1、こりす、葉山に恋をする
彼、葉山健吾と出会ったのは、小学校一年生の時だった。
あいつは笑っちゃうぐらいチビで、チビのくせにちょこまかとよく動いて、やたらに大声で騒いではクラスの注目を集めていた。
そして私、日村こりすはデカい女だった。
どのぐらいデカいかというと、入学式からクラスのみんなより頭一つ分抜き出ていた。
この時期は、男子より女子の方が全体に大きいが、その女子の中でも断トツに大きかった。
この頃の私は、大きくて馬力があるおかげで、男子からも女子からもモテた。
みんなは私とドッジの同じチームになりたがったし、運動が出来ると尊敬された。
中でも一番私を崇拝して、後ろについてまわったのは他ならぬ葉山だった。
「こりす、ドッジ行こうぜ。俺、こりすと同じチームな」
「うわ、ずるい、葉山。俺もこりすと同じチームがいい」
「俺もこりすチーム!」
この頃の葉山は、私に群がるチビ男子の中でも機転がきいて笑いのツボをおさえていて、お気に入りの取り巻きの一人だったように思う。
しかし一、二年が同じクラスだった葉山は、三、四年のクラスは離れて疎遠になってしまった。
だからこの頃のあいつがどうだったのかは知らない。
とにかく五年生になって、また同じクラスになって再会した。
そして、久しぶりに再会した葉山に、私はドキリとしてしまった。
きっとこれが初恋だったのだろうと思う。
相変わらずチビではあったが、サラサラの黒髪と少し茶色を含んだ二重の目に惹きつけられる。この頃の男子特有の少しイキがってる態度がまた、やけに女心をくすぐった。
私は五年生になって、ようやく恋がどういうものか分かるようになっていた。
しかし教室で久しぶりに顔を合わせた葉山は、私を見て一言「デカッ!!」と叫んだ。
五年生になると私の身長は163センチになっていた。
やっぱりクラスで一番大きかったが、他にも追従するぐらいの大きさの子が現れて、以前ほど別格に大きいわけじゃなかった。
でもまだチビの部類の葉山からするとデカかったらしい。
それまでデカいことを指摘されてもそれほど気にしなかった私は、この時初めて傷ついた。
だが私も長年培った会話力がある。
「ちっさ!!」
と笑いながら返してやった。
葉山はその返しで一気に二年間のブランクを縮めてきた。
「お前成長し過ぎじゃねえの? 食い過ぎなんだよ」
「うるさい。あんたこそ二年前から成長止まってるじゃん。食べるもん無かったの?」
「うるせー! ちゃんと成長したわ! お前が伸びすぎなんだよ」
「あれ? 今、葉山としゃべってたはずなのにどこ行った? 葉山? おーい、葉山?」
「さっきからここにいるわ、ボケ!」
「ああ、ごめんごめん。ちっさくて視界から消えてたわ」
まわりの爆笑を誘いながら、私と葉山は一瞬にして以前の関係を取り戻した。
でも。
以前は心から楽しんでいた、そんなやりとりだったが。
気持ちの半分では楽しんでいたものの。
もう半分は以前と違うもやもやした感情に傷ついていた。
◇
私と葉山は、出席番号が同じハ行で近かったので、同じクラスになると一緒の日直当番になることが多かった。
そしてこのクラスでの日直当番も一緒だった。
「くっそ! なんであんな高い所に字を書くんだよ!」
葉山は黒板消しを手に、文句を言いながらぴょんぴょんと飛んで消している。
「はいはい。チビっ子はちょっとどいてくれる? お姉さんが消してあげるから」
私が言うと、クラスのみんなが大爆笑をしている。
そろそろクラスになじんでくると、みんなが私と葉山の漫才のようなやりとりを期待しているのを肌で感じてしまう。
そして、つい期待に応えてしまうのだ。
「くそう。なにがお姉さんだよ。巨人ババア」
(巨人ババア……)
結構傷ついた。
「はいはい。小人の世界はここじゃないよ。自分の世界に帰ってね」
しかし傷ついた素振りを見せずに言い返す。
この頃には葉山とのやりとりが日常化していて、慣れてしまっていた。
教室のゴミを焼却場に持っていくのも日直の仕事だ。
他の日の当番は、男女二人で持って行っていた。
私はひそかに葉山と二人でゴミ箱を運ぶシチュエーションに期待していた。
デカい私とチビの葉山では、ゴミ箱が傾いて、画的には滑稽かもしれないが、トキメキの出来事があるかもしれない。
その程度の空想をするぐらいには、私は葉山に恋をしていた。
「巨人ババア、ゴミ捨て頼んだよ。小人族には重くて持てないからさ」
だから葉山の言葉に心底がっかりした。
でも傷ついた顔を見せるわけにはいかない。
「もう、しょうがないなあ。じゃあ日誌は頼んだよ」
ショックでいつもの爆笑の返しは思い浮かばなかった。
葉山も、聞いていた周りのみんなも、ちょっと期待はずれな顔をしている。
しまった。
次はちゃんと爆笑の返しをしないと。
いやよく考えたら、なんでそんな立ち位置?
別にコメディアンを目指してるわけでもないのに。
なんで自分の恋心を削って人を笑わせなきゃならないの?
そうは思っても、やっぱりみんなと葉山の期待に応えないわけにはいかない。
そんな日々が延々続いていた。
「おい、デカりす。あ、間違えた。こりす」
葉山のバカは、毎回わざと私の名前を言い間違える。
「なによ、チビ山。あ、ごめんごめん、葉山だったね」
バカバカしいと思いつつ、合わせてしまう自分が不憫だった。
でも日に一回は、私をからかいに来る葉山に嬉しい気持ちもあった。
「ねえ、葉山って、絶対こりすちゃんが好きだよね」
女友達は、時々そんな嬉しいことも言ってくれる。
「え? ないない。昔からの腐れ縁だから話しやすいだけだと思うよ」
否定しつつもまんざらでもなかった。
「そう? まあ、でもそうだね。葉山ってこりすちゃんより二十センチはチビだしね。好きとかじゃないか」
しかしみんな、もう少し食いついてくれてもいいのにと思うのに、すぐに引き下がる。
そして私は徐々に、デカい女は恋愛対象から「除外」されているのだということを知るようになった。
女子は、私がクラスの男子を好きになったりするとは思ってないようだった。
まして自分より二十センチ以上小さい葉山を好きだなんて誰も思ってない。
だからバレる心配はなかったが、知らずに傷つくことはいろいろあった。
「葉山って奈々ちゃんの事、好きだと思うのよね」
友達がこっそり余計な事を教えてくれる。
奈々ちゃんとは、チビの葉山よりも小さくて、大人しくて色白の美人だ。
私とは正反対の子だった。
「え? なんでそう思うの?」
「だって昨日の給食の時、奈々ちゃんの嫌いなうずら卵がいっぱい入ってたからって、こっそり自分のと代えてあげてたのよ」
「あ、私はノート当番の時に、代わりに職員室持っていってあげたの見たよ」
「そ、そうなんだ」
私には葉山の嫌いなほうれん草がいっぱい入っていた時、無理矢理入れ替えられた事がある。
「お前デカいんだから何でも食えるだろ? 交換、交換」
掃除当番の時は、バケツを持たされるのはいっつも私だった。
「こりすと当番一緒だと楽だよな。他の女子は全然力ないんだもんな」
それを褒め言葉だと喜んでいた事もあった。
いや、確かに人として好かれてはいるんだろう。
でも、女子としてはなんだか惨めだった。
クラスの中心的存在だった葉山がそんな扱いをするもんだから、私は他の男子にも同じように扱われた。
この頃には、男子の遊び仲間には「女だから」と入れてもらえないくせに、男女でなにかやる時は「男並み」の活躍を期待された。
野外活動に行っても、女子は主に料理担当のはずだったのに、私は男子と一緒の力仕事を振り当てられたし、荷物は一番重いものを持たされた。
球技大会では混合バスケの最初のジャンプボールは、他のクラスはみんな男子なのにウチのクラスだけは私がやることになった。
ゴール下のリバウンドも、他のクラスの男子と攻めぎ合ってボールを奪うのは私の役目だった。そして実際五年生までは他クラスの男子を蹴散らして活躍することが出来た。
だからどんどんみんな私に「男並み」を期待するようになる。
だが、そんなものはいつまでも保てるものではなかった。
六年生になると、徐々に男子との体力の差を感じるようになっていた。
そもそも、私は体が大きいだけで、運動神経がズバ抜けていいわけでもなかった。
そして実は大きいことを気にして、私は秘かにダイエットをしていた。
家族に心配させない程度に、いつも満腹まで食べていたのを腹半分ぐらいでやめるようにした。
毎日お腹がすいてたけれど、それよりもこれ以上大きくなりたくなかった。
その願いが通じたのか、私の成長は突然止まり、小五から小六にかけて1センチしか伸びなかった。そして横にもずいぶん痩せてしまった。
女子には「こりすちゃん痩せてていいなあ」と言われたが、痩せた分だけ馬力を失った。
だがそんな事を知らないみんなから、小六の球技大会でもジャンプボールに選ばれた私は、他クラス男子にあっさりボールを奪われた。その後のリバウンドの攻めぎ合いにも全然勝てなくて、ことごとくボールを取りこぼした。
「なにやってんだよ、こりす。もっといつもの本気だせよ」
「ご、ごめん」
いつもの本気って、一体いつの頃の話をしてるんだと思ったが、私のせいで負けている事が申し訳なくて素直に謝った。
「お前がいたら勝てると思ったから選んだのに、なんだよな」
葉山は放課後ミニバスケのチームに入っていて、この球技大会に賭けていた。
だからチーム決めの時も、葉山は真っ先に私を指名してきたのだ。
期待に応えられそうな自信は全然なかったが、葉山に指名されたのが嬉しくて応じてしまった。
「ジャンプボールとゴール下は、やっぱりタッパのあるこりすだよな」
「し、しょうがないなあ。じゃあちょっと本気出すかな」
などと軽口を叩いていたが、本当は心の中は不安だらけだった。
葉山はまだ私より二十センチぐらい小さいままだから気付いてないが、そろそろ成長を始めた男子の中には、私と同じぐらいの身長のヤツもチラホラ見かけるようになっていた。
同じ身長だと、やせて馬力も失った私など勝てるはずもなかった。
「こりすっ!! 今度こそ取れよっ! 俺にパスしろ!」
チビの葉山はパスを受け取ったらドリブルシュートを決める気満々で、待っている。
「分かったっ! 任せて! きゃっ!!」
しかし相手チームの男子の体にあたって弾き飛ばされた。
転がる私の横で、リバウンドをキャッチした敵男子がシュートを決める。
「あーあ……」
すっかり点差が開いたスコアを見ながら、クラスのみんながため息をつく。
そのため息が、私のせいだと叫んでいるように聞こえた。
「もう、なにやってんだよ。全然取れないじゃんか。去年はもっと巧かっただろ、どうしたんだよ」
どうしたと言われても、たぶん私は変わってないけど、周りが強くなったんだ。
でもそんな言い訳が通用しそうになかった。
責める葉山を前に急にいたたまれなくなった。
「ごめん……」
葉山にがっかりされて、みんなからため息をもらされ、急にじわりと涙が溢れた。
「!」
葉山は突然の私の涙に驚いたらしい。
「な! なんで泣くんだよ、女みたいなマネやめろよな、気色悪い」
そうは言われても涙は止まらなかった。
「ごめん……私のせいで……うう……」
「し、試合中に泣くなよ。あーもう、交代、交代。お前下がれよ」
葉山は迷惑そうに言って私をコートから出した。
私はこの日、葉山にとっての「男並み女子」からも除外されてしまった。
つまり、なんのメリットも、興味もない相手になってしまったのだ。
その証拠に、あれほど毎日からかいに来ていたのに、この日を境に話しかけてくる事がなくなった。
目が合っても気まずそうに顔をそらして離れて行ってしまう。
そして、そんな葉山に私も話しかける勇気がなかった。
そうして数ヶ月、気まずい日々を過ごした。
次話タイトルは「こりす、葉山を嫌いになる」です