第二十九話 『悪化する状況と、見えてきた希望』
アルド君は中々顔を上げなかった。
前回は自分勝手な正義感――個人としては間違っていないのかもしれないけど、結果的には第三者としての思い込みで動いていた――からダンジョンに押し掛け、今度は王命。
連続して厄介事を持ち込んだ形になるので、そりゃ、言い辛かろう。
そうは言っても、私達とて彼らを無視できない。今は少しでも、情報が欲しい時なのだから。アルド君がアマルティアとその周辺の情報をくれるなら、大歓迎ですよ!
「……『聖女』のこと、かな?」
「……っ!」
こちらから仕掛ければ、アルド君は即座に顔を上げて私を凝視する。驚愕、困惑、期待……様々な感情が混ざった目で、縋るように見つめてきた。
「やはり……情報を得ていたんだな?」
「気にならない方がおかしいでしょう?」
軽く首を傾げて当たり障りのない答えを返せば、アルド君は肩を落として、俯きながら話し始めた。
「……始まりがどうだったかは判らない。あの『聖女』はじわじわと浸食する『何か』のように、貴族階級や貴族の家で働く者達の間に馴染んでいったそうだ。一応、後ろ盾になっている家は存在する。なんでも、難病に苦しんでいた奥方を治してもらったことが縁だそうだ」
「ふうん、わりとベタな展開ね」
口ではそう返すも、内心では『うっわ、計画的っぽい!』などと思っていたり。そもそも、『難病患者』って、そう都合よくいるものなのかねぇ?
元の世界に比べて医療が発達していないので、この世界において『治療法のない難病患者を治しました』という事実は、凄まじい威力があるに違いない。ある意味、『不可能を可能にした』ということなのだから。
……が、それはあくまでも『この世界において』。
私が居た世界ならば治療が可能かも知れないし、凪が『祝福』を受けた世界は魔法が発達している上に、リアルに神との距離が近い。『加護』持ちの『聖女』ならば、病の完治も不可能ではない気がする。
「僕も都合が良過ぎるとは思ったんだ。だけど、『聖女』が病を治したのは事実……病が治った奥方を筆頭に、その家の者達が『聖女』を崇め出すのに時間はかからなかった」
「……ん? 『崇める』? 随分と心酔してるじゃない」
引っ掛かりを覚えて突っ込めば、アルド君も大きく頷いた。
「そう、おかしい。いくら恩人であっても、出自が不明で、身分がない流れの神職者で、崇めている神は聞いたことがない異教の神。これだけ不審な点があったのに、医者でもない『聖女』に奥方を診せるのもどうかと思うが、誰一人、『聖女』をうさん臭く思っていないんだ。だから、その不自然さが余計に浮き彫りになる」
「……」
おいおい……これ、『魅了』とかいう力じゃないの? ただ、アルド君のように『不自然だ』と訝しむ人がいるくらいだから、凪と比べてもかなり弱まっていると思う。
「あくまでも予想だけど。直接関わって仲良くなったり、恩を感じたり……付け込まれる隙があると拙いんじゃないのかな。好意を抱いた人達の心を絡め取っているように思えるよ。あと、『聖女』に対してというより、『聖女』が崇める神の方に意識を向けさせているから、余計に『聖女』が善人のように思えるのかも」
「あ……そうだな。うん、確かに、そんな感じだった! 『聖女』自身は欲もなく、本当に『神のお言葉に従った結果』とか、『神の思し召し』といった感じで、奉仕精神の塊みたいな感じだったと聞いている。だから聖職者と名乗っても、不自然に思わないのかもしれない」
はっとするなり、アルド君は思わずといった感じに口走る。そして、その言葉に反応したのは、それまで黙って話を聞いていたアストだった。
「お待ちください、アルド様。そのお言葉の通りですと、『【聖女】に会ってなお、無事だった者がいた』という風に聞こえるのですが」
「え? あ、ああ、何人かはいたな。一番身近な奴は、アマルティア姉様の護衛兼見張りの騎士で、確か、神職系の家の出身だったはずだ。だから余計に、『聖女』に懐疑的らしい」
「へぇ……他には?」
更に追及すれば、アルド君は思い出すように目を眇め。
「ダンジョンで得た護符の守りもあるのかもしれないな。『禍から遠ざける』という効果があるとか……だが、『聖女』自身には効果がないらしい。やはり、血筋が物を言ったのかもしれない」
私達の食い付き具合に驚きながらも、丁寧に応じてくれた。情報を提供することが助力への見返りだと判っているのだろう。
対して、私は内心、拍手喝采。アルド君の言葉の中には、先ほどの私の仮説に確信を抱かせる要素があったのだから。思わず、同じく気付いたらしいアストと顔を見合わせる。
「さっきの予想、ビンゴだわ。『聖女』は自分に好意的な人に限り、自分へと過剰な傾倒をさせるんだよ! だから、好意なく疑惑の目で見ている人には意味がない」
「この世界の神を信仰している者ならば、多少は恩恵があるでしょうからね。『聖女』の影響を受け付けないのも頷けます。ダンジョンで得た護符というのも、ダンジョンマスター自身が製作したものならば、異世界の術である可能性が高い。『禍から遠ざける』ならば、神聖魔法の類……元の世界の神の力を借りて成し遂げるものでしょう。弱い魅了程度ならば弾けるかと」
ここにきて、一気に対策めいたものが浮上したようだ。つい、アストとの会話に熱が入ってしまうけど、それは仕方がないことだと思っていただきたい。
だって、これで『聖女』の魅了(?)は対策が立てられるもの。
これ、サージュおじいちゃんに伝えれば、何とかしてくれそうじゃない?
「え? え? そ、その、僕にも説明してくれるとありがたいんだが……うわっ!」
おずおずと声をかけてきたアルド君に、アスト共々勢いよく振りむけば、盛大にビビられた。……いや、そんな反応をされても困るんですが。驚かせたのは悪いと思ってるけど!
「失礼。……アルド様、素晴らしい情報をありがとうございます。『聖女』の魅了……魅了、と呼ばせていただきますね。何とかなりそうですよ」
「! ほ、本当か!?」
「はい。先ほどの聖の仮説と貴方様からの情報、その二つから十分な対抗策が見出せました」
「さっき、私が言った『仲良くなったり、恩を感じたりして、好意を抱いたらアウト』ってやつ。効果は今、アルド君達が実感してるでしょ? 『【聖女】は人の好意に付け入って洗脳する』とでも通達しておけば、予防くらいにはなると思う」
「そして、もう一つ。護符の存在です。こちらは異界の術が必要になりますから、改めて用意いたしましょう。このダンジョンは人との共存を目指しておりますので、今回ばかりは特例として進呈いたします」
にこやかに宣言するアストに、アルド君達は感動したようだった。その心温まる『異種族同士が助け合う光景』に、私は生温かい目をアストに向ける。
……。
アストさん、まともっぽいことを言ってるけど、それ、恩を売りつつ、情報提供に対する報酬を与えてるだけ。
アルド君発の情報がこちらの明暗を分ける可能性が出て来たから、でしょ!?
ああ、アルド君だけじゃなくて、護衛の騎士達まで感動してるじゃん……。これで効果がなかったら、どうするのさー!
「あ……ありがとう! 心から感謝する! ……。アマルティア姉様のことは愚かで、どうしようもない人だと思っているが、それでも今の姉上は見ていて気持ち悪いんだ。まるで操られているかのように、盲目的で……」
「あれ、アマルティアとは仲が良かったの?」
俯きながらの独白に、まさかと思いながらも尋ねれば、アルド君は苦笑して首を横に振った。
「あの人は昔から自分勝手だった。だけど、幼い頃はそれがとても生き生きとしているように見えていた。勿論、今はそれが王族としては失格だと判っているけれど……幼い頃、我儘を言った僕の味方をして、教育係に怒ってくれたりもしたんだ。僕は今でも、それを覚えている。だから……助けたい」
アルド君の言葉には、アマルティアに対する家族愛が感じられる。状況が違えば、結構仲が良い姉弟になれたのかもしれないね。だけど――
「アマルティアは『聖女』の術に、最も深く絡め取られている可能性があります。その場合、以前のように……というのは、難しいかもしれません」
言い辛そうに、けれど伝えておかなければならない可能性として、アストはそれを突き付ける。
今のアマルティアか、死して本来の彼女に戻るのか。それを委ねるには、アルド君は幼い。
だが、私達の心配は杞憂だったようだ。アルド君は『王族』であることを選んでいたのだ。
「判っている。今の姉上は心酔、盲目的、と言った言葉がぴったりな状態なんだ。だからせめて、解放してやりたい。……それがあの人の死に繋がることだとしても。誰かに従属したままではなく、『王女アマルティア』として存在させてやりたいんだ」
「そう、ですか」
それしか言えず、アストは口を閉ざした。
おそらく、アルド君はアマルティアの状態を楽観視してはいない。それでもなお、解放してやりたいと願うのだろう。
「護符の用意ができたら知らせるから、とりあえず対抗策を伝えて? 私達も『聖女』を野放しにする気はないの。確約はできないけれど、抗うことだけは約束しましょう」
言い切って、アルド君の頭を撫でる。この子に必要なのは慰めではなく、元凶である『聖女』への対抗手段だ。そのためにここに来たのだから、同情も、慰めも必要ない。
「ありがとう、ダンジョンマスター。これで陛下の憂いも少しは晴れるだろう」
「……」
アルド君は王族の一人として、前を向くだろう。私が自分の人生を後悔しなかったように、この子は何があろうとも己が矜持を曲げない気がする。
だから……少しだけ、先輩として応援してあげるよ。好き勝手に生きた私は、どちらかと言えばアマルティアに近いだろうけど。
――頑張れ。困ったら、できる限り手を貸してあげるからね。




