第二話 君の名は
「あははっ! くすぐったいよ、サモエド」
「キュウ!」
「……」
目の前には、遊びに来た銀髪ショタ(神)がサモエドと戯れている。見目麗しいお子様と毛玉なアホの子――サモエドのこと――が戯れているのは実に微笑ましい。
……が。
私はそれを眺めながらも、『ある疑問』が頭の中を占めていた。それは――
『銀髪ショタ(神)の名前って、何?』
だった。今更と言うなかれ。基本的に、銀髪ショタ(神)がやって来るのは問題が発生したか、何かしらの伝達事項がある時なのだ。はっきり言って、そんなことに気を取られている余裕はない。
だが、その余裕ができれば、気になるのも当然であって。私は本人に直接、聞いてみることにしたのだった。
「ねー、銀髪ショタ(神)?」
「……ん? なぁに、聖」
「あんたの名前って、何ていうの?」
「え……」
創造主に作られた補佐役であるアストやミアちゃんに名前があるのだ、銀髪ショタ(神)にだって当然、あるはず。
……だが、予想に反し、私の素朴な疑問を受けた銀髪ショタ(神)は困ったような表情になった。
あ、あれ? そんなに困るようなことを言ったかな!?
「えっと……その……」
「あ~……何か理由があって言いたくないなら、無理にとは言わないよ?」
「ううん、そういう意味じゃないんだ。……だよ」
「え?」
困ったような表情はそのままに、銀髪ショタ(神)は名前らしきものを口にする。だが、私はそれを聞き取れなかった。
『何かを言った』ということは判るのに、それを言葉として認識できなかったような? んん? 一体、どゆこと?
「ええと、その、ごめん。もう一度言ってくれる? 良く聞こえなかったみたい」
謝罪しつつも再度頼めば、銀髪ショタ(神)は再び口を開いた。
「……だよ」
「……」
やっぱり、聞こえない。いや、『音』という意味では聞こえているんだけど、意味のある言葉や単語として認識できないというか。ううん、よく判らない!
困惑し、首を傾げる私に、銀髪ショタ(神)は「仕方ないよ」と口にする。
「僕は君達……ダンジョンマスターどころか、この世界の住人達とも一線を画する存在なんだ。だから、聞き取れない……ええと、認識できないって言った方が良いかな? とにかく、今、聖が感じたままなんだよ」
「ああ、創造主だから別格ってやつ?」
「そんなところだね。……。まあ、名前を呼んでもらえないのは少し……ほんのちょっとだけ、寂しくはあるんだけど」
仕方ないよね、と銀髪ショタ(神)は苦笑した。その笑みが諦めたようにも見え、どことなく寂しげに感じられる。私も何となく気まずい。
「どうしたんです? 何かありました?」
そこへやって来たのが、アストことアストゥト。場の微妙な空気を察したアストは銀髪ショタ(神)の表情を見るや、ジトッとした目を私へと向けた。
「聖? 貴女、創造主様に何を言ったのです?」
「ちょ、無実! 私はただ、名前を聞いただけ! この子だけ、名前知らないんだもん! ……まあ、聞き取れなかったんだけど」
「ああ……それは……」
「聖は悪くないよ。聖の疑問は、僕の説明不足が原因だから」
アストはその理由を知っているらしく、納得の表情だ。銀髪ショタ(神)も私に非がないと思っているらしく、アストを宥めてくれた。
……が。
「皆、どうしたんだ?」
ダンジョンの見回りを終えたらしい凪の顔を見た途端、再度、私の脳裏に疑問が浮かぶ。
……あれ? 凪の世界のクソ女神って、名前を知られていたような……?
信仰されていたってことは、名前が判らないってことはないだろう。聖女は『恐れ多くて、私如きが呼んではいけない』的な空気を醸し出していたけど、元の世界では広く信仰されていたはず。
彼女以外にも信者がいただろうし、その信者達との繋がりも深かった。名前どころか、顔を知っていても不思議はない。
「あのさぁ、ちょっと聞いていい? 凪に祝福を押し付けた女神って、自分の世界では名前が知られていたんじゃないの? それもまた、人との距離が近い理由になっていたと思うけど」
素朴な疑問・其の二である。日本はあまり宗教色が強くない――自由度が高い、という意味で――けれど、それでも敬う神様の名前は知られている。凪の世界だって、同じじゃないのかい?
「あの女神の名前? ……。……もしかして、銀色の子の名前を聞いたのか?」
「うん。でも、理解できなかった。音としては聞こえるんだけど、意味を認識できないみたい」
私の問いに、凪は凡その事情を察したらしい。頷くと、銀髪ショタ(神)へと視線を向ける。
「この子は極力、この世界に神の影響を与えないようにしている。だからこそ、そういった現象が起こってしまうんだ。世界のルールみたいなもの、かな」
「名は個人を表すものですから。聖の世界……いえ、国にも『言霊』というものがあったでしょう? 名を呼ぶことで呼びかけ、振り向かせる……『個人に影響を与える』。創造主様はこの世界において絶対の存在ですから、ご自身がこの世界に影響を与えることを良しとしない以上、『この世界に在る者には、創造主様の名が認識できない』ということになるのでしょうね」
「ああ、そういうことだったんだ」
納得とばかりに頷くと、アストは肩を竦めた。
「貴女が日頃から使う呼び名も問題ですが、私が徹底してでも直させないのは、そういった理由があるのですよ。貴女にとっての創造主様とは、本来の世界の創造主様を指すもの……ややこしくなってしまうでしょう?」
「確かに。……うちの世界の創造主様って『兄貴』と呼んでも許してくれそうだけど」
「お止めなさい! 創造主様に何と無礼な!」
「いや、逆に喜びそう」
アストが青筋を浮かべて止めるけど、そこまで心配する必要はないと思うんだ。ちらりと視線を向けた先の凪も同意見なのか、「確かに」と頷いている。
本当に、豪快な兄貴なんだもの、うちの創造主様。恐竜達の興亡を見る限り、『昔はやんちゃ(意訳)もしたけれど、今はちょっと好戦的なだけです』っていう人(神)だぞ?
物凄く面倒見は良いんだけど、筋はきっちり通すことを求める感じ。怒らせたら多分、ヤバイ。
「魔術の中には名を使って縛ったり、力を借りたりするものがある。こう言っては何だが、この世界には魔術があるんだ。この子の名が知られていないのは良いことだと思うぞ?」
「凪はそう思うんだ?」
「ああ。たやすく神の力に縋れる状況は怖い。誰かが興味本位で行なった魔術でさえ、世界に想定外の影響を与える可能性があるんだ。この子が世界に影響を与えないことを願うならば、『聞き取れない』という現象も納得だよ」
「そっかぁ」
さすが、女神の祝福で苦労しただけはある。凪の言葉は説得力に満ちていた。
……が、先ほどの銀髪ショタ(神)の表情――寂しげなやつ――を見てしまったお姉さんとしては、気になってしまう。
銀髪ショタ(神)、実は名前を呼んで欲しいんじゃないか? 私達と関わっているからこそ、余計に『自分だけ他と違う』ってのを突き付けられてしまうだろうし。
ふむ、名前……名前……呼びかけるための名……。
……。
……あ。一個だけ思いついた。
「あのさぁ、渾名も駄目?」
提案! とばかりに片手を上げると、皆の視線が集中した。
「渾名、ですか」
「うん。銀髪ショタ(神)は結構ここに遊びに来てるし、アストだって、私が失礼な呼び方をするのが気に食わないんでしょ。だったら、渾名で呼ぶのはどうよ?」
本名だと拙いなら、渾名はどうだろう? 真名といった言葉もあるし、アウトなのは本名だけという気がする。
そもそも、渾名を付けるのは銀髪ショタ(神)から見て、格下の存在だ。影響を与えられるとは思えない。
「えっと……聖、僕に渾名を付けてくれるの?」
「ずっと『銀髪ショタ(神)』ってのも、ねぇ……。嫌じゃなければ、皆に名を呼ばれるのもいいんじゃない? まあ、渾名なんだけど」
そう提案すると、銀髪ショタ(神)は目を輝かせた。そんな様子に、アスト達も顔を見合わせ、諦めたように頷いた。
「おかしなものにしなければ、妥協しましょう」
「なにさ、その言い方」
「貴女は創造主様を『銀髪ショタ(神)』などと呼んでいる人でしょうが!」
煩いぞ、アスト。この子の場合、それが最大の特徴じゃないか。
ジトッとした目を向けるも、アストは馬鹿にした表情のまま鼻で笑う。この野郎……完全に、素に戻ってやがる……! あんた、私の補佐役じゃないのかよ!?
……。
まあ、いいか。銀髪ショタ(神)も待っているようだし。
とりあえず、補佐役様の許可は出た。本人も望んでいるみたいなので、『呼びかけに応じる』程度の影響力はありそうだ。気に入れば、自分の名の一つ――ただし、影響力はないに等しい――として認識してくれるだろう。
「そうだね……『縁』でどうかな?」
「ユカリ?」
「ふふ、漢字の意味から選んだんだよ」
首を傾げた銀髪ショタ(神)に少し笑うと、テーブルにあった紙へと字を綴る。
「字はこう書くの。意味は『巡り合わせ』とか『えにし』ってこと。ちなみに、もう一つの意味も兼ねてる」
「あれ? 今度は字が違うね?」
「こっちも『ゆかり』って読むんだよ。こっちの字は色のことなんだけど、『紫』って、赤と青っていう二色からできるの。あんたはこの世界に『別の世界のこと』を馴染ませようとしているから、丁度いいかなって」
銀髪ショタ(神)はこの世界に根付くような異世界の知識を求め、ダンジョンマスターを他の世界から連れて来る。私もそれに該当。
だけどそれは無理矢理出じゃなく、見返りを提示した上でのこと。勿論、その世界の創造主様達にも許可を取っている。
「ダンジョンマスターとこの世界の『縁』を繋ぐ。赤と青のように、異世界の知識をこの世界に混ぜて、新しい文化が根付くことを願う。……どうかな?」
……実のところ、『男女どちらでもある存在』みたいな意味もあったりする。
元の世界でも、『男女どちらでもある神』っているのよね。どちらの性別も知らなければ平等に人を愛せない、みたいな意味があるらしいけど。
「う……ううん、僕、これがいい!」
頬を紅潮させながら、銀髪ショタ(神)……いや、縁は何度も頷いた。アストも意味を知ったせいか、不満はないようだ。
「意外と考えているんですね、聖」
「名は人の本質を表すって言うじゃない。そういった意味では、私の世界にある漢字は秀逸だね」
「……確かに、文字そのものに意味があったな。そうか、こういった渾名の付け方もあるのか」
感心するアストに、かつての世界を思い出して納得する凪。中々にカオスな状況だが、縁が嬉しそうにしているから問題なし。
「じゃあ、これから縁って呼んでね! あ! でもこの渾名はここ限定のものだから! このダンジョンの魔物達とサージュ達だけ!」
「判りました。皆にも伝えておきましょう」
縁はとてもはしゃいでいる。嬉しそうで何よりだ。
「俺の時といい、聖はこういったことが得意なのか?」
「どうだろ? 凪の場合はあの時言ったように、穏やかに凪いだ人生をって願ったけど」
凪の問い掛けにそう返すと、凪は嬉しそうに笑った。
「あの子が喜ぶ理由が判る気がする。聖は俺達に対し、祝福を込めてくれたんだ。対象の幸せを願って付けられた名と、向けられた好意……嬉しいものだな」
「気に入ってくれたなら、何よりだよ」
だから、私が名を考えた二人とも。……遠い未来に私が居なくなった後も、幸せであれ。1




