第二十七話 『聖女の微笑みは誰がため』
――王城・アマルティアが幽閉されている部屋にて(聖女視点)
目の前の王女を前に、私はできるだけ優しく微笑みました。彼女はとても可愛らしく、自分に素直な人なのでしょう……そう、きっと『それだけ』なのです。
「辛い思いをされましたね。もう大丈夫ですよ」
彼女に届くように、彼女の心に染み渡るように、私は言葉を重ねていきます。
「……そう言って、貴女も私を批難するのでしょう?」
「いいえ、そのようなことは致しません」
警戒心を露にする彼女に、きっぱりと言い切って首を横に振ります。いきなり距離を詰めるのは悪手です。あくまでも優しく、彼女の心に寄り添わなければ。
「私が心を捧げ、唯一と信じる方。尊く偉大な女神様は大変お優しく、敬虔な信者達を常に見守っていてくださるのです。……貴女はとても可愛らしく、素直な方なのでしょう。それゆえに、女性らしいお気持ちが強過ぎてしまったのですね」
「それがずっと許されてきたわ。諫める声も確かにあったけれど、同じかそれ以上に許されてきたもの。……なのに、私だけが悪いの? どうして、私だけが悪く言われているの……!」
唇を噛み締め、憎しみと悔しさに震える王女……アマルティア様は。そう言うなり、両手で顔を覆われてしまいました。
そんなアマルティア様のお姿に、私は益々、笑みを深めました。胸に湧き上がる感情を言葉で表すならば……『歓喜』でしょうか。
それはとても場違いであり、塞ぎ込むアマルティア様を案じるあまりに、こっそりと私をこの場へと導いた侍女が知れば怒り狂うでしょう。
ですが、私は嬉しかったのです。私にとっては傷つき、様々な負の感情に翻弄されるアマルティア様こそが、何よりも必要な存在でしたから。
ああ、何て。何て愛らしく、愚かな方なのでしょう……!
このような状況になってさえ、反省という言葉を知らず。寧ろ、原因となった者どころか、ご自分を遠ざけた方々へと憎しみを燃やす様は、大変に醜悪で、私に都合の良いものでした。
アマルティア様の言い分はある意味、正しいのです。ですが、『アマルティア様一人を悪者にすることで、正義が保たれるようにされてしまった』。
細かく突き詰めれば、アマルティア様以外も罰を受けねばならないはずなのに、一人を生贄にして、他の者達は傍観者を気取っている。
ゆえに……アマルティア様は『変わることができない』。当事者の一人であり、元凶であるアマルティア様だけがこのような目に遭われていらっしゃるのですから。
『どうして……どうして私ばかりがこんな目に遭うの!』
『私だけが悪かったの? 耳障りの良いことばかりを言って、甘い汁を吸った者もいたでしょう!? 利用価値がなくなれば、他人の振りをするなんて!』
自己保身、家の事情、王女のご機嫌を取っていただけ……皆様、理由は様々でしょう。ですが、アマルティア様からすれば、彼らも立派な共犯ではございませんか。
それなのに、多くの者達は罪に問われることなく、以前と変わらぬ暮らしができている。アマルティア様は一人責められ、寂しい暮らしを強いられているというのに。
「失礼致しますね、アマルティア様」
近寄って、ゆっくりと抱きしめます。そのまま背中をゆっくりと撫でれば、アマルティア様はそろそろとお顔を上げてくださいました。
「……貴女は私が悪いと言わないの?」
「言いません。アマルティア様はご自分に素直だっただけですもの」
否定ではなく、肯定を。『悪い』という言葉こそ使っていませんが、私は決して『貴女は悪くない』などとは言っていないのです。
……見張りと護衛を兼ねた騎士が居る手前、迂闊なことは言えませんものね。警戒されてしまいます。
ふと視線を巡らせれば、私達の様子を監視しているらしい騎士の姿が。そのすぐ傍には、私をここへと導いた侍女が心配そうに見守っています。
「大丈夫」と伝えるように微笑みかければ、騎士は苦々しい顔になり、侍女は僅かに安堵を滲ませたようでした。
あまりにも精神的に不安定ゆえに、同志たる侍女の手引きで私はここに参りました。目的があることも事実ですが、そのためにはアマルティア様に私を信頼していただかなければなりません。
ですから……大丈夫ですわよ? お二方。アマルティア様にはまだまだ頑張ってもらわねばなりませんものねぇ。
ふふ、我が唯一の神、敬愛する女神様のお役に立ってもらいませんと。
「良い子、良い子。さあ、今はゆっくり眠りましょう。そうして目が覚めれば、今よりも落ち着きますよ。アマルティア様はとても疲れていらっしゃるのです。疲れたままでは、全てを悪い方向に捉えてしまいますわ。まずはゆっくりと体を休め、心を落ち着けましょうね」
「……貴女は帰ったりしない? 目が覚めた時、私とお話ししてくれる?」
「ええ、勿論」
眠いのか、どこか幼い口調のアマルティア様へと頷き、欲している言葉を囁きます。
ゆっくりと閉ざされていく目に映る私は、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべておりました。
お休みなさいませ、アマルティア様。夢の世界にて、我が神がお待ちですわ。
大丈夫……かの方は優しくアマルティア様を受け止めてくださいます。何も心配はいりませんから、優しい声に身を委ねておしまいなさい。
緩く、深く、静かに染み渡って行く声音と、そこからもたらされる深い安堵……そして幸福感。思考を放棄し、ただただ優しい声に聞き惚れ、その身を委ねるのは、母親の腹の中で揺蕩っていた赤子の頃を思い出すでしょう。
――そうしているうちに、我が神のお力はこの世界に満ちるのですから。
目的のため、アマルティア様を利用しているのは事実です。ですが、アマルティア様も欲しいもの――味方や肯定の言葉など――を手に入れられるのですから、お互い様でしょう?
私が貴方様の欲しい言葉を紡ぐのは、我が神のため。我が神が欲する者を手に入れるという目的、そのための力をこの世界に根付かせる媒介こそ、アマルティア様のお役目なのです。
とても名誉なことですから、アマルティア様も誇らしいでしょう?
……ああ、だけど。『アマルティア様の味方』といった言葉にも、偽りはございません。
私は個人的にも、アマルティア様一人が悪いなどとは思っていませんの。だって、アマルティア様は王女であっても最高権力者ではなく、ご自分で何事かを成されるお立場ではございませんものね?
咎められるべき方はもっといらっしゃるはずなのです。
不甲斐ない王は諫めきれなかった責を、傲慢な王女に押し付けました。
傲慢な王女の手足となって働いた者達は、『逆らえなかった』という言葉で逃げ延びました。
民はただ『罪深い王女』と知らされ、それを疑うことなく受け入れました。
アマルティア様の怒りは当然のものなのです。私でさえ、理不尽だと感じてしまうことが多々あるのですから。
アマルティア様の安らかな寝顔に、私はほっと息を吐きました。我が神との逢瀬は上手くいっているようです。これならば、私の仕事がやりやすくなりそうですね。
私が敬愛し、祈りを捧げる女神様。かの方がアマルティア様に安らぎを与える限り、彼女は夢の中に安息を求め、いずれは敬虔な信者として、共に祈りを捧げるでしょう。
「良かった。本当に良かった! あの方を姫様に会せたことは正解だったわ」
「……本当にそう思うのか?」
「何よ! あの穏やかな二人の姿を見なさいな。どこか間違いだと言うの?」
侍女は隣に居た騎士に賛同を得られなかったことが不満らしく、ぎろりと睨み付けた。対して、騎士はどう言葉にしていいのか判らず、それでも眉を顰め――
「俺にもよく判らない。判らないんだが……あの得体の知れない女が気持ち悪くて仕方ない」
思わず、という風に、騎士は胸元へと手を伸ばす。その下にあるのは、ダンジョンで得た護符。
『禍から遠ざける』と説明されたものだが、実際には『良くないものが近づくと、持ち主に警告を与える』という効果があるらしい。
ただ、禍自体をどうにかする力はない上、その『警告』もどんなものか判らないので、騎士は護符を気休め程度と思っていた。
護符による『警告』が『持ち主に警戒心を抱かせること』であることは、あまり知られていない。
対処法にもならない弱い術だからこそ、護符に使われている術は失われたのだから。
その護符によって異世界の神の干渉から逃れられていたと、騎士が知ることはない。
けれど、彼は後に『【聖女】の災厄』と呼ばれる出来事において、王女アマルティアの傍で正気を保ち続けた数少ない証言者として、その名を残すこととなる。
――禍は『聖女』という優しげな姿を取り、静かに、確実に、忍び寄っていた。




