第二十二話 『アマルティアの異変』(アストゥト視点)
さて、それではしっかりと言い訳をしていただきましょうか。
「聖? 貴女は何をやっているのですか? いくら頭に来たと言っても、貴方はこのダンジョンの中核……死ねば、リセットがかかってしまうのですよ? 危険があるならば、避けるべきです。それを考慮して、凪がこちらに居てくれたのではないのですか?」
「ぐぇっ……ちょっと、アスト! 猫じゃないんだから、襟首掴まないでよ。苦しい!」
「でしたら、反省なさい! それとも、何か理由があったのですか?」
聖の抗議など、いつものこと。ですが、聖は尋ねた途端、曖昧な笑顔を浮かべて、ある方向を指差しました。視線を向ければ、そこには……蠢く繭? のような物体が。
「実はさ~、アマルティアがソアラに暴言吐いた途端、エリクが激怒したんだわ」
「ああ……まあ、エリクの想い人ですからね。ですが、さすがに遣り過ぎでは?」
納得すると共に、少し気の毒になってしまいます。つまり、あれはエリクなのですね。というか、聖が出て来るよりも、エリクに行かせた方がマシだったのでは。
ですが、聖は苦笑して首を横に振りました。『仕方なかったんだよ』とでも言いたげな聖の表情に、聖を除いた面子は顔を見合わせます。はて、エリクの繭にどんな理由があるのやら。
「ソアラへの暴言も勿論だけど、アマルティアは娼婦とかを馬鹿にしたじゃない? 多分だけどさ、同じ養護施設で育ったエリクの幼馴染とか、それしか職がなかった子もいるんじゃないのかな。エリクは『自分には剣の才があった』って言ったけど、特出した才がない子の就ける職って限られてるんじゃないの?」
『ああ……』
全員の声がハモりました。確かに、エリクならば激怒しそうです。
「いきなり真顔になって、剣を抜こうとするからさ……その、強制退場要員としてアラクネに居てもらったじゃない? アラクネもヤバさを感じたらしく、足止めを遣り過ぎてああなった」
「それで、繭のようになったと。まあ、元騎士にして、デュラハンであるエリクが相手では、念には念を入れた対処が必要かもしれません」
「うん。それだけエリクが本気で怒ってたってことなんだけどね。だから、話し合いを終了させるべく、私が動いたんだ。私が出て行けば絶対に、アマルティアは敵意を向けて来るもの」
聖が出て来たと言うより、出て行かざるを得ない状況だったということですか。
成程、聖としてはアマルティアの気をソアラから逸らさせるため、そして無駄な時間を終わらせるために、自ら餌となった、と。
「姉さんを気遣ってくれたことはありがたいですが、聖さんも危ないのでは? あの方、聖さんを目の敵にしているだけじゃなく、どこか普通ではなかったですし」
「そうよぉ、聖ちゃん! 聖ちゃんが怪我なんてしたら、私は自分を許せないわぁ」
「大丈夫、大丈夫! ここには皆がいるからね! アマルティアが暴れても問題ないでしょ」
淫魔姉弟の心配をよそに、聖は笑ってひらひらと手を振ります。安心させるためというより、本心からそう思っているのでしょう。
そんな姿を見た二人は何とも言えない表情になり……ソアラは聖に抱き付き、ルイも嬉しそうに笑って、ソアラごと聖を抱きしめました。
彼らは……本当に嬉しかったのでしょう。
ダンジョンの魔物達にとって、ダンジョンマスターは絶対の存在です。ですから、これまでどのような扱いをされようとも、不満を感じたことなどなかったでしょう。それ以前に、自我など存在しませんので。
そんな状況が当然の我々にとって、異例中の異例なのが、聖というダンジョンマスター。
これまで存在したダンジョンマスター達に『物』という扱いをされてきたからこそ、自分達のために怒り、それ以上に、全面的な信頼を寄せてくれている聖の言動は嬉しいものなのです。
魔物達は自我があるからこそ、戦闘能力皆無の聖を守るために奮い立つのですから。
特に、この二人は通常ならばあり得ない『姉弟』という存在がいるのです。日頃もそうですが、先ほどのルイの態度を見ても、二人は仲の良い姉弟なのでしょう。
そのような繋がりを作ってもらったという意味でも、聖に感謝しているようでした。
そこでふと、これまで沈黙したままだった凪の様子が気になりました。不快な生き物のくだらない言動を聞き、気分が悪くなっていないといいのですが。
「凪? どうかしたのですか?」
私の呼びかけに、難しい顔をしていた凪ははっとして、こちらに意識を向けました。聖達も凪が気になったのか、皆が凪へと視線を向けています。……エリクの救助は後回しになるようですが、仕方がないことと割り切ります。
「あ……いや、すまない。少し考え事をしていたんだ」
「……そういえば、アマルティアが激高したあたりから、凪は静かでしたよね。聖さんが来た時は、真っ先に背に庇うと思っていたので、少し意外でした」
ルイの指摘に、凪は少々、顔を赤らめました。そんな凪を、聖はじっと見つめた後――
「なーぎ? 気になることがあるなら、言っちゃいなよ」
「え……」
「ここには凪の言葉を盲目的に肯定する人はいない。『話し合うことができる』んだよ。それにさ、凪の呪いだってどうにかなったじゃない。解決策があるかもしれないし、言っとけ!」
聖の言葉に、凪は驚いた顔になりました。……そういえば、聖は生前、凪の『呪い』――神の祝福だろうとも、凪にとっては呪いです――に対する苦悩を聞いていましたね。
凪のトラウマは根深いものですから、周囲が動かなければ自分一人で解決、もしくは諦めてしまう傾向にあることも頷けます。それほどに、凪にとっては深い傷となっているのです。
聖は『今は違う』と、凪に思い出させたかったのでしょう。それが自然にできるあたり、聖は常に凪を気にかけているようでした。つい、微笑ましく思ってしまいます。
――こういったところは本当に『凪の救いだったお姉ちゃん』なんですよね、聖。
ですが、それは我々も同じこと。かつては聖しかいなかった『救い』ですが、今はこのダンジョンに生活する全ての魔物達が凪の味方なのですから。
「凪。気になっていることがあるならば、吐き出してしまった方がいいです。それに、今の貴方は『このダンジョンの魔物の一人』なのですよ? 我々とて、無関係ではありません」
「!?」
「貴方が悩むなど、あの呪いが絡んでいる以外に考えられません。そして、貴方は今や、ここの住人なのです。私達が貴方を手放す気がない以上、巻き込まれることは必然なのですよ」
嫌な言い方をしてしまったとは思いますが、それは紛れもない事実でありました。何より、私達が巻き込まれる可能性があると聞けば、凪とて話さざるを得ないと思ったのです。
そして……その判断は正しかったようでした。
「そ……うか。そうだな、その可能性も否定できないな。その……あくまでも俺個人の主観というか、ただの感想として聞いてほしいんだが……似てたんだ」
「似ていた? 誰に?」
即座に聖が聞き返します――凪の会話相手は自分が最適と、判断したのでしょう――が、その問い掛けに凪は首を横に振りました。
「誰か、といった個人じゃない。アマルティアの豹変ぶりというか、現在の不安定な状況は、俺の『呪い』に影響された人達に似ていたんだ」
どこか寂しげに、苦しそうに俯く凪。ですが、黙って話を聞いている皆の姿に覚悟を決めたのか、顔を上げて更に言葉を続けます。
「自分の意志があるのに……俺に過剰な好意を示す自分がおかしいと判っているのに、止められない。俺を化け物のように思って恐怖したり、おかしな術を使っていると考え、憎むことだってあっただろう。……相反する感情がせめぎ合っているんだ。二つの感情に振り回されていると言うか。俺のせいで『呪い』が弱まり、中途半端な状態になったからこそ、起こった悲劇とも言えるな。だから、俺が元凶というのも間違ってはいない」
「アマルティアの状態は、彼らが陥った不安定さに似ているってこと?」
「ああ。状況的には、おかしくなっても仕方ないと思う。何不自由なく甘やかされ、多くの人に傅かれ、好き勝手できていたのに、現在は周囲に人が殆どいないと、護衛の騎士達は言っていた。だから、現在と過去の自分の状況の差が受け入れられず、ああなっても仕方がないと」
話し終えると、凪は大きく息を吐きました。凪の言葉を聞いた私達とて、かける言葉を思いつかず、気まずい沈黙が流れます。
ですが、それを打破すると言うか、空気を読まないのが聖という生き物でして。
「だけどそれ、凪のせいじゃないじゃん」
あっさりと、そんな言葉で片付けてしまったのです!
「アマルティアは自業自得だよ? それに、『呪い』の影響を受けた人達だって、凪のせいじゃない。勘違いしちゃ駄目だよ、凪。本当に責任を感じなきゃいけないのは、『呪い』を与えた存在……凪が生まれた世界の創造主じゃん! 責任転嫁もいいとこだよ」
「責任転嫁……」
「それしか言いようがないと思うけど? じゃあさ、別の例を出してみようか。私が死んだ時の事。あの事故で私は死んで、この世界のダンジョンマスターになった。だけど、事故を起こしたのは凪じゃないし、ダンジョンマスターにしたのは銀髪ショタ(神)。この状態が凪のせいなんて言えないでしょ。そういうことだよ」
聖の言い分は『被害者』という視点でのもの。聖のせいではありませんが、凪のせいでもないでしょう。凪は『ただそこに居合わせただけ』なのですから。
勿論、凪の言い分も理解できます。凪がいなければ、人生を狂わされる方とて、存在しなかったでしょう。原因、という意味では、ある意味正しいのですから。
――ですが、『呪い』は凪が望んだものではありません。
望んでそのようになったならば、罪悪感を抱くのは当然です。ですが、凪が望んだわけではなく、凪自身さえも制御できない『呪い』ならば……凪自身も被害者ではないのでしょうか?
と言うか、元凶ならば罪悪感を抱かないでしょうね。ままならない現実に憤り、『こんなはずじゃなかった』とでも言っているような気がするのですが。
「凪。貴方は『間接的な原因』であっても、『元凶』ではないのです。貴方の性格では、罪悪感を抱くのも仕方ないと思いますが……過ぎる自己嫌悪はお止めなさい」
聖は『被害者視点での事実』を。私は客観的な感想を。その二つは存外、凪の心に響いたのでしょう。軽く目を見開いた凪は、若干の涙を滲ませながらも頷いたのです。
「二人がそう言ってくれるなら、少しずつ努力しようと思う。……不思議だな。あまりにも多くの人達に責められ続けて、それが当然と思っていたのに……聖とアストの言葉の方が信じられるんだ。俺がこのダンジョンの魔物だから、そう思えるのかな」
「いや、普通に考えても、凪に非はないでしょ」
「貴女と違って、凪は真面目なんですよ!」
ですからね、凪。もう、一人で背負う必要はないのです。貴方もまた、聖曰くの『うちの子』なのですから。




