第三十話 『援軍、超予想外の場所より来たる』
――ダンジョン・凪の部屋にて(凪視点)
「……」
幾度目かの溜息を吐き、俺は仮眠を諦めた。眠気というか、疲労がないわけではなかったが、眠りと共に訪れる『かつての世界の創造主の干渉』が恐ろしい。
エリクとサモエドは俺のそんな気持ちを理解し、ここのところは俺に付きっ切りだった。
ダンジョンマスターであり、『今の』俺の絶対者であるはずの聖、そしてこの世界の創造主の守りさえも超えて来る執念……その執着振りには呆れるばかりだ。
さすがに夢の中に入ることはできず――聖が一時期、真剣に夢魔を創造すべきか検討していた――、俺は皆を心配させている。……案じてもらう資格など、俺にはないというのに。
だが、俺が落ち込むことを、護衛を任されている友人達は良しとしなかった。
「おい、凪? お前、まーた後ろ向きになってるだろ? 眉間に皺が寄ってるぞ」
「っ……ちょ、おい、エリク!」
俺の眉間を解すようにぐりぐりと押すと、エリクは肩を竦める。
「悩んだって仕方ないだろ? 皆が動いてくれている上、『聖女』に取り込まれない方法は見つかった。事態は好転してるんだ。後は、もう一歩踏み込んで、お前への干渉を断ち切らせるだけだろ。それなのに、お前が落ち込んでどうするよ?」
「キュウ! キュウキュウ!」
「ほら、サモエドも励ましてるぞ。癒されるだろー? ふかふかだろー? 何も考えたくないなら、サモエドと一緒に昼寝してみろ。干渉があっても、サモエドが守ってくれるからさ」
にっと笑って、エリクはサモエドの両前足を持ち上げる。サモエドも嫌がることなく、されるがままになっているので、本当にぬいぐるみを抱えているようだった。微笑ましい光景に、どこか和んでしまう。
「すまない……皆が頑張ってくれているのに、肝心の俺が諦めていいはずはないな。それは判っているんだが、皆の忙しさを見ていると、どうにも落ち込んでしまうだけなんだ」
「それは仕方ないんじゃないか? 『神の祝福』とか『神の加護』の怖さを、お前は嫌っていうほど思い知らされているだろうし。けどな、俺達は諦めてないんだ。だから、諦めることだけはしてくれるなよ」
エリクもまた、ダンジョンマスターの手によって蘇った一人。その奇跡ともいうべき所業を知るからこそ、楽観視はしないらしい。
それでも『諦めるな』と言うあたりが、前向きなエリクの性格を表しているようだった。
彼は本当に、仲間想いだ。……それは聖を筆頭に、このダンジョンの皆にも言えることだけど。
「ん~……お前はさ、きっと俺の何倍も頭がいいから、色々考えちゃうんだろうな。『自分が原因で、皆に迷惑がかかったら』とかさ。まあ、俺もお前の立場だったら、一度は同じように考えると思う。だけどさ、聖さんは多分、『迷惑』なんて思わないだろ」
「……だからこそ、申し訳なく思うんだ。聖は俺を庇って、命を落としたから」
思い出すのは、人間だった頃の聖。聖は全く気にしていないが、俺にとってはそう簡単に流せる出来事ではない。
それが今度は、このダンジョンに暮らす者達どころか、世界さえも危うくしている。原因である以上、俺の心は申し訳なさで一杯だった。
「あ~……すでに前科があったか……」
さすがにエリクも言葉を詰まらせ、部屋には沈黙が落ちる。……が、その沈黙は勢いよく開け放たれた扉、そして飛び込んで来た人物によって、壊されることとなった。
「凪、いる!? ちょっと、確認してもらいたいことがあるんだけど!」
「あ、ああ、何だ?」
あまりの勢いに、エリク共々、面食らっていると、聖は手にしていた紙を俺へと差し出した。
「緊急事態発生! 何も言わずに、これを読んで!」
手渡される紙を受け取りながら、これは一体何なのかを尋ねようとして……あまりにも真剣な表情の聖に、浮かんだ疑問を飲み込んだ。そのまま、紙面の文字を追う。
――そして。
「……は? その、聖? これは本当に、本人なのか?」
「そうみたい。とりあえず見せなきゃと思って、プリントアウトしてきた」
困惑も露に聖に尋ねれば、少々、困った顔をしながらも、聖は首を盾に振る。
「私に直接声を届けると、『聖女』に接触を悟られる可能性があるから、メールにしたんだって。ほら、パソコンとかインターネットは私個人の『願い』だったし、銀髪ショタ(神)と向こうの創造主が許可をくれたから可能なんだよ。つまり、『パソコン経由のメールはノーマーク』! 『聖女』の世界にはインターネットとか、メール自体がなさそうだもの」
「! そうか、あちらの世界にはこういった物がないから、連絡手段と認識する以前の問題なのか。しかし……これは本当に可能か?」
メール送信者にも驚いたが、『書かれている内容は実行できるのか?』という点でも不安が残る。
上手くいけば今回の一件を終わらせることが可能だろうが、失敗した場合はこちらの敗北に直結してしまう。それは何としても、避けたい事態だ。
俺は改めて、文面に目を向けた。
『よう! 一応、初めましてと名乗っておくぜ。俺は【聖が居た世界の創造主】だ。聖、元気でやっているようだな。凪も何とかなったようで、何よりだ』
『チビから聞いたが、あのクソ女神がまた仕掛けてきたようだな。それでも抗い、叩き出そうとするたぁ、大したものだ。それでこそ、うちの子だ』
『ただな、お前達も判っているだろうが、【神】ってやつは人間が相手出来るもんじゃねぇ』
『まあ、色々面倒な制約があって、よその世界には干渉できねぇようになってるんだけどよ。ある意味、【世界は制約のお蔭で守られている】とも言えるんだ』
『……が、あのクソ女神はそんなルールを守る気がないようだ。これまでも色々やらかしてくれたが、いい加減、ここで一度〆ておくべきだと思っている』
『そうは言っても、あのクソ女神も狡賢くてな。自分が負けるような相手からは逃げるのよ』
『そこでだ』
『お前達は今、【聖女】と敵対してるだろ? 話を聞く限り、【聖女】は加護持ちらしいじゃねぇか。つまりは……【聖女を通じて、クソ女神を捕獲できるチャンス】ってやつなんだよ』
『勿論、いきなり俺が出て行けば、【聖女】は逃げるだろう。今は知らなくても、会った途端、クソ女神から【逃げろ】って指示が入るだろうからな』
『だから…聖に協力してもらいたい』
『今の聖の体はチビが作った物、そして聖は元々うちの子……俺に連なる者。一時的ならば、俺がその【器】を借りることができるだろう。いいか、聖。どこでもいいから、【聖女】の体に触れるんだ。そのタイミングで俺達が動く』
『事後承諾で悪いが、これは決定事項だ。あとな、短時間だろうとも、俺が乗り移った体には負担がかかる。聖が体に戻った後、暫くは疲労した状態になるだろう。そこは諦めてくれ』
『危険な目に遭わせることになるし、聖は戦闘能力が皆無だ。できることならやりたくはねぇが、あのクソ女神を捕獲し、【聖女】から引っぺがすにはそれしかねぇ』
『だからよ、聖。ちょっくら危険な目に遭わせることになるけど、俺と手を組んでくれねぇか』
『チビがこの方法を言わなかったのは……まあ、そういうことなのさ。あいつは自分の世界の住人だけじゃなく、よその子まで気にかけるからな……危険な目に遭わせるなんて、論外だったんだろ。そこは許してやってくれ』
『それからな、凪。確かに、お前は色々な世界で悪さしたかもしれねぇが、あれはお前のせいじゃないだろ? 少しは文句言ってる奴もいるけどよ、本来ならば俺達みたいな【神】が対処すべきことなんだ。自分の世界のことってのもあるが、原因は【神の力】ってやつだからな』
『まあ、そいつらにはよぅく言って聞かせておいたから心配ねぇ。そもそも、魂ってのは巡るもんだ。不幸な人生だって珍しくねぇ。これまで影響を受けた奴らが凪と会ったことも、【よくある不幸】ってやつだぞ。お前が思い悩むことはねえんだ』
『だいたい、元凶はクソ女神だって、皆が判ってるからな! そんなわけで今回、俺達が間接的とはいえ、よその世界に介入することが許された。特例だが、さすがにクソ女神を野放しにできないって悟ったんだろ』
『長くなっちまったが、そういうことだ。必要なことは伝えたから、お前達は【聖女】を誘き出す手筈を整えろ。それから今回同様、俺やチビとの連絡はメールのみだ。奴らにバレないよう、気を付けろ』
『それじゃ、頼んだぜ!』
俺の背後から紙面を覗き込んでいたエリクが、引き攣った顔で聖へと向き直った。
「……。あの、聖さん? この方、本当に聖さんがいた世界の創造主様なんですか?」
「そうみたい。いやぁ、頼りになる創造主様がいたんだね!」
「頼りになるどころか、やる気満々だな。頼もし過ぎるだろ……」
思わず零れた俺の呟きに、聖は誤魔化すように視線を泳がせる。……どうやら、聖も同じことを思っていたらしい。しかも、この世界の創造主に比べて、随分と好戦的な性格に思える。
「で……でもさ! ほら、これで何とかなりそうじゃない?」
「だが、危険だろう! 相手が捉えられるということは、聖だって同じ条件のはず。俺のことがあった以上、聖に良い感情を抱いているはずはない」
「そうですよ! 俺達は【聖女】の牽制はできても、元凶の女神相手には何もできないじゃないですか。今からでも断って……」
俺同様にエリクが反対するが、聖は首を横に振る。
「無理。『決定事項』って書いてあるし、拒否権はない。それにさ、私としても願ったり叶ったりだよ。これで凪のことも決着つきそうじゃない? もう脅えずに済むんだよ! ありがとう、元いた世界の創造主様! 通販のことといい、私は良い世界に生まれました♪」
不安に思うどころか、聖はいい笑顔だった。俺を気遣ったとかではなく、これは本心から喜んでいるのだろう。
……。
悲壮感は欠片もないようだ。これを聞かされた時、アストの胃は大丈夫なのだろうか。
「聖さんのいた世界創造主様と聖さんって、同類なんじゃ……」
「キュ~ウ?」
「あはは、サモエド心配してくれるの? 大丈夫、大丈夫、なるようにしかならないって!」
サモエドを安心させるように、聖はひらひらと片手を振った。その光景に、俺は深々と溜息を吐く。……駄目だ、聖自身がすっかりやる気になっている。
「少しは危機感を持ちましょうよ、聖さん……。サモエド、お前は平和な顔と性格のままでいてくれよ。俺達の癒しなんだからな!?」
「キュ? キュウ?」
聖に何を言っても無駄と悟ったのか、エリクは遠い目になった。そして徐に、サモエドへと真剣にそんなことを言い聞かせ始める。
否定はしないぞ、エリク。寧ろ、俺もそう思う。




