第二十三話 忍び寄る悪意
――皇国・とある場所にて
――時は暫し、遡る。
そこは下町に近い寂れた店だった。住まうのは一人の老婆であり、生業とするものは占いである。
『占い』などという不確かなものに、人はあまり興味を抱かない。……が、この老婆の店だけはそれなりに人が訪れている。
皇帝のお膝元とも言える町であろうとも、所詮は下町。貧しい者達が済む場所とあって、その周辺も含めた地域は治安があまりよろしくない。
そんな場所にも拘わらず、老婆が一人で生活できているのだ……彼女にはそれなりの『後見人』が付いていると噂されていた。
現に、老婆の持つ財産――あるかは不明だが、生活できる程度の蓄えはあると思われていた――に目を付けていた乱暴者は、ある日、死体となって見つかった。
男はそれなりに立派な体躯をしており、か弱い老婆が返り討ちにしたとは考えにくい。
――だからこそ、人々は噂した。
『あの老婆には貴族の顧客がいる』
『老婆は元貴族であり、その縁が今でも活きている』
『老婆の傍には護衛役がおり、危険が迫れば容赦なく鉄槌を下す』
勿論、全ては憶測に過ぎない。だが、こう言った噂を増長させた理由の一端は老婆が日々の生活を送るための財と、死体となった男の件がろくに捜査もされないまま、いつの間にか人々の口に上ることがなくなってしまったからだった。
下町という場所、それも犯罪者が死体になろうとも、騎士は『よくあること』という一言で済ませ、そこまで熱心に捜査などしない。だが、『犯人さえも不明なまま』というのは、あまりにも奇妙だった。
言い方は悪いが、一度は事件として扱った以上、『犯人がいる』のである。
それが事実か、冤罪は別として、疑わしい輩の名は上げられるのだ。形ばかりであろうとも、犯人は捕縛され、事件は終息するのだ。
それが『ない』。そういった展開が意味するものは、『身分が高い者からの圧力』。
これが決定打となり、老婆に手を出す者はいなくなった。老婆は基本的に礼儀正しく、進んでトラブルを起こすような性格でもなかったため、危機感を抱く必要がなかったことも一因だ。
――そう、表向きは。
あくまでも『老婆に害を成そうとする者』がいないだけであり、得体の知れない不気味さを感じ取る者はいたのである。
一言で言えば『恐怖』。後ろ盾となっているだろう存在ではなく、老婆自身に抱く『それ』。
か弱い老婆のどこに恐れる要素があろうか。そう自分に言い聞かせてみても、感じ取ってしまった『得体の知れない何か』の幻影は消えてくれない。
じわじわと染み渡っていくそれを感じ取ったのは、魔力が高かったり、勘が鋭いと言われる者ばかり。
だが、明確に言葉に表すことができない――言葉に困るというか、『異様さを感じ取る』というものだった――ため、大半が口を噤んだまま。
そういった者達は黙したまま、徐々にこの地から離れていくため、表立って噂になることはなかった。抗う術がなければ逃亡する――それもまた、賢い生き方なのだから。
そんな状況であっても老婆の店が成り立っているのは、客足が途絶えないからだった。
得体の知れない老婆ではあったが、生業とする占いの腕は本物だったらしく。その評判は徐々に広まっており、特に、冒険者達からは『格安で不運を回避できる』と評判だった。料金が安い割によく当たる、と。
……そして。
今日の一人の冒険者が老婆の店のドアを潜ったのだった。
「おやおや、貴女は大事な存在を失くしましたね」
「っ」
開口一番、この台詞。まだ何も言っていないにも拘らず、老婆は新しい客――アイシャの顔を見るなり、そう告げた。
対するアイシャは同様のあまり、挙動不審になっている。何せ、彼女には老婆の言葉に心当たりがあったのだ……その『失くした大切な存在』とやらに。
「相方とは性格の不一致で判れたの。ギルドにも手続きをしたし、トラブルにはなっていない」
そう、表向きは言葉の通り。実際には、相方……リリィに愛想を尽かされたと言った方が正しいのだが。
それでもアイシャは頑なに認めようとはしなかった。リリィとは仲違いに近い別れ方をしたけれど、あの子が周囲の声に脅えて、先輩冒険者に媚びた結果だと!
そうでなければ、自分が悪者になってしまう。……『間違っていた』と認めたことになってしまうではないか!
そんなこと、認められるはずがない……!
それが非常に自分勝手な言い分だと気付きもせず、アイシャは己の『正しさ』を信じていた。如何なる理由があろうとも、己を貫く――それが彼女の矜持であった。
アイシャという少女は良く言えば『正義感が強く、強固な意志を持つ』性格だ。ただし、その『正義』が時に独り善がりなものであり、他者の意見を聞かない頑なさは、時に『人の意見を認めようとしない傲慢な性格』と思われることもしばしばである。
そもそも、常に彼女の意見が正しいとは限らない。それを認めようとはしないどころか、諫めようとした先輩冒険者達にも噛み付く始末。
そういったことが重なり、相方だったリリィはアイシャから離れることにしたのだが……残念ながら、何の変化もないようである。『私が離れることが切っ掛けとなって、自分を見つめ直してほしい』と願ったリリィの想いが届くことはなかったらしい。
「まあ、そうですの。それでは、何をお望みですか?」
アイシャの態度を全く気にしない老婆は、穏やかに問い掛ける。アイシャは暫し、俯き……やがて、覚悟を決めたように願い事を言った。
「私は力が欲しいの。功績を得て、先輩達に意見できるほどの冒険者になりたい。そのためには、ダンジョンで叡智を得るか、多くの人に認められるような……誰もが凄いと思うような功績が必要だわ。どうすればいいか、貴女に見える?」
普通ならば、アイシャの言い分に呆れ果てることだろう。そんなものがたやすく手に入るならば、誰だって英雄になれているはずなのだから。
アイシャの言い分は正しく『現実を知らない小娘の戯言』であり、彼女の傲慢さの表れである。自分にその実力があると思っていなければ、そのような願いを口にできるはずがない。
だが、老婆はその願いを聞くと、にっこりと微笑んだのだ。
「あらあら……貴女はその代償を払う覚悟がありますの?」
「勿論! 私だって、覚悟を持って冒険者になったもの。命の危険くらい覚悟してるわ」
胸を張って言い切るアイシャに、一切の憂いはない。彼女は信じているのだ……老婆の言う『代償』とやらを支払おうとも、自分が後悔などしないと。
それは若さゆえの傲慢さ……無謀としか言いようのない『根拠のない自信』。
それが判っているだろうに、老婆は微笑んだ。覚悟を認められたと思ったのか、アイシャも強張った顔に笑みを浮かべる。
「宜しいですわ。その方法をお教えいたしましょう」
――もしも。もしも、アイシャがベテランと呼ばれる冒険者だったならば。
その老婆の笑みが、『獲物を見つけた者の歓喜』だと理解したことだろう。
老婆はアイシャの覚悟を認めたわけでも、彼女の応援をしてやりたかったわけでもない。ただ、『自分にとって都合の良い者』の存在を喜んだだけなのだ。
そこにアイシャは気付かない。……いつの間にか、老婆を無条件に信頼してしまっている自分に気付くことはない。
普通に考えれば、これはかなりおかしいことだった。いくら自分から頼ったとはいえ、会ったばかりの老婆を無条件に信じるなど!
いくらアイシャであろうとも、彼女にも冒険者として生きてきた時間がある。その経験があるならば、会ったばかりの相手を無条件に信じることなどあり得ない。
「では、お話ししましょう――」
その老婆の目を見た時……いや、老婆の噂を聞き、興味本位で老婆の元を訪れた時。
――アイシャの運命は決まったのだ。




