられてるとありさは不思議そうにこちらを振り返り

「だからしてないって。」とさも当然かのように答えた。

疑いながらも、実際ここにはありさしか居なかった。

「とりあえずさ、暑いから影に行こうよ。」

そう言ってありさは廃墟の方へと歩いていった。

その後ろを琢磨はおずおずとついていく。

「ねえねえところで今日は何するの?」

周りに不信感を抱いていた琢磨にありさは無邪気に聞いてきた。

「俺がここにくる理由なんてひとつだけだ。」

建物内に入り誰もいないことを確認してから琢磨は答えた。

「また自殺?」

「それ以外に何がある。」

「昨日も聞いたけどさ、なんで琢磨くんはそんなに死にたがってるの?なんか嫌なことがあったとか?」

「お前には関係ない。」

「教えてよ〜。ケチだな〜。」

「勝手に言ってろ。」

そう言っておもむろに鞄からナイフを取り出し、大きな深呼吸の後、琢磨は躊躇いなく自分の心臓にナイフを突き立てた。

突き立てたナイフを引っこ抜くと同時に辺りには大量に血が噴き出した。

刺した部分が熱くなり、同時に激痛が走る。必死に声を堪えながらナイフを投げ捨てる。痛みに耐えきれず琢磨は地面に膝をついた。全身から脂汗が噴き出しているのが分かる。琢磨の上着やその近くの石は琢磨の血で真っ赤に染まっていった。

しかし、その血もものの数秒でその勢いは治まっていった。


「はぁ…はぁ…くそ…」

汗まみれで息を切らしながら琢磨は何事も無く立ち上がった。

結果は変わらず死ななかった。


(まあこれで死ねたら苦労しないわな…)

溜息をつきながら琢磨は汗を軽く拭った。

こんな初歩的な死に方はすでに何度も試した筈なのに何度もやってしまう。もしかすると朝起きたら薬の効果が切れていてこれですぐに死ねるかも、なんて淡い期待を抱いているからだ。

まぁ結果はこの通り、こんな楽に死ぬ事は今日も出来なかった。

「躊躇なく刺したね。血だらけだ。そんなんで帰ったら怪しまれて捕まっちゃうよ?」

横から間の抜けた声が聞こえてくる。

「それにさ〜そんな事して痛くないの?」

確かに痛い、すごく痛い、ショック死出来るなら軽く100回は死ねているだろう。

「痛いに決まってるだろ。死ぬためにやってるんだから。それに着替えくらい持ってきてる。何の準備もせずこんなことするか。」

「そんなに痛い思いしてまで死ぬなんてカッコ悪いよ。どうせ死ぬならスマートに死んだ方がカッコ良くない?」

その言い方に違和感を感じた。それはまるで死ぬ事を肯定しているような言い方だったからだ。

普通の人間なら「そんな思いまでして死ぬ事ないよ。」だとか「何か辛いことがあるなら聞くからやめなよ。」とか、そもそも見ず知らずの人間が自殺しているのに悲鳴も慌てもしないのは異常だった。

「おーい。なにぼーっとしてるの?もしかして死んじゃった?」

考え事をしていると間の抜けた声を掛けながらありさは琢磨の顔の前で手をひらひらさせていた。

「死んでねえよ。」

「おぉ、生きてたか。反応無かったから死んだのかと思ったよ。この場合生きてて残念だったね…かな?」

あっけらかんとした言い方に琢磨はまた違和感を感じた。

「なんでお前はそんなに普通なんだよ。普通なら生きてて良かったなとかさ、と言うよりそもそも引くだろ。目の前で自殺なんか見てさ。俺の事警察に言えば報酬が貰えるし普通すぐに報告するだろ。なんなんだよお前は。」

咄嗟に聞いてしまった。

それに対してありさは、

「お前じゃなくてありさです〜。別に死にたがってるのに生きちゃったら残念でしょ?生きてたい人が死ななくてよかった〜って言ってるのとおんなじだよ。」

さも当たり前じゃんと言わんばかりに堂々と言ったきた。

「それに前まで自殺者が多いかったし前に比べると警察も威嚇射撃でも普通に当ててるからね。それで見慣れてるのかもね。警察には今日来なかったら言おうかな〜なんてね。」

絶対に嘘だ。確かに薬が出回る前に比べれば明らかに国では血を見る機会が増えたが、それでもよく見たり慣れたりするようなものじゃない。自分の血ならいざ知らず、他人の血は気持ちが悪くて慣れるようなものじゃない。

通報しないのも曖昧な理由で決して真実ではないように感じる。

琢磨は疑心に満ちた目をありさに向けた。

「あ〜信じてないな〜。まぁ確かに他に理由はあるけど、教えてあげないもんね〜。君がなんで死にたいのか教えてくれたら私も教えてあげるよ。」

ニコニコしながらありさは言った。この場に血の匂いが無ければ、もしくは廃墟じゃ無ければとても似合っている台詞なんだろう。いや、どこでも似合わないか。

「ねぇ今日は自殺終わりにしてさ、遊ぼうよ〜。ほら、息抜きした方がいいアイデア出るかもだしさ。」

そう言ってありさは琢磨の鞄を奪い取り走っていった。整備されていないこの場所をサンダルでスキップをするように、まるで怪我を恐れていないような速さで。


琢磨はこの少女の様な容姿の女性に対して違和感を感じていた。こんな場所に来ることも、そんな格好でこの場にいる事も、そして何より、抵抗が無さすぎる。色んな事に対して受け入れているように感じる。


「なにしてるの〜?着替えこの中なんでしょ〜。早くしないと捨てちゃうぞ〜。」

ただ今は相手をする以外の選択肢はないようだ。


石だらけのこの場所で琢磨は追いつくためにため息混じりにありさの方へと走っていった。

ありさに追いつくのはさほど難しくはなかった。まあサンダルと運動靴じゃ勝負は見えていたが。

「ちぇ〜もう追いつかれちゃった。」

「遊びに来てるんじゃないんだよ。それに血が固まったら面倒だ。」

「その血、どうするの?」

「近くに小川がある。毎回そこで落としてるからそこに行く。」

服についた血は若干固まりつつあった。少し急がなければ…

「小川か、いいね、そこで遊ぼうよ。」

「お前話聞いてた?」

呆れながら小川へ行くべく小走りで森の中へと入る。

蝉の鳴き声が鳴り止まない森の中は、太陽日差しを遮断しており夏の暑さを緩和していた。

森の中は好きだ。人間が住む世界から切り離され、まるで住んでいた世界から解き放ってくれているかのようだ。誰とも関わらず、何にもない。そんなこの場所がとても…

「森の中ってちょっと涼しくて良いのね!これからあんな廃墟よりここで集まって遊びましょうよ!」

好きだったのに…。

あぁ…ここももう前とは変わってしまうのか…。

人が介入すると好きだった場所が変わってしまう。いつもの事だし、どこでもそれは変わらない事。

あぁ…本当にこんな世の中でみんな生きていけるんだろう。

横ではしゃぐありさに呆れながら、そして苛立ちながら小川を目指す。

道中話しかけられたが、返事が面倒くさかったため相槌位しかしなかった。

小川へ到着するとありさはより元気になった。

まるで、生まれて初めて見たら感じたりしているようなそんなはしゃぎっぷりだった。

琢磨は顔や身体についた血を洗い流すために水が溜まっている下流へと向かい始めた。それに気づいたありさは琢磨に近寄り、

「ねぇどうしてこんなに素敵なところなのに楽しそうじゃないの?」と聞いた。

また相槌だけにしようと言葉を発しようとした時、

「相槌だけはダメよ。ちゃんと答えてね。」

と先読みしたようにありさは強めに言ってきた。

今までフランクだったありさからの突然の態度に驚きながらも、琢磨は冷静に、めんどくさそうに答えた。

「ここは良いところだったよ。」

「だった?じゃあ今は違うの?」

「ここは静かだったんだ。自然の音だけで。風の音、水の流れる音、鳥や虫の鳴き声、ただそれだけの場所だった。ここにいると全部忘れられるし全部考えなくて良かった。でも今はお前がいる。五月蝿いし、ここの近くならこんな場所知ってるだろうに大袈裟にはしゃぎまくって…」

「…知らなかったわ、こんな場所。」

ありさは静かに答えた。

「知らなかったの。本当に。こんなに素敵な場所がある事も、綺麗な小川がある事も、それに、貴方がここをそんなに好きでいる事も。それはごめんなさい。」

ありさの態度の変化に言葉が出なかった。今まではしゃぎまわっていた時とは正反対で今は完全に落ち込んでいるように静かに謝ってきた。

「ねぇ、貴方は本当にここが好きなの?」

数分前とは別の真面目な口調で聞いてくる。


「どういう意味?」


「貴方、ここに入ってからもずっと目が死んでるみたいなのよ。私のせいでそうなら謝るんだけど、生気を感じないというか…。」


「ついさっきまで自殺してたやつにそんな事聞くか?」


「気になったんだもん。それに貴方の言い方だとここがお気に入りみたいに聞こえたから。」


「お気に入りだし好きな場所だよ。ここには何も無い。五月蝿い音も、人間が作った勝手なルールも無い。あるのはただ自然だけ。まるで異世界に来てるような、死んだらこんな穏やかな場所に行けるのかなって思える。でもこの森から抜ければまたあんな世界が広がってる。ずっとここに居られるわけじゃない。あっちのことを考えたくなくても頭の何処かには現実が残ってる。だから好きな場所でもそうなるんだと思うよ。」

ありさの方を見るとキョトンとした顔でこちらを見ていた。

「…なんだよ。」

「ううん、そんなにしっかり答えてくれるって思ってなかったから。」

そういうとありさは満足したように「そっか。」とボソッと呟いた。その顔は何処か悲しそうで嬉しそうだった。

ありさと話をしているといつの間にか下流に到着していた。


琢磨は顔や身体の血を流し、服を脱いで洗い始めた。

服を脱いだその身体を見てありさは目を丸くした。


「貴方その傷…。」

琢磨の身体には至る所に傷痕があった。その数はゆうに50は超えるであろう数だった。


「全部自分でやったものなの?」


「…別にどうでも良いだろ、そんな事。お前には関係ない。」


「ねぇ、教えてくれないのはまだいいとしてそろそろ名前で呼んでよ。私はお前じゃなくてありさって名前があるんですけど〜。」

ありさは不貞腐れながら迫り、肌が触れ合うくらい近くまで寄ってきた。ふわっと香るよくわからないいい匂いが鼻腔をくすぐる。

これまでの人生で女の子にここまで近づかれたのは生まれて初めてだった琢磨は、

「わかった、わかったって。じゃあありさだ。これからはありさって呼ぶから。」

と、視線を逸らしながら渋々同意したのだった。


「分かればいいのよ。私も琢磨って呼ぶわ。」


ありさは満足そうに微笑んだ。

そんなありさを見て琢磨はばつが悪そうに着替えの服を着た。

「ねぇ、せっかく森の中なんだから探索でもしましょうよ。自殺は一旦休憩。これまでずっとしてたんでしょ?だったら一日くらいやらなくたっていいじゃない。」

ありさは小川に足をつけながらまた明るくそう言った。


「あのなぁ、だからおま…ありさとは遊ばないってさっきも言っただろ。」


「じゃあこの動画警察に持っていっても?」

そう言ってありさはスマートフォンを取り出した。

それを見て苦虫を噛み潰したような顔をする琢磨を見てありさはにやりと笑った。

(あれがあるうちはありさの言いなりになるしか無いのかもしれないな…どうにかして消さなければ…)

しかし今どうにかするのは難しい、琢磨は観念したかのように、「分かったよ。今日はもう気分じゃなくなった。付き合うから動画は消してくれ。」と落胆しながら言った。


「そう、なら良いのよ。でも動画は当分持っとこうかな〜。」

琢磨の要求は簡単にあしらわれた。ありさの笑顔を見て、ただただ過去の自分を許さないと虚しい怒りが込み上げ、深いため息をつくのだった。


「じゃ、行きましょ。あ、それとね、さっきは名前、読んでくれてありがとうね。とても嬉しかったわ琢磨。わざわざ言い直すなんて琢磨は真面目なのね。そう言う人、私好きだよ。」

前にいたありさが振り返って言ってきた。その顔は嬉しさと気恥ずかしさがあったのか照れながら笑っていた。

それを隠すかのように少し距離を取りながら、「早く〜こっちこっち。」と急かしてきた。


ありさの返事と表情に少し驚きながらも琢磨はありさを追いかけた。

結局、その日琢磨は1日ありさと森で過ごし、気がつけば日が暮れていた。


「すっかり夕暮れだね。1日があっという間だよ。」

ありさは満足そうにこちらを見てくるが、こちらとしては決して満足できる1日ではなかった。

あれから森でありさに付き合っていたせいで朝にやった事以外に方法を試す事も新しい方法を考える事も叶わなかったからだ。1日無駄にしたと言ってもいい、そんなレベルだった。

満足そうな顔を見て少し腹が立ったがもうどうでもよくなり大きなため息を一つついた。

「ねぇ、なんで琢磨はそんなに死にたいの?」

不意にありさが聞いてくる。

「ありさには関係ない。」


「そう、教えてくれないんだ。じゃあ連絡先教えてよ。」


「なんでそうなるんだよ。教えるわけ無いだろ。関わるのは今日限りだ。これからはもう会わないからな。」


「教えてくれなきゃ警察に言うよ?」


「っ…⁉︎」


「お願い、琢磨の邪魔はしないって約束するし手助けだってする。誰にも言わないしバラしたりなんてしないから。」

何を言っても食い下がるつもりはなさそうだった。

見られていた時点でもう逃げられない事は覚悟していた。それに、なぜありさがここまで俺にこだわるのかがわからなかった。何か理由がある、その理由を少し知りたくもある。


「分かったよ。そのかわり絶対に邪魔するなよ、バラしたりもするな。約束を破ったらいたぶりながら殺してやる。」

自分も殺せないのに何を言ってるのか、と咄嗟に冷静になって恥ずかしくなり慌ててありさに背を向けた。


「うん、約束する。」

背後からのありさの声は少し嬉しそうだった。

その後、連絡先を交換しお互い帰路へとついた。


(何やってんだろ…)

琢磨は自身の行いに対して呆れていた。

(死にに行ったのに面倒なのに付きまとわれて、挙句連絡先まで交換して、馬鹿じゃないのか?関わったってろくなことにならないのは目に見えてるだろうに…)

他人と関わることを避けるために人の居ない筈の場所を選んだにも関わらず、結果は最悪なもので、挙句それを妥協したとはいえ自分自身で受け入れてしまった現状に対して深く落胆したのだった。


自宅に着くまで琢磨は自分自身を責め続けた。


翌日から琢磨は毎日連絡を取るようになっていった。

こちらから連絡をしなくとも向こうから連絡が来る。

毎朝「おはよー」から始まり、夜には「おやすみ〜明日〜時集合ね」で終わるのが日課になっていた。

それからはほとんど毎日会うようになり、会った時はちゃんと自殺の方法を考えてくれた。しかし、自身を傷付ける方法なんかはしなくなった。と言うよりさせてもらえなかった。

『傷付いたら血で汚れてめんどくさいじゃん。荷物も多くなるし、何よりスタイリッシュじゃない。』

なんて訳の分からない事を言ってくるもんだから次第に諦めていった。

事実、痛いだけで結果がともなってないから、まぁある意味割り切れてよかったんだと思う。

まずはこの薬の効果を消す事を目標にする事になっていった。

ある程度考えて、その後はありさが満足するまで遊びや探索に付き合う。

『私も付き合ってあげてるんだから琢磨も付き合ってね。』と毎回の様に笑顔で言ってくるからだ。

初めの方は無視してやろうと思っていたが、一度言ったら聞かないし、何より自殺の方法を考えてくれている時は真剣に考えてくれているから、まぁ少しくらいは付き合ってやってもいいのかななんて思うようになってきたからだ。

ありさは見た目によらず活発な奴だった。普通、女の子なら森の中は虫がとか言いそうなのにありさは全く言わなかった。どころか毎回毎回、まるで始めてのものを見るかのように楽しそうにしていた。

森の中の木々や花も蝶なんかの綺麗な虫も五月蝿く響く蝉の声すらもありさにとっては楽しそうに見えた。

そんなありさといる時間が不思議と悪い気はしないような感じていた。


連絡も次第増えていき、必要じゃない事まで連絡する様になっていった。ありさからの今日の感想や今度はどこに行きたい、これを食べてみたい、今何してるの、なんて事まで聞いてくる様になっていった。

それに対して無愛想ながらも琢磨は返信を返していくようになっていった。始めこそ相槌や返事だけだったがちょっとずつそれ以外の返事をするようになっていき、僅かだが自分から何かを送るようにもなっていた。

少しずつ、少しずつ二人の関係は近くなっていっていた。

それでも変わらない部分もあった。

毎回ありさと会う時、決まってありさは『なんで死にたいの?』と聞いてくる事だ。それもしつこく聞くのではなく1日の中でたった一回だけ。受け流しても、無視しても、その後ありさは何もなかったかの様に明るく振舞ってくる。

しかし、この質問にだけは琢磨は一度も答えた事がなかった。

答えない理由も琢磨は一度も話さなかった。


そんな日々の中、大きな変化は突然起こった。ありさと連絡を取り始めて約二ヶ月のある日、ありさからの連絡が忽然と途絶えたのだ。既読もつかず、返信も返ってこない。

いつもの廃墟に行ってもそこにありさの姿は無かった。廃墟の中、森の中、小川付近、探索した所は全て回ったがありさは居なかった。


琢磨は元の一人に戻っていた。


一人は慣れてる。なんなら邪魔な奴から連絡は来ないし邪魔されないで済む。自殺の邪魔をする奴も知ってる奴もいない。そう思うとせいせいする。


…そのはず。そのはずなんだ。

じゃあなんでこんなに胸の奥が苦しくなる?なんでぽっかりと穴の空いた様なこんな感情が芽生える?

スマホが鳴ればすぐにありさからかと期待してしまっている自分がいる。

もしかしたら、今日あそこに行けば会えるんじゃないかって気がついたらいつものあの場所に来てしまっている。自殺の為じゃない、間違いなく他の理由であの場所に立っている。

一体いつから、一人でいる事が辛くなってしまったのか。

自分は死にたい筈なのに気がつけばありさの事が脳裏をちらつく。

今までこんな事はなかった。

ありさに会いたいわけじゃない。

ただ…そう、ただ一言言ってやりたいだけだ。お前のせいで自殺に集中出来ないって。そうだよ、動画を見せてるんじゃないかって気になってるだけなんだよ。


そんな風に琢磨は自分自身に言い聞かせる様にありさへと連絡を送り続けた。


既読がつかないまま三週間の時が経ち、夏の残暑も無くなり蝉の声も聞こえ無くなったある夜、琢磨のスマホが鳴った。

画面のポップアップを確認すると琢磨は食い入る様にスマホを顔に近づけた。

そこにはありさの名前があった。

琢磨はすぐに連絡ツールを起動させ、ありさからの連絡を確認した。

そこには、『連絡できなくてごめんね〜。心配してくれてたのかな?笑。携帯壊れちゃってさ、連絡できなかったんだよね〜。そうそう明日はいつもの場所に9時ごろでね。じゃあおやすみー』と書いてあった。


全く、ふざけた連絡だ。自分勝手で適当で。

『ふざけんな、心配なんてしてねえよ。言いたい事色々あるから覚悟しとけよ。』

返信を返し終えるとありさからの連絡をもう一度見直した。


胸をなでおろした。全身の力が抜けたかの様な脱力感。邪魔な存在の無事を知り、琢磨は自然と微笑んでいた。


翌日の朝、琢磨は朝6時15分にはもう覚醒していた。脳が勝手に目覚めようとしているのが分かる。自然と目が覚め、出発の準備を始めていた。

7時前には家を飛び出し自転車でいつもの道を走る。

いつもの景色が普段より早く視界から流れていく。

早く行かないと。どうせありさは自分よりも早くあそこにいるんだから。


(なんでそんなに楽しそうなんだよ。)

自分の中でそんな声がした。

(死にたい筈のお前がなんでそんなに楽しそうなんだよ。いつからそうなった?)

それは自分自身のあり方の矛盾だった。

(死にたかった理由を忘れるな。あいつだってそう、人間なんて誰だっておんなじなんだ。期待したってまた馬鹿を見るだけだ。ケジメをつけるために行け。)

自分自身からの忠告。琢磨の脳裏に過去の出来事がフラッシュバックする。


あぁ…そうだ。これはただ仕方なくなんだ。あいつの持ってる動画を消して本当の意味で関係を断たないと。

不安だったのも、連絡がない間に通報されていないか不安だったからだ。

なんだ、簡単な事だった。あいつに対しての感情なんて大してない。

そうだよ、俺は人間が嫌いなんだから。


まるで先程までとは別人の様に落ち着き、琢磨は自転車のペダルを漕ぐ。



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