第四話 補佐は悩む(アストゥト視点)
聖が新たなダンジョンマスターに就任してから、早数か月。何とか、形になって参りました。さすがに『創造』の特権は所持していた――これがないと始まらないので、当然なのですが――らしく、その点だけは安堵いたしました。もっとも、それ以外は不安要素だらけなのですが。
本日も、我がダンジョンの二十一歳児は絶好調。……いい加減にしろや、この駄目人間が!
「可愛い! うちの子達、最高! ああ、連れて行かれないようにしなくちゃ」
私の目の前で動画を撮影している――使っているデジカメは通販したようです――聖の言葉に、思わず深い溜息を漏らしてしまいます。彼女が撮影しているのは、このダンジョンの魔物として『創造した』生き物――ネリア。聖の世界で言うなら、猫の大型種に近い見た目をしています。
ネリアは成体になると幼児ほどもある大きさの、長毛種の魔物です。この世界にも存在する種族であり、当然、魔物なのですが……聖はよく判っていないのでしょう。完全に猫扱いです。
見た目こそ、ふわふわの長毛に覆われた毛玉ですが、この世界でこれを『可愛い』という人間は稀でしょう。そもそも、本来は野生動物なのですから、その毛並みはそれなりに汚れているのが普通。それに加え、ネリアは非常に獰猛な性質を持っているのです。
「……大丈夫ですよ。ネリアを連れて帰ろうとする馬鹿はいません」
「なんで? 毛皮を取ろうとする輩とかもいない?」
聖は大変、不思議そうな顔を向けてきました。なるほど、少しは考えていたようです。ですが、それは『聖が異世界人だからこその発想』と言わざるを得ません。
「毛皮や愛玩を目的として、捕獲しようと試みたことは何回かあったのですが……手酷い返り討ちに遭ったそうですよ?」
「は? 嘘でしょ? そりゃ、多少は威嚇されるかもしれないけど」
聖は首を傾げて一匹のネリアを抱っこし、じっと見つめました。……確かに、彼女からすれば意味が判らないでしょう。ですが、このネリアは人には慣れない種族と言われているのです。
「ネリアという種族は大変獰猛なのですよ。おまけに群れで生活をする上、夜行性です。しかも、狩猟種族ですから、夜道で旅人が狩りの対象となることも珍しくはありません。『暗闇で多くの光る眼を見つけたら、死を覚悟しろ』と言われているほどなのです」
ネリアは大型の猫に近い外見をしていますから、その獰猛さを知らなければ嘗めてかかるでしょう。ですが、集団で襲い掛かられたら、ひとたまりもありません。牙と爪が獲物の柔らかな部分を引き裂き、絶命させるのです。動きも速いですから、まず逃げられないでしょう。
「この世界の人間にとっては、身近な脅威ですよ。そもそも、このダンジョンの魔物達は『ダンジョンマスターの創造物であり、その存在に属する配下』なのですよ? 貴女が甲斐甲斐しく世話をしているから毛並みが良いのであり、ダンジョンマスターだからこそ攻撃されないのです。……まあ、貴女は魔物達に自我を持つことを認めていますから、懐くかは貴女次第だったでしょうね」
「あ~……私も最初は警戒されたっけね。猫は家や人に慣れるまで時間がかかるのが普通だから、別に不思議に思わなかった。つーか、野生のネリアが人に懐かないなんて、当たり前じゃない? 野良じゃん、警戒心が強くて当然だよ」
ね~? と聖は腕の中に居るネリアに話しかけます。それを受け、ネリアも言葉を返すように一声鳴きました。しかも、懐いていることのアピールなのか、聖の指を嘗めています。
……。
繰り返しますが、ネリアは『大変に獰猛』であり、『人には懐きません』。これは愛玩用に攫われてきた幼体さえも同じ性質を持っていたからであり、愛玩と護衛を兼ねられないかと考えていた貴族達も、その計画を断念するしかなかったと聞いています。
そもそも、ネリアは同族に対しても厳しいのです。弱い子などは捨て置かれますし、老いた個体は容赦なく群れから蹴落とします。これらはネリア達が自分達の欠点――爪や牙が小さく、その体も魔物としては脆弱――を知るからであり、他の魔物達との生存競争に勝利するための本能のようなものでしょう。群れとして他の種族に対抗する――それは弱者を抱えたまま生きていけるような、温い世界ではないのですから。
「だから、このダンジョンのネリア達の行動が信じられないんですよ……!」
頭痛を覚えつつ、聖の両肩にガシッと手を置いて拘束します。そして、頭痛の元凶へと抗議を。
「何故、ネリアが喉を鳴らすんですか! 何故、『あの』人には懐かないと評判のネリアが玩具にじゃれたり、わざわざ産まれた子を見せに来たりするんですかぁっ! 貴女がダンジョンマスターということを別にしても、おかしいでしょう!? 明らかに別物になっていませんかね!?」
「涙目にならなくても……。良いことじゃない。私も懐いてもらうために色々と苦労したり、貢いだりしたもん。あ! あの子はもうすっかり大丈夫みたいだよ。アストもありがとね!」
満面の笑みでさらっと抗議を流す聖。彼女の頭の中では『半野良みたいな猫達が懐いてくれた! やった!』という程度なのでしょうが、これは私が聖を初めて脅威に感じたことでした。
『普通ならばあり得ない』のです。実現したのは、聖の影響を盛大に受けたからこそ。
聖は戦闘能力こそありませんが、自分が生み出した魔物達を大切にしています。家族、と言ってもいいかもしれません。ネリア達が『聖に懐いた』のは、『ネリア達に自我が認められていたから』であり、『聖がネリア達に愛情を注ぎまくったから』なのです。
その結果、ネリア達は聖に大変懐き、自らの意志で飼い主として慕っています。それは『戦闘能力を持った魔物が、自らの意志でダンジョンマスターを守ろうとする意思表示』でありました。
聖は自身の努力によって、ダンジョン内に本当の意味で味方を得た。それはこれからも増え続けるでしょうし、魔物達がこのダンジョン――我が家を守ろうとすることを意味しておりました。
視線の先では、聖がネリアをブラッシングしています。その微笑ましくも緊張感のない光景に、私はついつい、過去に存在したマスター達を思い出します。……リセットされようとも、情報としてはこれまでの記憶を有しているのです。私はずっと補佐として存在していますし、マスターによって創造された魔物達は全員、かつてこのダンジョンに存在した同型の記憶を有しております。
それを活かすも、活かさないも、我らの心一つ。『逆らえない』ことは『忠誠を捧げていること』とイコールではないのですから。マスター自身がそこに思い至らなければ、知らぬまま。
ダンジョンマスターとは『支配者』。そして同時に、『この世界のための哀れな生贄』。
いくら創造主様より願いを叶えていただいたとしても、神と同列になれるわけがない。
自分が偉くなった、もしくは選ばれたと『思い込まされ』、こちらに都合よく踊っていただくのです。その補佐をするのが私の役目であり、同時に監視する役を担っております。時には誘導しつつ、彼らに助言を与える悪魔……とでも申しましょうか。とても味方とは言えません。
私の性格はそういったことに向いておりましたので、苦に思ったことはありません。そもそも、それが『私の存在理由』。反意を抱くなど、もってのほか! 創造主様の命が全てなのです。
私がこれまでお仕えしてきた皆様は、どなたも野心家揃いでした。『魔法の研究をするため、引き籠もりたい』、『誰よりも強い存在となりたい』。どなたも個人的な望みを叶え、喜々としてこのダンジョンの主となられました。……その孤独に気づくまでは。
彼らは大切なことを忘れていたのです。『彼らの望みは、比較や評価をする他者がいてこそ叶うもの』ということを。挑戦者は訪れるでしょうが、彼らから見て、ダンジョンマスターは『敵』。
強くて当然なのです。だからこそ、名声を欲する挑戦者達はマスター達に挑むのですから。
幾ら強かろうとも、英知を誇ろうとも、それを称える者はいない。『敵』なのです。ダンジョン内の魔物達は彼らにとって創造物という認識でしたから、『マスターに逆らうことなどしない』。
要は、どれほど強い魔物だろうともマスター相手に仕掛けてはきませんし、言葉を話す配下達に称えられても、自分の願いがもたらしたことだと疑うのです。『ダンジョン内の魔物はマスターの創造物であり、支配下にあるも同然』。挑戦者を迎撃するこのルールは、マスターの孤独を強めるものでもあったのです。
孤独に気づいたマスター達は皆絶望し、ゆるゆると狂っていきました。討伐されることこそ、唯一の救い。……未練なく、死出の旅路に向かえるはずです。待ち望んだ解放なのですから。
ただ――聖を見ていると、彼女にとっての救いは何なのかと考えてしまいます。
『楽しく隠居生活をしたい!』などとほざいていましたが、それでも何かしらの野心があると思っておりました。ダンジョン内の絶対者として過ごす内、欲が出てくるだろうと。
ですが、聖にはそれらが全く見られません。彼女の影響を受けているはずの魔物達があの状態なので、本当に何もないようなのです。何より、聖によって生み出された魔物達は皆、身内――このダンジョンに存在する全ての魔物達を意味します――を慈しむようになっておりました。
ふと足元に何かの感触を覚えて意識を戻すと、ネリアの幼体が私を見上げています。これもある意味、奇跡なのでしょう。聖が創造物という認識をしていないため、このダンジョンの魔物達は通常の生物と同じように繁殖するのですから。そんな中、この個体は生まれつき体が弱かったらしく、普通ならば親から見捨てられ、儚く消える命のはずでした。
それなのに生き延びたのは……母ネリアが聖を頼ったからなのです。何とかしてくれとばかりに、子を聖の元まで運んできたのです! その行動に、私は己が目を疑いました。
『ちょ、アスト! この子に治癒魔法! あったら、治癒魔法をかけて! 私はミルクを温めてスポイトで飲ませてみる! あ、その前に湯たんぽ! 温かい寝床を作らなきゃ!』
聖にとっては、愛猫の危機のように思えたのでしょう。即座に行動に移し――必要な物は、すでに色々と買ってあったようです――、その後は寝る間も惜しんで、懸命に看病しておりました。
幼体はこのダンジョンの魔物であり、ダンジョンマスターである聖が回復を望むのです。死の運命だろうとも、太刀打ちできるはずがない。数日もすると、幼体は無事に回復しておりました。
そして。その一件は、私に予想外の事態をもたらしたのです。
「その子、アストに懐いてるねぇ。やっぱり、治癒魔法をかけてもらったのが判るのかな」
「さあ、どうでしょう? 命を救った者という意味ならば、私よりも聖の方では?」
「私にも懐いてくれてるよ~♪ もう少し大きくなったら、一匹で遊びに来そうだね」
そう言うなり、聖は私の足元に引っ付いていたネリアの幼体を抱き上げ。
「ちょ!? 聖、私にはネリアを愛玩する趣味はありませんよ! 要りません!」
「いいから、いいから。ほ~ら、アストお兄ちゃんだよ~」
高い声で鳴く幼体を、私に抱かせたのです。差し出されて、思わず受け取ってしまいましたが……まあ、何とか弱い生き物であることか! ついつい、視線を合わせてしまいます。好意しかない、無邪気な眼差し……人を襲う魔物だろうとも、幼い頃はこんな目をしているのですね。
「まったく……。いいですか、貴方も早く大きくなりなさい。恩返しをしたいならば、聖を守ればいいのです。あれは成体となった貴方以上に、弱い生き物ですからね」
「アストが話しかけるなんて! もしや、意外と気に入った? 可愛いもんね、ネリアの子!」
黙らっしゃい、二十一歳児。私は貴女がアホな分、魔物達を躾ける責任があるのです。