第十八話 『忍び寄る影、傲慢な姫』
――深い夢の中にて(アマルティア視点)
暗闇の中に私は立っていた。傍に控える侍女の姿も、私を守る騎士もいない、真っ暗闇。
孤独、苛立ち、屈辱、憤り……様々な感情をごちゃまぜにして、今の私は成り立っているのだと……それが『私』なのだと、嫌でも痛感させられる。
エリクを玩具に選んだから。
お父様達の苦言を一切、聞かなかったから。
勇者と呼ばれた『化け物』を利用しようとしたから。
何より……あのダンジョンマスターに喧嘩を売ったから。
こうなった経緯を思い出すも、それはより私を苛立たせるに過ぎなかった。そのどれが欠けてもこうなった結末にはならないと、判っているせいかもしれない。
――だけど。
私はそれほど悪いことをしたのかしら?
貴族達の大半は、平民がどうなろうとも気にしない。傲慢ではなく、『それが許され、当然とされる階級』なのだから。
その代償とでも言うように、堅苦しい義務に縛られる。私の婚約とて、国同士の繋がりを欲するためのものだったはず――私の意思など、お構いなしに。
それなのに、エリクのことが許されないのは何故?
あの『勇者』だって、異世界から呼び出した化け物じゃない!
どうして……どうして、私は許されなかったの。
どうにもならない現実に、苛立ちを禁じ得ない。そんな私へと、優しい声がかけられた。
『……そう、それはとても辛かったわね』
闇の中に響く優しい声、私が欲しかった言葉。そちらに意識を向ければ、まるで誰かに抱きしめられているような安心感を覚えて、安堵の息を吐く。
『辛かったのね、貴女何も悪くないのに』
……ええ、辛かった。とても悔しくて、私の胸には今も憎しみが渦巻いている。
『貴女の味方をしなかった貴族達も酷いわ。皆、自分のことばかり』
……。そう、ね。そうよ、私は彼らが……あっさり掌を返した彼らが許せない。
『貴女のご家族だって、守ってくれなかった。ダンジョンマスターのご機嫌を取る方が大事』
お父様やお母様、兄弟達すらも、私を守ってくれなかった! 私を見捨てた!
『貴女の兄上は、同行した騎士達の功績を奪い取った。それは罪じゃないの?』
弟は憤っていたわ。『功績を奪うな』って。悲しむことさえ許されないのは間違ってるって。
『ただの搾取なのにねぇ……次の王だから、そんなことが許されるのかしら』
私が女だから? 王女だから非道と罵られ、罰を受けなければならなかったというの……!?
緩く、心地よく非響く声。それはいつしかダンジョンマスターだけではなく、家族や貴族達への不満を私の胸に育てていく。私が肯定される度に……彼らが敵にしか思えなくなっていく。
頭の片隅でどこかおかしいと感じながらも、私はその声の心地良さに酔いしれ、僅かに抱いた疑問を維持し続けることを放棄した。
だって、仕方ないじゃない。私を認め、肯定してくれる『味方』は、この声だけなのだから。
随分と長い間感じていなかったように思う安らぎに、私はうっとりと目を閉じる。これは夢、それは判っているけれど、今はもう少しこの心地よい空間に揺蕩っていたかった。
『ゆっくりお休みなさい。可愛い、可愛い……愚かな子』
最後の呟きは良く聞こえなかった。だけど、私は何も不安に感じてはいない……そんな必要は、ない。
――あの『声』が誰のものかは判らない。だけど、私を傷つけるはずはないのだから。
「失礼致します、アマルティア様。……あら? 今朝は随分と顔色が宜しいのですね?」
起こしに来た侍女の言葉に、私は夢の心地良さに浸ったまま微笑んだ。
「……ええ。とても良い夢を見ていたの」
※※※※※※※※※
――ダンジョンにて(アストゥト視点)
「……何ですって?」
改装を終えたダンジョンの最終確認、そしてダンジョン再開の告知を終えた直後。私はエリクからもたらされた知らせ、そして差し出された手紙に、思わず声を上げてしまいました。
「あ~……うん、やっぱりそうなりますよね。この話を聞いた誰もが、アスト様と同じ反応してますよ。凪はあからさまに不機嫌になりましたし」
「当然でしょう」
それ以外に、言葉がありません。つい、溜息を吐いてしまいます。
エリクによって告げられたこと、それは『アマルティア姫を直接謝罪させるため、このダンジョンに向かわせる』というものでした。
……ご丁寧にも、王家の印が刻まれた封筒を使っての連絡です。一応は『伺いを立てる』という形式を取っていますが、実際は決定事項としての通達なのでしょう。
皆の反応が呆れ一色なのは、それが原因です。『こちらが嘗められている』と、受け取れることなのですから。
こう言っては何ですが、我々は魔物とはいえ、外の人間よりも高い知能を有しております。これはそのように作られているというより、蓄積されてきた知識――これまでのマスター達との知識の共有の賜なのです。
それに加えて、今は我々にも自我がある。そういった事情もあり、このような扱いを受けた際に、不満を感じてしまうのでしょう。……『格下如きが、何様だ』と。
もちろん、日頃はこのようなことを思ったりはいたしません。ろくに学がない挑戦者の皆様相手であろうとも、誠実な対応を心がけておりますし、友好的な関係を築けていると自負しております。
ですが、迷惑をかけられたことがある相手、それもこのダンジョンを貶めようとした輩が相手では、どうしても厳しい対応になってしまうのです。
特に、エリクや凪はその一連の出来事の被害者ですから、仲間意識が強い我々にとっては、特に不快に思えてしまいます。
「聖は何か言っていましたか?」
ふと、一番感情的になりそうなマスターの様子を問えば、予想に反して、エリクは苦笑を返してきます。いえ、これは……『面白がっている』のでは。
……? あの二十一歳児はまた、ろくでもないことでも言ったのでしょうか……?
「アスト様にどう思われるかは判りませんが、俺は聖さんの反応を絶賛しますよ」
「はい?」
怪訝そうな表情のまま問い返せば、エリクは非常にいい笑顔を浮かべたのです。
「聖さん、喜んでました。『これで何か問題が起きたら、今度こそ、正式に叩き出せる』って。あと、『アマルティアの行動次第で、私達も報復できるよね』とも言ってました。『改装後だから人が多いし、晒し者にできる意味でも、こちらに非を問われない!』って」
「聖……。それは『報復できるからこそ、喜んでいる』というだけでは?」
「あはは! 俺もそう思います」
やはりろくでもないことを考えていたアホ娘に、思わず頭痛を覚えてしまいます。ですが、続いたエリクの言葉は純粋に喜びを表すものでした。
「やっぱり良い上司だなぁ、聖さん! 自分が創造したからこそ、魔物達を物扱いしてもおかしくない……それが普通なのに、俺や凪のために怒ってくれるなんて」
「……あの性格ですし、よく判っていないのでしょう」
それも事実だと思います。ですが、聖は重要なことは間違わない気がするのです。
聖はかつて、命と引き換えに幼い凪を助けました。そのことを後悔せず案じ続け、凪と再会した時には無事であったことを喜び、かけられた『神の呪い』をどうにかしようと足掻きました。
成功者となることを望まず、野心など欠片もない。その上、引き籠もり生活を好むくせに……聖は『自分がやりたいこと』に関しては、苦労を厭いません。
その結果が、現在のダンジョンなのです。聖は間違いなく、愛される支配者となっています。
聖に戦闘能力がないならばと、己を鍛える者達がいる。
聖が挑戦者達を大切にしたいと思っているから、魔物達も自然とそう思うようになった。
家族のような情、仲間意識の芽生えさえも、聖が魔物達にそういった感情を向けたから。
このダンジョンの特異性、そして多くの挑戦者達が味方する理由。それらの起点となっているのは間違いなく、聖という一人のダンジョンマスターなのです。
「俺、孤児だったじゃないですか? だから余計に、ここでの生活が楽しいんですよ」
過剰な賛辞などない、実にシンプルなエリクの言葉。ですが、そこに込められたものは決して、軽いものではない。それが判るからこそ、私の口元にも笑みが浮かびます。
「そうですか。……では、アマルティア姫を迎える準備でもしましょうか」
「はい!」
部屋を出て行くエリクの背を眺めながら、我ながら甘くなったものだと苦笑します。ですが、それは恥ずべきことではなく、寧ろ――
「さて、私も聖と話し合わなければ」
『この状況が心地良い』。そう理解していようとも、口にすることは致しません。……聖には常に苦言を呈する、ストッパーが必要ですからね。




